第32話

 キシュが騒いだ。


 顔を上げたアシャンは、サリカと目が合う。


「敵が来てる」

「空からですね」


 サリカの言葉をアシャンは首肯した。


 すぐに、他のラハシたちもキシュからの報せを感じ取り、アシャンの元へやって来る。巨岩の陰で身を休めていた人々も、その様子に気付いて緊張の面持ちで成り行きを見守った。 


「敵軍が近付いているのか?」


 シアタカの問いに、アシャンが答えた。


「うん。空兵が飛んできているのを羽翅カーナトゥが見付けたんだ」 

「どちらからだ?」

「み、南からだ。かず、数が多い」


 空を見上げたシアタカに、ジヤが南の空を指差した。


「あの大きな鳥も、翼人もいる。ここまで大勢の空兵が来るのは初めてかもしれない」


 言い添えたアシャンは、これまでと違う状況に胸騒ぎを覚えた。


 これまで彼らは、北から、南からやって来る空兵斥候を何度となく追い返してきた。飛来する斥候部隊の数は大鳥を駆る空兵と、翼人、合わせても最大で二十ほどの数だった。それは、シアタカが言うウル・ヤークス王国の部隊の単位、小隊にあたる。


 まだ発見したばかりであることと、自分たちラハシが羽翅カーナトゥの群れと離れているために正確なことは分からない。しかし、今南から迫って来る空兵たちは、おそらく百を超える数であることは確実だ。それは、今までとは比較にならない数だった。


 これまでの戦いで、羽翅カーナトゥも戦いに慣れてきた。しかし、羽翅カーナトゥはそもそも戦うために成長した個体ではない。その体は華奢であるし、小群を形成した際にも、戦闘に向いた思考や判断は大顎クラーシュ歩荷デギウンの小群に劣る。これまでは小隊を相手に数を頼みに追い払ってこれたが、空兵が数を揃えて挑んでくる場合、羽翅カーナトゥの群れだけに判断を任せるのは不安があった。  


 その為には、戦いの指揮ができるラハシが小群の思考を補助する必要があったが、はるか遠くの空を飛び、姿が見えない羽翅カーナトゥの群れに意思を伝えるのはラハシにとって難事だ。群れの姿や、その置かれている状況を肉眼で確認できるのならばはっきりと指示ができるが、距離によって隔たれてただ心の繋がりしかない場合、現状の把握が不正確になり、群れを混乱させるだけになるだろう。


 しかし、彼らはこの状況を解決する方法を編み出していた。


 これまで、サリカとラハシ、そして黒石の守り手とラ・ギ族のまじない師たちは、互いに知識と術を教え合ってきた。当然のことながら、全く異なる知識、信仰の体系を持つ術法を、それぞれが新たに習得できたわけではない。しかし、全く異なる世界観を知った彼らは、大いに刺激を受け、そして、今直面している事態への解決策を見出すことに成功したのだった。


 皆が集まる前で、サリカが砂の上に袋から何かを取り出しては撒いていく。それは、顔料や鉱石の欠片を混ぜた色つきの砂だ。黒石の守り手が儀式の時に使う物で、彼らはこれで『砂画すなえ』と呼ぶ図形を描く。彼らにとって砂画は、精神を集中、変容させるために用いるが、サリカは、それをより高度な魔術の為の法陣として応用した。


 サリカは、ゆっくりと歩きながら、何度も異なる袋に手を入れて地面に撒き、色とりどりの線が交錯する複雑で大きな図形を描き出す。キシュガナンのまじない師やラハシ、黒石の守り手も、この作図を手伝った。この法陣は、『共鏡ともかがみの間』という魔術に着想を得たものだ。術法に加わった人間の心と感覚を同調することができる『共鏡ともかがみの間』を応用することで、ラハシ同士がまるでキシュのように結びつき、力が増すことができる。そして、それによってキシュとの繋がりを強めることもできた。それは、ラ・ギ族から教わった精霊と同調する術法の知識がなければ完成しなかった術式だ。


 すぐ近くに他人の心が在り、互いに力を結びつけ、キシュの感覚を共有する。共鏡ともかがみの間の助けを受けてキシュの議論に加わった時の、仲間たちの心と結びついた時のことを覚えていたからだろう。アシャンは、この新しい経験に最初戸惑ったが、すぐに慣れた。キシュに呑み込まれかけた後、そこから抜け出し、そしてキシュの議論の場に直接触れ、繋がった。そんな稀な経験を積んだアシャンの能力はラハシのなかでも群を抜いたものとなっており、この術法によって編まれた蜘蛛の巣のような結びつきの中でも、要というべき存在となる。


 ここまでの戦いでは、ジヤが戦いの指揮を執り、アシャンはキシュとの繋がりを途切れさせずに、強める役割を担ってきた。それでも、ラハシ皆がキシュの感覚を共有しているため、羽翅カーナトゥとラハシたちの連携とその戦術は素早く洗練されていくことになる。


 アシャンにとって、キシュの感覚を通して知る戦場は、どこか現実味がない。

 地上の戦いの血腥さは、目の前の惨劇として常にアシャンの心を乱し続けるが、空の戦いは己の五感を何ら刺激せず、ただ心の繋がりの間を行き交う“かたち”として受け取るのみだ。 


 人や鳥が落ちていく恐ろしい光景に今だ慣れることはないが、血や死の形を受け取るのは一瞬で、すぐにキシュを翻弄する風の力や空中でのキシュや敵の位置を把握し続けることで精一杯になる。


 それは、空を飛んだことのない人間にとっては処理の難しい形であり、まるで剛力の大男に常に振り回され、放り投げられ、頭を揺さぶられ続けているような感覚だった。


 現在敵と遭遇している羽翅カーナトゥの群れは小さく、伝えることが出来るのは曖昧で漠然とした形だ。何より、あの多勢を相手取るのは難しいだろう。すぐに、四方の空を哨戒している他の羽翅カーナトゥの群れを呼び寄せる必要があった。


「カ、羽翅カーナトゥを集結、さ、さ、させよう」


 ジヤの言葉に、アシャンは頷く。


 すぐに、ラハシたちは砂の上に法陣を描き始めた。サリカも、呪文を唱えて法陣に力を導いていく。


 事態は一刻を争う。


 アシャンは法陣の端に座ると、精神を整える。さざ波のような心の乱れを鎮め、意識を奥底へと沈めていく。


 サリカの術法はまだ発動していなかったが、アシャンは目を瞑り遠くに散らばった群れに呼びかけ始めた。







 いち早くキシュに呼びかけ始めたアシャンを中心に、ラハシたちは、完成した法陣の中で忘我の状態に入った。


 彼らを横目に、キエサが問う。


「ここで空での戦いに片を付けようってことか?」


 シアタカは頭を振った。


「いや、それが難しいことはこれまでの戦いで分かっているはずだ。雌雄を決するには空兵部隊をここで使い潰す覚悟がいる」


 シアタカ自身は空の戦いを直接目撃したわけではないが、これまでラハシたちに聞いた話から、羽翅カーナトゥの戦い方を把握している。羽翅カーナトゥは、最高速度では大鳥や翼人には及ばないものの、空中での機敏さは優る。自在に停止し、方向転換をする。大鳥は羽翅カーナトゥのこの急激かつ眩惑的な空中機動を追うことが出来ない。翼人の中でも飛翔術に優れた者がかろうじて対応できる。羽翅カーナトゥ一体の攻撃力はそこまで高いとは言えないが、追随できない動きをもって多数が単体に群がるようにして襲い掛かって来るのだ。その恐ろしい包囲攻撃はほこや弓矢で防ぎきれるものではない。本能的な恐怖に囚われた空兵たちは、混乱に陥ってまともに戦うことが出来ないでいた。


 現状において、彼我の損耗率を考えれば、ウル・ヤークスの空兵部隊が圧倒的に不利な状況だ。それでも羽翅カーナトゥの群れを潰そうと言うのならば、翼人空兵部隊は多くの犠牲を捧げる必要があるだろう。


「まともに戦うつもりじゃなくて、北の本軍と連絡を取ろうとしているんじゃない?」


 エンティノが言った。


 ここまで彼らカラデア同盟軍は、軍路の途中にある駅逓をつぶしながら南下していた。同時に、北からやって来る補給部隊や南からやって来る斥候部隊も撃退している。


 南北の連絡を遮断し、しかも現状を把握させないことで敵の目と耳を奪っている。こうしてカラデア同盟軍は、自分たちの周囲を敵を寄せ付けない壁で囲むようにして軍路を南下している。敵に情報を与えない為の策だが、逆に彼らも北にいるウル・ヤークス軍の現状が分からない。そして、カドアドが背後からこちらをじりじりと追跡している大軍の音を聞いていた。ウル・ヤークス軍は、カラデア同盟軍の正確な位置や勢力を把握はしていないが、近寄れる範囲の限界まで斥候を送り込み、こちらの概要を掴み、隙を窺っている。今は中が見えない毒蛇の巣に手を突っ込むことを躊躇っている現状だが、南からの報せという切っ掛けでその追跡の速度を一気に早めるかもしれない。


「……戦力集中による敵陣の一点突破」


 シアタカの言葉にエンティノは頷く。


「本軍も、南の部隊がどういう状況なのか把握しないと戦術を立てることができないもの。南の部隊の報告があれば、方針を決めることが出来るからね。情報が有ることで、ウル・ヤークス軍の状況が全く変わることになるわ」

「足踏みしていた奴らが動き出すということか」


 厳しい表情を浮かべたキエサが舌打ちした。 


「先を急がないといけない。後背の敵に追いつかれてしまえば、全てが無に帰す」

 喉を膨らませ、カナムーンが言う。


 エンティノの考えが正しく、ウル・ヤークス軍が伝令を突破させることを考えているならば、何としてでもそれを阻止しなければならない。しかし、今、自分たちに出来ることは何もない。ただ、ラハシとキシュの空での戦いを見守るしかないのだ。


「挟み撃ちするつもりが、こっちが挟み撃ちにされちまうな」


 同じことを考えていたのだろう。シアタカに顔を向けたハサラトが肩をすくめた。


 南進するカラデア同盟軍の足は早いとは言えない。


 騎兵部隊のみのカラデア軍だけでなく、徒歩のキシュガナンとキシュが共にいるために、北上した時のような圧倒的な速度は望むべくもない。ウル・ヤークス軍から鹵獲した恐鳥や駱駝もほとんどのキシュガナンは乗りこなすことは出来ず、カラデア人たちやシアタカたちが使っているだけだ。


 もしウル・ヤークス軍が強行軍でカラデア同盟軍を追ってきたならば、追いつかれる可能性は高い。 


「ここからは時間との戦いだ。俺たちがどれだけ早く『砦』にたどり着けるのか。それが勝負の分かれ目になる」

「キシュガナンは走れと言われれば走り続けるぞ」

「馬鹿言わないでくれ。あれはあの戦いだから通用したんだ。ここから強行軍を試みても、疲れ果てて、太陽に焼かれて、戦場についた瞬間に敵に蹂躙されることになる」


 笑みを浮かべたエイセンに、シアタカは顔をしかめて見せた。


「冗談だ。だが、我らにその覚悟はあるぞ。死なねばならない時が来たならば、死ぬ。それが戦士というものだ」


 エイセンの言葉に、ガヌァナが小さく頷く。シアタカはそんな二人を見て、小さく頭を振った。


「分かってる。だけど、その時は、今じゃない。エイセンも、それは分かっているだろう? 俺たちは勝つ。その為には、氷のように冷静に、一つずつ石を積み上げていく必要があるんだ。石をその場に放り投げるような戦い方で勝てる相手じゃない」

「その石一つ一つが俺たちということか」


 キエサが微かに笑みを浮かべて言った。


「……そうだな。ウル・ヤークス軍はとても緻密で頑丈な石造りの城だ」

「その敵と真っ向からぶつかるには、こちらも黒石のような磨き抜かれた石になる必要があるということだな」


 ガヌァナの言葉に、キエサが答える。


「ガヌァナ殿には悪いが、俺はまともにぶつかろうとは思わない」

「そなたのことだ、弱気から来る言葉ではないだろうが……。戦う前からそのようなことでは、士気が上がらぬぞ」

「俺はずっとそうやって戦ってきたんだよ。ンランギの民と違って、カラデアの民は臆病なんだ。名誉なんかより大事な物が沢山あるからな。下手に兵を死なせると、あちこちから非難されることになる。出来るだけ仲間を死なせたくはないんだ」


 おどけた表情で肩をすくめるキエサをシアタカは見つめた。出来るだけ戦士たちを家族の元に帰したい。以前アシャンが言っていたことを思い出す。


 軍人としての自分は、兵を駒や数として判断する。しかし、同じ軍人でありながら、キエサのような者もいる。ここまでの道すがら聞いた彼の戦いから感じる彼の考え方は、どこかアシャンと似通っているように思えた。


「生き残るための戦いか……」


 シアタカの呟きに、キエサはシアタカを指差して頷いた。 


「まさしくそれだ。俺たちは、未来のために戦ってる。だからこそ、死ぬわけにはいかない。臆病な奴だと失望したか、約者アシ殿?」


 そう問いかけたキエサは口の端を歪めた。シアタカは、無言でキエサと視線を交わした後、おもむろに頭を振った。


「……いや、それこそが、俺に欠けているもの、必要なものだ」


 これまで、殺すために、死ぬために戦ってきた。そんな自分がアシャンと交わした約束を守るためには、生き残るための戦いを学ばなければならないのだ。


「キエサ、あなたの戦いを俺にも教えてくれ」


 シアタカは一礼する。キエサは一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに笑みを浮かべ頷いた。 

 

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