第9話

 砂塵を蹴立てて、ウル・ヤークス軍は敵を追う。


 完全な逃走にはいったルェキア騎兵は速い。隊列も何もなく、散り散りとなって必死で駱駝を駆っている。一方のウル・ヤークス軍は、あえて追跡する速さを抑えていた。重装騎兵に足並みを合わせていることと、敵が分散しているためだ。そして、敵を見失うことはない。翼人空兵の斥候が空を行き来して、常に敵の位置を把握していた。このまま敵を追い詰めて、再び大きな一撃を与える。その為にはルェキア騎兵が再び集まる機会を待つ必要があった。


 甲高い笛の音が響いた。


 見上げれば、赤い旗を腰になびかせた翼人空兵が舞い降りてくる。この笛は緊急事態を知らせるものだ。先頭を駆けるイハトゥは、進軍の速度を緩め、翼人空兵を待った。


「イハトゥ千人長! お待ちください! この先、歩兵が待ち構えています。その数、およそ四千!」


 イハトゥの恐鳥と並んで飛びながら、空兵が叫ぶ。


「何だと?」


 イハトゥは驚きの声を上げた。そして、考えられる可能性を問いにする。


「カラデア兵か?」

「外套に身を包んでいるため、上空からははっきりとは確認できませんでした。ただ、その武器と姿から見て、おそらくカラデア人ではないかと」

「カラデア人ではない?」

「はい。見慣れない形の槍を持った兵です。それに、それを持つ手の肌の色を見る限り、おそらく黒い人々ザダワーヒではないと思われます」


 その情報はイハトゥを混乱させる。ウル・ヤークス軍以外に、沙海に黒い人々ザダワーヒではない四千もの兵がいることなど有り得るのか。あるいは、カラデア軍の魔術師による幻術の類なのかもしれないが、翼人空兵の観察眼を欺くような四千人の兵士の幻を創り出す幻術など聞いたこともない。


「分かった。他の千人長にも急ぎ伝えろ」 


 イハトゥの言葉に応じて、翼人空兵はすぐさま飛び去った。


「急ぐぞ」


 振り返り、腕を振る。大隊は砂を蹴立てて進軍を速めた。そして、緩やかな坂を上り切った所で部隊を止める。


 イハトゥは、恐鳥を進めると砂丘の頂から見下ろす。

 

 平坦な砂原の向こうにある岩塊群ガノンから少し離れた場所に、日除けの外套に身を包んだ大勢の人影がたたずんでいる。


 散り散りとなったルェキア騎兵たちは、その歩兵たちの左右を駆けて行った。


 粗末な日除けの外套をまとって佇んでいるその姿は、まるで荒野の修道院で修行する修道士のようだったが、彼らが携えている紅や銀に輝く穂先をもった槍は、決して僧侶が持つ法杖には見えない。そして何より、整然と静かに並ぶ様はまさしく訓練された軍隊のものだった。


 歩兵たちに目を凝らす。カッラハ族であるイハトゥの遠目が、槍を握る手、そして頭巾の影にのぞく顔を捉える。その肌の色や顔立ちから、空兵の言う通り黒い人々ザダワーヒではないことが分かった。むしろ、ウル・ヤークスに暮らすウルス人やシアート人のように見える。


 その手に握られた槍は、それほど長い物ではない。長くても身の丈を僅かに上回る程度だったが、その穂先が特徴的だった。まるで剣身のように長く幅広なのだ。紅く輝く槍は、アムカム銅を鍛えた物だろう。歩兵たちの中でも貴重なはずのアムカム銅の槍を持つ者はかなりの数にのぼる。これは、ウル・ヤークス軍からすれば考えられないことだ。これまで戦った敵の中で、あんな槍を使う者たちはいなかった。


 兵たちを観察している間にも、後ろに続いていた大隊がすぐに到着した。


「イハトゥ!」


 二人の千人長が恐鳥を並べた。少し遅れて、呪毯に乗った魔術師たちも現れる。イハトゥは彼らに頷いて見せると、視線を砂原へ向けた。


「あれか……。カラデア軍の味方なのは間違いないようだな」


 厳しい表情でダルファが言う。散り散りになって追跡から逃れたルェキア騎兵は、正体不明の歩兵の背後で再び集結しつつあった。その様子から見て、彼らがカラデアの援軍としてここにいることは間違いないようだ。


「奴らは黒い人々ザダワーヒではありませんね。ウルスやシアートに似ています」


 イハトゥの言葉に、ファウディーンは舌打ちした。


「奴ら、傭兵を雇ったのか?」

「傭兵を? しかしどこから」

「黒い人々ザダワーヒではないのだろう? だとすれば、北の山脈の向こうかもしれない」


 眉根を寄せたイハトゥに、ファウディーンは答える。


「それは考えにくいでしょう。あの難所を越えてまで傭兵がやって来るとは思えませんよ」


 北の山脈は、雲を貫く高峰がまるで城壁のようにそびえ立っている。一部の命知らずの隊商がその向こう側まで行き来していることは知っているが、あんな大兵力が行軍できるとは思えない。あるいは行軍できたとしても、山々の向こうのラーナカ連合や遊牧の民が募兵に応じるだろうか。こんな土地まで仕事を探しに来なくとも、内海に争いは絶えず、雇主はいくらでも見つかるはずだ。


「……そうだな。だとすれば、奴等は何者だ?」

「分かりません」


 イハトゥはそう言って頭を振った。ファウディーンは頷くとダルファを見た。


「ダルファ殿はどう考える?」

「俺にも見当がつかん。だが、今の問題はそこではない。奴らをどうするのか、それを考えるべきだ」

「……叩き潰すべきだ。ここであの戦力を放置すれば、体勢を立て直したルェキア騎兵と共に危険な戦力になる」

「うむ。俺も同じ考えだ。イハトゥ、お前の考えは?」

「それは……」


 退くべきだ。そう口にしかけて言いよどむ。


 ダルファはイハトゥを見て、右眉を上げた。


「お前にしては珍しいな。何かあるというのか?」

「いえ……、何というか、……嫌な感じがするんです」


 イハトゥは、対する歩兵部隊とこの状況から感じる奇妙な感覚をうまく言葉にできない。もどかしさを感じながら、二人を見た。


「嫌な感じ? しかし、奴らが何を仕掛けてくるというんだ? 伏兵を隠していたならば、空兵が見つけているはずだ」

「……そうですね」


 ここから見える景色には、連なる砂丘と点在する岩塊群ガノンが見える。しかし、それは翼人空兵によって偵察されており、伏兵を隠すことは出来ないだろう。


「何か魔術が仕掛けられていると思うか?」

「少しお待ちください」


 ダルファの問いに、魔術師は頷くと目をつむった。呪文を唱えながら、右腕を上げる。そして、掌を砂原へと向けた。しばしの詠唱の後、魔術師は目を開き、皆を見る。


「何らかの法陣が敷かれている気配はありません。儀式や召喚の痕跡もなく、大きな超常の力を感じません。魔術的な罠はないでしょう」

「そうか……」


 イハトゥは頷いた。そして、頭を振って己の弱気を振り払う。突然現れた正体不明の兵を見て自分は動揺しているのか。イハトゥは沸き上る不安の原因をそう推測して、己を叱りつけた。ダルファはイハトゥを見た後、片頬を歪める。


「お前もとうとう慎重という言葉を学んだようだな」


 その言葉に、イハトゥは肩をすくめて応えた。


 ダルファは視線を敵陣へ向けると強い声で言う。


「奴等を攻める」


 その言葉に、二人は頷いた。ダルファは千人長たちを見やる。


「兵の様子はどうだ?」

「我が大隊は今だ戦意旺盛。ただ、初戦における矢の応酬で大量に消費したために、残りが少なくなっている。これまでのような、景気よく矢を放り捨てるような矢戦を繰り広げるわけにはいかないだろうな」


 ファウディーンの答えに、ダルファは頷いた。当然ながら、それはイハトゥの大隊も同じ状況だ。歩兵部隊と輜重部隊は背後に置いてきている。今、矢を補給することは出来ない。


「それは我が隊も同じだ。大きな一撃を加えるためには白兵戦を挑むしかあるまい」

「敵の武装を見れば、我らの重装騎兵が圧倒的に有利だ。問題はないだろう」


 重装騎兵の突撃には、古来より隊列を組んだ歩兵たちが長槍を連ねた槍衾が対抗手段となっている。騎馬の民を多く兵に擁するイールム王国に対抗するために、エルアエル帝国で発達したこの戦術は、長い戦乱の歴史の中でウル・ヤークス王国にも伝わっている。高度に訓練された槍歩兵ならば、巧みな陣形と長い槍によって、凄まじい騎兵の突撃を阻み打ち破ることができた。ウル・ヤークス王国、エルアエル帝国、イールム王国の三国は、重装騎兵、軽装騎兵とこれらの歩兵を組み合わせて戦うことを戦術の基本としている。しかし、それは潤沢な軍費や訓練に専念できる軍隊を持てる三大国だからこそ実現できることで、中小の諸国や小部族では望むべくもないことだった。


 対峙する歩兵たちやルェキア騎兵と、ウル・ヤークス軍三大隊の兵数を比較すると、こちらが不利と言える。しかし、歩兵たちの携える槍は、歩兵同士の戦いには威力を発揮するだろうが、決して重装騎兵の突撃に有効な物とは言えない。これまで第三軍が戦ってきた異教徒や蛮族のように、あの歩兵たちも重装騎兵の嵐のような蹂躙に抗することは出来ないだろう。


 ダルファはイハトゥに顔を向けると言う。


「……よし。イハトゥ麾下の大隊は我らの大隊より遅れて攻撃を開始せよ。状況に応じて両大隊を援護するのだ。もし罠があれば、これを食い破れ!」

「はっ!」


 イハトゥは胸に手を当ててその命に応じた。 


 すぐさま命令が行き交い、大隊は隊列を組み始める。騎兵槍を構えた重装騎兵たちが前衛に進み出て、残り少ない矢を携えた軽装騎兵が後衛に控える。


突撃横隊ワアディカウ!!」


 号令が下される。二つの大隊はあっという間に攻撃の意思を形に変えて、喚声と共に駆け出した。


 横に広がった両大隊は、このまま両翼から挟むように歩兵を攻めたてる。両方向から歩兵の隊列に切り込み、切り裂き、切り刻むのだ。


 緩やかな斜面を騎兵たちは駆け降りる。背後に砂塵の幕を作り出しながら、その速度はぐんぐんと増していく。


 イハトゥはその様子を見ながら、自分の大隊にも指示を出す。背後や側面から伏兵が現れたならばそちらへ兵を向ける。あるいは思いもしない反撃を受けたならば援護として駆けつける。そういった様々な状況の変化に即座に対応できるように、中隊単位で隊を分けて敵を攻めるつもりだった。


 油断なく戦場を見ていたイハトゥは、違和感に襲われて目を凝らす。次の瞬間、かつて荒野で見かけた狩りの光景が脳裏に浮かぶ。野生の恐鳥の群れが、一頭の山羊を追い詰め取り囲んでいた。


 何かが来る! 


 恐怖にも似た感情が沸き起こる。思わず叫びそうになるのをこらえた。


 大隊が駆け降りた砂原のあちこちで、水面に水しぶきが上がるように、砂塵が舞い上がる。


 まるで荒野に瀝青れきせいが湧き出るように、白い砂原に黒い何かが這い出してきた。

 

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