第7話

 雲霞のごとく、矢の群れが飛び交う。


 風を切る死の呼び声が、次々と兵を、騎獣を打ち倒した。


 両軍の矢の応酬は、やはりウル・ヤークス軍が優勢だった。互いには駆けながら矢を射かける騎射の技量にほとんど差はないが、軽騎兵たちが鞍上から放つ矢は、飛距離においてはルェキアの駱駝騎兵よりもまさっている。そして、ルェキア騎兵に遅滞や乱れが見られるのに対して、ウル・ヤークスの兵たちは号令一下、一つに繋がった鎖のように滑らかに動く。この連携の違いは戦場では被害の違いにもなった。


 確実に被害を受けながらも、ルェキア騎兵は退かない。しかし、正面からぶつかることも避けているようだった。常に戦場を駆け回り、矢戦に徹している。その為、ウル・ヤークス軍も決定的な一撃を与えることができずに、引きずられるようにしてルェキア騎兵に対していた。


 逃げると見せかけて迫り、反撃を受ければ退く。 


 ルェキア騎兵は巧みな進退を繰り返し、矢の届く距離に留まっている。彼らはこの追跡劇を演じ続け、灼熱の太陽の下、ウル・ヤークス軍を疲弊させるつもりなのだろう。


 しかし、イハトゥは彼らの爪弾く竪琴ウードに合わせて踊らされるつもりはなかった。


「部隊を後退させろ! 緩やかにイラ!! 射撃続行ハッタ!!」 


 恐鳥の鞍上からイハトゥが命令する。


 指揮下の部隊は、 簡略化された戦言葉いくさことばに即座に反応し、矢を放ちながらゆっくりと後退を始めた。


 ウル・ヤークス軍の射程を保ったまま後退されてしまえば、ルェキア騎兵はただ撃たれるままになる。それを嫌ってだろう、彼らは部隊を追った。


「第三中隊、第四中隊! 両翼に展開バドゥ! 敵の移動を妨害しろ!」


 その機を見計らって、イハトゥが叫んだ。


 二つの中隊が長い隊列から弾けるように突出して、左右に分かれた。矢を放ちながらルェキア騎兵に迫る。


 大きく両手を広げるように向かってくる敵の部隊に慌てたのか、ルェキア騎兵たちは口々に何かを叫びながら部隊を反転させようとする。しかし、それは部隊として統一された動きではない。そこに混乱が生じる。


「敵部隊中央で連携が乱れるぞ。第一中隊、突撃!!」


 敵の隊列にさざ波のように生じた乱れの兆しを見てとり、イハトゥが叫んだ。 


 第一中隊は、鎖甲の上に硬く加工された革の胴鎧や手甲、足甲をつけ、盾と騎兵槍を持った重装騎兵だ。同じように皮革の装甲を身に着けた恐鳥を駆り、凄まじい速さで敵に迫った。


 彼らは喚声を、ルェキア騎兵は悲鳴を叫ぶ。


 左右から牽制されて波打つように乱れた隊列からは、ほとんど迎撃の矢は飛来しなかった。反転、逃走、反撃。様々な動きを見せて混乱したルェキア騎兵の隊列の中に、重装騎兵が跳び込む。


 鉄と蹴爪の塊は、駱駝の群れを引き千切った。 


 隊列を切り裂かれ、踏みにじられたルェキア騎兵たちは混乱に陥る。重装騎兵たちは、突き刺し、切り払い、隊列を突っ切った。


「第二中隊! 好機を逃すな!! 突撃横隊ワアディカウ!!」


 その瞬間、イハトゥが命じる。


 同じく重装騎兵である第二中隊は、流れるような動きで横に広がりながら槍を構えて駆け出した。


 隊列を食い破った第一中隊は鎚に、第二中隊は金床かなとことなってルェキア騎兵を激しく打つ。乱打された彼らは、蹂躙され、激しく血を流した。


「すり潰すぞ……」 


 敵を手中に収めた感覚に、イハトゥは笑みを浮かべる。


「後方より、敵騎兵接近!」


 兵の叫びに振り返る。砂丘の向こうから、縞馬に跨った騎兵部隊が駆け降りてくるのが見えた。


「後ろをとられたか」


 イハトゥは舌打ちする。縞馬騎兵は戦場を大きく迂回して、意図したのか分からないが、ルェキア騎兵を囮にしてこちらの後ろに回り込んだのだ。


 甲高い舌を鳴らすような喚声ととともに、縞馬騎兵が迫る。おそらく、その数は百騎から二百騎。


「第五中隊! 弓構え! 迎え撃つぞ!」


 イハトゥの周囲を守っていた重装騎兵が素早く反転した。矢をつがえ、縞馬騎兵に向ける。


「……これでこそ戦場だ」


 長剣を抜いたイハトゥは獰猛な笑みを浮かべた。ウル・ヤークスにいた時には感じることができなかった、不安や焦りにも似た感覚。それは、イハトゥに喜びをもたらす。


 巻き上げる砂塵を背に迫る、赤と青の鮮やかな軍衣をまとった騎兵たち。掲げた槍の穂先の輝きを見つめながら、距離と機を計る。そして、右手を上げた。


「放て!!」


 命令一下、矢が放たれる。


 縞馬騎兵たちは、複雑な紋様が描かれた大きな盾を構えて怯むことなく向かってきた。矢の雨が不運な騎兵たちを打ち倒すが、ほとんどの者が矢を盾や体に突き立てたまま迫る。そして、次の矢をつがえた兵たちへ向かって次々と投槍を投じた。


 凄まじい衝撃が騎兵たちを襲った。槍は胸甲や鎖甲を貫く。大きな音と苦悶の声をあげて、重装騎兵たちは次々と鞍上から転がり落ちた。


 喚声とともに、縞馬騎兵が迫る。もう矢をつがえている距離ではない。重装騎兵は鞍に預けていた槍をとった。縞馬騎兵も、長い柄を持つ槍に持ち替え、その穂先をこちらに向けている。


 騎兵の武器は、何より突進力だ。ここに突っ立っていたままでは、その武器を自ら捨てることになる。


「迎え撃つぞ! 歓迎してやれ!」


 イハトゥは叫んだ。兵たちは喚声で応じると、槍を構えて恐鳥を駆る。


 縞馬騎兵の隊列が速度を増した。まるで吸い出されるかのように、隊列の中央が突出してくる。


 眼前に突き付けられた、鋭い槍の切っ先。イハトゥの脳裏にイメージが浮かぶ。


両翼に展開バドゥ! 死の翼!!」


 己の中の警鐘に従って、イハトゥは叫んだ。


 縞馬騎兵の隊列は、横隊からまるで錐のような、やじりのような形に変わった。ほぼ同時に、第五中隊も命令に従って横隊だった隊列が翼のように緩やかに弧を描いて広がっていく。死の翼とは、陣形の名だ。部隊の中央が敵の攻撃を受け止め、広がった両翼が包み込むようにして包囲して攻撃する。その翼が大きく広がることによって、敵を左右からだけではなく、背後からも挟撃することができる。しかし、それは兵の数が多ければ可能になることで、こちらに迫る縞馬騎兵と第五中隊は数では拮抗しているために敵の背後をとることは難しい。


 縞馬騎兵と恐鳥騎兵が激突した。槍が交差し、騎手たちを打ち払い、貫く。


 隣の兵が正面から槍を受け止め、衝撃に耐えきれずに落鳥した。


 イハトゥは迫る穂先を剣で跳ね上げると、返す刀で騎兵を切りつけた。首筋から血を噴き出しながら、仰け反った騎兵はイハトゥの横を通り過ぎる。横合いから迫る槍を切り払い、反撃の一撃を加えようとしたが、すでに敵はその場にはいない。


 驚いて周囲を見回すと、縞馬騎兵たちは一合、二合と刃を交えただけで、そのまま馬を進めている。鏃となった彼らは、ただ傷口をえぐり、貫くために一つになる。


 鋭い切っ先となった一群が切り開いた傷口に、次々と騎兵たちが殺到する。第五中隊の騎兵たちは決して弱兵ではない。押し寄せる反乱者をその盾で押しとどめ、攻め寄る異教徒をその槍で血祭りにあげてきた。しかし、縞馬騎兵を駆る黒い人々ザダワーヒの武勇も凄まじい。鉄にくるまれた重装騎兵を圧倒さえしている。その暴威は、ついには第五中隊の守りを食い破った。


 その槍でこじ開けた穴を、縞馬騎兵たちは次々と駆け抜けていく。


 乱戦になる。そう覚悟していたイハトゥを裏切り、縞馬騎兵たちは武勇を振るうためにその場に留まることはなかった。広げた両翼の包囲も間に合わない。激突で生じた隊列の乱れをすぐには立て直すこともできず、敵を止めることができなかった。十数人の骸をその場に残し、縞馬騎兵は第五中隊の隊列を突破する。


「くそっ! もうちょっと遊んで行け!」


 恐鳥をめぐらせたイハトゥは、舞い上がる砂塵の向こうの騎兵たちを睨み付け、出し抜かれたという口惜しさを言葉として吐き出す。


 縞馬騎兵は第二中隊の背中目掛けて襲いかかると、そのまま中隊を蹂躙していった。それに助けられたルェキア騎兵たちは、ほとんど隊列を維持できないまま、彼らと共に逃れていく。


 イハトゥは第五中隊を取りまとめると、その後を追った。






「くそ、やはり手強いな……」


 キエサは呟いた。 


 ひときわ高く連なる砂丘の上から見下ろす戦場では、自軍が劣勢であることが見て取れる。


 出来るだけ白兵戦には持ち込まず、走り回り、矢戦に徹し、相手の兵力を削る。それが彼らの戦いの指針だったはずだ。


 しかし、その思惑は見事に狂い、ルェキア騎兵はウル・ヤークス軍に追い回されている。


 蟻の民、キシュガナンたちの元まで敵を引きずり込み、叩く。その為には、真意を悟られない程度には劣勢にならなければならない。そう考えていたが、やはり敵は甘くない。しかし、それは分かっていたことだ。たとえ傷つくと分かっていても、茨の枝を手繰り寄せるしかない。血を流しながらでなければ、手にすることができない物もある。


 徐々に戦場を西へ移動させる。 


 そのために、劣勢を装い敵を引きずり込まなければならない。いや、実際に自分たちは劣勢なのだ。血を流し、抗いながら、それでもなお耐えるしかない。そして今自分にできることは、流れる血を出来るだけ少なくすることだ。


 キエサは戦場を俯瞰で眺めながら、次々と指示をくだす。 


 傍らで座るカドアドが、凄まじい形相で砂に手を当てていた。砂文を送っているのだ。キエサの指示は記号となってルェキア騎兵たちの前に現れる。ルェキア騎兵たちは、その指示に従って攻撃、後退、移動をしている。複数の部隊に間断なく砂文を送り続けているカドアドには疲労の色が濃い。この何倍もの作業をダカホルはこなしていたが、それが尋常なことではなかったことが理解できた。


 甲高い鳴き声が響いた。


「我らの出番だな」


 空からの声に見上げる。羽ばたく灰色の洋鵡は舞い降りると、キエサの肩にとまった。キエサは横目で洋鵡を見ると頷く。


「ああ、頼む」


 その言葉に応じるように、砂丘の陰から巨体が姿を現した。


 のそりと歩いて来るそれは、まるで象のような大きな体だった。四足の動物のような姿だが、どんな動物にも似ていなかった。ずんぐりと丸みを帯びた体形は、あえて言うならば熊に近い。全身は夜の水面のように暗く、そして月明かりに照らされているように微かな輝きを帯びている。その頭は小山のような形をしており、その中心には仮面がついていた。ラ・ギ族の仮面はその巨体に対してあまりに小さく、それを顔と呼ぶのは躊躇われた。


「こいつは……」


 キエサは呆然とその巨体を見下ろす。


 ワンヌヴたちが戦いに加わることは分かっていたが、間接的に魔術を使うのか、あるいは獅子か豹にでも変化するものだと考えていた。それが、こんな見たこともない巨大な姿で現れるとは思ってもいなかった。


 砂丘の向こうから巨体は次々と現れる。四体の巨大な怪物は、キエサの前に立った。


 駱駝たちが不安そうに鳴き声を上げる。手綱を強く引いてなだめた。

 

「その姿はユトワの生き物に化けたのか?」


 キエサの問いに、洋鵡が甲高い鳴き声を上げる


「生き物ではないぞ。精霊をこの身におろしたのだ」

「精霊?」 


 見つめた巨体の仮面の下に線が生じ、まるで笑うかのように大きく開く。そこには無数の白い牙があった。


「そうだ。我が一族と結ばれた精霊だ。名を『千年木バオバブの影』という。この精霊は強いぞ? 安心して我らに任せるがいい」

「ああ、心強いな……」


 キエサは四柱の精霊を見て大きく息を吐き出した。


 戦場に目を移せば、敵の攻勢は強まっている。すぐにでも助けを向けなければならない。


 ワンヌヴもそれを見てとったのか、洋鵡が言う。


「急いで向かうことにしよう」

「頼む。……いいか、無理はするなよ? まだ本番じゃないんだ」

「分かっている。この身に精霊をおろしておけるのも限界がある。そうなれば戻って来よう」


 キエサは深く頷く。そして右手を上げた。


「戦場をかき回してくれ」



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