第18話

 小高い砂丘の上から砂原を見渡す。


 なだらかな砂原の中にそそり立つ茶褐色と黒色の入り混じった岩塊群ガノンは、大小様々な加工された岩を組み合わせて、『砦』と呼ぶにふさわしい堅牢な外観になっていた。物見も兼ねた弓兵が各所に配置されており、高所には数羽の大鳥の姿も見える。


 シアタカは、砦を見ながらカラデア同盟軍の主だったおさたちとこれからの戦いについて話し合っていた。


 可能ならば砦の内部を上空から偵察したかったが、空兵による厳重な警戒があり、視力の悪い羽翅カーナトゥでは役に立たない。これまでの経験と知識から推測するしかなかった。


「シアタカ。お前なら、あの砦をどう攻める?」


 ワアドの問いに、シアタカは簡潔に答えた。


「鱗の民とキシュガナンを中心として攻める」


 シアタカは、言いながらウァンデに視線を送る。ウァンデは頷くと口を開いた。


「キシュは元々、あなと山に暮らす生き物だ。あの程度の岩山なら、簡単に登ることができる。そして、キシュガナンは山の民だ。キシュと共に駆ける 」

「キシュを先鋒として、突破口を開く。それに、キシュガナンの戦士が続く。キシュガナンのこじ開けた穴を、鱗の民が広げてくれ。その後ろからカラデア兵が道を均す」


 カラデア兵は練度と、何より経験が少ない。勇猛なウル・ヤークス兵とまともに当たれば、蹴散らされてしまう恐れがある。シアタカは、弱兵が簡単な切っ掛けで戦意を失い崩壊することを良く知っていた。そのため、彼らを前面に立たせるのではなく、数を力として拠点の確保する役割を与えるのが適任だと考えていた。この砦はそう広くない。限られた空間の中で確実に歩を進め、己の陣地を確保して、それを広げていく。鱗の民が壁のような圧力で蹂躙していけば押し切り、四散した敵をカラデア兵が掃討する。


 シアタカの語る策を聞いていたワアドは頷くと、厳しい表情で問う。


「城攻めの先鋒は過酷だ。キシュガナンの戦士たちに頼めるか?」

「任せろ。キシュガナンの武勇を見せてやる。もっとも、お前たちが追いつく頃には、俺たちが攻め落としているかもしれんがな。必死についてこいよ」


 エイセンが笑みを浮かべた。


「ありがたいな。楽ができる」


 キエサは肩をすくめる。隣のラワナが、咎めるような顔でその肩を叩いた。


「お前たちのお蔭で、我々の守りも固くなった。必ず、役目は果たす」


 鱗の民を率いるハイダイが言う。


 ここまでの戦いでウル・ヤークス軍から鹵獲した多くの武具は、キシュガナン、ルェキア、ンランギ、そして鱗の民やカラデアの兵へと渡されている。全ての戦士、兵士に行き渡るような数ではないが、特に鎧や盾といった防具は、多くの者の命を守ることだろう。鱗の民たちも、もとより優れた甲冑などを身に付けているが、ウル・ヤークス軍の歩兵たちが持つ大楯を手にしていた。


「我らはどうすれば良い」


 ガヌァナの問いに、シアタカはワアドに目をやった後、答える。


「ンランギとルェキアの騎兵は、砦を包囲して北からの援軍と砦の中からの出軍を警戒してほしい。砦の中の騎兵部隊が、突撃してくることもありえる。本陣を衝かれれば終わりだ」

「心得た。だが、我らもすぐに加勢できるように備えておく。必要ならば、すぐに合図するのだぞ」


 ガヌァナはシアタカを見て、キエサを見た。


「ああ、勿論だ」 


 キエサは軽く右手を上げ同意をしめす。 


「……我々が観たところ、あの砦には魔術的な守りが施されている。この見立てに間違いないか?」


 カングが口を開いた。その言葉に、皆が息を呑み注目する。


「はい」


 サリカは、その問いに頷いた。


「とても強く、精緻な魔術であることは分かります。ですが、私たちにはその性質までは分からない」


 ツィニの言葉を聞いたサリカは、砦を一瞥した後、砂の上に簡単な線と点を描いた。そして、皆に顔を向ける。


「ウル・ヤークスの地では、巨人王の代から、城を拠り所にして戦がおこなわれてきました。魔術師も、それに応じて守りや攻めの術法を編み出したのです。これを戦咒せんじゅと呼んでいます」


 サリカは、砂に描いた点を指差した。


「この点は、砦です。砦の前には、……この線ですね。土雷の法陣が敷かれています。土雷は、方陣を敷いた地面の上を雷が奔る戦咒です。土雷の法陣は、良く練られた力が宿っている場合、その中にいる者を焼き焦がすちからをもっています。ですが、砦の前に敷かれている土雷の法陣は、そこまで威力はないでしょう。それでも、まともに受ければ体が痺れて身動きできなくなります」


 サリカは、その指を横一線に動かした後、もう一本の描かれた線を指した。


「その法陣を突破しても、その先にはもう一つの法陣があります。あそこに積まれた石が見えますか? あの石が、飛礫つぶてとなって襲い掛かってきます。勿論、先に飛礫の法陣を行使することも考えられますね。いずれにしても、攻め手にとっては恐ろしい足止めになるでしょう。少なくとも正面にはこれだけの法陣が敷かれています。他にも、秘匿された法陣があるかもしれませんが、おそらく今回は無いでしょう。私の“目”が捉えられないほどの高度な秘匿の術式は手間と力が必要で、この戦場ではあまり現実的ではないからです」

「……なるほど、似た術法はある。しかし、正直に言えばウル・ヤークスの術法の方が緻密だ」


 カングは小さく嘆息すると、砂に描かれた簡単な図形と砦の間で何度か視線を行き来させた。


 それは仕方がないことだろう。魔術に関しては素人であるシアタカでも、その事は分かる。


 そもそも、こんな高度な魔術を組織的に運用できるのは、ウル・ヤークス王国やエルアエル帝国、イールム王国のような大国でなければ難しい。大勢の魔術師を育て、組織する。その為の資金と経験が必要だ。そして何より、悠久の歴史を持つ聖導教団やイールム王国の祭司階級の人々は、古から魔術を伝え、学んできた。その上で、絶え間ない戦乱の中で用い、研鑽を積んできたのだ。


 高く分厚い城壁を挟んだ攻防、人里に現れた恐ろしい魔物の討伐、広大な原野での大軍同士の会戦。戦咒が行使される場所は様々だ。周辺の中小国や部族ではその経験を積むことが出来ない。


 シアタカ自身も、戦咒において、自軍よりも脅威を感じた敵に遭遇したことはなかった。当然ながら、聖導教団の魔術師が常に軍団に同行しているわけではない為、敵陣に従軍魔術師以上の力を持ったまじない師や魔術師たちがいたことがある。しかし、それはあくまで例外的に特別な才能の持ち主がいただけということで、集団としてウル・ヤークス軍に勝っているということはなかった。


 ここまでの旅とここにいるカラデア同盟軍を観察する限り、総合的な軍事力において、ウル・ヤークス軍に一日の長があるように思える。やはりそれは、戦乱の歴史と経験の蓄積による違いなのだろう。  


「その魔術がある限り俺たちは砦に近付けないということか」


 キエサが顔を歪めた。サリカは頭を振る。


「法陣は蓄えた力を放てば力を失います。再び大掛かりな儀式を執り行わなければ使うことはできません。ですが、その一度だけの戦咒で、兵たちに多くの被害がでます」

「ならば、打ち壊すしかあるまい」

「その通りです」


 カングの言葉にサリカは深く頷いた。


「打ち壊す? そんなことが出来るのか?」


 シアタカはサリカを見た。


「はい。魔術は、力と理の繊細な均衡によって成り立っています。そして、剣や砦のように実態があるわけではないのです。現世うつしよに顕在した力は法陣や触媒によって繋ぎとめられていますが、それはあくまで陽炎のようなもの。力を練り、編み上げ、組み立てることは難しいが、打ち壊すことは容易い」

「我々はこれを力比べと呼んでいる。術法の根源に己の力をぶつけて打ち消してしまうのだ。勿論、相手はそれに抗する。だが、サリカの言った通り、この力比べにおいて、攻め手が守り手に勝る」

「つまり、あなたたちがあの法陣を消してしまえるということか」

「出来る、と答えたいところだが……」


 シアタカの言葉に、カングは小さく唸ると腕組みした。


「守り手の術や力が大きく勝るならば、攻め手も打ち壊すことはできない。そして何より、系統が違う魔術では、そもそも力比べが難しい。系統が似た術師同士の力比べは、互いに力を注ぐ焦点が分かっている。それは、互いに伸ばした腕が見えるようなものだ。その腕を見ることが出来れば、手を伸ばし掴み、ねじ伏せることが出来る。しかし、系統が違う場合、そもそも相手の腕がどこにあるのか分からない。己の力の焦点が定まらなければ、虚空にただ力を垂れ流すだけになってしまうだろう」

「ワンヌヴからあなた達の魔術について少し教わりました。今の私には、ユトワの魔術の“位相”をある程度ですが観ることができます」


 サリカの言葉を聞いて、カングは首を傾げた。


「位相? それは、“蜘蛛の糸”のことか?」

「はい。虚空に広がり、張り巡らされ、震え、響き、力を伝える。あなた達の言う蜘蛛の糸は、おそらく我々の言う位相と同じ概念だと思います。私は、ユトワの魔術の蜘蛛の糸、位相を観ることが出来るようになったことで、あなた達にウル・ヤークスの魔術の位相を教えることが出来るはずです」

「焦点を見定めて、力比べを挑むことが出来る……」


 カングの呟きに、サリカは頷く。


「……サリカ、どうか私たちにその位相を教えてください」


 ツィニは一礼した。微笑んだサリカもウル・ヤークスの礼で応じる。


「勿論ですとも。私はその為にここにいます。それに、ワンヌヴに教えを受けた礼を返さなくてはなりませんからね」  


 そう言って仮面の男を見やった。ワンヌヴは激しい手振りで答える。


「良い心がけだな、サリカ! 私は良い弟子を持って幸せだ」

「あまり調子に乗るな、ワンヌヴ」


 カングは眉根を寄せるとワンヌヴを睨んだ。




 急ぎ始まった軍議が一段落ついた頃、ダカホルがシアタカを呼んだ。


「試したいことがある」


 シアタカと連れ立ったダカホルは、天幕の外で言った。


「試したいこと?」

「今のお前ならば、出来るかもしれんと思ってな。少し付き合ってくれ

 ダカホルは、そう言いながら腰の袋を外した。そして、顔料や鉱石の欠片を混ぜた色つきの砂を少しずつ撒いて、地面に図形を描いていく。


砂画すなえか。何を始めるつもりなんだ?」


 シアタカの肩に腕を乗せて横から覗き込んだハサラトの問いに、砂画を描きながらダカホルが答える。


「ちょっとした余興だ。シアタカ次第だが、上手くいけば、皆が驚くだろうな」

「へぇ……、余興ねぇ」


 ハサラトは横目でシアタカを見た。自分次第とはどういう意味だ。シアタカは戸惑いながらハサラトに視線を返す。


「よし、出来た。……シアタカ、俺はこれから砂画を指で差してなぞる。お前は、その先を目で追っていけ」


 何が起こるのかよく分からなかったが、シアタカは頷いて見せる。 

 

 ダカホルは、シアタカの眼前に広げた掌を掲げた。


「始める前に、まず準備が必要だ。お前は、自分の体が広がり、薄れ、まるで砂原や風や日差しと一つになったような感覚を知っているはずだ。どうだ?」


 どうしてそれを知っているのか。驚き、目を見開いたシアタカに、ダカホルは小さく頷いた。


「よし。いいか、それを思い出せ。己の心を、大きく開くのだ。風の音を耳で聞くな。月の光を目で見るな。この肌が、肉が、骨が、全てが音と光を捉えている。そんな風に想像しろ」


 ダカホルは、言いながら掌をシアタカの額にかざした。そして、小声で何かを呟く。眉間の奥底が疼き熱くなるような感覚が起こった。


「よし、いいぞ。さあ、目で追っていけ」


 まるで自分が世界に溶けていくような感覚。瞳孔が大きく開き、茫洋としていながら鋭敏な感覚がシアタカを刺激する。


「風が砂原を渡る。岩山の狭間で笛を鳴らす。砂は波を描く。波は連なり丘となる……」


 ダカホルが小さく唱える言葉が耳に飛び込んで来る。指し示す先の砂に描かれた線は、とても色鮮やかに見えた。それを目で追っていくうちに、頭の中に複雑な立体が浮かんでくる。しかし、それがどんな形なのか、はっきりと認識できない。


 何度も何度もシアタカの視線は砂画の上をなぞった。


 頭の中の立体は、やがて曖昧ながらも実体を持つように感じられる。それは頭の中で渦巻き、飛び出してくるように思えた。


「解き放て」


 囁くような言葉。しかしそれは、突き刺さるようにはっきりと聞こえる。


 その言葉を聞くと同時に、シアタカは無意識のうちに砂の上に手をかざしていた。


 脳天から足下、砂原、掌と、それは痺れるような感覚と共に一つとなる。


 次の瞬間、シアタカの目の間に砂の柱が立っていた。


 腰の高さまである白い柱を見て、シアタカは我に返った。


 見守っていた皆が驚きの声を上げる中で、ダカホルは満足げに笑みを浮かべて頷く。


「思った通りだ。おめでとう、シアタカ。これで、お前も黒石の守り手の権能を得た」

「俺が……、黒石の守り手?」

「お前にはそれだけの力が宿っている。それは、おそらく黒石の望みでもあるはずだ」


 戸惑うシアタカの肩に、ダカホルは手を置く。


「素晴らしい……」


 サリカは呟いた。





 翌朝、カラデア同盟軍は、砦へ降伏を勧める使者を送ったが、ウル・ヤークス軍は一矢で応えた。


 それは、砦を巡る攻防の始まりだった。

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