第8話

 突如戦場に現れたその化け物は、その巨体をもって騎兵の列を蹂躙した。


 木の洞に吹き込んだ風の音のような奇妙な鳴き声をあげながら、次々と恐鳥を、駱駝を、そして兵たちを跳ね飛ばす。二本の足で立ち上がって白い鉤爪を振るい、四本の足で隊列に跳びこみ、三日月のような口を開いて牙を剥き出しにする。そうやって、四体の魔物は一つの塊となって戦場を傍若無人に駆け、兵たちに出血を強いた。ウル・ヤークス軍の整然とした隊列は、超常の暴力によって分断され、蹴散らされて乱れる。


 この巨大な魔物は、後退するルェキア騎兵たちへの追撃を遮るように戦場を進んでいる。すぐに縞馬騎兵もその動きに追従して、砂塵を巻き上げ駆けながら、ルェキア騎兵の盾となった。


 この大きな援護を助けとして、ルェキア騎兵はウル・ヤークス軍の攻勢によって乱れ、細切れになっていた軍勢を立て直しながら後退していく。


「こいつが奴らの切り札か……」


 その圧倒的な暴力を見て、イハトゥは呟く。しかし、この力を投入するには遅きに失したといえるだろう。せっかくこれだけの突進力を持った“兵器”を、防戦に駆り出すのは無駄使いというものだ。


 イハトゥは、矢や槍を受けてもひるまない化け物を見て、妖魔や精霊の類だと確信する。各部隊を行き交うための伝令兵を呼び出した。


「敵は超常のものだ! 急ぎ後衛に向かい、歩兵部隊と魔術師たちを呼べ!」


 命令を受けて、伝令である翼人空兵は羽ばたいた。戦場より少し離れた場所で、歩兵部隊や輜重部隊、そして聖導教団の魔術師が待機している。今回の戦いで彼らの出番はないと考えていたが、それは間違いだったようだ。  


 現世うつしよの武器が通用しない精霊や妖魔を相手にするには、現状では魔術師を頼るしかない。イハトゥや一部の将校の武器は力を帯びているために魔物に傷を負わせることができるが、一般の兵たちがもつ武器はそうではない。紅旗衣の騎士がいれば立ち向かうことができたのだが、彼らは今回は同行していない。一般の兵士がこのまま戦っていてただ壁としての役割しか果たせない。徒に被害が増えるだけになるだろう。


 しかし、魔術師たちがやって来るまでただやられているわけにはいかない。何より、このまま黙ってやられているのはイハトゥの性分に合わない。彼は、化け物に対抗すべく命令をくだそうとした。その瞬間。


「伝令!」


 翼人空兵がイハトゥの元に舞い降りた。イハトゥは右手を上げて報告を許可する。


「我が大隊は妖魔に『投網』をしかける。イハトゥ千人長麾下の部隊は我が大隊を援護せよ、とダルファ千人長の命令です!」

「くそっ、先を越された!」


 イハトゥは思わず叫んだ。伝令兵が驚くのを見て、イハトゥは舌打ちすると頷く。


「了解した。我が大隊はダルファ千人長を援護する」

「はっ!!」


 伝令は一礼するとすぐに飛びたった。


 第三軍は討伐軍、遠征軍としてあらゆる敵と戦ってきた。その敵は時として、イールムの戦象部隊や巨犀部隊、彷徨える魔物や竜、異教徒のまじない師に使役される妖魔、そういったただの騎兵や歩兵とは全く異質な兵種であることも珍しくない。ウル・ヤークス軍は、そんな敵と戦うために様々な戦法を編み出してきた。


 『投網』とは、そうやって編み出された陣形の一つで、大型の動物や魔物を相手にするために用いられるものだ。


 ダルファ率いる大隊が散開を始めた。  


 中隊、小隊単位に分かれた騎兵たちは、飛び交う号令に従って、砂塵を巻き上げながら駆ける化け物たちへ向かう。 


 暗闇色の魔物が近付いて来る。


 一番近くにいた部隊が一斉に矢を放った。矢を浴びた魔物たちは、砂を投げつけられた、あるいは無数の羽虫にたかられたかのように頭をかばい、煩わしげに動きを止める。あるいは痛みを与えているのかもしれない。その大量の矢は傷を負わせることはできないが、魔物の動きを牽制することはできるようだ。


 転がる大岩に正面から挑むのは愚かなことだ。『投網』は、凄まじい突進力をもつ敵を相手にするための陣形であり、戦い方でもある。広く散らばった兵たちは、それぞれが地形や敵の速さに応じて役割を変える。それは、高度に訓練され、統率された部隊でなければ不可能なことだった。そして、第三軍は常にその水準にいる軍団だ。


 矢を放った部隊はすぐに魔物たちから離れた。続けて反対方向から、別の部隊が矢を放つ。その矢の雨は、反撃のために動き出していた魔物たちの動きを牽制した。入れ代わり立ち代わり、次々と部隊が矢や投槍を放ちながら魔物たちを攻撃する。時に挑発するように接近し、時に遠巻きにして数部隊が同時に集中攻撃を行う。暗闇色の魔物の足は速いが、全速で駆ける駱駝や恐鳥には及ばないようだ。立ち向かう兵たちはそれを理解して有効な距離を保ちながら騎獣を駆っている。


 そうして、白い砂の大地の上で、精鋭たちは勇壮な巻き狩りが繰り広げられた。まさしく、『投網』は狩りのための陣形なのだ。


 怪物を相手にしているダルファの大隊は、散兵となって戦場にいる。それは、他のカラデア軍兵から見れば格好の獲物となる。それを守るのがイハトゥの大隊だ。喚声と共に迫る縞馬騎兵やルェキア騎兵を遮り、相手取り、追い払う。


 そして、変わることなくカラデア軍を追うのが、ファウディーン率いる大隊の役割だ。ダルファ麾下の大隊が暗闇色の魔物を引き受けている間に、後退するルェキア騎兵を容赦なく襲う。イハトゥは自分の大隊を分けて、そちらの援護も行った。イハトゥとファウディーンの大隊の動きによって、ルェキア騎兵も縞馬騎兵もダルファの大隊ばかりを狙うこともできず、その戦力は戦場に広く拡散した。


 四体の化け物や縞馬騎兵は、『投網』を振り切って何度となくファウディーンの大隊の追撃を阻止しようとしており、ウル・ヤークス軍に損害を与えるのではなく、ルェキア騎兵たちの撤退を援護する役割に徹していることが感じられた。


 粘り強い撤退戦だ。


 ここで総崩れになれば思うが儘に蹂躙されることを理解しているのだろう。意地でも踏みとどまり、何とか軍隊としての形を保とうとしている。攻守が目まぐるしく入れ替わり、統率された意志と混乱が激しく交錯し、押し合い、混ざり合う。こんな混沌とした戦場は、イハトゥにとって初めての経験だった。これまでの戦いは、圧倒的な戦力を以ていかに早く効率的に敵を征するか。そういうものだった。しかし、今は違う。敵は劣っているとはいえ十分な脅威となって自分たちに抗している。気を抜けば、こちらが食い殺されるだろう。決して油断できず、緊張を強いられる。それは彼に大きな喜びをもたらす。これが、戦というものだ。勇敢なるルェキア騎兵に礼を言いたいくらいだった。


「ああ、最高だな……」


 イハトゥは口元を微かに歪めて呟く。


 そうして、両軍は入り乱れ争いながら、大きな塊となって徐々に西へと移動していた。


「イハトゥ千人長! 魔術師殿です!!」


 兵が叫ぶ。


 振り返れば、砂丘を駆けあがって来る長身の兵士たちと、空を飛ぶ絨毯に乗った三人の男が見えた。


 異様なまでに腕の長い兵士たちは、大きな盾と槍を携えている。聖導教団に属する造人兵だ。彼らに囲まれるようにして砂丘の上に浮いている呪毯は大きなもので三人の魔術師を乗せても余裕があった。


 イハトゥの前で地面に着地した呪毯から三人の魔術師はおりる。そして、イハトゥに一礼した。


「イハトゥ千人長、お待たせしました」  

「魔術師殿、待ちかねたよ」


 イハトゥは笑みを浮かべて頷いた。 


「なるほど、あれが、我らが呼ばれた理由ですな」


 砂丘の上から戦場を見下ろし、魔術師はイハトゥに顔を向けた。暗闇色の魔物が渦の中心となり、戦場は混沌を極めている。


「そうだ。さすがにあれを俺たちだけで相手取るのは厳しい」

「あれはかなり力を持った精霊ですね。確かに、我々の出番のようだ」


 その言葉に眉根を寄せる。覚悟はしていたが、精霊というからには高度な術法で呼び出された存在ということになる。


「精霊……。勝てるのか?」

「何とかするために我々はここにいます」


 魔術師は気負うことなく言った。それはまるで職人や大工が家具や家を直すかのような口振りで、イハトゥは思わず苦笑する。


「俺たちはどうすればいい?」

「そうですね、あれを相手に悠長に法陣を敷くわけにはいきませんから、少々強引な手で行きましょう。あれを我々の方へ導いてもらえますかな?」

「大丈夫か?」

「勿論、まともにぶつかれば我々もただではすみません。そのために造人兵を連れてきました。イハトゥ殿にも、我々が踏みつぶされないように踏みとどまって守っていただきたいのですが」

「ああ、分かった」


 イハトゥは頷くと、遅れてやって来た歩兵たちに指示を出す。そして、重装騎兵たちにも騎獣からおりることを命じた。次いで、翼人空兵を呼ぶ。


「ダルファ千人長に伝令! 我が方、魔術師を擁して魔物を待つ! こちらへ誘導せよ!!」

「はっ!」


 翼人空兵はすぐさま飛び立った。


 数個中隊と魔術師たちは、砂丘の斜面半ばへと移動する。そして、魔術師たちの前に、兵たちは盾と武器を構えて壁を作った。イハトゥの指示によって大隊旗が高々と掲げられる。

  

 二人を率いていた魔術師が弓を持った。それは、遊牧の民が使うような短弓よりも長いものだが、幾つもの素材を張り合わせたものではなく、一本の木から作った物のようだ。全体を細かな彫刻が彫り込まれており、武器というよりも芸術品のようだった。


「それで射殺すのか?」


 イハトゥはたずねる。魔術師は頭を振った。


「私は弓兵ではありません。弓術の腕も大したものではありませんよ。ただ矢を放つだけで、まともに的に当てることもできません」


 答えながら、弓に矢がつがえられる。その矢にやじりはなく、木の実のような形のものがついていた。


「これは、術法を導くための道具です。この矢が力を導き、向かう先へと届けてくれる」


 そして、矢をつがえたまま弦を弾きはじめた。低く唸るような音が断続的に鳴る。


 彼に従う二人の魔術師は、手に青銅の小さな鐘を持つ。そして、陽光を浴びて眩く光る鐘が大きく振るわれた。同時に振るわれた鐘の音は弦の発する音と調和し、戦場の喧騒の中でも奇妙なまでに良く響いた。


 弓矢を手にしたまま、魔術師は言葉を紡ぎ始めた。イハトゥには理解できないその呪文は、独特の音律とともに周囲の空気を変える。青銅の鐘も、規則的に鳴り響く。


 投網に追い立てられて、暗闇色の精霊たちがこちらへ駆けてくる。近付いて来る精霊を正面から見ると、その迫力と圧力は並ではない。


 魔術師は弓弦をゆっくりと引絞ると、矢を放った。


 笛の音のような甲高い音と共に矢は飛ぶ。


 もし不可視の力を観ることのできる者ならば、その矢が黄金の波を引き連れているように見えただろう。


 矢は精霊たちの傍らを掠めて行った。


 次の瞬間、先頭を駆けていた精霊がつんのめった。そして、そのまま砂の上を転がる。続く精霊たちも、その足を止めた。身をよじり、苦悶しているように見える。砂塵が激しく巻き起こり、精霊たちを覆った。追い立てる兵たちは視界が遮られて、迂闊に攻撃を仕掛けることができない。距離をとって様子をうかがう。


 舞い上がっていた砂塵がおさまり、一柱の精霊が姿を消していた。代わりに、地に伏せる人影が見える。残った三柱の精霊が身じろぎをする。 


「なるほど、巫者のように我が身に精霊を憑りつかせているのか。興味深い……」


 構えていた弓をおろした魔術師が感嘆の表情を浮かべた。


「やったのか?」

「いえ、失敗とはいえませんが、成功だとも言い難い。まだ三柱残っていますから。この術法に耐えるとは、やはり強い力を持っている存在ですよ」


 頭を振りながら、次の矢をつがえた。そして、イハトゥを見る。


「イハトゥ千人長、是非とも彼らを捕らえたいのですが」


 こんなところまで来て研究熱心な奴らだ。イハトゥは呆れながら肩をすくめる。


「それは俺たちの仕事じゃないな。退けることに成功したら手伝うよ」

「ありがたいですね」


 魔術師は頷く。再び弓弦と鐘の音が響いた。 


 次の瞬間、暗闇色の精霊たちは弾けるように動いた。地に伏している一人を抱え上げると、反転して駆け出したのだ。


「逃げるのかよ!」 


 イハトゥは思わず叫ぶ。 


 どうやら、魔術師の術法は彼らにとって大きな脅威だったようだ。次の術を喰らっては負ける。瞬時にそう判断したのだろう。これまでの奮戦が嘘のように、一目散に戦場を駆けている。放たれた魔術の矢も届くことがなかった。


 それは最後の一線だった。


 戦場から精霊が逃走したことが、ルェキア騎兵たちの士気を挫いたのだろう。彼らは、次々と逃げ出した。


 伝令が行き交い、ダルファの命令がくだる。 

 

 大きな砂塵を上げながら潰走する敵を追って、ウル・ヤークス軍は、西へ駆けた。

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