第3話

 翌朝、俺は暖かいものに包まれていた。

 目の前には、寝巻姿の春奈の胸がある。

 漂う甘い香りに、気持ちが穏やかになっていく。


 ガキだなあ、俺。


 男として、恥ずべきことだと思う。

 それでも、俺は安心してしまった。


 俺の頭を抱きかかえるようにして眠る春奈の身体を抱き寄せ、俺たちは重なり合うようになった。

 少しだけくすぐったかったのか、春奈が身を捩る。その拍子に春奈の黒髪が、俺の頬を撫ぜた。


「勇ちゃん?」

 まだ焦点の合わない瞳が向けられ、俺たちはほとんど距離のないまま目を合わせた。

「昨日は、助かった、サンキュな」

 別に春奈が俺の中に侵入した黒い靄を追い払った訳ではないのは知っている。それでも、俺は礼が言いたかった。


「うん。何か、胸騒ぎがしたの。それに、勇ちゃんの家の方から物音がしたから」

 だから、何かあったのかと思って。そう続けようとしたのだろう。

 しかし、その言葉は来訪者を告げるベルの音で遮られた。


「ライナ?」

 家を訪ねて来たのはライナだった。つい先日来たばかりなのにその姿は意外だ。

 王国騎士団は勇者制度廃止に伴い、多忙を極めている最中だ。

 それに、ライナの険しい顔つきは既に勇者や戦士といった類の代物と化している。


「春奈も、いるな?」

「ああ、いるけど」

 やましいことは何もない。少しばかり情けない話はあるが。

 俺たち三人の関係においては、春奈が家に泊まったことなど隠すことではない。


「二人とも、王城へ一緒に来てくれ」

「……何かあったのか?」

「すまん、今は言えない。君命だ」

 王が、ライナに直接命令を下したということだ。

 いくら天才騎士といえども新人騎士に対して非常に珍しいことだと思う。


「わかった。ちょっと待ってくれ、春奈を一回教会に送ってくる」

「同行しよう」

 まるで思い詰めているような顔で、ライナが言う。

 珍しいことだ。ライナは俺が春奈と二人でいる時は極力距離を置く。

 別にライナが春奈に密かな好意を寄せているとかではない。

 ライナにはきちんと想い人がいることは知っているし、その相手も俺は知っている。

 だから単純に、ライナは春奈の気持ちを慮って俺たちを二人にして来たのだ。


 道中、ライナは口を開かなかった。

 もし口を聞けば君命に背いてしまうかもしれない。そんな不安が、顔に浮かんでいる。

 春奈が自宅で朝食を作ることを止めることもしなかった。

 それも妙だった。急ぎではないのだろうか。


 そして、ようやく俺たちは王宮に到着し、謁見の間に通された。

 謁見の間だ。俺にはまず縁がないはずの場所。

 そこにはここ数十年の、養成所を卒業した勇者たちが30人は並んでいた。

 王国騎士団に入った勇者もいれば、冒険者となり名を馳せた勇者もいる。

 それからかつて祖父さんと共に魔王を討伐した賢者の生き残り。

 その字は、神託の賢者。


「勇人と、申したか」

 王を前に、俺は片膝を着いた。

「よい、貴殿は一心殿の孫である。畏まる必要はなかろう」

 その言葉を真に受けるほど俺だってバカじゃない。

 俺はそのまま頭を下げ続けた。


「一心殿は、よき子を育てた。そうは思わぬか、賢者殿?」

「はい。私も子を持っておればこのような子に育てたかったと存じます」

 何なんだ。この茶番は。

 俺は出来損ないだ。養成所最下位の男だ。歴代最弱といっても過言ではない。


「おお、すまぬ勇人殿。脱線してしまった。実は、伝説の勇者の伝説、その真実を告げる時が来てしまったのだ」

 なんの、話だ?

 俺は、少しだけ上目で王の顔を窺おうとして、失敗する。

 しかし今更顔を上げようなど出来ようもない。


「一心殿は、魔王を消滅させておらん」

 つい、だ。思わず、顔を上げてしまった。

 謁見の間がざわつく。無理もないだろう。誰が、そんな真実を知っている。

 討伐してもいない祖父さんを勇者に祭り上げ、国庫から特別勇者のためにいくら使用したと思っているのか。


「誤解をするでないぞ皆の者。それでも一心殿は勇者である。他の誰も成しえなかった魔王の封印をしてみせたのだ。そして五十年もの長きに渡る平和を築いた。そうであるな、賢者殿?」

「はっ。一心はいわば封印の賢者とも言い換えられる男でした。彼は独自の理論と特異な錬気を用いて件の魔王を封印いたしました」

 封印も立派な討伐だ。そうだ。などと謁見の間は再び喧騒に包まれた。

 祖父さんは、多くの王国民から英雄視されている。突然その栄光が曇らされた暁には、気が気でないだろう。


「しかし、先刻その封印が解かれました」

 賢者のその言葉に、その場にいた勇者たちが凍りつく。しかしそれも一瞬、にわかに活気づいた。勇者制度崩壊は、例え彼らのような高名な勇者であっても少なからず影響を与えている。現実的な金銭等の問題、それに名誉の問題だ。

「喜ぶでない痴れ者共め」

 王の叱責に、皆が消沈した。


「我が国は、これまでのような勇者制度を取ることはせぬ。であるが、新たな勇者制度を設けるつもりである」

 勇者たちが、希望に声を上げる。そして王の手で、それは押し止められた。

「魔王を封印、もしくは討伐した者のみに勇者の資格を与える。褒賞はこれまでの勇者制度を流用するが、その価格は10倍とする。これが我が国の財務大臣と相談の上定めた褒賞である」

 度重なる叱責に、歓声を上げることはなくなっていたが、勇者たちの目には欲が浮かび始めていた。


「それで王様、魔王の居場所は突き止めたのかよ?」

 それは不良勇者と名高い男の声だった。品性の欠片もない男だが、その戦闘能力は随一のためある程度の無礼は許されている。

「うむ、それに関してであるが。始めてくれ」

 王が指を鳴らすと、謎の圧迫感が謁見の間を覆った。


 1秒、2秒。そして3秒目で異変が起こる。

 胸が、熱い。

 俺の胸が燃えるように熱くなり始めた。

 それは次第に熱さを増し、身体から汗が噴き出す。


「一心殿は、魔王の封印が解けた時に備え、ある仕掛けを用意致しました」

 賢者の声が、遠く聞こえる。

「それは勇者の才を持つ最弱者、その者を魔王の器とする仕掛けです」

「一心殿は真に勇者であることが証明された。まさか魔王を消滅させる、その目的のために身内を差し出す決断をなされるとは。民のため、世界のため、彼はそうされたのだろう」

 王として、その気概に感謝を。王はそう表現し、胸に手を当て、天を仰ぐ。

「王たる我が名の下に勇者一心の孫、勇人殿を新制度初の勇者として認める」

 元勇者の中でも筋にリソースを偏らせ過ぎた男が不服を唱えるが、王はそれを聞き流し、続ける。

「魔王を、最弱の勇者共々滅せよ。新たなる勇者候補たちよ」


 視線が俺に集まる。胸の熱さは未だ収まらず。

 いや、例え万全であっても俺ではライナにも勝てない。歴戦の勇者たちなぞもっての他だ。


「勇者資格頂きだぜえ!」

 不良勇者がまず飛び込んで――謁見の間のオブジェと化した。

 全身を謁見の間の壁にめり込ませ、白目をむきながら痙攣している。


「春奈殿。お父上、お母上の気持ちを考えたまえ。それに君もこの場にいる全ての元勇者を相手取れるほどの力はあるまい?」


「パパも、ママも、知っています。もしもの時、私が勇ちゃんを最優先にするということを。そして、それを誇りに思う、そう言ってくれました」

 勇者たちが錬気を始める。謁見の間の空気が揺れた。


「歴代最強と言われる勇者候補が乱心するとは、嘆かわしい」

 王国騎士団の一員だろう。派手な意匠が鎧の肩当てに記されている。おそらく貴族だ。

「貴様の力は何度か目にした。確かに歴代最強だろう。しかし我々三十名からなる元勇者ならば勝てる。犠牲は出よう。だが皆覚悟の上だ」

 隣国に出た野良勇者が率いた盗賊団を一人で壊滅せしめた英雄が、油断なく剣を構え、春奈へと視線を注ぐ。


「やめ、ろ。春奈」

 息苦しい中で、それだけ口に出来た。

 お前が死ぬくらいなら俺の命なんて。だから止めてくれ。

 他にも色々言いたい言葉はあった。だけど出てきたのはつまらない言葉だった。


「勇ちゃん……王さま、勇者さま方。どうか、剣をお引き下さい」

 少しだけ、声が震えていた。


「出来ぬ相談だ。万一魔王が力を取り戻したらどうする。一心殿を含めた賢者二十名の内、十五名が亡くなった戦いを再度引き起こすおつもりか。この時世、生存している賢者殿は信託の賢者ただ一人。とても魔王を討伐することなど出来まい」

 そうだそうだ。同調する声が、雄叫びのように大きい。

 その雄叫びを浴びせられている春奈の目から、大粒の涙が零れた。


「もしも、もしも聞き届けて頂けないのなら……本気を出します」

 その言葉の意味を、誰一人理解出来なかった。俺も、春奈が何を言っているのかわからなかった。

 だからか、痺れを切らした一人の勇者が春奈に斬りかかり――謁見の間の絨毯になった。


 春奈は一切手をあげていない。

 ただ、錬気をしただけだ。

 春奈の瞳から、滝のように涙が流れ続けている。

「勇ちゃんに、手を出さないで」

 春奈の周囲に虹色に輝く錬気が漂う。

 錬気は無色。それが常識だ。錬気はエネルギー源であって事象を引き起こすことはない。錬気を練り、それで初めて現象が起こる。それが百五十年以上研鑽されてきた結果導き出された解答だ。


 賢王、賢者と呼ばれる男たちですら呼吸をすること以外出来ない。


 虹色の錬気が謁見の間に満たされた頃、

 突然、俺の視界がおかしくなる。うずくまる俺の姿が視界に入った。

 その俺の肌が褐色になり、虹彩が赤くなる。

 そして、俺が一挙動で謁見の間の天井を突き破った。

 俺は、何かに引っ張られるようにして飛び出して行った俺の身体に引き寄せられて行く。


 春奈を残してどこへ行くというのか。

 必死に手を伸ばすが、俺の身体は謁見の間に止まることを許してはくれなかった。

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