第10話

 夜半まで続いた二人の魔王の争いは一応の決着を見せた。

 魔王が目の持ち主を教えてやると言い、童女が『私も貰うの』などと乗り気になり、最終的には魔王の勝利で落ち着いたらしい。

「どうせまた勝ち星はいくらでも増やせるの」

 俺を見ながらそんな風に零した一言は、聞かなかったことにしたい。


 そしてそうなった瞬間、俺は自分の肉体に引き戻された。契約が遂行されたようだ。

 ただ元通りという訳ではなかった。自分の中に存在する力が、増えているように感じる。今錬気をすればひょっとしたら王国騎士でも相手取れるかもしれない。そう思わせるだけの感覚がある。名刀をそれと知りながら手に持つ、そんな感じだ。


「気持ちワル。なの」

 童女が半眼の目で、俺の顔を見ながらそう漏らす。

 きっとまた、肌の色の比率が変わっているのだろう。見る気も起きずフードを被ろうとして、破れ、なくなっていたことに気付く。増大した量と比べれば本当に微々たる力を使い、俺は錬気で外套を作り出し、改めてフードを目深に被った。


「ところで落涙、激震といい貴様といい何故この場所におった?」

 それは俺も気になる。ここ五十年、魔族が王国内に現れたという話は聞いたことがない。それが今や三体、それも魔王だという魔族だ。何が起きているのかと疑問に思わない方がどうかしている。


「私の目的はさっき言ったの。王国滅ぼすつもりでここまで来たの。激震の弱ちゃんもきっとそうなの」

「なんでそんなことを?」

 今更だろう。魔王が封印されるまでの間、されてから今までの間、いくらでも王国を滅ぼすタイミングはあったはずだ。その時には行動をしないで、何故、今なのか。


「最初はウホウホ言っているだけの人間なんてどうでもよかったの。異界人が現れて急にインテリ振り始めたのもまあいいの。でもさっきのみたいに死なない人間が私の安眠を妨害してくるのは許さないの」

「……待て、落涙。人間が魔界にやって来たというのか?」

「そうなの。どうやって境界を越えて来たのかは知らないけど三年ほど前からうじゃうじゃ来るの。弱いくせに湧いて出るし、死なないし非常にめんどくさいの。やられた弱ちゃんも大勢いるの」

 俺たちは魔界侵攻の話何て一度も耳にしたことがない。勇者候補だった俺たちがだ。


「何かの間違いじゃないか? 俺は勇者養成校に在籍していたけど境界を越える方法なんて習ってないぞ。エレンシア王国で知られていない技術を他の国が持っているとも思えないんだけど」

「間違いはないの。魔界に来ていた人間の家紋と同じ家紋を掲げている国をたまたま見かけて滅ぼしたとき領主がぴーぴー囀ったの。すべてはエレンシア王の一計だーって死ぬまで命乞いしてたの」

 草原の村で聞いた滅んだ国だろうか。どうやら下手人は童女らしい。


「ふむ、五十年か。いや五十三年。一心から何か聞いておらぬか?」

 肉体を鍛え、錬気を鍛え、最終的にその錬気を封じられた時まで記憶を手繰り寄せた。しかしそこに、祖父さんから重要なことを伝えられた覚えはない。

「いや、そもそも俺は祖父さんに戦闘訓練させられた覚えしかない」

 本当に思い出すのは俺を無能とそしる祖父さんの顔だけだ。暖かな記憶なんて物はなかった。もしも春奈がいなければ俺はどうなっていただろう。


「ふむ、ならば娘のほうか。あやつは真実を知っておったようじゃし、何か他にも知っておるかもしれん」

 確かに春奈は何故か祖父さんと灼眼の魔王の戦いを知っていた。おそらく俺の目が届かないところで何らかのやり取りがあったのだろう。


「のう小僧、あの娘は何者なのじゃ?」

「ただの幼馴染だよ。俺と同じ純血の異界人で、実家は女神教会、女神の祝福を受けて聖剣も賜っている。それくらいだ」

 物心ついた時から傍にいる、何も特別なことはない。ただ才能があって、祖父さんに気に入られて、強くなって、それでも何も変わらない。才能がある人間としてみればただそうあるだけの女の子だ。甘い物が好きで、料理上手で。多少の虫は平気だけどゲジゲジがだめ。そんな女の子だ。


「その目の持ち主なの?」

 童女が浮遊している魔王の目を指す。そこには春奈の力が宿っている。

「そうじゃ、娘自身はあらゆる聖力・魔力を同時に発動しておった」

「それは人間じゃないの」

「我もそう思う。じゃが、そう言うと小僧が腹を立てるぞ」

「弱ちゃんのこと何てどうでもいいの」

 対して興味もなさそうな目をしている癖に、童女はどこで覚えて来たのかつばを吐く真似までした。


「異界人なんだからお前らの常識が通じない人間が居てもいいだろ」

「そうじゃの、それは一理ある」

 まるで聞き分けのない子供に親が適当に返事をしたようだった。実際、俺が春奈を人間じゃないと認めることは未来永劫ないので、魔王の行動に間違いはない。


「まあいいの。問題はそいつの身体が貰えるかどうかなの。どこにいるの?」

 俺が訊きたいくらいだ。ライナの言葉を再度思い起こす。符丁や暗号の込められるスペースもない短い言葉だ。

「王都とは聞いたけど、どことまでは」

「ふん、逃げたと思ったら即出戻りか。忙しいの」

 俺もそう思う。俺の中の魔王を討伐しない限り、二度とその地を踏むこともないはずだった。


「そうなの。なら目的地は一緒だし付き合ってやるの」

「何を企んでいる?」

「そう警戒せずともよいじゃろう。落涙は恐らく面倒事をこちらに押し付ける魂胆なだけじゃ」

「よくわかっているなの。年の功なの」

 警戒をしたこちらがバカみたいだった。童女の高い戦闘能力はこちらの助けにもなるだろうし、断るいわれもないだろう。

 どちらともなく手を差し出し、握り合う。

 魔王と手を組んだ勇者、魔王と契約を結んだ勇者、どちらが人類に対しての裏切り者と呼ぶに相応しいだろう。



 日中は休み、日が落ち切れば魔王の力を用い駆ける。

 昼夜が共に三度入れ替わればもう王都だった。


「取り壊されているかと思ったけど」

 身を隠しながらも、俺は自宅を目視していた。

 王城に呼ばれたあの日から何も変わっていない。外出中に空気を入れ替えておこうと開いた窓すらそのままだった。しかし、視線をずらせば倒壊させられている家屋もある。それは、春奈の実家の教会だった。


 世間では春奈の扱いはどうなっているのだろうか。

 昼まで待って情報を得ようかとも思うが、さすがに王都の連中であれば俺の顔を知っている。

 童女に目をやるが、とてもじゃないがそれを勝って出てくれるような殊勝な心はないだろう。


「隠し部屋か何かないかの?」

「ないよ。さすがにずっと育ってきた家だ。あれば気付く」

「一心が封印していたとしてもかの?」

 その発想はなかった。しかし家の敷地面積を考えると隠し部屋のスペースはない。

「私物はどうしたのじゃ」

「王立博物館に寄贈したよ」

 三年前に祖父さんが亡くなった時、王の使いがやって来た。伝説の勇者の遺品を保存したい。そう申し出られ、年金等で世話になっているし、とくに祖父さんにいい思い出のない俺は二つ返事で渡した。


「お前はバカかなの」

「なんでだよ?」

「全盛期の灼眼を封印した奴の遺したものを手放すとかあり得ないの。いいかなの。今でこそきゅ~と物体になってる間抜けなバカちゃんだけど、全盛期の灼眼はそんな簡単に封印されるようなタマじゃないの」

 褒めるなら素直に褒めろと零す魔王を無視し、童女が続ける。


「その力、継ごうとしないとかバカとしか言いようないの」

 一理ある。確かにそういった発想も出来るだろう。だけど、それはあくまでも他人だからだ。祖父さんが亡くなった時、俺のもっとも強かった感情は哀じゃない。楽だった。

 強くなれと扱くくせに、ある程度強くなるとその度に祖父さんは俺の力を封印してきた。そしてまた俺に対して無力、無能、愚図と罵り、訓練をさせる。そんな日々が十年以上も続いたのだ。

 祖父さんの匂いなんて、俺は家に残しておきたくなかった。


「過ぎたことじゃ。それにそんな物に彼奴が重要事項を残すとは思えん。手がかりくらいはあったかもしれんがの。小僧、頭を捻れ。我が小僧の肉体を奪おうとした時、我を小僧の魂に封印しようと罠を張っておった一心じゃ。何かまだあるはずじゃ」

 どれだけ、祖父さんは俺を嫌っていたのだろう。魔王を封印する器として魂まで使われるとは思ってもみなかった。徹頭徹尾、あの爺は俺を物扱いしていたのだ。


「悪いけど、何も思い浮かばないよ」

「とりあえず私は城へ行くの。付いて来るのなら勝手にしろなの」

 何も収穫がなさそうだと踏んだのか、童女は自分の目的へと移ったようだ。

 暴れるのなら、その隙に王城を探り、春奈の居場所を突き止めるのがいいかもしれない。

 俺は付いて行くことにした。


 夜半だからだろう。王都の灯りは落ち、今は月夜だけが街を照らす。

 昼間は人通り豊かで喧騒に包まれる中央通りも今は風の音すらよく聞こえるほど静まり返っている。

 この時間にここを訪れるのは初めてのことで、その静寂さは不気味だった。


「小僧、この辺りはこうも静かなのか?」

「この時間に来たことはないからわからない」

 そうか。そう魔王が短く答え、また口を開く。

「五十三年前か、その頃は勇者共が見回りをしておったものじゃがの」

「魔族はここ五十年現れていないし魔物も人里にはめったに現れないからな」


「ではその稀が、今晩とは何とも出来た偶然じゃの」

「何だって?」

 とぷん。水溜りに何かが落ちる音がする。


 月光の下、黒い水溜りが広がった。

 中から黒い霧が生まれ、それが晴れたところで魔物が姿を現す。

 獅子の頭部に虎の胴、尾は蛇で、翼は骨。


「魔物って、魔族も襲うのか?」

「力量差次第じゃ。我らを前に牙を向く魔物なぞ初めて見るがの」

「なまちゃんの弱ちゃんなの」

 童女が肩を勢いよく回し始めたが、魔物はその双眸から敵意を取り除くことはなかった。


 童女が拳を振るい、魔物の頭部を打つ。

 魔物は、石畳を砕きながらも、数メートル先で踏みとどまる。

 童女が、膝を着く。彼女の足下には小さいながらも、血だまりが出来ていた。


「なまちゃんなの」

 再び立ち上がった彼女には傷一つ付いていない。


「骨の翼で足を貫かれたのじゃ」

「言われるまでもなくわかってるの」

 俺の目には、魔物の攻撃は目に映らなかったが、二人の魔王は互いに認識していたようだ。


「どうした? 手を貸してやろうか?」

 浮く魔王がからかうような調子で言うと、童女が不機嫌そうに返す。

「身体もないくせになまちゃんなの」

 そして、目元に指をやり、それからその指をしゃぶる。


 魔物が恐れるように一歩身を引いたが、それでも戦意は失っていないのか身を低くする。その姿は獲物を狩る野生生物そのものだ。唸り声が、夜闇の中でよく響く。

「我が名は落涙の魔王なり」

「おい、落涙」

 灼眼の魔王が短い手を、童女へと制止するよう伸ばした瞬間。月光が消失し、完全な闇が広がる。

 天を仰ぐと一点から、強い光が生まれた。


 その一条の光は魔物へと注がれ、そして、ばかみたいな振動、音を撒き散らしながら破壊を引き起こした。

 石畳はめくれあがり、周囲の家屋の窓にヒビが入り、激震の魔王が発生させた地震のように地面が揺れ、立っていることは不可能になる。

 魔物の断末魔さえ地面に押し込まれるようだった。


 後には破壊された通りが残り、月明かりと静寂が戻る。


「な、なんだよ今の」

 魔物は骨どころか灰すら残っていなかった。それはまるで元から存在していなかったのだと言われれば信じてしまいそうな光景だ。


「落涙の名の通り、今のは落涙という特異能力じゃ」

 特異能力、それが一個体のみに許された能力だということは知っている。だが、この規模の力は、初めて見た。


「加減はしたの」

 らしい。それでも威力は尋常ではなかった。しかし今はそれを前にして棒立ちになっている場合ではない。

「バカ野郎、人が集まるぞ!」

 周囲に首を巡らすが、人一人どころか、家の灯りがつくことすらなかった。


「異常、じゃの」

 反論は出来ず、する必要もないだろう。

 念を入れ、家屋の陰に潜むが、誰かがやってくる気配はしなかった。


「どういうことだ?」

 エレンシア王国王都。人口はもっとも多く、王国騎士団、勇者といった国の危機に敏感な者たちも多い。

 それらの誰一人として落涙という異常を前にして駆けつけて来ない。

「王城に招き入れるための罠か?」

「奇遇じゃな、我もそう考えたところじゃ」

 例え罠でも俺は王城へ行くつもりだ。落涙の魔王はどうするつもりなのかと様子を窺うと、何か考え事をしているらしく、半分閉じた目を城へと向けていた。


「めんどくさいの」

 そう零すと、彼女の瞳から一筋の涙が流れる。それを掬い取ろうとした指を、腕ごと抑えた。いたく気に障ったらしく涙で潤んだ瞳は、氷で出来た凶器のようだ。

「なんなの?」

「今、何をしようとした?」

 俺の推測が正しければ王城目掛け落涙を使おうとした。


「王城をぶっ飛ばすの。次は本気で撃つから邪魔するななの」

 正解したところで得る物は残念ながらない。

「待ってくれ、春奈がいるかもしれないんだ。ぶっ飛ばしたら目も手に入らないぞ?」

 こんなことは言いたくはないが他に説得の材料はないだろう。もしも童女が春奈の目を奪おうとしたら俺は全力で阻止するつもりだし、してみせる。


「心配するななの。腹立たしいけど落涙で死ぬようなタマじゃないの」

「……誰が?」

「灼眼に目を渡した奴なの。バカなの?」

 他に誰がいるのかと、蔑むような視線を浴びつつも思う。

 王城丸ごと吹き飛ばすつもりの落涙で死なないというのはどういうことだろうと。


「そうじゃな、我の灼眼でも右腕奪えれば御の字じゃろう」

「私の落涙は右肩まで奪えるの」

「すまんの、やはり鎖骨までじゃな」

「あらあら、見栄を張るななの。もっとも私はそれより米粒分多く削れるなの」

「はっはっは、我はそこより紙一重分削れるの」

「……やってみろなの。出来たら永劫忠誠誓ってやるなの」

 軽快に、ばかみたいなやり取りをしていた二人の間に少しだけ真面目な空気が流れる。


「無理じゃな」

「私も実は右肩すら無理なの」

「いや、我は右肩までなら何とか」

「お前ら、それ以上続けても品位落ちるだけだぞ」

 自覚はあるようで、それきり黙らせることに成功した。


「とにかく落涙は勘弁してくれ。城を吹っ飛ばされるとさすがに多くの人に迷惑が掛かり過ぎる」

「……私には関係ないの」

 もとより王国を滅ぼすと言っていた彼女だ、確かに関係ないかもしれない。しかしそれでも食い下がらない訳にはいくまい。


「頼むよ、祖父さんの遺産くらいならやるからさ」

 しばらく彼女は唸っていたが、ようやくため息を漏らし言う。

「仕方がないの」

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