第20話
男が凄むと、他の五人もゆっくりと歩き始めた。彼らの手にも、短刀や棍棒が握られている。
「ヤガン、貸し一つだぜ」
ナドゥシが短剣を抜く。
「返せればいいがな」
答えながら、ヤガンも護身用の短刀の柄を握る。もっとも、自分の腕前ではろくに扱えないことはよく分かっていた。
「こいつは、余計なお節介で身を滅ぼしたかな……」
思わず呟く。
ナドゥシに怪しまれないために護衛のカセクタを置いてきたが、それが裏目に出た。
人を助けるというのは、こういうことだ。
ラハトのことを思い出す。
ユハとシェリウを救うために、ラハトは命を懸けた。
ルェキア族でも、客人を助けるために他の氏族と戦になったと言う話はよく聞く。本来、人を助けるというのは、その境遇全てを受け入れ、守るということなのだ。身の程知らずが、生半可な覚悟で手を出していいものではない。今の立場なら、もっと慎重にならないといけないはずだったのだ。
「まったく、誰の影響を受けたんだか……」
ヤガンは微かに自嘲の笑みを浮かべた。
「どうする、痛めつけて捕まえるか?」
「いや、こんな奴ら、売り払うのも面倒だ」
仲間の問いに、目前の男は答える。そしてヤガンを見据えると言った。
「なぶり殺しだ」
その顔は暗闇ではっきりとは見えないが、その声は嘲りと殺意の色を帯びている。
「それは困ります」
突然、その場には相応しくない穏やかな少年の声が響いた。
次の瞬間、背後にいた三人の男のうち、端に立っていた一人が何かに弾き飛ばされ、家屋の壁に激突して倒れる。
驚き、そちらを向いた隣の男の首に黒い影が巻き付き、締め上げたように見えたが、確信はなかった。男は奇妙な呻きと共に白目をむき、倒れ込む。
地に伏した男の後ろには、何の姿もない。
驚愕と恐怖から怒鳴り声を上げた最後の一人の首を、細長い指が掴んだ。
夜の闇から月光の下に姿を見せたのは、
ヤガンは、その優美な指先に鋭い爪が伸びているのを見た。爪が首筋に刺さった瞬間、男は掴まれたまま白目をむいて痙攣する。イーラナが掴んでいた手を放すと、その体は宙に放り出された布のように力無く崩れ落ちた。
イーラナの背後から進み出たのは、アーシュニだった。
「お、お前! あの時のガキ!」
男が叫ぶ。
「その人は恩人です。乱暴なことはしないでください」
穏やかな表情でアーシュニは言った。
「そいつらに何しやがった!!」
「とりあえず静かにしてもらいました。このまま帰ってくれるなら、もう手出しはしませんよ」
「舐めやがって! ぶち殺してやる!!」
「まて!」
憤怒の形相で一人が駆けだした。男の制止も僅かに遅れてしまい、間に合わない。ヤガンに白刃が迫る。
「イスハシュ」
アーシュニの声。
身構えたヤガンの横を、真昼の砂漠のような熱い風が吹き抜ける。闇夜でありながら、砂漠の蜃気楼のように空気が揺らめいたのが分かった。
驚いたヤガンは思わず目をつむり、次にまぶたを開けた時には、目の前に大きな背中があった。筋骨たくましい背中は暗い路地裏でも淡く輝いている。熾火のような赤銅色の肌は、金や白の紋様で彩られていた。その体格は人よりも一回り以上大きいが、腹から下は揺らめき、宙に溶け込んでいる。
「
ナドゥシが呟く。それが、ウル・ヤークスの砂漠にいる精霊の名であることは、ヤガンも知っていた。
赤銅色の太い腕が、驚愕と恐怖からか硬直した目前の男の腕を掴んだ。そのまま軽々と持ち上げると、まるで木の枝を放るようにして投げ飛ばす。その体は壁際に立っていた男に激しく衝突し、絡み合うようにして二人は倒れた。そのまま、身じろぎひとつしない。
まるで煙が強風に煽られたように、揺らめく
その顔立ちは、人に似ているが、細部が明らかに異なっている。両目に瞳孔は無く、淡く輝く白色だった。短く逆立った髪の色は燃え上がるような橙色で、その額には短いが鋭く尖った角が二本生えている。その体と同じように、白や金の紋様が頬や額に描かれていた。
「そなたが新たな“導き手”か。お会いできて光栄だ」
ウル・ヤークスの言葉でそう言うと、優雅な仕草で一礼した。
「
顔を上げた
「イスハシュ、急に呼び出してすまなかったね」
傍らに立ったアーシュニが、
「何、久しぶりに力を振るうことが出来て楽しかったぞ。それに、“導き手”にも会うことが出来たからな」
「まだそう決まった訳じゃないよ」
「いや、間違いないな。この者の相は、あの翁を思い出す」
「おいおい、あんた達、さっきから、一体何の話をしてるんだ?」
ヤガンは我慢できずに思わず口を挟んだ。
イスハシュと呼ばれた
「白き海を渡りし古き者の信徒よ。望むと望まざるにかかわらず、そなたは集う星々を導き、橋渡しする役目を担うだろう。星々の輝きに身を焼かれながらも、そなたはその任を全うせねばならない。そのことを嘆き、喜ぶがいい」
笑顔で告げられた予言めいた言葉に、ヤガンは驚き、何も言えない。
「イスハシュ、この人が困ってる。変なことは言わないでくれ」
顔をしかめたアーシュニを見て、イスハシュは大袈裟な仕草で肩をすくめた。
「そなたがそう言うのなら、そういうことにしておこう。……星と月を観ることにも飽きた頃に、そなたがやって来た。久しぶりに赤き砂漠を出てみれば、見覚えのある相にも出会った。まったく、心躍るではないか。これだから、人の世に関わることは面白い」
イスハシュは微笑むと、ヤガンに顔を向ける。右手を軽く上げて言った。
「導く者よ、そなたとは長い付き合いになるだろうな。では、また会おう」
言葉を宙に残し、その体は薄れていく。それは、煙が風に吹かれていくのにも似ていた。
「……どういうことだよ」
消え去った
「古より、
「気にしないでくれだって? ……まったく」
ヤガンは右手で顔を覆うと、深く溜息をついた。
「あんたは“妖霊憑き”なのか? とてもそうは見えないが……」
おずおずとナドゥシが聞いた。
妖霊憑きは狂人の代名詞でもある。妖霊は気まぐれに人に憑りつき、善きにしろ悪しきにしろ、大いなる力をもたらすという。しかし、その代償としてその者は狂気に陥る。ナドゥシは、アーシュニの落ち着いた雰囲気から、妖霊憑きの狂気を感じることが出来なかったのだろう。
「彼は僕の友人です。僕に憑いているわけではありませんよ」
アーシュニは小さく頭を振りながら答える。
「何だよ、精霊を友とする偉大な魔術師様だったってことか。俺が助けるまでもなかったな」
ヤガンは思わず苦笑した。無駄な人助けをして、自らを危地に追い込んだことになる。どうやら、今、ヤガンに吹いている運命の風は、不運をもたらしているようだ。しばらく幸運はやってこないのかもしれない。
「不意をつかれれば、僕も毒や薬には勝てません。あなたに助けてもらったことに変わりはありませんよ」
アーシュニは真剣な表情でヤガンを見た。その視線を受けて、ヤガンは小さく右手を振る。
「そうかい。だったらいいんだけどな」
「そちらのお連れさんも只者じゃねえな。
ナドゥシがイーラナに顔を向けた。
「いえ、
イーラナが柔らかな声で答える。
「ああ、やっぱりそうか」
得心した様子でナドゥシが頷いた。あの僅かの間に三人の男を倒したのも、それで納得が出来る。
そう考えながらイーラナを見ていたヤガンは、アーシュニの視線に気づいて彼を見た。
「何だよ」
「この状況に驚かないのですね」
「驚いてるさ。まあ、そう見えるのなら、慣れちまったから……かな」
ヤガンは肩をすくめる。アーシュニは怪訝な表情を浮かべた。
「慣れた? あなたは、魔術師や祓魔師には見えませんが」
「俺はしがない商人だよ。単に、これまでややこしい事に巻き込まれて来たってことさ。もっとおっかねえ化け物に出くわしたり、分不相応なとんでもない力を宿しちまって、苦労している奴を見たからなぁ」
その言葉に、アーシュニが目を見開く。口が滑った。ヤガンは言ってしまってから己の発言を後悔した。
「……イーラナ、面白い匂いがするといったのは、そういうことだったんだね?」
「はい、そうです」
振り返ったアーシュニに、イーラナは頷いて見せる。
「面白い匂い? どういう意味だ?」
困惑したヤガンの問いに、アーシュニは視線を戻して答えた。
「
「答えになってねえぞ、おい」
「あなたの運命と僕の運命は、繋がり、交わっている。この街で出会ったのも、偶然ではなかったのです。……そう言ったら、信じますか?」
「何かの詐欺か、狂人の戯言だと思うだろうな」
ヤガンは即答する。アーシュニは苦笑めいた笑みとともに頷いた。
「そうでしょうね。でも僕は、それが真実であるとしか言えない。それを信じるか、信じないかは、あなた次第なんです」
「汚ねえな。全部俺に丸投げするのかよ」
舌打ちしたヤガンの傍らで、ナドゥシが溜息をつく。
「運命だのなんだの、俺にはどうでもいい話だぜ。とりあえず、さっさとこの場を離れよう。もしかすると、他の仲間も来るかもしれんからな」
「動けなくして、警吏を呼びましょう」
倒れ伏す男たちを一瞥して、アーシュニが言った。その言葉を聞いたナドゥシは、顔をしかめる。
「面倒くせえな。放っておけばいいだろ」
「人は、己の成したことの報いを受けなければいけません。彼らを捨て置けば、他にも被害者が生まれることになります」
頭を振ったアーシュニは、二人に笑顔を向けた。
「安心してください。あなた達は官吏に関わりたくないのでしょう? 僕たちが襲われたということにしておきますから、心配しないでください。これからたずねる父の友人は法官なので、話は早いと思います。食堂の店主も喜んで証言してくれるはずですよ」
その如才ない答えに、ヤガンは思わず乾いた笑い声を上げた。ナドゥシも苦笑すると言う。
「あんたは若いのに世慣れてるな」
「そんなことはありません。まだまだ世間知らずの子供ですよ」
「そういうことにしておくさ」
こうなれば、その言葉を受け入れるしかないだろう。得体のしれない少年だったが、なぜか拒否する気にもなれない。
「この場は僕たちに任せてください。それよりも、後日、お礼をしたいので、逗留している宿を教えてもらえますか」
「礼だって? 助けてもらったのは俺の方じゃないか」
「いいえ。先刻も言いましたが、だまし討ちや、毒には抗することができません。あなたは、危地から救ってくれた僕の恩人なんです。そして、僕を助けたために、今度はあなたが危険にさらされてしまった。恩人に迷惑をかけたのだから、その始末をつけるのは当然のことです」
「義理堅い奴だな」
「父に教わりました。受けた恩は必ず報いるようにと……。これは、ワナーキム家の家訓であり、僕の信条です。ですから、僕にお礼をさせてください。お願いです」
ヤガンは、アーシュニのまっすぐな瞳で見つめられて言葉が出ない。
「もらっておけよ、ヤガン。そうしたら、貸し借りも無しだろ?」
ナドゥシがヤガンの肩を軽く叩いた。
「ああ、そうだな……」
ヤガンは頷く。
「ああ、良かった」
アーシュニが安堵した表情を浮かべた。ヤガンは苦笑する。
「大袈裟なんだよ。大したことはしてないんだから、飯でも奢ってくれればそれでいいさ」
「無欲な方なんですね」
「いいや、俺は、金に汚いごうつくばりさ。だからこそ、金の絡んでいない話で欲張ろうとは思わないだけだ」
「そう言う考え方もあるのですね」
感心した様子のアーシュニを見て面映ゆさを覚えたヤガンは、視線をそらした。
「イスハシュは、あなたを白き海を渡りし古き者の信徒と呼びました。ということは、あなたは西の沙海を渡って来たのですか?」
「……なんてこった」
ヤガンは嘆息すると顔を手で覆った。
髪を剃ってまで変装したというのに、あの
「ああ、そうだよ」
開き直ったヤガンは頷いた。隣でナドゥシが非難の目を向けているが、あえて無視をする。
「そうですか……」
アーシュニは逡巡している様子だったが、すぐに意を決した表情でヤガンを見た。
「お礼をすると言った側から心苦しいのですが……、あなたに頼みたいことがあるんです」
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