第12話

 地下二階まで続く階段を下った。

 地上から直通で二階層下れる階段は存在せず、そのため地下一階を端から端まで歩くはめとなった。地下一階から地下二階へと続く階段と、地上へと続く階段がそれぞれ通路の端に位置しているからだ。

 その地下一階は国庫として用いられており、備蓄食料や書物その他文化財や金銀財宝までもが積まれていた。

 そして地下二階はおよそ華々しさからは縁遠い階層となっている。

 まず一切の装飾がない。壁も床も剥き出しの石となっている。そして薄暗い。さらに空気が重々しい。

 地下二階は、牢になっていた。


「ここから先に階段はないけど」

 そう告げて多命の賢者を見やると、何が面白いのか、歯をむき出しにして見せる。

「隠しエレベーターがある。知ってる? エレベーター。科学力で動く昇降機」

「昇降機? そんなもの科学力なしに動くだろ」

 人力、錬気を込めた魔石、諸々で動かすことが出来るはずだ。科学力なんて大層な物は必要ない。


「持つ者は皆そう言うんだよねー。滑車を回す力のない子供や老人。錬気を行えない一般人。高価で希少で、魔物を倒さないと手に入らない魔石。それら全部が不要なのが科学……らしいよ?」

 眉唾だ。手間暇なしに大きな力を発揮できるとは到底思えない。

 しかしわざわざそんなことを口にするつもりはなかった。とりあえずそのエレベーターらしき物を探そうとは思うのだがどんな形をしているのかもわからないのに探しようはない。


「ああ、あの牢だ。あそこの片隅を押し込んでごらん。スイッチになっているはずだ」

 多命の賢者が指差した壁に手をやると確かに手の触れた一部が沈み込んだ。そしてその脇の壁が重々しい音と共に地面へと沈み込んでいく。あとには独特な匂いのする小部屋が現れた。

「なんだ、あの灯りは」

 壁の一部がスイッチ。壁の一部が動く。それらは何ら珍しい物ではなかった。しかし、小部屋の中にある灯りは俺が見たことのない光源となっている。松明よりもよほど明るい。


「電灯さ。まあこんな物で驚いていたらあいつの研究所行ったら度胆抜かれちゃうよ君?」

 その光景を想像したのか、賢者は歯を再度むき出しにして見せた。こいつの笑顔は、正直あまり見た目がよくなかった。その顔は、何か含みがあるような印象だ。


 俺たちが小部屋に入り込むと、壁が再びせり上がった。

 そして、何とも言い難い感覚が身体を襲う。肌に感じる冷気も、風もない。しかしそれでも確かに得る自分が落下する不快感。

「娘に近づいておるの」

 魔王の呟きが終わったと同時だ。目の前に鋼鉄の扉が現れ、左右に引き込まれる。そしてその先は見たこともない材質の壁、床、天井で作られた通路が広がっていた。一本道だ、迷いようはない。

 煌々と照らされた通路はもし錬気を解けば足音を響かせるだろう硬さがある。表面はわずかにざらつき、触れればひんやりと冷たい。


「いやあ、懐かしいなあ。昔僕らがいた世界みたいだ」

 多命の賢者が何の感慨も込めていないような声でそう告げた。視線はただ通路の終わりである扉へと注がれている。


「うじゃうじゃいるなの」

「おるの」

 童女が渋面を浮かべ、魔王が閉じていた瞳の片側だけを開く。何がいるのかと首を捻っていると、それは答えを待つまでもなく判明した。

 通路の先の扉を突き破ってきた肉塊がそのまま足元へと転がってくる。全身が焼け焦げたそれは口から煙を吐きながら、痙攣していた。

 そして静寂に包まれていた空間に怒号、それに剣と剣のぶつかる音、吐き気を催す血煙の匂い。無数の刺激が広がり、肌が泡立つ。


「なんだ、何が起きてるんだこれ!」

 一目散に通路奥へと駆け付けた。扉の奥を覗き込むと、すぐに血走った目が俺に向けられる。

「くそ、敵の増援かよ!」

「違う! あいつは敵じゃない!」

 その声の主は、俺の目を引いた。そこには金獅子の鬣に似た髪を真っ赤に染め、それが返り血なのかあいつの血なのかわからないほど疲弊している様子のライナが居る。


「勇人! 話がしたい。俺の方まで来てくれ!」

 そう言い放つと、ライナは俺から背を向けた。あいつの身体の向いた先には、青銅の勇者と呼ばれる古くからの勇者が錬気を放出している。ライナが応戦し、彼の腕を吹き飛ばす。しかしその端に彼の腕が生える。

 俺とライナの間に立つ男の首が飛び、また悲鳴を上げる別の男がいた。


 悲鳴の方へと顔を向けると、新たに吹き上がった血の噴水の奥、不良勇者が居た。そいつは剣に付いた血糊を振り払い、笑う。左右非対称の不気味な笑みが俺の背を震わせる。

「よおよお最弱の勇者さま、こんなところで何してるんだ? お姫さまでも助けに来たのか? あ、違ったな。最強の勇者さまに縋りに来たのか。どんな気分なんだ? 女に守ってもらうってのは」

「女にぶっ飛ばされるってのはどんな気分か話したら教えてやるよ」

 不良勇者の額に、青筋が目に見えて浮き上がる。


「死ねよ、クソが」

 不良勇者が錬気と共に俺へと迫り、剣を振るう。その剣は、空を切る。俺の身体は酒場の料理よろしく童女の手に掲げられていた。

「お前、見たことがあるなの」

 童女の声に、氷の如き冷たさを覚えた。それはいつものような気だるげな物とは一線を引き、その声だけで見えぬ何かを切ることすら出来そうだ。しかし気が昂っているのか、不良勇者が気付いた様子はない。俺が不良勇者の立場なら即座に背中を見せ逃走したはずだ。


「ああ、んだこのガキ。俺は手前みたいなしょんべん臭いガキに見覚えねえよ」

「ある訳ないの。そう、マリアが寄贈した花壇を壊した奴の人相書きに似ているなの」

「ああ? んなもん一々覚えてねえよ。むしゃくしゃしてやったかもな。それでどうしてくれんだよガキ」

 まさか目の前の童女が落涙の魔王とは夢にも思っていないだろう。


「小僧、あちらの小僧どもを下がらせよ。皆死ぬぞ」

 魔王の静かな声に、疑う気持ちは起こらなかった。

「ライナ、俺たちの方まで下がれ!」

「バカ言うな、せっかくここまで追いつめたのに――」

「――全員死にたいのか!」

 真剣な思いが伝わったのか、ライナはよく通る声で撤退を指示した。しかしその指示に従える者は残っていなかったようだ。全滅もしくはその寸前だったのだろう。ライナは渋面を浮かべながら童女の背にいる俺のところまで撤退した。


「後で事情を訊かせてもら――」

 ライナのその声に被せるようにして、童女が腕を振りかざした。そしてその両腕より轟音を伴った破壊が撒き散らされる。童女の腕より先にあった壁は落涙に似た光りに触れて捲れ、人は蒸発し、天井はひび割れ、床は砕けた。

 激しい振動に、通路が崩れるかと思ったが、幸いにしてそれはなかった。


「おい、お前まだ生きていた仲間が居たかもしれないの――」

 俺はライナを羽交い絞めにし、その口も手で塞ぐ。今の童女は何をするかわからない。

「落ち着け、ライナ。そいつは落涙の魔王だ。激震の魔王を覚えてるか? あれを一撃で殺せる力がある。わかったら落ち着いて俺の話を聞いてくれ」

 ライナが首肯し、俺は手を離した。それにしても随分とすっきりしたものだった。渾然としていた戦場は見る影もなく、残されているのはエレベーターから続いた通路に続く通路のみ。そこで戦っていた者は誰一人姿形を残していない。


「勇人、魔王ってのはそんな何体も居るものなのか?」

「俺も詳しくは知らない。けど、どうやら俺たちが教えられてきた魔族の話は色々と違うものがあるみたいなんだ。それよりもライナ、今はどういう状況だ?」

「俺の方こそ聞きたいことが山ほどあるんだけどな、ああまあいいや。お前と春奈が居なくなってからだ」

 俺が頷くと、ライナは一度俺から目を逸らし、それからまた真直ぐに見据えた。


「非常事態宣言が賢王さまから出されて王都に暮らす皆が疎開した。残ったのは俺たち勇者だけだ」

「非常事態宣言? 疎開?」

「お前たちが魔族共々王都を攻めてくると思ったらしい。バカバカしいとは俺も思う。戦場を王都に選んだ意味も俺にはわからなかった。だけど、その意味がわかったから俺たちは今ここにいる」

 ライナにしてはまどろっこしい話し方だった。それだけ事情が複雑なのかもしれない。ライナが言葉を選ぶように視線を動かし、それからようやく口にする様子を見てそれはわかった。


「王都の地下に、爆弾が埋まっているらしい。これが爆発したら今後百年は生物が住めなくなるっていうそんな爆弾だ。賢王さまはお前と春奈が王都に攻め込んで来たらそれを爆発させるつもりだったみたいだ。もちろんそれを使わないに越したことはない。賢王さまは春奈の家族を捉えて春奈にメッセージを送った」

 それが、俺たちの見た高札なのだろう。

「そして春奈が来た。俺は少なくとも話し合いが始められると聞いていたし、その役目を俺は任されてあいつの前に立った」

 ライナの言葉から俺はその場面を想像した。

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