第2話
異界歴154年。
勇者制度の終結。歴史書へ、新たに書き加えられる事件だろう。
そしてその終結の日から二月が過ぎた。
「おうライナ。まあ入ってくれ」
祖父さんが死んでから、天涯孤独の身となった俺のさして広くもない家に招き入れる。
特別勇者の遺児とは言え、突飛な暮らしはしていない。
もっとも特別勇者遺族年金の受給が継続されているので、その分豊かではあるけれども。
「おう、邪魔するぜ」
ライナと二人、俺たちは食卓に向かい合って座る。
ライナの表情は硬い。
「王国騎士団の訓練には慣れたか?」
「まあな、ただ身体がいつもぱんぱんだぜ」
言いながらライナが自分の身体を軽く叩く。
「脳筋のお前がか、信じたくないな」
「バカ野郎、勇者何てだいたい脳筋だ。俺が特別体力バカなんじゃない」
そう口にし、俺達は笑い合った。元勇者だろ、などと無意味な指摘はしない。
呼び水はこんな物だろう。
「ライナ、あいつらはどうだ?」
俺は友人が少ないので、必然的に内定を取り消された全同期、その状況が掴めない。
「……サンジですら就職先が決まらない」
俺たちの同期で三番目に優秀な男だ。
「そうか」
勇者制度が廃止されては、世界が平和であれば、脳筋の勇者共に利用価値はない。
そういうことだろう。
「土木事業を回すには、勇者の数が多過ぎる」
「そりゃ、そうだな」
毎年養成校からは勇者が輩出されている。
一人で十人力の彼らからすれば、土木事業なぞそう大した手間にはならない。
加えて御先祖が暮らしていた世界ならともかく、このメリオという世界ではさして複雑な仕事でもない。
「王国騎士団の人員も、10分の1にまで減員されるそうだ」
「そうか、お前が残れたのは良かったよ」
「ああ、そもそも入団を反故にされていたらと思うとぞっとする」
ライナの家は子だくさんだ。
こいつが王国騎士団に入ることが決まり、礼装を揃えるのにも多額の出費をしている。
これから、ライナはたくさん稼がなきゃいけない。
「ってことは俺たちの同期で就職出来たのはお前だけか」
「そうだな」
肯いたライナの顔に、影が差す。
「悪い、そういうつもりじゃなかった。お前は優秀な成績を修め続けたんだからその権利はあるぜ。誰にも文句は言わせない。そんな奴がいたらぶっ飛ばしてやる。むしろ、俺が申し訳ない」
特別勇者遺族年金は継続されるとの報せを受けた。しかも一切の減額はないとのことだった。
「何言ってんだよ。俺たちは伝説の勇者の遺産に威光を散々利用させて貰ってるんだ。それに世界を救って貰っておいて恩を返さない奴らなんて最低だ」
いやいや、お前がいやいや。などとやりとりしてしまうのは無理もないことだろ?
「勇ちゃ~ん、お昼ご飯作りに来たよ~」
冴えない表情の男二人の空間に、春奈の声が響く。
木製のドアを開けてやると、肘に買い物籠を掛けた春奈の姿があった。
「あ、ライナくんだ。久しぶり、訓練続きで参ってない? お昼一緒に食べようよ」
「食材は十分か?」
妙にいい声でライナが言う。
「今日は結構買い込んできたから大丈夫だと思うよ?」
「おいライナ。加減しろよ、食費は俺が払うんだからな」
少しだけ、雰囲気が和らいだ気がした。
食は偉大だな。
食事を終えた俺たちの前に、春奈がお茶を置いてくれる。
「じゃあ街はいつもと変わらないか」
俺の言葉に、春奈は回想するように天井へと目を向けた。
「むしろ活気付いてたよ?」
勇者制度の廃止、それにより火の車だった国庫には余裕が出来るという話は聞いていた。
しかしそれでももう影響が出ているというのは、さすが賢王と言われるだけのことはある。
「税金がかなり引き下げられたからな。しかも数年は所得税が掛からない。俺にはよくわからないけど、市井の連中は今が稼ぎ時だと先輩騎士が話していた」
「上手い政策なんだろうな、きっと」
俺たち勇者関係者以外には。
「さあな。俺にはわからない。だけど、本当に上手いのかどうかは疑問が残る」
ライナの目が、戦士の目に変わる。この目をした時のライナは、ただの脳筋ではなくなる。
「サンジに会った時に、何かを感じた」
「何かって、何だよ?」
「勇者、いや元勇者の犯罪率が上昇しているのは知っているか?」
勇者にもその日暮らしをしているようなゴロツキ共というのがいるのは、知っていた。
おそらくそいつらが犯罪に手を染めたのだろう。
「俺も何度かそういう奴らを捕まえたんだが、そいつらを何倍もヤバくした雰囲気があった」
三番手の男とは言え、ライナとは雲泥の差がある。
そのライナが脅威を覚える意味がわからない。
「サンジが何か企んでるって?」
「違う。あいつ個人じゃない。何か、でかいことが起こりそうな、何かだ」
ライナが言葉に出来ないのはこいつがバカだからじゃない。
ただそんな風にしか言えない漠然とした何かがあるということだろう。
その日俺たちはそれから晩飯まで共にして、別れた。
ベッドに横たわり、天井を見上げる。
「賢王さまももう少し、ゆっくり改革を進めていけばよかったんじゃないかな」
そうすれば、今とはまた違った世界があったかもしれない。
何事にも過渡期っていうのは必要だ。
――ギィィ。
「何だ?」
外から妙な音が聞こえてくる。
何かの鳴き声、ではない。
木造のドアが軋むような音。
だが、それは俺の家の中でした物ではなかった。
窓に近づく。
「見つけたぞ、一心」
黒い靄だった。
黒い靄に、双眸のような赤い光。
水の中で声を出すようなくぐもった音声。
それは、俺の祖父さんの名を呼んだ。
俺は祖父さんじゃない。
誰だお前は。
口にしようとしつつも、言葉には出来なかった。
「五十三年前の契約、果たさせてもらう」
黒い靄は、俺の言葉を待つことなく窓を突き破る。
そして、俺の胸元を穿つように体内へと入り込んだ。
「があ!」
胸元が熱く、次いで喉が酷く乾燥していく。
意志とは関係なく喉から、ヒューヒュー音がする。
苦しい。
瞼がこれ以上ないほど開き、眼球が乾きそうだ。
涙は溢れるが、一向に眼球が湿る気配がない。
身体は無意識に床を跳ねまわるが、痛みは感じられなかった。
命の危険が迫っているようだ。
身体の芯から闇が漏れ出すような感覚。
何かが俺を塗り潰すようだった。
しかし、それは同じく身体の芯から響いたくぐもった声と共に霧散した。
「一心んんんん、謀りおったなぁぁぁぁ」
それはまるで呪いの言葉だった。
「勇ちゃん!」
意識を失う直前、俺は春奈の声を聞いた気がした。
春奈、お前は、いつもこういう時に、来てくれるな。
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