第21話

 ハサラトが、シアタカが、そしてエンティノが吼えた。


 三人の顔に、全身に、黒く禍々しい紋様が浮かび上がる。


 ハサラトは跳躍した。その動きはまるで獲物に跳びかかる獣のようだ。手にはすでに剣が握られている。


 槍を構えて迫っていた戦士は、ハサラトの動きに驚いたのか、慌てたように足を止め、槍を繰り出した。


 迫る鋭刃を、剣で打ち払う。


 剛力に槍を弾かれた戦士の体が崩れる。ハサラトは、動きを止めることなくそこへ飛び込んだ。肩からぶつかると、その力に抗しきれずに戦士は仰け反るように倒れる。


 ハサラトは、倒れた戦士に一瞥をくれることもなく、小さく剣を振りぬき、そのまま傍らを駆け抜けた。


 首筋を切り裂かれた戦士は、傷を抑えながらのた打ち回る。


「……折角、気分良くやってたってのによお」 


 ハサラトは呟く。すでに、目の前には驚愕の表情を浮かべた戦士がいた。


「台無しにしやがって、蝿たかりの糞野郎どもが」 


 呟きを宙に残して、ハサラトは這うようにして跳び込む。槍をかいくぐり、伸ばした剣尖は戦士の足首を切り裂いた。


 悲鳴をあげて倒れた戦士の胸へ、切っ先を突き込んで黙らせる。


 横合いから大槍が振り下ろされた。


 その斬撃を受け流しながら、斜めの方向へ駆ける。


 その動きを捉えきれず、横合いから繰り出された別の槍は空を切った。


 引き付けろ。


 一瞬、振り返る。


 シアタカは、エンティノを支えている。


 全ての戦士を引き受けることはできないだろうが、ここで自分がかき回す事で、二人の所へ向かう敵を一人でも減らすことができる。シアタカたちが体勢を立て直す時間を稼ぐことができるはずだ。


 ハサラトの凄まじい速さに動揺したのか、戦士たちの動きが一瞬止まった。


 一人の戦士が大声で何かを叫ぶ。キシュガナンの言葉のために、ハサラトには何を言ったのかは分からない。


 しかし、その声に応じて、五人の戦士たちが足並みを揃えてゆっくりとハサラトの前に広がった。


 囲まれる前に崩す。


 ハサラトは素早く敵に迫った。


 戦士たちは互いに声を掛け合うと、ほぼ同時に槍の穂先を連ねて突き出した。


 巧みな連繋とは言い難かったが、それでも刃の壁として、ハサラトの突入を妨げる。


「優秀な奴らだぜ」


 攻めあぐねて踏みとどまったハサラトは舌打ちした。 


 攻撃を阻んだ戦士たちの動きは、昨日と今日の訓練で教えた、ウル・ヤークスの槍兵のための連繋だ。それを早速実践してくるのだから恐れ入る。ここに集った戦士たちは優秀だと肌で感じていたが、ここまで対応してくるとは驚きだった。


 キシュガナンの戦士たちは、心強い味方になるだろう。しかし、今目の前にいる戦士たちは殺意を持ってこちらに刃を向けている。自分たちが教えた技によって、危機に陥っているのだ。こんな皮肉なことはない。ハサラトは口の端を歪める。遠い沙海での戦に思いをはせる前に、まずは生き延びなければならない。


 槍の壁を前に、剣で挑むことは困難だ。盾も鎧もない今は、装甲にまかせて押し通ることはできない。ただ、翻弄し、陣形を崩すしかない。


 ハサラトは、横に跳んで囲まれないように端の戦士へ切りかかった。


 槍の穂先を叩き落すが、隣の戦士が素早く槍を繰り出して付け入らせない。さらにこちらに迫ってくる戦士の姿を視界の端で捉えて、飛び退いた。


 何本もの穂先が空を突く。


 しかし、戦士たちはそれ以上踏み込んでこようとしない。距離をとったハサラトを威嚇するように何度も槍を突き出す。まるで、猛獣を追い立てているようだ。彼らにとっては、ハサラトの武威は恐ろしい猛獣のようなものなのだろう。


 ハサラトは戦士たちを睨み付けながら、大きく踏み込んだ。 






 ハサラトが縦横に駆け回っているが、この原野では彼一人で多勢を食い止めることはできない。シアタカたちに向かって戦士たちが駆け寄ってくる。


 シアタカは、肩に矢を受けているにもかかわらず、左腕で力強くエンティノを支えている。その胸に身を預けていたエンティノは、苦痛をやり過ごすために大きく息を吸い込んだ。


 手負いの自分はシアタカにとって弱点になる。しかし、彼は決して自分を見捨てないだろう。それは自惚れではなく、シアタカをよく知り、信頼しているからこその確信だ。


 だからこそ、足手まといになってはならない。


 故郷を奪われ、家族を奪われ、そして残された誇りまで奪われそうになった時、エンティノは人を殺した。 


 自分を汚そうとした男の血の味はもう覚えていない。ただ、あの時の恐怖と怒りは、ここまでずっとエンティノを駆り立ててきた。己の誇りを守るために、武器を握り、戦ってきた。


 しかし、今は違う。


 この命は、自分だけのものではない。大切な、守るべきもののためにある。だからこそ、死を恐れ、死に挑むことができるのだ。


 自分の肉体を観察する。


 肩甲骨に矢は突き刺さって止まっている。もう一本の矢は右の上腕を貫通しており、右腕に力は入らない。右の太腿にも深く矢は刺さっているが、何とか足は動く。


 十全の力は発揮できない。しかし、こんな状況だからこそ、これまで積み上げてきた技が試される。武術とは、殺すための技術であり、生き残るための技術だ。そこがどんな場所であろうとも、自分がどんな状況であろうとも、その技を持って己を守る。


 熱く、叩きつけるように脈動する痛みを噛み殺しながら、シアタカを見上げた。


「シアタカ! 私はやれる!」


 エンティノは叫ぶと、シアタカから身体を離す。


「……分かった」


 一瞬逡巡の表情を浮かべたシアタカは、エンティノを見つめて小さく頷いた。


 左手で槍をつかむと、体重を預ける。エンティノは、紋様に彩られた顔を歪めながら強く短く息を吐き出し、自分の足で立った。 


「背中を頼む。無理はしないでくれ」

「任せて」


 シアタカの背後で無様な真似をすれば、集中を乱してしまう。この状況では、それは即命の危険に繋がるだろう。シアタカは自分を信じてくれている。その信頼に応えなければならない。エンティノは呼吸を整えながら精神を集中した。


 彼女の意思に導かれ、調律が感覚へ力を及ぼす。痛みはエンティノにとって単なる情報へと変わった。痛みは感じる。しかし、それが体の動きを妨げることはない。 


 エンティノは、左手を伸ばすと刺さった矢を短く折っていく。今、矢が傷口に栓をしている状態だ。抜いてしまえば出血が止まらなくなるだろう。大量の出血となれば、調律の癒しの力といえど、止血が間に合わない。そのため、矢は体に残しておくしかなかった。


「来るぞ」


 シアタカが静かに告げる。


 エンティノは頷くと、足にかかる重さを意識しながら、左手に握った槍を小脇に抱えた。


 喚声をあげながら戦士たちが迫る。


 ハサラトに比べて手負いの二人はくみし易いと看做したのか、皆、足並みを揃えることもない。各々が槍を構えて駆けてくる。 


 ゆっくりと、シアタカが歩む。それは、エンティノから離れないためだ。エンティノもそれを理解しているため、後ろからその歩幅に合わせた。 


 叫びとともに戦士が大槍を振り下ろす。


 シアタカはその一撃に機を合わせて、刀を振るった。


 大槍の刃に、刀の刃が重なる。


 耳障りな金属音とともに、大槍の穂先は地面に打ち落された。持ち手の戦士もそれに引っ張られ、大きく姿勢を崩す。


 次の瞬間、前傾したシアタカの肩越しに、エンティノの槍が繰り出された。赤い刃は、前のめりになった戦士の肩から胸へと、深く突き刺さる。その感触を確かめた後、素早く槍を引き抜いた。


 シアタカはそれを見届けることなくすでに歩みを進めていた。


 仲間と斬りあっていたはずの敵が突然自分の前にいることに、戦士は動揺していた。そう早くも見えない一刀が、隙だらけの戦士を切り裂く。


 エンティノは、仲間を救おうと駆け寄ってきた男の大槍に己の槍を合わせた。


 男は唸り声とともにその槍を払おうとする。その瞬間に合わせて、エンティノは素早く槍を巻き上げた。仰け反るように姿勢を崩した男の足下を、引き戻した槍で小さく払う。


 苦悶の叫びとともに倒れた男を一瞥しながら、エンティノはシアタカの後ろに続く。


 シアタカとエンティノは、ゆっくりと進む。


 その間にも襲い掛かる戦士たちを、二人は剣と槍を同時に操る一個の化け物のように迎え撃った。それは、まるで渦巻く刃の風のようだった。それに挑んだキシュガナンは次々と、受け流され、払い転がされ、切り伏せられ、突き殺されていく。


「大丈夫か!?」


 同じように死を撒き散らしていたハサラトが二人の元に駆け寄る。


「すまない、ハサラト。助かった」

「二人ともまだまだ戦えるな?」

「ああ。切り抜けるぞ」


 シアタカの言葉に、エンティノとハサラトは頷いた。


 彼らの周りにはキシュガナンの骸が転がっている。彼らは、あっという間に八人もの戦士を倒していた。この凄まじい殺戮の嵐の前に、キシュガナンたちの攻め込む勢いを失っている。遠巻きに、槍を構えてシアタカたちを睨み付けるだけだ。


 このまま諦めてくれたらいいのに。


 エンティノは思ったが、それがありえないことをよく分かっている。ここまで仲間を失った今、自分たちを逃すことは決してないだろう。


 取り囲む戦士の一人が、誰かに呼びかけるように叫んだ。


「射手がくるぞ! エンティノは屈め!」


 シアタカが叫ぶと同時に動いた。僅かに遅れてハサラトが続く。エンティノは、指示通り伏せるように屈んだ。


 前に踏み出した二人は、戦士たちの骸を持ち上げた。その陰で姿勢を低くする。


 ほぼ同時に、森の方向から次々と矢が飛来した。


 盾となった骸に、矢が次々と突き刺さる。


 シアタカは、じりじりと後退しながら射線からエンティノを守るように動いている。ハサラトもシアタカの横へと、死体の盾を並べて矢を防いだ。


 エンティノは遠巻きにこちらを囲む戦士たちを見る。


 いつまでこの矢が続くのか分からない。しかし、矢攻めが終わった時、戦士たちは一斉に襲い掛かってくるだろう。


 逃げ道を探さなければ。


 エンティノは焦燥とともに周囲を探った。






 シアタカたちが、矢の雨の前にその場に釘付けになっている。


 茂みに身を潜めてその光景を見ているウィトは、今すぐシアタカの元に駆けつけたくなる。しかし、それを何とか耐えた。


 自分がここから飛び出していっても、シアタカの足手まといになるだけだ。それよりも、ここで、自分しかできないことをするべきだ。


 キシュガナンたちは、もう身を隠すことはない。森から姿を見せてシアタカたちに矢を放っている。


 元々いた戦士たちに加えて、増援となった二十人以上の戦士たち。矢が尽きれば、彼らも槍や剣をもってシアタカたちに襲い掛かるだろう。三十人以上の戦士を相手に、怪我を負ったシアタカやエンティノたちでは分が悪い。


 傍らのラゴが、小さく声を発した。顔を向けたウィトに、手と指を素早く動かして見せる。自分が背後から敵を襲う。ラゴの提案に、ウィトは頷くと言う。


「私が奴らの背後から矢で狙う。あいつらもすぐにこちらに気付くだろう。私を追ってくるはずだから、その後ろから襲ってくれ」


 獲物を狙う獣は、背後から忍び寄る敵に気付かない。敵は、自分とラゴの存在を知らない。それは、大きな武器となるはずだ。隙だらけの敵の背中にありったけの矢を浴びせ、囮となる。森の中で、忍び寄るラゴは恐るべき殺し屋になるだろう。


 そうやってあの多勢をこちらに引き付けることで、シアタカたちへ向かう敵を一人でも多く減らすことができる。


 せわしなく指と手を動かすラゴ。大丈夫か、という問いと、こちらを気遣うような小さな鳴き声。


 あの大勢の敵と戦うことができるのか。ウィトは自問する。自分は紅旗衣の騎士の従者として、優秀ではない。ウィトはそのことを自覚している。紅旗衣の騎士団にいた他の従者の中には、自分よりもはるかに武術に優れ、勇敢で、機転の利く者たちが何人もいた。彼らを見て、はたして自分は従者としてやっていけるのか、不安になったものだ。見込みがないと判断されてしまえば、容赦なく切り捨てられ、自分より優秀な者がシアタカの従者になるだろう。騎士団にいた頃は、そうやって自分の非才に怯える日々だった。


 しかし、今ここにいるのは騎士シアタカに仕える従者ウィト。代わりになる者はいない。


「やるしかない。あいつらを騎士シアタカたちへ向かわせてはいけないんだ」


 ウィトは厳しい表情で答えた。ラゴは短く唸り声を発した後、頷く。


「ラゴが頼りだよ。何しろ私は頼りないからね」


 ウィトは無理をして笑みを浮かべて見せた。


 鱗の民の只中を突破した経験に比べれば、こんなことなど何てことはない。ウィトは己に言い聞かせる。あの時、あのまま共に戦っていれば、死んでいただろう。自分は騎士シアタカに救われたのだ。今、この時に命を懸けなければ、従者としての自分は消え去る。


「……行こう。皆を助けるんだ」


 弓に矢をつがえたウィトはそう言って歩き出した。

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