第16話
月光に照らされながら、彼らはやって来た。
カラデア兵たちが、歓声を持って出迎える。
彼らは、北から援軍を連れ帰り、砦から迎え撃った敵兵を打ち破った。
それは、大いなる味方を得た歓喜の声であり、
歓声を背に受けながら、ラワナは供の者二人と共に駱駝を駆る。
ルェキア族の駱駝騎兵とンランギの縞馬騎兵、そして、巨大な蟻のような生き物を連れたキシュガナンたち。彼らの軍勢は足を止めた。そして、ラワナと同じように、軍勢の中から駱駝に跨った男が一人進み出る。
「キエサ!」
愛しい人の笑顔を見て、ラワナは叫んだ。キエサも、右手を大きく上げながらラワナへと駆けよる。
ラワナが駱駝から降りるのと、キエサが降りるのはほぼ同時だった。ラワナは、両手を大きく広げたキエサの胸へと飛び込む。
その瞬間、北と南の軍から、大きな歓声や指笛の音が響いた。
その音でラワナは一瞬冷静さを取り戻した。恥じらいが頭を冷やす。しかし、間近でキエサの笑顔を目にしたことで、瞬く間に喜びと愛しさに吹き散らされた。
「ラワナ。……戻ってきたよ」
キエサが小さな声で言う。ラワナは頷くと両手を彼の背中に回し、強く力を込めた。その瞬間、遠くに控えるカラデア兵たちから声が上がった。
「
発せられた小さな声は、すぐに人々の口を伝わり大きな連呼となって響き渡る。兵士たちの叫ぶその名は、北の空に明るく輝き、沙海を渡る旅人の道標となる星の名だ。
困惑しているキエサを見て、ラワナは笑った。
「皆、あなたを道標として歩いてきたのよ。あなたは戦場の暗闇の中で皆を導く光。あなたは、天頂の星と呼ばれるに相応しいわ」
ラワナは、そう言うと空を見上げた。光る三日月を見やり、さらに視線を上げる。満天の星の中で、一際明るい天頂の星が輝いていた。
「だが……、そんな大層な名前で呼ばなくてもいいだろう?」
「これで私の気持ちが分かった? それに、これからは私も験担ぎができるわね」
ラワナの笑顔を見て、キエサは苦笑すると肩をすくめる。
「そう考えれば悪くないか。君と俺とで、夜空に輝いていられる。光栄なことだな」
「そうね。そして、それに相応しい人間でいないと……」
「しばらくは、飲んだくれることは無理そうだ」
おどけたキエサの肩を、ラワナは軽く叩いた。
「当り前でしょう」
キエサは大声で笑うと、ラワナの肩を抱く。
「さあ、ラワナ。君に、仲間たちを紹介させてくれ」
そう言って、キエサはラワナを導いた。そこには、共に死線を潜り抜けてきた戦友たちが待っている。
「ルェキアとンランギの同胞たちよ! よく戻ってきてくれました! あなた達の武勇には、どんな敬意と感謝をもってしても足りない。そして、はるか西方より駆けつけてくれたキシュガナンの戦士たち! 我が名はラワナ! カラデア太守ヌアンクの娘! 大いなる戦士たちよ! あなた達が力を貸してくれることで、この戦の勝利は確実なものとなりました。太守の
ラワナの朗々と発せられた言葉に、ルェキア兵とキシュガナン達は歓声で応えた。
「ラワナ、紹介しよう。シアタカとアシャンだ」
キエサが、こちらに歩んできたウル・ヤークスの青年とキシュガナンの少女を招く。一礼したシアタカとアシャンに、ラワナは小さく手を上げて言った。
「久しぶりね、シアタカ、アシャン。まさか、また会えるなんて思ってもいなかったわ」
「俺も同感だ」
シアタカは微笑み、頷いた。
「ああ、そうか、顔見知りだったな」
キエサは三人を見て苦笑する。ラワナはキエサに笑みを向けた後、真剣な表情でアシャンを見つめた。
「アシャン。あなたがキシュガナンをまとめ、導いたと聞いたわ。カラデアの代表として、心からお礼を言います」
ラワナは、深々と頭を下げた。驚きの表情を浮かべたアシャンは、慌てた様子で両手を広げる。
「そんな……。私だけの力じゃないんだ。シアタカや、皆が居てくれたから、キシュや、他の一族をここまで連れてくることが出来たんだよ」
「だとしても、その道の、初めの一歩を踏み出したのはあなた。あなたが運命をここに導いてくれたのよ。ありがとう、隊商頭」
からかうような表情のラワナに、アシャンも笑みを浮かべた。
「本当は、その立場のまま、あなたと挨拶をしたかったな……」
呟くように言ったその表情には陰りが見える。この少女は戦場で何を見て何を感じたのか。そのことを思い、胸が痛む。
「兵士たちには、生きて残された母親や子供たちの元に帰って欲しい。たとえそれが敵であっても……。アシャンはそう望んでいる。俺は、それを叶えるためにここに戻ってきたんだ。なるべく早く、流れる血を少なく、この戦を終わらせる。故郷を侵略されたあなたには許し難い考えかもしれないが、俺はその為に全力を尽くす」
アシャンの肩に手を置いたシアタカは言った。その静かな言葉は決意に満ちた力を帯びている。
ラワナは、大きく目を開いた。
それは、カラデアで居並ぶ兵たちを前にし、ここまでの征途においてずっと考えをめぐらせていたラワナにとって、腑に落ちる言葉だった。兵士たちを家族の元に帰す。なぜそんな簡単なことを思いつかなかったのだろう。ラワナは小さく溜息をつくと、頷いた。
「……そうね。私も、アシャンの考えに賛成するわ。カラデアは自由の民。軛に繋ごうとする者を沙海から追い払う。ウル・ヤークスには代価を支払ってもうわ。だけど、それが死と苦痛である必要は無いのよ」
「ああ。死体を積み上げても塩は買えないからな」
ラワナの言葉に、キエサは頷いた。
「家族や友を殺された者は少なからず納得しないでしょう。血を
「良かった……。私が勝手に考えていることだったから、あなたに拒まれたらどうしようと思ってたんだ」
安堵の表情を浮かべるアシャンを、ラワナは抱きしめる。
突然のことにアシャンは驚いた様子だったが、おずおずとラワナの背に手を回した。
「キシュガナンを導くのがあなたで良かったわ、アシャン」
ラワナの言葉に、アシャンは笑みと共に頷く。
「ありがとうラワナ」
傍らで、シアタカが静かに言った。ラワナは首を傾げると、シアタカを見つめる。
「あなたは変わったわね。……カラデアで出会った頃とは別人のように感じるわ」
「そうなのか? 自分ではよく分からないが……」
シアタカは戸惑ったよう答えた。
「出会った時とは状況も立場も違うからな」
キエサの言葉に、ラワナは内心首を傾げた。
状況や立場。確かにそれは人を変えるだろう。ラワナにも経験があることだ。だが、シアタカから感じる変化は、それとは違う、何か本質的な違いのように思える。隣に立つアシャンは、その表情には苦悩の陰があるが、出会った頃と変わらないように思える。
「カラデアで出会った頃のあなたは、道に迷って途方に暮れている子供のようだったわ。……ごめんなさい、子供だなんて言って」
ラワナは、つい口を衝いて出た己の言葉を詫びる。シアタカは苦笑すると頭を振った。
「いや、その通りだ。俺は、カラデアで見るもの全てが変わってしまった。あの時の俺は、それを受け入れることが出来なかったんだ。確かに、子供のようなものだったと思うよ」
「今は違うの?」
「ああ。俺のするべきことは決まっている。もう迷うことはない」
そう答えるシアタカの表情は穏やかだ。しかし、その澄んだ瞳を見て、ラワナは胸騒ぎを覚えた。傍らのアシャンは、気遣うような表情でシアタカを見ている。彼女も同じようにシアタカに危うさを感じているのか。
「……周りをよく見るのよ、シアタカ。アシャンや、仲間たちの言葉を聞き逃さないで」
胸の中の憂慮が言葉となる。それを聞いたシアタカの表情が、微かに困惑の色を帯びた。
「沙海に戻ってから、そんな風に、皆に心配されているんだ。……俺はそんなに頼りなさそうに見えるかな」
シアタカは小さく溜息をついた。
「そ、そんなことないよ。そうじゃなくて……、シアタカはすごく思い詰めているから、見ていてなんだか怖いんだ」
慌てた様子で答えたアシャンに、ラワナは頷く。
「私もそう感じるわ。余りに前のめりになって前しか見えていない時には、思わぬことで簡単につまづいてしまうものよ」
「そうか……」
一瞬、目を伏せたシアタカを見て、ラワナは微笑んだ。
「張りつめた糸は呆気なく切れてしまうものよ。少しくらい弛んでいるほうが、耐えることが出来る。あなたには難しいのかもしれないけれど、少し力を抜くことを覚えた方が良いのかもしれないわね。良い仲間に恵まれているようだから、きっと、皆が助けてくれるはずよ。そのことに罪悪感を覚える必要なんてないわ。キエサなんて、隙があれば怠けようとしているのだから」
「人聞きが悪いことを言うなよ」
こちらに視線を向けたラワナに、キエサが苦笑する。
「ああ、見習うようにするよ」
シアタカは真面目な顔で頷いた。ラワナは、キエサと顔を見合わせる。
「本当に、あなたは変わった人ね」
ラワナは堪えきれずに笑った。
カラデア兵たちは、軍の陣営を崩さないよう冷静さを保ちながら盾を叩き、吠えるような声で歓声を上げた。
ルェキア兵たちは、それに応え大きく手を振る。
敵を退け、北から戻ってきた同胞との再会を喜び、武勇を称えられている。その歓迎はキシュガナンも例外ではない。
それは、砦に立てこもる敵へと見せつける示威行為でもあった。
俄かに沸き立つ砂原の一画。
シアタカたちは、キエサに連れられてカラデア同盟軍の主だった部隊長たちに紹介されている。何人もの男たちが、シアタカに群がるように手を握り、肩を抱く。その他のキシュガナンたちも、カラデア兵たちに笑顔で迎えられていた。
ウィトは、抱き合い、称えあう人々から離れた場所に佇んでいる。彼らと喜び称えあう気にはなれなかった。
キシュガナンの戦士たちと言葉を交わしていたラワナが、振り返った。そして、それを眺めていたウィトと視線が合う。ウィトは小さく頭を下げた。
ラワナは、右手を上げると、真っ直ぐにこちらに歩いて来る。
「ウィト、ラゴ、久しぶりね」
ウィトは、笑顔で言うラワナを直視できなくて、目をそらした。
「ああ、久しぶりだ」
ぶっきらぼうに答える。隣のラゴが短く鳴いた。
「ラゴも元気そうね。どうして、皆から離れてこんな所にいるの?」
「別に……」
「ラゴもウィトに付き合ってこんな所にいるなんて、友達思いなのね」
ラワナはラゴに言う。ラゴが吐息のような鳴き声で応えた。
少し躊躇った後、ウィトはラワナを見つめる。
「……ラワナ。私はあなたの恩に裏切りで報いた。あなたに謝りたい」
ウィトの言葉を聞いたラワナは、目を瞬かせた。そして、笑い声を上げる。
「ウィト、あなたって律儀な人ね。あの時のあなたは、ああするしかなかったのでしょう? でも、今はこうして共に戦ってくれている。だから、謝る必要なんてないのよ。一緒に戦ってくれて感謝しているわ。ありがとう、ウィト」
ウィトは、微笑むラワナを見ていることが出来なくて顔をそらす。
シアタカや、アシャン。今や敵となってしまったラッダ。皆、私に礼を言ってくれた。その感謝の言葉は、ウィトにとって心苦しいものだ。
「私は礼を言われるような人間じゃない……」
呟くようなウィトの言葉を聞いたラワナは、手を伸ばし、ウィトの頭を手の甲でこつんと叩いた。
「礼を言っているのは私。だから、素直に受け取りなさい。それとも、私の礼何て聞きたくもないのかしら?」
「そんな! そんなことはない」
ウィトは慌てて頭を振る。ラワナは首を傾げるとウィトを見つめた。
「自分なんて感謝の言葉に相応しくないと思っているのかもしれないけれど、だとしたら、礼を受け取るに相応しい自分を目指しなさい。こんな所までシアタカに付き従う勇気をもっているのだから、きっと出来るわ」
ラワナの言葉にラゴが短い鳴き声と共に深く頷く。
「そうだろうか……」
「そんなことで悩むことができるのだから、あなたは立派よ。私なんて、あなたくらいの年には酷いものだったわ」
ウィトは思わずラワナを見た。
ラワナは自嘲の笑みを浮かべると、肩をすくめる。
「私は太守の娘としては失格だったの。太守の一族であることを鼻にかけただけの、本当に馬鹿で嫌な娘だったのよ。きっと、周りに沢山迷惑をかけていたと思う。そんなこと、気付きもしなかったけどね」
意外な告白にウィトは何も言えない。ウィトからすれば、ラワナはまさしく太守の一族として人々を率いるに相応しい風格を備えているように思えた。
「父や周りの大人に何度も叱られて、素直に聞き入れることが出来ずに、ひねくれた時期もあった。そのお蔭でキエサと出会えたのだから、無駄ではなかったと思えるけれどね」
照れくさそうに目を伏せたラワナは、短い沈黙の後、ウィトを見た。
「……だから、己を顧みて悩んでいるウィトは立派だと思うの。私は、何人もの大事な人たちに導かれて、太守の一族に相応しい自分を目指すことを決意した。私に出来て、あなたに出来ないはずがないわ」
「……ありがとう」
感謝の言葉が口を衝いて出る。それを聞いたラワナは大きな笑みを浮かべた。
「あなたも皆の称賛を受けるべきだわ。さあ、皆の所へ行って」
ラワナは、ウィトの肩に手を置いた。
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