第31話

 彼らは、間道を行軍していた。


 整備された街道とは違い、間道は曲がりくねり、険しい。しかし、それをものともせずに駆けていくのは、スハイラに従い、護る直属の部隊だ。


 狗人と翼人の小隊を除き、全員が軍馬か恐鳥に跨った騎兵部隊であり、輜重部隊を同伴すらしていない。スハイラ自身は恐鳥を乗りこなすことは出来ないが、それでも騎馬を操り、部下と共にこの悪路を危なげなく駆ける。


 リドゥワで蠢動する者たちの不意をつくために、スハイラはあえて街道を選ばなかった。それによって行軍は遅れるが、彼らにとってそれは僅かな遅れでしかない。スハイラ自身によって鞭打たれた騎兵部隊は、驚異的な速さで間道を踏破していく。


 そして、本隊より先行するのは、翼人空兵たちだ。彼らは斥候として間道の上空を飛び、行く先に脅威がないか見極める。『隼のごとく、野ねずみであろうとも見逃すことなかれ』。第二軍の斥候は、そう教えられ、鍛えられる。些細なことだと切り捨てず、目の端に捉えた違和感を探り、確かめなければならない。小さなひび割れを見逃すことで堤が崩れてしまうことを、スハイラはよく知っているからだ。

 

 そうやって訓練された空兵たちが、武装して走る五十人以上の男たちを見逃すはずがない。その黒い人々ザダワーヒたちは、狭い道を一心不乱に駆けている。みすぼらしい武装は兵士や傭兵には見えない。だからといって、野盗や山賊の類とも思えなかった。


 彼らがリドゥワ騒乱と関係があるのかは分からない。しかし、無関係であるとは断言できない。空兵たちはすぐにスハイラへ報告した。


 その報告を聞いたスハイラは迷った。


 男たちが向かう方向は、リドゥワへ向かう道からは少し逸れる。彼らが何者なのか、確かめようと向かえば、確実に時間を費やしてしまうことになるだろう。しかし、スハイラの勘は、彼らがこの地で燃え上がる炎に吹き込む風の一つだと告げていた。


 その僅かな逡巡の最中。


 晴天でありながら雷鳴のような轟きが野に響き渡った。


 兵たちは何事かと身構え、武具が音を立てる。馬や恐鳥とりたちは不安げに身震いし、鳴き声をもらした。


「今、強い力を感じました。おそらく、高度な魔術を行使したものと思われます」


 隣で馬首を並べるアラムが言った。その表情は微かな驚きと警戒の色を帯びている。


「魔術……?」

「はい。おそらく……武装集団の向かっている方向です」


 頷いたアラムは丘や森の先を見て答える。


 武装した大勢の男たち。その向かう先で使われたという高度な魔術。それだけの判断材料があれば、決意するに十分だ。


 スハイラは、ときめきにも似た感覚を覚えて笑みを浮かべた。そして、翼人空兵たちに向き直る。


「急ぎ向かい、奴等の足を止めろ。アタム・ヤグズィド・イムルの名を以てその場を支配するのだ。もし従わず、抗うのならば、武力の行使も許可する。決して、奴らを逃すな!!」









 すぐに、彼らはやって来た。


 馬蹄や蹴爪の音。金属のぶつかり、こすれ合う音。それは、大きな音となって空に響く。その響きから、大勢の兵たちがいることが想像できる。


 丘の向こうから、馬や恐鳥に跨った騎兵部隊や、共に進む狗人兵たちが姿を現した。兵たちは弓矢を手にする翼人空兵と合流する。そのうちの一騎が小さな喇叭を手にすると、大きく吹き鳴らした。


 鳴り響く音を合図としたように、騎兵部隊の隊列が割れ、栗毛の馬に跨った騎兵が一騎、進み出た。


 見上げたユハは、こちらを見下ろすその兵が、女性だと気付いた。鎧兜に身を固めた騎兵たちの中で一人兜をかぶっておらず、肩まで伸びた黒髪と整った容貌が見える。


 鎧の上に金糸に彩られた上衣を羽織り、襟元に頭巾にもなる鮮やかな青い布を巻いている。陽光を受けて、銀製の耳飾りが小さく輝いた。その姿は、武骨な軍装の兵士たちの中で、一人、華やかな印象を与える。恭しく控える兵士たちの態度からも、彼女が特別な人間なのだということは分かった。


 突然現れた兵士たちを見て、ダリュワたちの緊張が伝わって来る。


 その女は、軽やかに馬を駆り、十騎の兵を伴って丘を下りてきた。そして、ユハたちや薄暮たちの前に馬を進めた女は、にこやかに口を開く。


「やあ、初めまして。私は、第二軍アタム・ヤグズィド・イムルを率いるスハイラ・イェムルル・イッラニフールだ」


 スハイラは全員の顔を確認するようにゆっくりと顔をめぐらせ、穏やかな口調で言葉を続けた。


「こんな辺鄙な土地で皆が武器をもって睨み合っているなんて、尋常なことではないね。さて、この騒ぎについて、話を聞こう。こう見えても私は将軍なんだ。相談に乗れると思う」

「閣下。初めてお目にかかります。私はザゥダムともうします。聖庁から異端審問の任を受けて、アタミラより参りました」


 素早く進み出た薄暮が、恭しく一礼すると言った。スハイラは小さく首を傾げると、薄暮を見やる。


「ほう……、はるばるアタミラから。しかし、異端審問とは穏やかではないね。リドゥワは諸教派の教徒が多い。彼らが何かしでかしたのかな?」

「いえ、そうではありません。諸教派の教徒は教義の差異はあれど、カテラト公会議において共に手を取り合う善き教えと認められています。我らが追っているのは、聖王教会の修道女でありながら、正しき教えを歪め、アタミラと、そしてリドゥワに騒乱をおこした者です」


 薄暮はそう言ってユハに顔を向ける。


「ふざけるな! 何が異端だ!!」


 ユハを守るように立つ男たちが怒号を上げた。その声を受けて薄暮は肩をすくめて見せる。スハイラはユハを一瞥すると右手を上げ、ひらひらと振った。


「静まれぃ!!」


 兵の一人が凄まじい声量で一喝する。その声に、男たちは口を噤んだ。


「お前たち、マムドゥマ村の男衆か?」


 スハイラの共の一人である黒き人ザダワフの兵が問いを発する。


「ああ。……あんたは確か、イムガルゥ庄のもんだな? 昔、会ったことがあるぞ」


 答えたナムドの言葉を、兵士が首肯する。


「知っているのか?」


 スハイラが兵士に顔を向けた。


「はい閣下。彼らは、私の出身であるイムガルゥ庄の近くにあるマムドゥマ村の者たちです。何人か見知った顔がおります」

「ほう、確か、アシュギ様が開拓した村だったな」

「その通りです将軍閣下!!」


 ナムドが烈しく両手を広げ、声を張り上げ言った。


「まさしく、清貧の剣が聖女王陛下を守るために戦場へ馳せたように、俺たちは村の恩人たちを……、『癒し手イス・シーファ』を守るためにここに来たんです!」

「これはまた、大きく出たな」


 スハイラは苦笑すると、ユハを見た。その視線は、柔らかくも鋭い。全てを見透かすような琥珀色の瞳が自分を射ぬいていることを感じて、ユハは息を呑んだ。


「『癒し手イス・シーファ』……。君は随分と尊敬されているようだね。その名の意味を分かっているかい?」

「……はい。聖女王陛下の、かつての尊称です」

「そうだ。その名は、平凡な癒し手シーファごときに冠されることはない呼称だ。癒し手の娘よ。君の名を聞こう」

「ユハともうします」

「ユハ。君のことを、異端審問官たちは異端と呼ぶ。彼らは、偉大なる名『癒し手イス・シーファ』と呼ぶ。果たして、どちらが真実なのかな?」


 静かだが力を感じるスハイラの問い。ユハは、まだ回復していないシェリウと月瞳の君を振り返る。そして、傍らのラハトに顔を向けた。ラハトは、小さく頷くと言う。


「答えは知っているだろう?」


 ユハは、その言葉を聞き決意した。二人に頼ることは出来ない。自分にはシェリウのように機転もきかず、月瞳の君のような演技もできない。ただ、率直に真実を述べるしかない。


「私は確かに聖王教会の修道女です。私は聖なる教えを学び、従い、為しているだけで、その教えに背いてはいません。わが命と魂にかけて誓います」


 スハイラは、ユハの言葉に目を見開いた。


「……君の声は、疾風のごとく戦場を駆け抜けるだろうな」


 呟くようなその言葉が、褒め言葉なのかどうか理解できずに、ユハは戸惑う。


「将軍閣下。その恐ろしい娘の言葉に惑わされぬようにお気を付けください。このように、素朴な村人たちを誑かし、己を守る盾にしようとしているのです」


 薄暮の言葉に、再び怒号が巻き起こった。


「誑かされただと!? 何言ってやがる!!」

「『癒し手イス・シーファ』を侮辱するな!!」


 殺気立ち、武器を構える男たち。慌てたユハは、大きく両手を広げ、彼らに向き直った。


「皆、落ち着いて! 落ち着いてください!」


 必死の形相のユハを見て、男たちはその動きを止めた。歯ぎしりしながら薄暮を睨み付ける。


 その中から、ゆっくりとダリュワが進み出た。戸惑うユハの肩に手を置いた後、スハイラや兵たちの前に立つ。


 スハイラの騎馬の足下に狗人兵たちが駆け寄り、威嚇の唸りを上げる。しかし、ダリュワは怯むことなくスハイラを見据えた。


「将軍閣下、ユハたちは、マムドゥマ村の大勢の命を救ってくれました。とても返しきれない恩があるんです。もしユハたちを捕まえようって言うなら、俺たちもここに突っ立ったままじゃいれません」


 腕組みしたダリュワは、スハイラを、兵士たちを睨め付けた。一人の兵士が怒りの声を上げる。


「貴様ぁ! 我ら第二軍を侮るかっ!」 

「第二軍の勇猛さはよく知ってます。だが、俺たちも『癒し手イス・シーファ』のために命を捧げます」

「……さすが清貧の剣アシュギと共に戦った『鐘音派』の子孫だな。その心意気は今も受け継がれているようだね。しかし困ったな。お互い正当性を主張して、交わることがない。このままでは武力で解決するしかなくなる」


 楽しげなスハイラは、笑みを浮かべてダリュワを見た。そして、振り返ると一人の男に問う。


「アラム、この場合、どうすれば良いかな?」


 問われた男は他の兵士と比べて軽装で、金色の髪が目立っている。その細面の青年は、頷くと口を開いた。


「多数の人間が各々武装して自己の正当性を主張しています。これは小規模ですが紛争であると規定され、戦時法イジャームが適用されます。戦時法イジャームにおいて、この場を裁定できる最高位者は現場にいる軍務省高官。即ち、この場においてはスハイラ将軍閣下ということになります」

「つまり、私に裁定権があるということだね?」

「はい。王国法上、ここは戦場と規定されました。王国の臣民は法のもと、将軍閣下の決定に従わなければなりません。たとえそれが聖職者であろうともです」


 アラムは薄暮たちを一瞥して頷く。


 口を開きかけた薄暮を手で制して、スハイラは皆を見回した。


「ここにいるのは忠実なる聖女王陛下の臣民ばかりだ。そうだね? ならば、平穏なる王国の統治のために、皆、私の言葉に従ってもらいたい」


 笑みを浮かべたスハイラは、ユハに顔を向ける。


「さて、ユハ。君が異端であり、アタミラやリドゥワで騒乱を起こしたという嫌疑は晴れたわけではない。十分な調査が必要だろう。しかし、君を牢へ放り込むような真似をすれば、勇猛なる聖戦士アータカたちが黙ってはいないだろうな。私も、無闇に騒ぎを起こしたくはない」


 肩をすくめたスハイラは、ダリュワたちを一瞥すると言葉を続けた。


「そういうわけで、君は私の監視下に置かれる。だが、拘束はしない。……そうだな、マムドゥマ村に留まってもらおう。そして、全てが終わるまでそこから出ることは許さない。これでどうかな、聖戦士アータカ殿」


 目を眇め、からかうような表情で問うスハイラに、ダリュワは頷いた。


「分かりました将軍閣下。王国臣民として、閣下の裁定に従います」

「お待ちください将軍閣下。これは、聖俗の治を犯す越権行為です!」


 薄暮が強い口調で声を上げる。スハイラは彼に顔を向けると言った。


「残念ながら、戦時においては軍務省は聖庁を優越する。それは、聖戦の頃より決められたことだ」

「詭弁です。ここは戦場などではありませんよ」

「戦場だよ。互いに武器を持って睨み合い、高度な戦咒が行使される場所を、戦場と言わずに何と呼ぶのかな?」


 スハイラは、焼け焦げた野原を指差して静かに答える。


 薄暮はその焦げ跡を一瞥した後、傍らの炎瞳の君に視線を送った。ユハも、緊張して炎瞳の君を見た。もしここで使徒が本当の姿を見せれば、一体どうなるのか想像もできない。スハイラ将軍が態度を変えるのか、あるいはその判断を変えることはないのか。


 炎瞳の君は、薄暮の視線を受けて小さく頭を振る。薄暮は微かに頷いた。そして、スハイラに向き直ると、姿勢を正した。


「この件については、聖王教会を通して正式に抗議いたします」

「ああ、そうしてくれ。ここで一兵卒から話を聞くよりも、責任ある者と話し合う方が早い。第二軍は開かれた軍団だ。抗議はいつでも受け付けるとも。我々が間違っていると分かったならば、素直に謝罪し、対処する。雑な行軍で畑を踏み荒した者には弁償させるし、軍の威を借りて略奪暴行をした者は縛り首や石投げの刑だ。ただし、それが正当だと確信しているならば、決して退かず、刃と血を以て戦う。それが我ら第二軍アタム・ヤグズィド・イムルだ」


 鋭い視線を向けたスハイラは、獰猛な笑みを浮かべた。

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