第25話

 扉を叩く音と共に、女の声が聞こえる。


「ねえ、シェリウ。……今、部屋の中でおかしな力を感じたの。中に入るわね」


 シェリウの同意を得ることなく、すぐに扉を開く。


 先頭に立つのは、ヌアキという長身の男だ。その後を見張りの衛兵二人、ルミヤとティアンナが続く。


 警戒した様子で部屋に踏み込んだ彼らは、目の前に立つ一人の娘を見て驚きの表情を浮かべた。


「何だ貴様はっ!」


 ヌアキが鋭い声と共に腰の剣に手を伸ばす。


「おはようございます」


 イェリムは微笑みと共に小さく頭を下げた。


「部屋への侵入を許したのか?」


 ヌアキがイェリムから目を離すことなく、衛兵たちに問う。


「そんな訳がありません!」


 衛兵たちが慌てて答えた。


「何らかの術法を使ったのね。精霊や妖魔の類を召喚したの?」


 ルミヤがイェリムから視線を外し、シェリウに顔を向ける。シェリウは頭を振ると答えた。


「精霊なんかじゃないわ。このはあたしの友達」

「友達?」

「確かに……、精霊や妖魔とは色が違う……」


 ティアンナが、微かに目を細めて言う。それを聞いたルミヤは、片眉を上げて首を傾げた。


「それで、お友達を呼び出して何をしようというの? 仲良くお茶会?」

「私は、シェリウを外に連れ出すために来ました」


 イェリムが笑顔で言う。


「……それは出来ないわね。シェリウにはここにいてもらわなくてはならないの」


 ルミヤがイェリムを見据えて答えた。


「それはあなた達の都合です。シェリウと私には関係のないことですね。今から出て行きますので、そこをどいてもらえますか?」


 にこやかに語られるその言葉に、衛兵が顔を歪めた。


「何だその口のきき方は!!」


 怒声と共にイェリムに掴みかかる。その背後で、咄嗟にルミヤが止めようとするが、遅かった。


 くぐもった呻き。


 衛兵の喉を、黒い棒のようなものが貫いている。それは、長く伸びたイェリムの髪だった。


 しなやかな動きと共に黒髪は喉から引き抜かれた。衛兵は湿った音を発しながら喉を抑え、屈みこむ。 


 イェリムの黒髪が、風をはらんだように大きく広がった。


 一言も発することなく、ヌアキが剣を抜き放ちながら踏み込む。


 獲物に跳びかかる蛇のように、しなりながら黒髪の束がヌアキを襲った。同時に、もう一つの黒髪の束が咄嗟に動けないでいるもう一人の衛兵の右目に突き刺さっている。


 ヌアキが剣で黒髪を打ち払った。激しい金属音が発せられたが、刃は切り裂くことが出来ず、そのまま剣身に髪が巻き付く。


「ぬぅ!」


 驚愕の唸りと共にヌアキは剣を放り出すと、そのままイェリムへ跳び込む。その手には大振りの短刀が握られていた。


 イェリムは右手を伸ばすと、繰り出される短刀を握った。顔を歪めて力むヌアキだが、握った短刀は動かない。


「優れた魔術が施された短刀ですね。とても痛い」


 言葉と共に、黒髪が揺れた。奪い取った剣がそのままヌアキを襲い、逃れようとするその胸に突き刺さる。 


「ヌアキ!!」


 刀を抜いたルミヤが叫んだ。斬りかかろうとする彼女の前に、黒髪に拘束されたヌアキの体が放り投げるように突き出された。ルミヤは歯噛みしながら踏み止まる。


 シェリウは、呆然とこの惨劇を見ていた。


 イェリムは、町の人々を、そして母親を殺した。その時の光景は、シェリウの中に記憶として存在していない。シェリウが意識を失ったことで、イェリムは歯止めを失い、ただ怒りと憎悪の執行者になってしまった。そして今は、シェリウの望みをかなえるための冷徹な怪物としてその力を奮っている。


 イェリムの力を借りることが正しかったのか。暴力と血の匂いを嗅いだシェリウに、疑念と後悔が沸き起こる。


 しかし、もう後戻りはできない。


 シェリウは唇を噛むと己を叱咤する。

 

 ユハを奴らの意のままにしてはいけない。彼女を守るために自分はいるのだ。イェリムはシェリウ自身。ユハを守るために罪を犯すことも厭わない。そう決意したはずだ。


 血にまみれた剣が黒髪によって振るわれる。速いが精度のないその斬撃を、ルミヤは後退ってかわした。鼻先を白刃がかすめるが、怯むことなくイェリムを睨み付けている。


「ティアンナ……。こいつを滅することはできないの?」


 刀を構え、イェリムから視線を外すことなく、背後のティアンナに問う。


「駄目……。この女は精霊とも妖魔とも違う。私の術では、追い払う方法が分からない。こちらも力尽くで術法をぶつけるしかないわ」


 悔しげなティアンナの答え。ルミヤは舌打ちした。


「シェリウ! こんな抵抗をしても無駄よ。ここは太守ラアシュ様の邸宅。ここで無闇に暴れたって、決してリドゥワから出ることはできない!」


 ルミヤはシェリウに言う。


 シェリウは、強張った顔の筋肉を無理に動かして、頬を歪めた。笑ったつもりだが、おそらく上手くいってはいないと自覚できる。


「どうでもいいわ。あたしはここが気に食わない。だから、出ていくの」

「そうです。私たちはここから出て行きます」


 穏やかな口調で、イェリムが言う。


「昔、私は、怒りと憎しみに身を委ねるという愚かな間違いをしました。そのために、とても大切なシェリウに見捨てられてしまいました」 


 イェリムは、微笑みと共に一歩進んだ。次々と黒髪が伸び、衛兵たちの骸を持ち上げる。


「だから、再びシェリウが私を頼ってくれてとても嬉しかったのです。シェリウと共にいるために、もう、私は過ちを犯さない」


 三つの遺体が、巨大な盾のようにイェリムの前に掲げられた。その向こうに立つイェリムの目は、青白い光を宿している。


「シェリウはユハの元に帰ります。私はその為に何でもしますが、シェリウはあまり人が死ぬことを好みません。ですから、もう邪魔をしないでくださいね」


 イェリムは、そう言って小さく首を傾げた。







「ラハトの旦那! 兄貴とユハさんたちが来たぜ!」


 息せき切って駆け寄った少年が、喘ぎながらも言った。


「分かった」 


 ラハトは頷くと、背後に立つ男たちを振り返った。


「始めてくれ」


 その言葉に、三人の男は荷車の荷台に置かれていた大きな箱の蓋をずらした。微かに白い煙のようなものが立ち上り、消える。


 中には、大小さまざまな大きさ、形をした氷や、みぞれのような物がぎっしりと詰まっていた。


 革の手袋をつけた男たちは、次々とその氷を取り出すと足元の細い水路に落としていく。多い水量と早い流れをもつ水路に放り込まれた氷は、すぐに流されその先にある暗渠に呑み込まれた。


 男たちは黙々と作業をこなし、ラハトもそれに加わる。


「金をドブに捨てることになるとは思わなかった……」


 傍らで見守っているハーリオドがぼそりと言う。


「城攻めには金がかかる。仕方がない」

「ふん、盗人猛々しいとはこのことだな」

「そうだな」


 手も止めず他人事のように答えるラハトに、ハーリオドは溜息をついた。


 ラハト達が今いるのは、太守ラアシュの館から少し離れた場所にある林の中だ。


 リドゥワは上下水道が整備された街だったが、その水源の半ばを大河エセトワから。そして残りの大半を、近郊の高地にある湖に頼っている。そこから水路を整備して、リドゥワまで導き、市民の生活に役立てていた。古い歴史の中で何度も補修、整備を繰り返された水道は街中に張り巡らされており、全てを把握している者は少ないだろう。


 ラハト達の前にある水路は、彼の調査とカドラヒたちの助言によって、ラアシュの館に通じているものだと探り当てたものだ。


 ラハトは、あらかじめカドラヒの商会の者たちにここまで荷車で荷物を運ばせておいて、人質としたハーリオドと共に後から合流した。そして、その寸前に、ラハトを尾行していた四人の男たちを始末している。彼らとの連絡が絶たれた太守は、すぐに大々的にラハトを探すことになるだろう。その前にこちらから仕掛けてシェリウを救うしかない。


 腕組みしていたハーリオドは、横目でラハトを見た。


「それで、熾氷もえるこおりをこんなにも放り込んで、本当に役に立つんだろうな」

「分からない」

「分からない?」


 ハーリオドは問い返すとラハトを睨み付けた。


「ありったけの熾氷もえるこおりを持ち出しておいて、役に立たんかもしれんというのか?」

「確信はある。だがそれが正しいとは限らない。今は、ただ実行するだけだ」


 みぞれのような熾氷もえるこおりをさらいながら、ラハトは答えた。


熾氷もえるこおりを水に放り込んで、一体何の役に立つと言うんだ。いい加減、教えてくれてもいいだろうが」


 眉根を寄せたハーリオドに、手を止めたラハトは顔を向けた。


「エルアエル帝国にある、ティルアレーンという寺院を知っているか?」

「ティルアレーン……。名前だけは聞いたことがある。智を奉ずる学派の聖地と聞くな」

「そうだ。ティルアレーンには、火を灯すと誰が力を加えることなく独りでに開く扉がある。それは、古代の賢人が考案したもので、知識の象徴として今も使われている」

「扉が知識の象徴?」

「その扉が独りでに開くのは、魔術や精霊の力によるものじゃない。自然の諸力、ことわりの働くところによって開いている。ティルアレーンの学僧にとって、それは世のことわりを読み解く教えの具現化だ」

「ううむ……」


 ハーリオドは唸るように声をもらすと、ラハトと水路を見比べた。


「それが熾氷もえるこおりとどう繋がるんだ?」

「俺たちが吸い込むこの空気は、温まると膨らむ。広い野原にいるとそれを感じることは難しいが、狭い所に押し込められた空気は、膨らむと大きな力となって全てを押しのけようとする。その力を応用したのが、その独りでに開く扉だ。押しのけようとする力を使って水を流し、その力で機械が扉を開くような造りになっている。」

「狭い所……?」


 ハーリオドは、すぐに暗渠に視線を向ける。


「この下水道の空気を温めるってのか? 熾氷もえるこおりがその役に立つと?」


 その問いにラハトは頷く。


「何らかの切っ掛けで小麦粉が舞い上がり、倉庫中に立ちこめたとする。そこに火を放り込めばどうなるのか。細かい小麦の粉に次々に火がついて燃え上がる。その熱で空気は膨らむが、逃げ場はない。そして……」


 ラハトは、両手で丸い形を作ると、それが弾けるような仕草をした。


「……爆発するのか」


 ハーリオドが大きく息を呑み込んだ。ラハトは頷くと、暗渠を見やる。


熾氷もえるこおりについては、昔、学んだことがある。暖かい場所では溶けてしまい、燃え上がる気体になると教わった」

「その通りだ」

「俺はこの水路で熾氷もえるこおりを溶かし、燃え上がる気体で満たすつもりだ。あの礼拝の夜に、初めて実物を見た。あの燃え方を見れば、激しい爆発を期待できるだろう。だが、この水路でどれだけの早さで溶けるのか。溶け出した気体がどれだけ充満するのか。それは勘に頼るしかない」 

「つまりお前は、下水道から太守の館を火攻めにしようというのか……」


 ハーリオドは、呆気にとられた表情でラハトを見た。


「火攻めについてはそこまで効果は期待できない。おそらく、燃え上がるのは一瞬だ。それよりも、大きな爆発で奴らを混乱に陥れる。館のどこかが崩れてくれればより効果的だが、そこまで期待はできない」

「何とまあ……、怖ろしいことを考える奴だ」


 ハーリオドは、絞り出すように言った。


 ラハトは答えずに、木々の間から視線を遠くに向けた。


 そこは、高い塀に囲まれた太守ラアシュの館だ。


 意識を集中し、呪眼の力を顕現させる。


 ラハトの呪眼には、太守の館が高度な魔術で守られた要塞のように見える。


 その魔術の種類や効果まではラハトには判別できないが、太守ラアシュに送られた呪いや悪霊の類は全て跳ね除け、追い払われてしまうだろう。強力な魔術師たちによる大規模な戦咒ならばともかく、生半可な魔術ならば効果を期待できない。


 その殻のような魔術の守りの中で、館の一画に微かな光を見出す。


 それは、救うべき者の放つ光。


 ラハトが己に刻み込んだ、シェリウの形質の輝きだ。


 そこに、彼女は囚われている。館を守る魔術も、その光を隠蔽することはできなかった。


 ラハトは呪眼の力を抑えると、振り返った。


「火をくれ」 


 男の一人が、火のついた松明を差し出す。


 受け取ったラハトは、ハーリオドに顔を向けると言った。


「協力してくれて助かった。ここから先は、俺たちの戦いだ。すぐに商会に戻ってくれ」

「……今更だが、本当にやるつもりか?」

「ああ。奴らの始めたことだ。俺たちの手で終わらせる」


 ハーリオドは大きく溜息をつくと、頭を振った。そして、ラハトを見つめる。


「死ぬんじゃないぞ」

「仕事を終えるまでは死ぬつもりはない」


 ラハトの答えに、ハーリオドは微かに顔を歪めると、男たちに顔を向けた。


「さあ、さっさと逃げ出すぞ。こいつに巻き込まれたら、命が幾つあっても足りん」


 ハーリオドの言葉に促されて、男たちは林から立ち去っていく。


 その後ろ姿を見送っていたラハトは、暗渠に顔を向けた。


 しばらく見つめた後、松明を掲げる。


 そして、その暗闇の中に放り投げた。

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