第13話
ダリュワの弟が戻った。
その知らせを受けて、ユハたちは街中にあるカドラヒの商会へ向かった。
「待たせちまったみたいだな。本当にすまねえ」
笑みと共に謝罪の言葉を口にしたのは、ダリュワによく似た大柄な男だ。ナムドという名のその男は、その落ち着いた雰囲気も兄によく似ていた。ただし、ダリュワほど強面ではなく、親しみやすい笑顔が印象に残る。
「マムドゥマ村のことでも本当に世話になったそうだな。心から礼を言うよ」
どうやらカドラヒは、ユハたちのことを詳しく話していたらしい。謝意に満ちたその言葉に、ユハは微笑んだ。
「私たちの力がお役にたててよかったです」
「あんたちでなければ無理だったろう。兄貴やカドラヒ
ナムドは小さく頭を振ると、皆を見回した。
「あんた達は村の恩人だ。俺が責任をもって送り届けるよ」
「ありがとうございます」
ユハとシェリウは深々と一礼する。
「お前がちんたらしてるおかげで、俺はユハたちに職も紹介しなけりゃならなかったんだぜ?」
「は? カドラヒ兄いは恩人に仕事させたってのか?」
笑いながら言うカドラヒに、ナムドは非難するような視線を向けた。ユハは慌てて手を上げる。
「ち、違います! 私がお願いしたんです」
「この
からかうように言う月瞳の君を見て、ナムドは両手を大きく上げると溜息をついた。
「ああ、遅くなって悪かったよ。アタミラで色々と厄介ごとに巻き込まれてな。帰るに帰れなかったのさ」
「厄介ごとですか?」
シェリウの問いにナムドは頷く。
「アタミラでは、ルェキア族の商人と取引をしていたんだ。そいつはルェキア商人の中でも大物でな。でかい取引ができそうなんで色々と商談が盛り上がってたんだが……」
もしかすると……。ユハはナムドの取引していたという商人が、自分の知っている人物ではないかと思った。横目でシェリウを見ると、視線が合う。どうやら、同じことを考えているようだ。
「そいつの家で仲間と酒を飲んでいたら、官憲が踏み込んできてな。中にいる人間全員を捕まえたんだ。あいつら、俺たちをルェキア族と勘違いしやがった。連れていかれて牢屋行きだよ。まったく、いくら
ラハトがおもむろに口を開いた。
「その商人はヤガンという名か?」
「ああ、そうだが……。どうして分かった?」
ナムドは怪訝な顔をラハトに向ける。
やはりそうだ。ユハはシェリウと頷き合った。
「知り合いか?」
ダリュワが、ユハたちの顔を見てたずねる。
「私たちの恩人なんです」
「俺の雇主でもある」
ユハとシェリウ、そしてラハトが答えた。
「ああ、あんたは使用人だったっけな」
カドラヒが微かに笑みを浮かべるとラハトを見やる。
「ヤガンさんは、何か悪いことをしたんですか?」
ユハはおずおずと尋ねた。ナムドは右眉を上げると答える。
「後ろ暗くない商人は少ないだろうな。ヤガンが馬鹿正直な商人だったとは思わねえよ。だが、簡単に官憲に捕まるような馬鹿じゃないことも確かだ」
厳しい表情を浮かべたナムドは、ゆっくりと皆の顔を見る。
「アタミラで……、ウル・ヤークスでルェキア族が弾圧されはじめたんだ」
「どうしてですか!?」
弾圧という言葉の剣呑な響きに、ユハは思わず悲鳴のような声を上げる。
「西の砂漠、沙海って知っているか? ルェキア族の故郷だ。今、ウル・ヤークスの兵隊がそこで戦ってる。ルェキア族は、そこでウル・ヤークス軍の敵に回ったんだよ」
ナムドは、ルェキア商人たちに何があったのか語り始めた。
沙海から様々な産物を運ぶルェキア商人たちは、ウル・ヤークス王国内において、アシスの地や碧き岸辺、アタミラ近郊といった王国西部の諸都市に多く暮らしている。彼らはシアート人にみられるような広く大きな繋がりをもっておらず、氏族や一族の繋がりを元にしてそれぞれがウル・ヤークス王国で商売をしていた。
そんなルェキア商人たちだったが、他の土地では手に入らない貴重な物産を取り扱っていることもあり、財力を蓄え、王国内では無視できない影響力を持つに至っている。
当初、第三軍がカラデアへ侵攻した際も特にルェキア商人が問題視されることはなかった。しかし、ルェキア族が全面的に敵に回ったこと、ウル・ヤークス王国内のルェキア族がカラデアを援助している疑いがあることを第三軍が元老院に報告したことから風向きが変わった。
反対派の意見はすぐに封じられ、元老院はルェキア商人の身柄を捕縛することを決定したのだ。
ナムドが牢を出てから集めた情報によれば、この弾圧は王国全土におよび、ルェキア商人が次々と捕らえられているという。少なくとも、今のところは捕まってから拷問を受けたり死罪になるようなことはないようだが、今後どうなるか分からない。
「旦那も捕まっているのか?」
ラハトの問いに、ナムドは頭を振った。
「いや、騒ぎのどさくささで、俺たちが逃がした。残念ながら、家にいた爺さんと婆さんは無理だったけどな。ただ、俺たちもそのまま連行されたから、ヤガンが逃げ延びているのか、それは分からねえ。俺たちがぶち込まれた牢屋には他にもルェキア商人が放り込まれてきたが、最後までヤガンは来なかったな」
デワムナとラテンテが捕まってしまった。ユハは息を呑んだ。シェリウがその手に触れると、ゆっくりと撫でる。ユハはシェリウを見て小さく頷いた。
「旦那を助けてもらい、礼を言う」
ラハトは頭を下げる。ナムドは慌てて両手を上げた。
「よしてくれ。結局、牢を出てからヤガンを探したんだが、見つからなかったんだ。力になれなくてすまない」
「いや、あんたも危険を犯して逃がしてくれたんだ。そこから先は旦那の責任だ」
「大した使用人だぜ」
きっぱりと答えるラハトを見て、カドラヒが笑う。ナムドも苦笑と共に頷いた。
「あいつは、ルェキア族の偉いさんと繋がりがあるらしいな? 官憲も必死で探してたよ。何度も俺の所に探りに来やがった。故郷に帰るって言ったら、船の中も念入りに調べられたぜ」
「余程逃したくなかったんだな」
ダリュワの言葉に、ナムドは答えた。
「牢の中でも、ルェキア商人にあいつのことを幾つも聞かされたからな。色々と重大なことを知っているらしい。そりゃ、官憲も必死に捜すさ」
「ヤガンさん、大丈夫でしょうか……」
ユハの呟くような言葉に、ラハトが頷いた。
「心配ない。旦那はしぶとい。それに、何より顔が広い。きっと、逃げ延びている」
「だといいんですけど……」
不安は消えない。自分たちは本来ヤガンを守るべきラハトに守られてここまで逃れてきた。そして、彼に守られながらリドゥワである意味で充実した日々を過ごしてきた。もしラハトがいれば、デアムナもラテンテも逃げることができたのではないか。後ろめたさがユハの心に冷たい手を伸ばす。
「まあ、ラハトが早く本来の仕事に戻るためにも、さっさとユハたちを送り届けねえとな!」
カドラヒが明るい声で言うと、ナムドの肩を叩く。そこに自分への気遣いを感じ取って、ユハは微笑んだ。
「ああ、分かってるよ兄い。すぐに準備と手配に取り掛かる」
ナムドは真剣な表情で頷いた。
こうして、ユハたちはリドゥワからイラマールへ旅するための準備について、ナムドといくつか話し合った。とはいえ、四人の中で旅慣れているのはラハトと月瞳の君だ。そして、月瞳の君は頼りにならない。この話し合いでも、特に参加も、口を挟むこともなく、面白がるような表情で見ているだけだった。
出発は二日後に決まった。
いつでも逃げ出せるように準備をしていたユハたちにとって、不都合なことはない。
「工房の皆さんにも挨拶をして行かないといけないね」
ユハの言葉に、カドラヒは苦笑した。
「あんたは律儀な奴だな。いきなりいなくなる奴も多いんだぜ?」
「そういうわけにはいきませんよ。お世話になったんだから」
「まあ、あんたがそう言うなら構わねぇがな。俺も話を通しておくから、明日にでも挨拶していくと良い」
「はい。 ありがとうございます」
礼を言うユハを、カドラヒは笑いながら見ていた。
話し合いを終えたユハたち一行は、家へと帰る。すでに夕刻となり、町行く人々も家路を急いでいた。
「いよいよリドゥワともお別れかぁ。魚が美味しくて気に入ってたんだけどな」
月瞳の君が、大きく欠伸をした後、言った。
「残ればいいんじゃないですか?」
シェリウの突き放した言葉に、月瞳の君はニヤリと笑う。
「残ってもいいけど、シェリウが寂しがるものねぇ」
「なっ、何言ってるんですか! 寂しいわけないでしょう!」
「照れなくてもいいのよぉ」
月瞳の君はシェリウに抱き着くと、その右肩に顎をのせた。
「ちょっと、何するんですか!」
「素直になれないシェリウが可愛いから愛でてるの」
月瞳の君は、シェリウの耳を軽くかじる。シェリウが悲鳴を上げた。
「月瞳の君、シェリウをからかうのはそれくらいで止めてください」
ユハは二人の密着具合に少し頬を赤らめながら言った。月瞳の君はシェリウから離れると、満面の笑みと共にユハへ歩み寄る。
「ユハも嫉妬しちゃって可愛いわねぇ。大丈夫。あなたも愛でてあげるから」
「あ、いえ、大丈夫ですよ。いつもとても愛を感じていますから」
ユハはじりじりと後ずさる。
「私はもっと愛を感じてほしいのよ」
月瞳の君がなぜか少し前傾姿勢になっている。まるで獲物に飛びかかろうとする獣だ。
「さあ、私の愛を……」
微かに揺らいだ月瞳の君の体。その言葉は、途中で唐突に途切れた。
跳び出そうとした瞬間、ラハトが腕を取って足を払ったからだ。月瞳の君の体は、斜めに跳ねるようにして倒れた。
「悪ふざけはそこまでだ。さっさと帰るぞ」
腕を掴んだまま、ラハトは月瞳の君を見下ろす。見上げた彼女は、ラハトを睨んだあと、小さく息を吐く。
「……本当に、無粋な男ねぇ」
解放された月瞳の君は立ち上がると手で土埃を払う。そして、ラハトの前に立った。
「あんたもついて来るんだろう?」
ラハトの問いに、月瞳の君は笑みを消して頷く。
「ここからは教会と戦うこともあるかもしれない。その時、あんたはどちらにつく? 答え次第では、あんたを連れてはいけない」
ユハは、目を見開いて月瞳の君を見た。ラハトに言われるまで、月瞳の君が教会側につく可能性を忘れていたのだ。自分と欠片の中にある好意によって、あえて見ないふりをしていたとも言える。隣に立つシェリウは、厳しい表情で月瞳の君を見つめていた。
「前に言ったでしょう? 私は教会なんてどうでもいいのよ。私にはあの
「もし教会がユハの中にある欠片を目覚めさせる
再び問うラハトに、月瞳の君は首を傾げてみせた。
「そうなったら分からないわねぇ。私、教会にユハを渡しちゃうかも」
「なっ! 本気ですか!?」
声を荒げたシェリウに、月瞳の君は笑みを向けた。
「さぁ? 本当かどうか、あなた達に分かる? 私は嘘を言ってからかってるだけかもしれない。それとも、その時が来たら、あなた達を出し抜いて、ユハをさらってしまうかもしれない」
「真面目に答えてください!」
「あなたの聞きたい答えを言ってあげる。そうすれば信じる?」
「だから!」
「待ってシェリウ」
ユハはシェリウの肩に手を置いた。
「ユハ……」
こちらに顔を向けたシェリウに頷いて見せると、月瞳の君を見つめる。
「ユハ、あなたは私に聞かないの?」
そう言って微笑む月瞳の君。ユハは頭を振った。
「答え何て必要ない。私は月瞳の君を信じます。それだけです」
「本当に信用できるの? 私、あなたを裏切るかもしれないわ」
「私は月瞳の君の愛を感じています。それは、何より信用できることです」
ユハは、己の胸に手を当てて言う。月瞳の君は、その言葉に顔を歪めた。すぐに身をひるがえすと、歩きはじめる。
「つまらないわねぇ。もう少しからかうことができると思ったんだけど」
ユハは、背を向けたまま言う月瞳の君を見て微笑んだ。隣のシェリウが大きなため息をつく。
「ん?」
しばらく歩いた後、月瞳の君が突然立ち止まった。
「どうかしました?」
ユハは首を傾げる。月瞳の君はその問いに答えない。眉を寄せ、顔を上げると鼻をひくつかせた。
「ふぁぁぁっ!!」
月瞳の君が、突然獣の鳴き声のような奇声をあげた。顔の輪郭が曖昧に揺らぎ、猫と人の間を行き来する。まるで麦の穂のように大きく膨らんだ尾が突然飛び出した。月瞳の君は、頭を抱えてしゃがみこんだ。
「あああ、尻尾! 尻尾!」
シェリウが慌てて覆いかぶさるようにして周囲の視線から月瞳の君を隠す。
「どうしよう……」
月瞳の君がユハを見上げる。瞳孔がすぼまった目には、動揺の色が浮かんでいる。こんな月瞳の君はみたことがない。ユハは驚き、思わず月瞳の君の肩を掴む。
「姉さんが来た……」
強張った表情でうめくように言った。
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