第8話

 草原の村を出て数時間が経った。

 向かう先は自然国の樹海だ。春奈と交わした話題の中でそれ以外の地名は出ていない。

 俺は水筒に口をつけ、中の水を一口飲む。


 関所破りの方法に頭を悩ませている。

 街道代わりの整備された道に沿ってある関所にはほぼ確実に手配書が回っているだろう。関所はレンガ造りで中は詰所になっている。強行突破は難しい。ならば関所脇の山を越えて行くべきか。

 それも難しい。関所、国境壁のない場所は魔物が跋扈している危険地帯だ。そもそも監視がないのは無機物であればその魔物に破壊され、人員を割けば危険があるからに他ならない。


 これ以上進めば関所関係者の目に止まるかもしれず、今この場で山入りをするべきか一か八かで正面から関所を通るかの二択に思考を巡らせる。

 手配書はあくまでも人相書きだ。魔王の影響で肌に黒が混じった今の自分ならば合致せず気づかれない可能性もある。そう考えれば魔王の甘言も実は的を射ていたのかもしれない。しかし関所に既知の勇者が居ればどうだろうか。堂々巡りだった。


 そしてそんな時だった。

 大地が揺れ動き、山からは鳥が飛び立ち、野生動物が吠える。

 経験のない出来事に、その場に四つん這いになって耐えた。


 知識として思い当たるものがある。地震だ。

 これまで生きてきた中で、一度も遭遇したことのない自然現象は、俺の背筋を震わせる。

 大丈夫なのだろうか。このまま地面が割れ、どことも知れぬ穴に落ちたりはしないか。


 その揺れは、強くなり、弱くなり、止まり、そしてまた始まる。

 それが三度ほど繰り返されただろうか、今度こそ収まった。

 最中に、数キロ先で何かが崩れる音がしていた。足を運ぶと何かが焼ける匂いがし始める。


 間もなく、俺は崩れ落ちた関所を目の当たりにした。

 呻くものもなく、恐らく全滅している。


 自然の恐ろしさに、身の毛立っていると、魔王が口を利いた。

「激震の魔王か。随分と久しい奴じゃ」

「魔王? どういう、ことだ?」

 魔王はお前じゃないのか? そう尋ねる前に、魔王は続けた。

「今の地震は激震の魔王の仕業じゃろうよ。そうじゃな、大方先刻立ち寄った村でも襲っておるのじゃろう」

 走り出す。


「自然国入りするのであれば今を逃す手はないと思うのじゃが?」

 わかっている。今なら誰に見咎められることなく国境を越えることが出来るだろう。だけど、今はそう出来なかった。最弱である。そして今はその身に魔王を宿している。でも、それでも俺は勇者なのだ。

 資格もなければ心構えもない。おおよそ勇者と呼べるものは何一つ持ってはいない。

 我が身かわいさに魔王を秘めたまま他の勇者から逃げ回り、最も愛する者を巻き込んで逃避行をしようとしている。だけどそれを理由に、今まさに撒き散らされている不条理から目を逸らすことは出来なかった。


 村に戻る間にも、地から天へと突きあげられるような衝撃を幾度か体感する。

「対峙したところでどうするつもりじゃ?」

「俺は勇者だからな」

「小僧と激震とでは野兎と魔物以上の力量差があるぞ」

 無駄死にする。そういうことだろう。だけど、ここで尻尾を巻いて逃げてどうなるというのだ。


 簡素な家は支えを失い真上から押しつぶしたように、草原に広がる緑は根から掘り起こされたように。

 火をおこしていたのか、それとも火種に引火したのだろうか、枯草の屋根が燃え、爆ぜていた。

 掘り起こされた土の、まだらに緑を彩る草の上、激震の魔王はいた。


 草原に建っていた家と同じぐらいの体躯はまるで大岩のような灰色。自重を支える四肢、人でいうところの手の代替物なのか長い鼻は、先端に物言わぬ亡骸を巻き取っている。乾いたような硬質の肌は炎の光を反射している。それは例えるのなら、図鑑でしか見たことのない像という動物によく似ていた。

「灼眼か」

 それの声が、脳内に直接響く。


「久しいの、激震」

「しばらく見ぬ間に随分と脆弱な存在に身を堕としたものだ」

「器さえ手に入れれば貴様なぞ容易に屠れる程度には弱っておるよ」

 激震の魔王の目から、土くれが零れた。前脚を振り上げ、地面をたたき割らんばかりに振り落すと、大地がめくれる。俺の天地が容易く入れ替わり、浮いた身体に鼻が叩きつけられた。

 鈍い音が身体の中で鳴り、そのまま視界が目まぐるしく回る。体液が逆流するように喉元までせり上がり吐血。


「いつまで頂きに座しているつもりだ」

「ご、がはっ」

 呼吸をする度に胸に鈍痛が走り、鼻から、口から、耳目から血が洩れる。

「さて、小僧。どうする?」

 酷く遠くから聞こえるその声を意識から追いやり、錬気を始めた。

 激震の魔王がその重々しい一歩を繰り返し踏み出し、その度に地面が揺れる。


「後三歩じゃ。あと三歩で彼奴の射程圏内じゃのう」

 愉悦の声を上げながら、灼眼の魔王が俺の視界に身を寄せる。


 灼眼の魔王の力は五割の中の一部でもたいしたもので、立ち上がることくらいは出来るようになった。

 まだ力の入りきらない膝が震えるが、口元に流れた血を服の袖で拭う。


 やけに静まり返った空間に、生存者がいないことが感じられた。

 耳に届くのは燃える音、風の音、あとは俺と、対峙するものの立てるそれだけだ。


「どうした灼眼? このままでは器が滅びるぞ?」

 人と異なる造形により、はっきりとは表情の区別はつかないが、怪訝に思う様子が見て取れた。

「なに、そうした時が貴様の最期じゃよ」

 激震の魔王の目が、一瞬細まり、そして再び土くれを流し始める。

 鼻を突きだし、そこから無数の石が噴射され、俺の身体は再び吹き飛ばされた。


 最早何しに来たのかわからなかった。村人を助けに来たにしては既に全滅しており、激震の魔王を討伐しようとしたにしてはやられっぱなし。

 でもそれでも錬気をし続ける。


 石つぶての威力は牽制程度だった。驚異的な回復力を持つ灼眼の魔王の力で、今や身体は万全に動く。

 錬気をしたまま地面を踏み抜き、激震の魔王の側面に回り込む。

 その胴体に握り拳を当てる。


「振!」


 触れた拳から、俺の錬気が激震の魔王に流れ込む。その錬気に押され、内包している相手のそれを乱れさせる。そのまま体内から逆流させてやろうとしたが、その源には波紋が浮かぶだけで、その動きは止まる。

 そして、激震の魔王が伸ばした鼻に、再度骨肉を潰された。


「妙な体術を使う」

 激震の魔王がそう口にしながら横たわる俺へと歩み寄る。

「くそ、爺。話が、違う」

 血反吐を吐きながら、恨み言を口にした。

「小僧が弱すぎるだけじゃ。よいから我に身体を寄越せ。一心の創造せし技、その本質を見せてやろうぞ」

 それだけはごめんだった。何せ俺が死ねば伝説の魔王も死ぬ。無駄死ににだけにはならないこのアドバンテージ、捨てる訳にはいかない。それが自ら命を絶たない俺の、勇者として最後に残した矜持だ。


「強情じゃのう。死ぬぞ?」

 それでも負けにだけはならない。

 笑みを浮かべて見せてやると、灼眼の魔王は嘆息する。


「そろそろ飽いた。もう他に芸もあるまい」

 巨大な足の裏が視界に広がり、そしてそれが俺の頭蓋骨を踏み砕く瞬間。


「蛇縛!」

 耳慣れた声が、見覚えのある技で、激震の魔王を捉えた。


「大丈夫か!」

 重厚な全身鎧には王国騎士団であることを示す盾の紋章、その内側にライナの家紋である獅子が象られている。

 手にしているのは無数に分かたれた鞭。


「何とか、な」

 口腔に溜まった血液と共にそう吐き出すと、そこでようやくライナは俺だと気づいたらしい。

「な、勇人か!?」

 振り返り、そして目を見開く。


 そんなにひどい有様だろうか。

 外套には土、草、血液が付着している。腕はあり得ない方向に曲がり、口端からは血を流している。

 確かに逆の立場なら驚きそうだった。


「……死ぬなよ。お前にはまだ伝えることがある」

「逃げろ。そいつは、激震の、魔王だ」

「魔王? 魔王はお前の中に――そうか」

 頭を覆い込む兜を錬気で生み、その表情はわからなくなった。


 俺も錬気を再開し、みるみる傷は癒えていく。しかし、さすがにそろそろ疲労の色が濃くなってきた。

 今日はもうこれ以上怪我をしたら回復出来ないかもしれない。

「ほう……向こうの小僧は中々才覚があるの」

「新しく生まれた勇者の中じゃ、春奈の次に強いからな」

「ふむ、なるほどの。じゃが――」


 激震の魔王は拘束を引き千切ると、鼻から岩のような大きさの鉱石を数多吹き出す。

 ライナの全身鎧が削られ、悲鳴のように甲高い音を立てた。

 天地をひっくり返され、鼻を打ちつけられ、巨大な足で踏みつけられる。

「魔王に単身で立ち向かうとは頭がちと足らんの」


「ライナ!」

 ライナに止めを刺すつもりなのか、激震の魔王は前脚を振り上げた。

 その足には紫の錬気が集う。


「振!」


 無駄かもしれない。先ほど通じなかった技だ。

 俺は激震の魔王の剥き出しになった腹に拳を当て、振りぬくように腰を回す。

 このまま激震の魔王が前脚を下ろせば俺も潰されるだろう。この一撃で俺たちの命運が決まる。


 俺の錬気が伝わり、激震の魔王の力を揺らす。

「ふうぐうお」

 電撃を浴びたように、激震の魔王が着妙に呻き、ひっくり返り、その拍子に俺は後ろ脚に跳ね飛ばされる。

 防いだ両腕が砕けた。


「蛇縛、蛇霊弾、雷蛇」

 防御に割いた錬気の全てを武器に込めたのだろう。全身鎧は消えており、ところどころに血を滲ませたライナが震えながらも立ち上がり、ライナの切り札である雷蛇までもを激震の魔王に向けた。


 蛇縛でひっくり返したまま、腹に集中的に蛇霊弾を当て、最後には雷の蛇をその腹に食らい付かせた。

 衝撃でもうもうと土埃が舞っている。雷蛇が走った衝撃で鼓膜が麻痺し、断末魔は聞こえなかった。


「やったか?」

 ライナも雷蛇の影響で耳が聞こえなくなっているはずだ。わかっていても口にした俺の言葉に応えたのは灼眼の魔王だった。

「やっておらんの」

 頭に直接響いたその言葉に、目を凝らすことで答える。


 土煙が晴れた先には灰色の肌をした大男。瞳は土色だ。

「よくもこの姿を晒してくれたものだ。死して償え」

 瞳の土色が強くなり、その手には紫の錬気が集い、大槌が生まれた。


「小僧、変われ」

 魔王の声に、真摯さが混じる。

 それほどまでに俺の肉体は危機をむかえているのだろう。

 疲労で失いそうな意識に鞭打ち、錬気をする。


 ライナが、疲労困憊ながら距離を詰め始める。

「ライナ、待て」

「……勇人、話があるって言ったな。言えなくなるかもしれないから言っておく。春奈が封印された。だからここは俺に任せてお前は春奈のいる王都へ向かえ」

 ライナは、俺の聴力が戻っていることを知らず、錬気で作った文字でそう語った。そして、その内容に感じて質問をする前に、ライナが激震の魔王に跳びかかった。


「ライナ!」

「死ね、小僧が」

 激震の魔王の大槌が、ライナを打つ。ライナは受け身を取ることなく水切りの石のように地面を跳ね、うごかなくなり、血だまりが広がる。

 ライナに駆け寄るその動きのなか、激震の魔王が進行方向を遮った。

「さらばだ、偉大なる灼眼の魔王よ」

 大槌がゆっくりと眼前に迫るのが見えた。


 そして、大槌が赤子のようなふっくらとした小さな手に押し止められる。

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