第9話
「なんの真似だ、落涙」
落涙と呼ばれた童女が空いた手で瞼を擦る。下着のような姿から、それはまるで寝起きのようだった。
「まあまあ落ち着くの。灼眼がいなくなったらバランス悪いの」
「知れたことか」
激震の魔王は、童女を意に介さず繰り返し俺目掛けて大槌を振るう。
しかしそれら全てを童女が遮った。
何の破壊音もなく、衝撃もなく、ただ童女の手が大槌を抑え込む。暴力の余波すらなかった。
童女の足が地に沈み込むこともなく、ただただ触れた大槌の運動が制止する。
「悲しいの」
童女の目尻に涙が一滴だけ浮かぶ。それを指で拭い取り、激震の魔王目掛けて弾く。
弾かれた一滴の涙が、まるで指向性の爆弾と化した。
「ら、落涙ぃぃぃぃ」
激震の魔王の上半身は腹から背に掛けて爆風を浴びたようにして吹き飛び、残った下半身がその場に崩れ、霧散。
童女の強さは、圧倒的だった。
「久しいの、落涙」
「久しぶりなの、灼眼。しばらく見ないうちに随分きゅ~とになってるの」
半分ほどしか開いていない瞼から覗く瞳は、心なしかキラキラしている。
「我は貴様の所有物になるつもりはないぞ」
「そこまではきゅ~とじゃないの」
即座に目のキラキラを消し去った童女と、魔王の間になんとも言えない微妙な空気が漂う。
その空気を置き去りにし、ライナの下に駆け寄ると、幸いまだ息があった。
ただすぐにでも治療してやらなければならないだろう。
俺はもう枯れ木のように活力の少ない身体に鞭打ち、錬気を練ろうとする。
「止めておけ。その小僧を人の世で生かしておくつもりならの」
視線で問うと、魔王は嘆息した。
「この世には大別して二つの力が存在しておる。便宜上、聖力・魔力と区分しよう。小僧どもが錬気と呼び使用している力は聖力にあたる。練られたそれは無色じゃ。じゃが、今小僧が分け与えようとしている魔力が混ざれば何色になるかわかるかの?」
今の俺と同じ薄紫か。そう判断したのと同時、魔王は肯定するようにほぼ球体の身体を折り曲げた。
「じゃあ、どうするんだよ。ライナをまだ死なせるわけにはいかないんだ」
王国騎士団入りが決まった夜、これで家族に楽をさせてやれるとこいつは笑った。
遺族年金は出る。しかし勇者制度が崩壊した今、騎士団一方からのうえに在籍期間の短いライナのそれでは、兄妹の多いこいつの家には足りないだろう。
それに、春奈の話もさせなきゃいけない。
「治療してやればいいの」
「やめい、落涙」
「死なせたくないなら治療するしかないの。結果がどうなっても私たちには関係ないの」
童女はどうして止めたのかわからないと、魔王へ視線を注ぐ。
魔王が忌々しげに舌打ちをする。
「なあ、何の心配があるんだ?」
聖力と魔力とが混ざるとどうなるのだろう。
現状俺としては影響を感じていない。
肌の色が変わったのは一つの肉体に二つの魂があるからのはずだ。
力はむしろ魔王の一部が流れ込んだおかげで俺は今五体満足で生存出来ている。
「そいつが今後錬気をした瞬間そいつの身体はボン! なの」
「はあ?」 それはおかしい。ならば何故俺は度重なる錬気の使用で無事に――肌の色が変わっているからか?
戦えなくなったライナを、王国騎士団はどう処分するだろう。除名処分か。
そしてそれは不味い。慰労年金にしても在籍してからほぼ日が立っていないから額は雀の涙だろう。
「あ、わかったの。灼眼、ケチなの。この程度くれてやればいいの」
「落涙、この小僧の脆弱さをお主はわからんのか?」
二人の魔王の話はよくわからないのだが、今はそんなことよりもライナだ。
どんな状況になっても、死ぬよりかはマシ、だよな。
手をかざし、錬気を練るが疲労からか、上手くいかない。
深呼吸。焦るな、でも手早く。ライナが死ぬより早く。
「時間切れじゃ」
未だ錬気を流し込めずにいた俺は、魔王の声でライナを注視した。土気色の顔ではあるが、胸はまだ上下している。
「邪魔するな!」
焦りから耐えられない苛立ちをぶつけた。魔王が不愉快そうに眉間に皺を寄せる。その魔王の背後に広がる空に、流れ星が三つ。俺はボロボロになった外套のフードを目深に被る。
そして星がこの場に落ちた。
以前廃鉱山で見た物と同じだ。今回はサラス、その後ろに二人の王国騎士が控えている。
サラスが一歩前へ。
「王国騎士団である。救助要請を出したのは貴殿か」
「いえ、違います。私が辿り着いた時にはもう村はこの有様でした」
「そうか、して魔物はいずこか?」
首を振ってから、ライナの存在を主張するとサラスが目を丸くした。
「ライナ! おい、お前たちはライナを連れて王城へ戻れ」
短い返事と共に騎士たちがライナへ錬気を流し込み、それから再び星へと姿を変えた。
「馬鹿者が、なぜ救援要請しなかったのだ」
その声には、仲間が傷ついたことへの怒りが込められていた。優しい人なのだろう。だが、俺は忘れていない。このサラスが真っ先に春奈に剣を立てた。
「我と変わればこの小娘を屠ってやるが?」
玩具を見つけたように魔王があざ笑う。
それにも俺は首を振る。
「どうした? ところで貴殿たちはここで何を?」
サラスが俺、そして童女へと目を順番に運んだ。
「旅をしていたら、魔物に襲われているような雰囲気でしたので駆けつけました」
「王国を滅ぼそうとここまで来てやったら懐かしい気配を感じたから寄り道したの」
場の空気が一瞬だけ固まる。
「こら、そんな物騒なことを言ってはダメだ」
そういって、サラスが童女の頭に拳骨を落とす。
「かっちーんなの」
童女の周囲に濃い紫の錬気が漂い、サラスが一気に飛び退った。その際生まれた風で、フードが脱げた。
「勇人殿!? …………見下げ果てたぞ。まさか魔族と手を結び、村を襲い、王国転覆を図るとは」
「そんなことはしていない!」
童女のせいでただでさえ悪い立場が、坂道を転がり落ちるようになっていくのを感じた。
「勇人殿、あなたには心底がっかりしています」
「人の話も聞かずに何を勝手な」
サラスが腰に下げた筒へと手を伸ばす。
「一発は一発なの」
サラスが何を企んだのかは知らないが、気付けば彼女のすぐ傍に童女が現れ、そのふくふくとした手で握り拳を作り、サラスの頬へと沈み込ませた。
外から内へと回り込むように振られた拳を受け、サラスは円の軌跡に吹っ飛び、一周したと思うと全身をあらぬ方向へと曲げたが、うめき声一つ上げていない。
「殺し、たのか?」
「一発返しただけなの。結果的に死んだかもしれないけど殺してないの。不慮の事故なの」
よく理解出来なかった。そして多分、理解しなくてもいい。
何も言うことを止め、とりあえずその場を後にしようとした時だ。
童女の背が斬りつけられ、そして刃先が宙を舞う。
「ち、仕損じたか」
最後にそれだけ言い残し、サラスも騎士たち同様星へと姿を変えた。
「落涙、しくじったのか?」
「まさかなの。確実に死んでたの」
童女が切り裂かれた薄手の布を前に、少し寂しそうな目を向けた。
「お気にだったの」
肌着だったそれを拾い上げ、童女が胸に抱きしめる。瞬きをした瞬間、またその布は肌着のように童女の身を包んでいた。どこに悲しむ要素があったのかは、俺にはわからない。
俺の目には、激震の魔王と対峙したときよりも光沢を発しているようにそれが映る。
周囲には激震の魔王の爪痕が残り、大地は耕した畑のようになっている。草はまばらに散り、地下深くに圧されていた土が風にさらされている。燃えていた家屋も焼け果て残るのは灰だけだ。家畜の語り合うような声もなく、草原に広がっていた生命の息吹は全て絶えたかのように思えた。
頭に、ライナの言葉が過る。
「春奈……」
封印されたとはどういうことだろう。
助けを必要としているのなら俺は行かなくてはならない。だがどこへ。
「案ずるでない。あの娘をどうにか出来る存在なぞおらぬ。例えそれが魔王や神王としてもじゃ」
俺の内面が、魔王に影響を与えるのだろうか、荒ぶるそれを静めようとするかのように、魔王はそう口にした。
「なんの話なの」
「貴様には関係ないことじゃ」
途端、半分しか見えない瞳に、怒気が宿ったようだ。
「…………あらあら人間如きに五十三年間封印されてたおマヌケさんがなまちゃんなの」
「我と争い十戦十敗している間抜けに言われることではないの」
「十戦一敗九分けなの。そろそろ高齢からの呆けが始まったの。憐れなの」
何やら不穏な空気が漂う。
魔王が宙を漂い、童女の元へ。
童女が近付く魔王へ視線を向けたまま肩をぐるんぐるん回す。
魔王が頭突きし、童女をすり抜けた。
童女の拳が宙を打つ。
「…………」
何を思ったか童女が俺に歩み寄る。そして、身体を振り絞った。
次の瞬間、俺の体内から破裂音がした。それと同時に喉元に熱さを感じ、開いた口からは大量の血液が漏れ出す。今日何度目の吐血だ。もう錬気するだけの気力がないなか、重すぎる損傷だった。
「降参? 降参するならここまでで勘弁してやるの」
何の話だ。皆目見当もつかない。
「小僧、死んでも降参するでないぞ」
魔王のそんな声が響いて来るが、意味がわからない。
そもそも俺が死ねばお前も死ぬんじゃないのか。
というか降参したところで俺にデメリットは皆無だろう。
「ご、ごうざ」
「小僧、黙れ」
「わかったなの」
童女が俺に手をかざした瞬間、俺の傷は癒えた。先ほどまでの苦痛が嘘のように引き、まるで夢だったようだ。しかし、俺の眼前に出来た血だまりが現実で会ったことを証明する。
「灼眼。お前の言う通りでいいの。認めるの。確かに私は十戦十敗していたの」
童女がまるで女神に祈りを捧げる信徒のように胸の前で手を組ませた。その表情も信徒のそれだ。
「でもこれで二勝十敗なの」
童女の顔に、悪魔のような笑みが浮かぶ。握り拳を作り、俺の肩を殴打。元より肩がはめ込み式の部品だったかのようにもげ、鮮血が噴き出す。痛みから、喪失感から、絶叫する。
「後九回降参するの」
何をどう考えたらこんな結果が導き出されるのかわからない。
「小僧、代われ、代わらんか!」
魔王のそんな脳を割らんとする勢いの言葉を受けているところから考えるに、魔王には納得の出来る論理展開らしい。こんなバカげたことに俺を巻き込むな。よっぽどそう言ってやりたかったが俺の口は哭くことしか出来ずにいる。
「ふふふ、これで九勝十敗なの」
童女は興奮に顔を赤らめ、荒い息を吐いている。
「よしわかった。小僧。灼眼の魔王の名において契約する。この争いを終えた瞬間必ず返す。だから身体を貸せ」
だいぶ熱っぽくなった俺の脳内に、そんな言葉が届く。
「契約は必ず遵守される。それがこの世界の法則じゃ」
お得意の権謀術数か。そう問うた俺に、魔王が必死の様子で否定する。
「ええい、そんな余裕があるか! だいたい小僧相手に我の謀が上手くいったことがあったか!?」
この魔王大丈夫だろうか。ボロ雑巾のように横たわりながらも、俺は少しだけおかしくなって笑えてきた。
「これで十勝十敗。イーブンなの」
童女が俺を癒し、再び破壊。
「春奈を、助ける力も貸してくれるか?」
「よかろう」
結ぼう、その契約。俺が声にならない声でそう唱えると、俺は自分の身体からはじき出された。
それまでの辛さが瞬く間に消え去り、視界も明瞭化。
「く、くくく。ようもやってくれおったな落涙」
黒い肌、沈む日よりも赤い瞳の俺が、歪に唇の端を上げる。
「ご老体が無理するななの」
「久方振りの肉体じゃ。加減できずとも恨むでないぞ」
「加減も何も見たところ五割程度の力しかないの。それで私に勝つ気とかなまちゃん通り越していっそ憐れなの」
童女が、かつて魔王が取り戻したと口にした力量を言い当てる。魔族というのはこういったものに敏感なのだろうか。
「確かに貴様を相手取るには八割は欲しいところじゃ」
「しかも片側の目灼眼に見えて灼眼じゃないの。御老体寿命近いんじゃない? なの」
魔王が負ける気配しかしない。個人的にはどちらでもいいがせめて死ぬのだけは勘弁して欲しいところだ。
十回も殺されかければさすがに童女の考えに見当はつく。童女は十一勝目を得るため、俺を殺さなかった。次でその十一回目だ。容赦はないだろう。
「くく、この目を前にして、同じ口が利けたら褒めて使わそう」
「歳だけ上のご老体が何を言うなの」
童女が片目から一滴涙を流し、それを指で掬い、しゃぶった。それと同時に彼女の周囲を漂う紫の錬気がさらに濃さを増す。それはまるで可視化された瘴気の如き禍々しさを帯びる。
そして魔王も動き出す。
魔王の右眼から赤が消え。そして黒い瞳へと姿を変える。
刹那、童女が酷く青ざめた顔で飛び退った。
「おーけーわかったなの、引き分けなの」
童女が錬気を解き、もろ手を挙げた。
「冗談じゃろう? 我の勝利じゃ」
「冗談はよせなの。そんな力使ったら灼眼も死ぬの」
「負けるよりはよい」
引き分けでいいだろ。俺のその言葉は、魔王には届かないようだ。
「引き分けなの」
「我の勝利じゃ」
「引き分けでいいだろ」
念じての会話だと無視されるので口に出したが、双方に睨まれた。なんで童女まで睨んでくる。理不尽だ。
「よいか小僧。魔王は数居れども魔界を統べる魔王はただ一人なのじゃ。そしてそれが我じゃ。何故我がそうであると他の魔王に認められるか、それは偏に我の勝利数が他を圧倒しておるからじゃ。負けてもよい、引分けてもよい。じゃが、それらの数が多ければ多いほど勝利が曇るのじゃ。ゆえに我はこんなつまらぬところで勝利を譲るつもりはない」
「仲介役なんて立てたら最悪なの。みっともないの。魔族は個々が自由に振舞ってこその魔族なの」
魔王も同意するかのように童女の言葉に頷く。
「もう勝手にしてくれ」
酷く疲れた。俺の背後で、あーでもないこーでもないと二人が言い合うのを聞き流しながら、俺は春奈とライナの姿を夜空に思い浮かべた。本物の星が瞬き、それはそれは綺麗な物だった。
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