第12話

「こちらがタウワーリ閣下よりの書簡です」


 カフラが、第四軍将軍の名と共に封がされた筒を手渡した。ラアシュはそれを受け取ると封を切り、中から丸まった紙を取り出す。


「……ああ、タウワーリ殿も大変なようだな」


 書簡を読み終えたラアシュが、片眉をあげるとカフラに顔を向けた。


「と言いますと?」

「イールムの兵力増強が続いているようだ。いよいよ国境くにざかいで煙が上がり始めたな」


 カフラは腕組みすると小さく頷く。


「やはり騎馬の民への北伐に成功したからでしょうな。そちらに割いていた戦力を南に向ける余裕ができたということでしょう」

「この流れを止めたくないのだろうな」


 何かを為す時に、良い兆しや流れ、勢いというものがあることをラアシュも経験で理解している。その運命の潮流とでも呼ぶべき動きを見極め、掴んだ者が成功を手にする。イールム王国にも、その流れを感じ取る者がいるのだろう。それは彼らにとっては幸運の光であり、ウル・ヤークスにとっては災厄の暗闇だ。そして、ラアシュにとっては、そのどちらにもなり得る。


「これで計画は遅れることになりそうですな」


 微かに眉根を寄せたカフラに、ラアシュは肩をすくめて見せた。確かに、第四軍の力がなければ自分たちの計画は成就しないだろう。


「まあ、急ぐこともない。我らも少し躓いてしまったのだからな。歩みを取り返す時が増えたと考えることにしよう」

「ラアシュ様は実に前向きだ」

「物事は常に良い方向に捉えておくと上手くいく。立ち塞がった困難は、その向こうに待つ栄光のための踏み台だ」


 自信に満ちたラアシュの言葉に、カフラは笑って頷く。ラアシュは書簡を軽く叩くと、言葉を続けた。


「シアート人への圧迫も順調とはいえないようだな。さすが何百年と栄えてきた民だ。したたかで隙を見せない」

「ウルスと違って、奴等は団結していますからな」

「そうだな。忌々しいことに、古き歴史を誇るはずのウルス人は皆、自分勝手に好きなことをしている。そのせいで、災厄の主がもたらした呪われた教えに支配されることになった……」


 ラアシュは小さく頭を振ると、手に持っていた書簡を丸める。そして、小さく呪文を唱えた。


 手にした書簡が灰色に染まり、崩れ始める。すぐに塵となって床に落ちた。


「今更、古の時代に戻ることは不可能だ。青銅の眩い輝きは、今やくろがねの鈍い閃きに取って代わられた。巨人たちも災厄の主たちもこの地を去り、伝説と噂の霧の向こうにあった彼方の地は、海と風と道と、行き交う人々によって繋がった。東方の陶磁器や絹も、南洋の砂糖や香辛料も、北の草原の象牙や一角馬の角も、今はもう稀なる宝ではない。世界のあらゆる人々がそれらを携えてこの地に集い、それによって、民は繁栄を享受している。……だからといって、呪われた教えに支配されることが正しいわけではない」


 笑みを浮かべたラアシュは、手についた塵を払い落しながら言う。


「聖王教会は、我らの信仰を歴史の闇の中に消え去った遺物と考えているだろう。そして、やがて来る日に、偉大なる巨人王の教えが古の美しさと頃日けいじつの輝きをもって蘇る。その時、奴らは畏れ、ひれ伏すことになる。その運命の日が楽しみだ」

「その日を切望し、迎えるために尽力いたします」


 カフラが深々と一礼した。ラアシュは笑みと共に頷く。


「ああ、頼りにしているぞ」


 来たるべき栄光の日のために、ラアシュが確実に歩いてきた。彼はその日が来ることを確信している。だからこそ、たとえ険しい道であろうともそこに一歩ずつ歩くことができるのだ。


「ラアシュ様、よろしいでしょうか」


 遠慮がちに室外から呼びかける声に、ラアシュは答えた。


「ああ、どうした」


 部屋に入った文官は、一礼すると言う。


「ラアシュ様に急ぎ面会を求める方々がお越しです。バールク司教の紹介状をお持ちで、その、……聖王教会の異端審問官ということですが」


 報告する文官の顔には困惑と微かな怯えがある。彼は聖王教徒だが、僧職にあるわけではない。ただの信徒が異端審問官に恐れを抱く必要はないのだが、聖王教徒にとっては心騒がせる存在であるようだ。


 ラアシュはそんな彼の様子に苦笑すると、差し出された紹介状を受け取った。そしてそれに目を通す。


「あの気位が高い司教が珍しいな。何とか便宜をはかるようにと、懇願するような文だ。中央の教会からよほど何か言われていると見える」


 カフラは、ラアシュの視線を受けて大袈裟な驚きの表情を浮かべて見せた。


 ラアシュはそのおどけた顔を見て口の端を歪めると、文官に客人たちを通すように命じる。


 しばらくして姿を見せたのは、四人の男女だった。


 先頭に立つのは、ウルス人の男。年の頃は三十代半ばだろう。人当たりの良い笑顔を浮かべた、平凡な印象の男だ。


 その背後に立つ三人。


 鋭い目付きと固く結ばれた口元が険しい印象を与える若いウルス人の男。


 その男とは対照的に悠然とした表情のウルス人の女は、少女と言えるほど若い。


 一番奥に立つ女は、他の三人よりも頭一つ背が高い。ウルス人よりもやや肌の色が濃く、少し異なる顔立ちだ。おそらく、アシス人だろう。整った顔立ちだが、まるで仮面のように表情が動かない。


 四人とも薄汚れた旅装のままであり、女たちも長い髪を結っているため、一見すると僧職であるとは思えない。しかし、異端審問官は身分を隠して活動する者も多く、特に不審なことではなかった。


 皆が揃って一礼する。そして、中年の男が口を開いた。


「初めましてラアシュ閣下。急な面会に応じていただき、感謝いたします」

「問題はない。バールク司教の要請なのだからな」

「ありがとうございます。私は大聖堂より派遣された異端審問官ザゥダムともうします」

「ああ、はるばるアタミラからよくぞ参られた。海の都リドゥワへようこそ。それで、審判の杖を携えた聖なる狩人が、この愚かな世俗の者にどのような用事かな?」


 両手を広げて歓迎の意を表したラアシュに、ザゥダムと名乗った男は丁寧に一礼する。


「我々は、異端の罪を犯した修道女たちを追ってリドゥワまで来ました」

「修道女……?」

「はい。異端を信じ、アタミラで騒乱を起こした者たちです」

「ほう……。興味深いな」


 ラアシュは顎に手を当てると目を細めた。


「いえ、閣下のお心を煩わせるような者たちではありません。ただ、異端の教えに迷って聖なる教えを冒涜し、街を騒がせて財物を損ない民に傷を負わせたために、教会として見逃せない者たちなのです」

「ただの修道女ではないということか」

「はい。とはいえ、迂闊に触れると針が刺さる程度の危険ですが……」


 ザゥダムは笑みを浮かべたまま答える。


「その者たちがリドゥワに潜んでいるというのだな?」

「ほぼ確実なことです。先ほども申しました通り、その者たちは小さな針を持ち、我らに抗うでしょう。万が一にも市中を騒がすことがあるかもしれません。その時に、閣下が我らの事をご存知でない場合、お手を煩わせてしまうことになります。そこで事前にそのことを知っておいていただくことで、混乱を避けることができる。そう考え、参上いたしました」

「つまり、街で騒ぎが起きても見逃せと、そう言うのだな?」


 ラアシュはにやりと笑う。ザゥダムは顔に笑みを張りつかせたまま頷いた。


「リドゥワの皆様のお手を煩わせることはありません。全ては聖界での出来事。皆様は特に気にすることなく過ごしていただければよいのです」

「私は忠実なる信徒だぞ? バールク司教にも頼まれている。もし兵が必要になるのならば、お貸ししよう」 

「ああ、敬虔なるラアシュ閣下に聖女王陛下の祝福があらんことを」


 ザゥダムは深々と一礼すると背後の三人を一瞥して再びラアシュに顔を向ける。


「我らは腕に自信はありますが、聖王教徒として何より平穏を重んじます。穏便にすませることができるのならば、それに越したことはありません。もし必要とあらば、助力をお願いすることと存じます」

「ああ、いつでも申し出るがいい。各部署には知らせておく」


 ラアシュは笑顔で頷くと、言葉を続けた。


「それで、どのような者なのか、私にも教えてくれないか? 市中を見回る兵たちにも報せておけば、異端者たちの捜索の手助けになるのではないかな」


 ザゥダムの表情に一瞬の躊躇が浮かんだことをラアシュは見逃さなかった。すぐにその痕跡を消したザゥダムは、笑みと共に答える。


「異端者は少なくとも三人、あるいは四人かもしれません」

「ほう、曖昧な話だな」

「最後の一人が気まぐれなもので、その三人と共にいるのかどうなのか、はっきりしないのですよ」


 ザゥダムが小さく肩をすくめる。


「ならば三人の事について聞いた方が確実だな」

「ええ。ユハ、シェリウというウルス人の娘、そして、ラハトという男。それが我々が探している異端者です……」


 そして、ザゥダムは三人の容貌や特徴を細かく語った。


 この者たちは碧眼の君を探している。


 ザゥダムの語った名前、特徴から、その異端者たちが下町に暮らす碧眼の君と同一人物であることを確信した。今度は、ラアシュが驚きを表に出さないようにしなければならなかった。ザゥダムの言うことを信じるならば、碧眼の君は修道女だったことになる。そして、今は諸教派の町に匿われている。それも彼女たちが異端者ならば筋が通る。碧眼の君が信じる異端の教えとあの町の者たちが信じるアドゥニ派と何か関係があるのかもしれない。


 あの桁外れな力は、その異端の教えからくるものなのだろうか。異端審問官がはるばるアタミラから追いかけてくることも得心できた。


 真の力というものは、運命を、人を惹きつけ、引き寄せる。


 ラアシュはそう信じている。あの碧眼の君の力も、人を運命の渦に巻き込むまことの力だったということだ。己の眼が確かだったことに満足しながら、目の前にいる者たちにどう対処するべきか、そして、どう利用するべきか考える。この者たちに決して碧眼の君を渡してはならない。


 本心を押し隠しながら頷くと、書記官に合図しながら尋ねる。


「分かった。それらを手配書として各部署に配布しておこう。見付け次第、知らせたいと思うのだが、どこに宿泊するつもりだ? 教会ではないだろう?」

「はい。町に宿をとろうと考えています」

「よければよい宿を紹介しよう。……ああ勿論、そなた達の正体を気取られず、市中に潜む異端者を見付けることに適した宿だ」


 何かを言おうと口を開いたザゥダムは、手で遮って続けたラアシュの言葉に苦笑する。


「実に細かなご配慮に感謝いたします。そこまで言って頂いて断るのは失礼になりますね。ぜひ、紹介していただきたい」


 ラアシュは笑みを浮かべて頷いた。


 そして、ラアシュはカフラや書記官と共に彼らと打ち合わせとした。その後で丁寧に一礼して部屋を出ていく異端審問官たちを見送る。


 諸々の手配に取り掛かるために早足で書記官が出て行ったあと、カフラがおもむろに口を開いた。


「碧眼の君を探していますね」

「ああ。あの力の持ち主だ。聖王教会に目を付けられていてもおかしくはなかったな」

「はい。アドギルの呪詛を破ったことも納得です。……それで、どうされますか?」

「どうするとは?」

「聖王教会が絡んでいるとなれば面倒です。碧眼の君の情報を奴らに流しますか?」


 ラアシュは厳しい表情を浮かべるカフラを見て小さく溜息をついた。


「カフラ……。お前はいつからそんな弱気になったのだ」

「ラアシュ様」

「我らは端から教会を敵と決めている。そうでありながら、お前は、戦う前から降伏することを考えている。情けないとは思わないのか?」


 カフラはふっと息を吐きだすと、口の端を歪めた。


「仰る通りです」

「奴らに碧眼の君は渡さんよ。奴らを出し抜く。その為の策を考えろ」

「はい」 


 カフラは笑みを消すと、恭しく一礼した。







 

「奴から妙な匂いがした」


 長身の女がぼそりと言う。


「は?」


 “薄暮”は振り返る。


「潮の匂いではないのですか?」


 潮の匂いが鼻につくと、リドゥワに到着した時に女は顔をしかめて言っていた。薄暮はそのことを思い出した。しかし、その問いに、女は頭を振る。


「私は潮の匂いは好まん。だが、それと間違えるほど衰えてはおらん」

「あなたに衰えるという言葉は似合いませんよ。それで、奴とは誰の事ですか?」

「太守だ」


 女の答えを聞いて、薄暮は小さく首を傾げた。


「ラアシュ様ですか。妙な匂いというのはどういった類の……」

「旧い者の匂いだ」

「旧い者?」 

「先聖王国紀の偉大な存在を指す言葉」


 “棗”の言葉に、女が頷いた。


「先聖王国紀? 巨人たちとか?」


 “群青”の問いに女が答える。


「まさしくそうだ。奴からは、巨人王の時代の匂いがした」

「まさか、ラアシュ様はその頃から在る精霊とでも仰るのですか?」


 薄暮が驚きの表情を浮かべた。


「いいや、そうではない。古の系譜を受け継ぐ者ということだ。おそらく、巨人王の時代から伝えられた智慧や力を身につけているのだろう」

「どういうことでしょうか……」

「それは私にも分からん。奴に直接聞いてみるしかあるまい。この街には諸教派の信徒も多いのだろう? あるいは古き教派の信徒なのかもしれん」

「だとすれば、異端審問官と名乗ったのは悪手だったかも」


 棗が言う。薄暮は微かに目を細めて振り返った。


「うーむ、教会にも接触すべきではなかったか……。あの三人を相手にすれば、大騒ぎになることは確実ですからね。リドゥワ教区と太守に話を通しておくべきと思ったのですが……」

「それは仕方ないさ。薄暮の判断は正しかったよ。こうなった以上、あいつらも敵として考えておけばいいじゃないか。戦地ではよくあることだろ?」 

 

 群青が笑みを浮かべる。彼を横目で見た薄暮は溜息をつくと頷いた。


「そうですね。ここを戦地と考えれば良い。周りは全て敵。それらをどう利用して目標に近付き、任務を遂行するのか。いつもの仕事だ」

「いいね。わくわくしてきたよ。ああ、早く“羽筆”を殺してやりたいな」

「群青。私怨で目を曇らせるのは許されませんよ」 


 薄暮は群青に鋭い視線を向けた。群青は肩をすくめる。


「分かってますよ。第一に分かたれし子の確保。奴を殺すのは二の次だ」


 その答えに薄暮は重々しく頷く。そして、女に顔を向けた。


「……それで、あの御方は分かたれし子の側にいらっしゃるのでしょうか」

「分からん。だが、この街にいることは確実だ」

「あの方は何を考えておられるのでしょうね……」


 薄暮は嘆息混じりに言った。


「妹は昔からああだった。むしろ、これまでアタミラに留まっていたことが不思議なほどだ」


 女は平坦な口調で答える。


 薄暮はその答えに思わず苦笑した。

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