第19話
店というのは、客を選ぶ。
ウル・ヤークス王国は出自に縛られることが少ない国ではあったが、それでも人々の間に違いがうまれ、隔たりが生まれる。
持てる者は、持たざる者と同じ席に座ることを好まない。
この国では、身分ではなく、地位や財産によって人々は分かれ、棲み分けが生まれる。
当然のことながら、街に軒を連ねる商店も、訪れる客の落とす金に応じてその店構えを決める。それが、それぞれの通りの景色や雰囲気を形作っていた。
アシス・ルーは、ウル・ヤークス王国でも屈指の大都市であり、その人口はアタミラにも劣らない。エセトワという大河の辺にあり、円城を中心として外周に放射状に広がっているアタミラと違い、アシス・ルーは内海に面した街であり、そこに暮らす人々は格子状に区切られた区画に暮らしている。古き伝統を誇るアシスの文化に、かつて支配者でもあったエルアエル帝国、周辺のカザラやスアシァ帝国などの文化が混ざり、独特の街並みを作り出していた。
この古き都は、何度かの盛衰を経て再び繁栄の時代を迎えている。この時代、世界でも有数の人口を誇る都市であり、今なおその数は増えていた。建設当時は先進的だったこの街も、今や流入する人口を迎える限界が近付いている。しかし、富裕層の暮らす区画に貧しい人々が住まうことを許されず、限られた区画に押し込められるようにして日々の生活を営んでいた。
その富裕層と貧困層の暮らす区画に挟まれるようにしてあるこの町は、アシス・ルーの中でも中流階級の人々が利用する店が並んでいる。
呼び出されたヤガンは、そんな町の一角にある食堂にいた。
夕食時までまだ少し時間があるが、すでに客は入り始めており、美味と評判の酒と食事を楽しみ、談笑していた。
ヤガンも同じように楽しみたいところだったが、残念ながらそうもいかない。食事の味よりも集中しなければならないことがあったからだ。
目の前に座るのはナドゥシという男。アッディールという商人の使いだ。
久しぶりに呼び出されたヤガンは、すぐにこれからの日程について聞かされることになった。
そこで初めて、ナドゥシは自分の雇主を明かした。
ナドゥシ自身はアッディールに雇われているが、その背後には、第四軍の将軍タウワーリがいる。
その事はアトルに教えられていたので驚きはない。初めて知ったように装うのが大変だったが、異国人として事の重大さを理解していない風に装った。
ヤガンの要求の応じて、アッディール、さらにはタウワーリもアシス・ルーにやって来るという。そして、いつ頃来るのか、どこで会うのか、といった事項を教えられた。第四軍の将軍までやって来るとは思っても見なかったヤガンは、さすがにここでは驚いた。
「まったく、タウワーリ様まで引きずり出すたぁ、あんたも大した男だよ」
ナドゥシはそう言って笑う。
「俺は、そんな大物が出てくるなんて思ってもいねえよ。大体、何で将軍閣下まで俺に会いに来るんだ?」
ヤガンは顔をしかめた。
「さあな。どうやら、タウワーリ様はあんたに興味があるみたいだな」
「俺に? 俺は軍人が喜ぶような話なんてできねえぞ」
「俺に言われても分からねえよ。まあ、沙海について聞きたいんじゃねえかな」
「ああ、そんな所だろうな」
ヤガンは溜息と共に肩をすくめる。
ディギルも言っていたが、アッディールだけではなく、フオマオーン共和国もルェキア族との取引に興味を持っているのだろう。だとすれば、自分は餌としての役割を果たすだけだ。
「アッディールの旦那は、まあ、良くも悪くも根っからの商人だな。あんたも商人だ。上手く商売の話に持ち込むことが出来れば、良い条件を引き出せると思うぜ。だが、将軍は躊躇いも容赦もない人だ。駆け引きも悪くないんだが、引き際を見極めないと駄目だぜ? あの人は、嫌な臭いを嗅ぎ付けたらすぐに損切りをするぞ」
真剣な表情になったナドゥシは、身を乗り出した。
「元々、ルェキア族の弾圧も将軍の差し金だ。しかも、シアートを追い込むためだけにそんな大掛かりなことをした。大きな目的の為なら、例え損害を被ろうと小さな利益くらいは簡単に捨てる。あの人はそう言う人だ」
「おっかない話だな」
ヤガンは腕組みすると唸った。そして、ナドゥシを見やって首を傾げる。
「俺にそんなことを話していいのか?」
「教えておいた方がすんなりいくだろ? こじれたり揉めたりするよりも、その方が良い」
「だが、そっちが損するかもしれないぜ?」
「あんたはシアートの庇護を受けてる。俺はシアートじゃないが、恩恵の天秤って考え方が好きなんだ。一人勝ちは良くねえんだよ。関わった奴ら、皆に利益が渡るようにしないとな。それが、この稼業で学んだことだ」
ナドゥシの言葉を、ヤガンは鼻で笑った。
「沙海の人間が割を食ってるけどな」
「そう言うなよ。大負けしなけりゃいいんだ。その傾いた天秤を平衡に戻すのがお前さんの仕事さ。ヤガンなら出来るって思ってるぜ」
軽く杯を掲げたナドゥシは笑顔を浮かべた。
「分かったよ。あんたの期待に応えるとしよう」
「その意気だぜ。とりあえず仕事の話しはこれで終わりだ。俺がおごるから、ありがたく感謝しながら飲むんだぞ」
「何恍けたこと言ってるんだ。どうせ、お前の金じゃないんだろ」
ヤガンはナドゥシを指差して口の端を歪める。ナドゥシは肩をすくめた。
「ばれてたか」
混み合う前から始まった話は手短に終わり、人々が店に入り始めた頃には二人の前には酒杯と皿がいくつも並んでいた。
女の好みや各地の上手い料理や酒、くだらない笑い話やほら話などを肴に、酒が進む。
やがて夕食時になり、店内は混み始めた。大いに賑わっているが、決して騒がしくはない。馴染みのある下町の酒場の喧騒と違う店の雰囲気に、ヤガンは客層の違いを感じた。
混み合ったことによって給仕娘から相席の許可を求められるのも、実に丁寧な接客だ。いつもの店なら、有無を言わさずに次々と客を押し込んで、席を詰めさせられるだろう。
そうして、ヤガンの隣にはおそらく十代も前半のウルス人の少年、ナドゥシの隣にはその連れであろう女が座る。長衣をまとい、
女と目が合う。
のぞく双眸が、細められた。
その茶色の瞳に魅入られそうになって、ヤガンは思わず目をそらした。そしてナドゥシと会話を再開したが、すぐに、斜め向かいに座っている少年がこちらを見つめていることに気付く。
「俺の顔が珍しいのか?」
「失礼しました。どこかでお会いしたかな、と思いまして。でも、僕の勘違いでした」
「どこの生まれなんだ?」
「アタミラです」
「ああ、アタミラなら、行ったことがあるよ。どこかですれ違ったのかもしれないな」
ヤガンの言葉に、少年は微笑んだ。
「そうかもしれませんね。お気遣いいただいてありがとうございます」
ヤガンは片手を上げて応えると、ナドゥシとの会話に戻った。
そうしている間にも、店にはさらに客が入って来る。少年と女の隣、そして隣の机に、三人の男たちが押し込まれる。旅装に身を包んでおり、宿に荷物を置いてきたばかりの商人のように見えた。
「疲れたな、ようやく飯にありつけるよ」
「飢え死にするかと思ったな」
笑いながら言葉を交わす三人の男に違和感を感じたヤガンは、横目で観察した。
その違和感の正体にすぐに気付く。服の汚れや傷みが、旅でついたにしては不自然だったのだ。上衣の袖のほつれや皺が少ない割に、肩や胸は大袈裟なまでに汚れている。他の部分の傷み方も、とってつけたように感じられた。
自分を追って来たのかもしれない。頭の中で、警鐘が激しく鳴る。
警戒を悟られないように、密かに三人の観察を続けた。
どこの勢力なのか、何しろ心当たりがありすぎる。少なくとも、第四軍の手の者ではないだろう。ナドゥシを見ると、視線が合う。ナドゥシは小さく頷いた。
やがて、少年と女が注文した食事が運ばれて来た。
同時に、席についている男の一人が右手を上げた。
「おい、こっちだ」
遅れてきたらしいやはり旅装の男が、早足でこちらにやって来る。
「おっと、失礼」
遅れてきた男は、給仕娘にぶつかりそうになりながら、空いている席に座った。
ヤガンは、その瞬間、男が盆の上に置かれた二つの杯に手を伸ばしたのを目撃する。その手は、並んだ杯の上を一瞬覆っていた。素早い動きだったために確信は持てなかったが、アタミラでも似た話を何度か聞いていたヤガンは、何が行われたのかを察した。
「あんた達、ちょっとまて」
ヤガンは、少年たちが杯を手に取ったのを見て手で制する。そして、身をのりだして男たちを睨む。
「お前ら、こいつに何か入れただろ。どういうつもりだ」
ヤガンは杯を指差して言った。
「そんなわけねえだろうが。ケンカ売ってるのか」
気色ばんだ男は、静かな口調のヤガンとは対照的に、大声を上げる。
凄めば黙って引き下がるだろうと言う思惑が透けて見える。ヤガン苛立ちを覚えて、声を張り上げた。
「だったらお前らがこれを飲んでみろよ。飲み干せたなら、もう一杯、注文してやるぜ。俺のおごりだ」
ここは、場末の喧騒に満ちた酒場ではない。恫喝の声に店内は静まり返り、客たちは皆、ヤガンたちを注視した。
「お客さん、店で揉め事は止めてくれないか?」
体格の良い男が彼らの前に立つ。厨房で指示を出していた店主だ。その背後には、他にも店員たちが腕組みしながら立っている。
「騒がせて悪いな。こいつらが、二人の飲み物に何か入れやがったんだ」
ヤガンの言葉に、男が抗議しようと口を開く。しかし、それを遮るように、店主が男たちを見ながら言った。
「話しは簡単だ。疑いを晴らしたいなら飲んでみてくれ。勿論、俺が次の一杯をおごるよ」
「何だこの店は、客を疑うって言うのか! 胸糞悪い! おい、出るぞ!」
怒鳴り声と共に男たちは立ち上がる。そして、口々に罵りながら足早に店を出ていった。判断と逃げ足が速いな。後姿を見送りながら、ヤガンは感心する。
「どうやら、僕たちは危うい状況だったようですね。ありがとうございました」
立ち上がった少年が一礼した。ヤガンは笑みを見せると頭を振る。
「いや、気にするな。それより、あんた達、あいつらに何か心当たりはあるか?」
「あいつらは、きっと人攫いだな。最近、下町では噂を聞いてたが、とうとうこの辺りに出没するとはな……」
少年たちが答えるより早く、顔をしかめた店主が言った。
「人攫いか……。眠り薬でも入れやがったな」
ヤガンは卓上の杯を一瞥した。飲み物や食事に薬を入れて獲物を昏倒させて、その身を連れ去る。そういった手口の人攫いがいると、アタミラでも似た話は聞いたことがあった。少年と女という組み合わせから、良い獲物だと狙われたのだろう。
「声を上げてくれて助かった。あいつらの顔は覚えたから、周りの店にも言っておく」
店主の言葉にヤガンは頷いた。
「我が主を守っていただき、感謝いたします」
礼を述べる女の目は、相変わらずヤガンを惹きつける。視線を引き剥がすように顔をそらすと、肩をすくめた。
「感謝するには及ばんよ。こいつは、運命の風の巡り合わせってやつだ。あんた達は、たまたま今日はついてたのさ」
「運命の風……、ですか。今日の僕たちは、幸運の風に救われたということですね」
己の胸に手を当てた少年は微笑む。
「そうだな」
「僕は、アーシュニと言います。彼女はイーラナ」
「俺はヤガンだ」
自然と己の名を口にした後、ヤガンはその事に驚いた。アシス・ルーでは出来るだけ名乗らないようにしていたし、名乗るにしても偽名を使っていたからだ。ナドゥシが片眉を上げて咎めるようにこちらを見ている。そして、ナドゥシはそのままアーシュニとイーラナに顔を向けた。
「あんたら、宿は決まっているのか?」
「はい。父の知り合いの所に逗留するつもりです」
「だったら、そこに使いを出して迎えに来てもらった方が良いな」
「どういう意味だ?」
ヤガンの問いに、ナドゥシは大袈裟に顔をしかめて見せた。
「ああいう奴らは諦めが悪いんだよ。あんた達は
「……成程。ご忠告感謝します」
アーシュニは小さく頷いた。
「さあ、貧乏人の俺たちは、さっさと出るぞ」
立ち上がったナドゥシは、顎をしゃくるとヤガンを促した。
「何だよ、まだ残ってるぞ」
「これ以上面倒事は御免だぜ。どうせ俺の支払いなんだ、文句は言うなよ」
鋭い視線を受けて、ヤガンも文句は言えない。促されるまま席を立った。
「ありがとうございました。お気をつけて」
立ち上がり、礼をするアーシュニの礼儀正しさに苦笑しがら、ヤガンは頷いて右手を上げた。
日が暮れた街路は、立ち並ぶ食堂や酒場の灯火に照らされている。夜闇に覆われるこんな時刻にも関わらず、多くの人で賑わっているのは、大都市ならではだ。
「まったく、らしくないことをしたぜ」
ヤガンの言葉を聞いたナドゥシは、微笑むと言う。
「そうか? 俺は、あんたらしいな、と思ったぜ。まあ、もう少し賢くやるべきだったとは思うがな」
「ああ、そうだな」
確かに、他にもやりようはあっただろう。あんな強引な方法は目立つだけで最善の方法ではなかったのは確かだ。本名を名乗ったこともそうだが、今の自分は酔っているのかもしれない。酒のせいにでもしなければ己の愚かさを説明できなかった。
盛り場から離れ、宿へ向かう道は闇に沈んでいる。
月明かりを頼りに歩いていると、路地から三人の人影が現れ、ヤガンたちの前に立ちふさがった。
「嫌な予感が当たったか」
ナドゥシが舌打ちする。
前に立つ男の一人が、指笛を吹いた。その音を合図として、背後からこちらに駆けよって来る足音がする。すぐに、背後に三人の男が立った。
「よお、侠客さんよ。ご機嫌はどうだ?」
一歩進み出た男は、腰の短刀を抜くと見せつけるように刃をくねらせる。
「酒と人助けで上機嫌だろうな。だが、こっちは商売あがったりだ。今日の稼ぎを逃して顔も覚えられちまった」
ヤガンを睨み付けると、短刀の切っ先を向けた。
「人の商売の邪魔をしたんだ。落とし前は付けてもらうぜ」
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