第21話

 アゥダドは、星辰の山脈の東に広がる土地だ。


 西に天へとそびえる雪稜を望むこの地は、なだらかな傾斜のついた丘陵地や、複雑な渓谷が広がっている。風によって削られた奇妙な巨岩がまるで城や塔のように立ち並び、大小の石が転がる荒涼とした褐色の大地に点々と緑が点在していた。赤き砂漠とならぶ、広大な砂漠の広がる土地だ。アゥダドは、ウル・ヤークス王国でも西南に位置する辺境の地とはいえ、南洋に面した王国の沿海州と内陸を繋ぐ交易路があり、決して無人の地ではない。


 カッラハ族やカザラ人の遊牧民たちは、アゥダドの砂漠の辺縁で家畜を追い、交易に携わって生きている。


 天幕を張り、酷暑を避けて一休みしているこの一家も、典型的なカッラハ族の人々だった。


 その一家の長男は、羽毛の手入れをしていた恐鳥が、喉の奥で不安げな声を発したのを聞いた。怪訝に思い、その視線の先に顔を向ける。そして、遠くの斜面に刻まれた涸れ川ワジの渓谷で、何かの影が動いていることに気付いた。


 近くの岩場では、山羊や羊が思い思いに草を食んでいる。父や兄弟たちは珈琲を飲んだり、群れの様子を見ていてそれに気付いていないようだ。


 少年は陽光に炙られて揺らめく山の斜面に目を凝らす。


「父さん!」


 少年は大きな声で父を呼んだ。そして、動く影を指差す。


「変な奴らが下りてくる!」


 少年の呼び声に、父親はその傍らに立った。


首無しガァグだ……」


 父親は呆然と呟く。


 あれが首無しガァグ


 少年はその名に驚く。


 カッラハ族の誇る遠目は、近付いて来るその姿をはっきりと捉えた。


 陽光を浴びてまるで黄金のように見える褐色の毛に覆われた体。遠くから見ればまるで頭が無いような姿だったが、目を凝らせばその胸には人と獣の合の子のような顔が見える。手には槍やこん棒などを手にしていた。おそらく、二十人はいるだろう。


 少年にとって、首無しガァグを目にしたのは初めてだ。他の氏族との寄り合いで、首無しガァグに襲われた一族の話を聞いたことはあったが、物心ついてから、この辺りに首無しが現れたことはない。


 少年にとって首無しガァグは、親が聞き分けの悪い子供を叱る時につかう、おとぎ話の化け物のような存在でしかなかった。


 彼らは、夜中に天幕にやって来て、眠っている悪い子を攫っていく。そして、彼らの住処でぐつぐつと鍋で煮られるのだという。さすがに、この年になってそんな話を信じてはいなかったが、現実に目の前に現れたその姿は、おとぎ話で聞いた通り、悪夢から抜け出してきたような恐ろしさを感じさせた。


「すぐに群れを集めるんだ! 皆の所に戻るぞ! 急げ!」


 父親が厳しい表情で振り返ると少年や兄弟たちに言った。


 少年は、カッラハ族の男として弓の腕を磨き、刀槍の扱いを学んできた。一族や氏族を守る戦士としての誇りや気概もある。だが、明らかな負け戦に挑むほど愚かではない。遊牧の民の戦士は何より狡猾でなけれなばらなかった。戦士としての心得を父から教わってきた少年は、今の状況が危険であることをすぐに理解する。


「分かった!」


 少年は頷くと駆け出した。





 人の頭ほどの石が飛来する。


 隊長は、慌てて首をすくめて城壁の裏に身を隠した。


 石は、大きな音を立てて城壁に当たり、細かい欠片と共に地面に落下する。


 すぐに顔を出すと、他の何人もの首無しガァグが腕を大きく振りかぶっている姿が目に入る。頭が体と半ば一体化しており、人よりも長い腕を持っているために、その姿勢には奇妙な違和感があった。彼らの手にしているのは、同じような巨大な石、他に太い木の棒や簡素な投槍なども見て取れる。


「次が来るぞ!!」


 隊長は警告の声を上げた。次々に兵たちが声を上げる中、大きな石や木の棒、投槍が次々と砦に迫る。 


 立て続けに弾けるような音が鳴った。その中に苦悶の叫びや悲鳴が混じる。


 兵士たちは、城壁の影に隠れ、盾を掲げて石の雨から身を守った。


 投石が途切れた瞬間を見計らって、隊長が叫ぶ。


「今だ!! 放て!!」


 兵士たちは立ち上がると、碌に狙いも定めずにつがえていた矢を放った。


 矢による牽制は、砦に駆け寄っていた首無しガァグの足を止めた。


「近寄らせるな! 次の矢を放て!」


 隊長の指示に従って、兵士たちは急いで矢をつがえる。そして、次々と矢を放った。


 首無しガァグたちは、矢の射程の外へとじりじりと後退する。しかし、いつでも砦に取り付けるように隙を窺っているようだった。


「落ち着いて守りを固めろ! すぐに助けが来る!」


 最初の攻勢をしのいだ兵士たちは、すぐに城壁の上に整列すると、弓矢を構えた。


 首無しガァグたちも、石を拾い集め始めている。しばらくは飛び道具を使って、強引に突撃してくるつもりはないらしい。


 砦を囲む 首無しガァグの数は百人は超えているだろう。


 王国の辺縁であるこのハムルドの砦では、星辰の山脈から下りてくる遊牧の民や狗人諸族、そして首無しガァグの襲撃は珍しいことではない。しかし、これまでの首無しガァグの襲撃は、多くとも十人程度の襲撃だった。ここまでの数が集まったことは、隊長がこの砦に赴任してから経験したことがない。


 第五軍は、辺境防衛部隊と機動部隊に分かれている。


 第五軍が守るウル・ヤークス王国南西部は、広大で人口が希薄な土地だ。砂漠や不毛の土地が点在するこの地方では、ウルスやシアートの地のように、都市や農村が数珠つなぎとなって絶えず人々が行き交っているわけではない。そのため、この地では、防衛の拠点となる砦を各地にすえて、駐屯する辺境防衛部隊がその周辺を警戒する体制をとっていた。当然ながら、広大な土地全てを守り切れるわけではない。砦だけでは対応できない事態を想定して、砦同士で常に連携を取っており、さらに、いつでも機動部隊に救援を求めることが出来た。


 機動部隊は将軍麾下の即応部隊であり、普段は軍営府ミスルカシャ・ロゥにいる。騎兵と空兵よって編成されており、砦からの伝令を受けて、すぐさま援軍に駆けつける体制をとっていた。


 この砦は南西地方の最前線であり、そう簡単に陥落はしない。しかし、首無しガァグは恐ろしい敵だ。並の兵士ならば、とても一人では敵わないだろう。それが百人を超える数で攻め寄せてくるのだ。さらに、その攻め方から見て、明らかにこの砦を攻め落とそうという計画性が感じられる。これまでの威嚇や略奪を目的とした襲撃とは、全く性質が異なるように思えた。


 さらに、翼人空兵の報告によれば、こちらへ近付くさらなる首無しガァグの一団がいるという。援軍を呼んでいる。これも、これまでにない状況だった。


 このままではここを守り切れない。


 首無しガァグのかつてない攻勢に危惧を覚えた隊長は、すでに伝令を飛ばしている。


 ハムルドの砦は、この地域の要となる重要な拠点だ。ここが陥落すれば、ウル・ヤークス内地への侵攻を止めることが難しくなる。何とか、他の砦や機動部隊の援軍が来るまで持ちこたえるしかない。


 厳しい戦いになる予感に震えながら、敵を睨み付けた。





 ザファキルの前にある机に、次々と報告書が積み重ねられていく。机の中央にはアゥダドや赤の砂漠といった、ウル・ヤークス王国南西部の詳細な地図が置かれていた。幕僚たちが机を囲み、地図を睨みながら議論している。


 地図の上には、象牙で出来た盤棋シャトランジの駒が置かれている。幕僚の一人が地図上に駒を一つ置き、その数は七つとなった。


 衛兵が、戸に立つと言う。


「急使が来ました! ハムルドの砦より伝令です!」

「通せ!」


 ザファキルの返答に、衛兵が室外から招き入れる。早足で、翼人の兵士が入室した。


「失礼します! ハムルドの砦より至急お伝えしたいことが……」

首無しガァグの襲撃か?」


 ザファキルの言葉に、翼人は驚きの表情を浮かべた。


「なぜそれを?」

「ハムルドの砦で八か所めだ」


 ザファキルは地図の上に目を向けた。幕僚が、ハムルドの砦のある位置に駒を置く。


「他の地域でも襲撃が? 道理で軍営府まちが騒がしかったはずだ……」


 同じく地図に目を向けた翼人は呟いた。


 首無しガァグによる各地への襲撃は、最も早い場所で二日前に始まっている。ここ、軍営府ミスルカシャ・ロウは、ウル・ヤークス王国南西部の街道が合流する要地にある。そのため、早くも襲撃から逃れた人々がカシャ・ロゥに流れ込み始めていた。この地の人々は耳聡く、足が速い。すぐにカシャ・ロウは恐怖におびえる人々で溢れかえることになるだろう。


「敵の数は分かるか?」

「百は超えています。砦を出る前に、さらに援軍が迫っている状況でした」


 翼人の答えに、その場に居合わせた人々がざわめいた。


「ご苦労だった。まずは休め。すぐに砦に戻ってもらうことになる」


 ザファキルの労いに、翼人は鋭い声で応えると一礼して退出した。


 現在の状況では、僅かな決断の遅れが破滅につながることになる。ザファキルは再び地図に目を戻した。首無しガァグの襲撃を受けたのは、砦もあれば開拓村もある。どの土地も星辰の山脈と境を接していることは共通していた。しかし、どこも今のところ、ハムルドの砦ほどの数の襲撃ではない。


「最も兵力が多いですな」


 幕僚の言葉にザファキルが頷く。


「ハムルドを落とせば、まっすぐにカシャ・ロゥへ進軍できる。他の主要な街道へ向かうことも容易だ」

首無しガァグたちの侵攻の主力……、でしょうか」

「そうとは限らんでしょう。その考え方では、この襲撃が、一つの組織だった動きということになる。そうなると、首無しガァグ諸族が同盟を結んだ、あるいは統一したということだ。そんなことは考えられません」

「しかし、現にほぼ同時に八ヶ所を襲撃している。これは、一連の計画として、奴らが示し合わせたとしか考えられん」

「そんなことがあり得るのか? 何百年と互いにいがみ合ってきた奴らだぞ……」


 幕僚たちの議論を聞きながら、ザファキルは最も年長である初老のカッラハ族幕僚にたずねる。


「これまで、こんな大規模な侵攻はあったか?」

「いえ、聞いたことがありません。古老から聞いた昔話でも、首無しガァグは常に山賊のようなものでした。奪って、殺して、去る。それだけです。軍隊と呼べるほどの数を集めて砦を攻めるなど、初めてのことです」


 首無しガァグは部族同士で互いにも争うことも多く、ウル・ヤークスも時にそれを利用してきた。排他的な彼らと交渉は難しかったが、紛争で衰えた部族を攻め滅ぼしたり、逆に優勢な部族を攻めて掣肘を加えるなど、他の種族なども利用して首無しガァグの弱体化を図ってきたのだ。それらが功を奏したのか、この数十年は、首無しガァグの脅威がウル・ヤークス王国へ及ぶことは少なくなっていた。


「俺は、首無しガァグ諸族が一つの意図に従って動いていると思っている」


 ザファキルの言葉に、幕僚たちの表情が変わった。


「これまでとは全く異なるこの動きには、後ろで糸を引く者がいる。それが首無しガァグなのか、全く異なる勢力なのか、それは分からんがな」


 幕僚たちが頷く。 


「ならば、その背後にいる者の正体を探らねばなりません。正体が分かれば、その目的も掴むことが出来ます」

「ああ。だが、今はまず目の前の脅威を排除しなければならん」


 右手を上げたザファキルは、書記官を招いた。


「アタミラへ報告を出す。現状の詳細な報告と、各軍団へ警戒を呼びかけるように強く具申しておけ」

「はい閣下」


 書記官は一礼すると、部屋の隅の机に向かい、書類を取り出す。


「閣下は、他の地方にも奴らの襲撃があるとお考えで?」


 幕僚の問いに、ザファキルは頷いた。


「ハムルドの砦は……、いや、この地方への侵攻は陽動かもしれん。戦力を分散させておいて、思いもよらぬ場所を衝かれる恐れもある」


 ザファキルは、地図の端に触れた。指先は星辰の山脈の只中に触れ、地図の上をなぞっていく。そこには、北の内海へ流れる大きな河が描かれていた。 


「大河ト・ウト……。首無しガァグがアシスの地に現れると?」

「無明のの頃、西方の帝国が支配していたアシスの地に、首無しガァグが侵攻した。それが、今のにないとは言えまい」


 首無しガァグの侵攻がアーシュニの去った後なのは幸いだと考えていた。しかし、状況が進行する中で、それは甘い考えだと気付いた。アーシュニは今、アシス・ルーに滞在しているはずだ。敵がアシス・ルーへ攻め寄せた場合、アーシュニの身を脅かすことになる。


「閣下のご懸念が現実となった場合、ウル・ヤークス王国を脅かす大乱となりますな……」

「杞憂であればいいがな」


 微かに肩をすくめたザファキルは、幕僚たちを見やった。


首無しガァグとの戦闘経験がある者を集めろ。戦いの対策を練る。狗人や、他の勢力が侵入する恐れもある。空兵の監視を密にせよ」


 ザファキルは、幕僚たちとの軍議を進めた。


 ハムルドの砦や他の七ヶ所へ送る機動部隊の編制。空兵監視網の構築。各地への輜重の手配。敵の意図や総力が分からない現状では、何が正解なのか確信はもてない。この異常な事態に、幕僚たちの表情にも緊張がみなぎっていた。


「まるで、聖王と巨人王の戦いのようだな……」


 ザファキルは思わず呟く。聖典に記された遥か古代の伝説。聖王国は、巨人王に従う首無しガァグと戦った。そして今、聖女王の後継者であるアーシュニに仕える自分が首無しガァグと戦う。それは、まさしく己に相応しい務めだと感じていた。


 嵐の前にした時とも似た胸騒ぎと高揚感を覚えて、ザファキルは口元を歪めた。

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