第12話

 降り注ぐ矢が激しさを増した。


 ここまでの戦いで、ウル・ヤークス軍はこれほどの量の矢を放ってこなかった。おそらく、矢が尽きることを考えて使い惜しみをしていたのだろう。それが一転して、まるで雨のように矢を降らせてきている。


 物見の知らせでは、北の二つの出口に陣取るウル・ヤークス軍それぞれの約半数の兵力が、この出口に移動してきているという。 


 この攻めで終わりにするつもりだ。


 キエサは敵の動きからそう感じ取った。


 矢の雨に曝されたカラデア兵たちは、無傷でいることが難しくなった。どんなに盾を構えようとも、守ることのできる範囲は限られている。矢を受けて倒れる兵士たちが続出していた。このままこの広い出口に陣取っていても、良い的となって矢を浴びるだけになるだろう。奥に誘い込んで弓兵の攻勢を弱めるしかない。


「奥に退くぞ!!」


 キエサは叫ぶ。


 彼の命令に従い、兵たちはあらかじめ決められていたとおりに動き始めた。


 まずは、鱗の民。彼らは、槍を担ぐと、駆け出した。


 数拍遅れて、カラデア兵が動き出した。盾を構えながら後退りして、素早く盾を背負いながら駆け出す。


 同時に、岩の上にいた射手たちも、時折矢を放ちながら岩伝いに後退していった。


 背を向けた彼らを、ウル・ヤークス兵たちは追う。しかし、駆け出すことはない。歩兵が先頭に立ち、その後を弓兵が続く。重装歩兵たちは、穂先を連ね武具を鳴らしながら、隊列を崩すことなくゆっくりと確実に進んだ。


 彼らが歩いてくることは、キエサにとって計算外のことだった。背を向けたカラデア軍めがけて殺到してくると思っていたからだ。しかし、予想が外れたとはいえ、逆にこちらの態勢を整える時間が生まれることになる。慌てることなく、その時間を活かすしかない。


 巨岩と巨岩の間に開いた白砂の回廊は、徐々に狭くなっていく。


 迫り来る歩兵部隊は、その狭さに合わせて横に広がっていた隊列を混乱もみせることなく並び直す。その際に、ほとんど動きが乱れることもない。


 細長い隊列に並んだまま進む歩兵部隊は、先頭の者たちが正面を、後ろに続く者たちが天に向けて盾を構え、矢弾の攻撃に備えている。彼らが遅滞なく歩むさまは、まるで固い殻をもった巨大な百足ムカデのようだった。 


「あんな真似は俺たちには無理だ……」


 走りながら振り返ったキエサは、敵の整然とした動きに舌を巻く。


 カラデア軍の兵たちは、細い回廊を駆け抜けた。辿り着いたそこは、突如白砂の“川”が広くなる場所だ。岩塊群の中央に位置する湖ともいえるこの場所は、北からの他の回廊と繋がっている。その広くなる回廊の入り口を塞ぐように、大小の岩を並べた第二の防衛線が築かれていた。


「急げ! 急げ!」 


 キエサの叫びと共に、カラデア兵たちは転がる岩の間で再び盾を並べ、槍を構える。その頃には、他の二つの出口から駆けつけた増援も加わり、兵たちの厚みが増した。


 岩塊の間を、何百もの人間が歩く音、武具の鳴る音が響き、反響して聞こえる。


 焦燥を押し殺しながら、敵を待つ。


 回廊の向こう側に、ついにウル・ヤークスの盾が見えた。


「今だ!!」


 キエサが右手を上げて叫ぶ。角笛が吹き鳴らされた。


 回廊を挟む左右の岩の上に、人影が立ち上がった。彼らは大きな掛け声をあげる。そして、次々と岩を転がり落とした。


 乱雑に削りだされた巨大な岩が、岩棚を跳ね、転がりながら速度を増していく。そして、恐ろしい凶器となってウル・ヤークス歩兵たちの頭上に落下してきた。


 金属音。何かが潰れる鈍い音。岩と岩が激突し、砕ける高い音。そして悲鳴と苦悶の叫び。


 回廊には舞い上がる砂塵が白くたちこめた。 


 轟音とともに雪崩落ちてきた岩は、道を半ばまでふさいでいる。 


 カラデア兵たちは歓声をあげた。


 キエサは、興奮のあまり跳びだそうとする味方を必死で制止する。あの岩によって押しつぶされた敵は先頭のごく一部だ。進軍が止まったとはいえ、背後には何百、何千という兵士たちが健在でいる。そこに跳びこんで行っても叩きのめされるだけだろう。


 白い煙の向こうから、歌が聞こえた。


 それは、カラデア人には聞き慣れない旋律だった。斉唱される歌声は、キエサには理解できない言葉だ。おそらく、ウル・ヤークスの言葉だろう。戦という血塗られた場所には似つかわしくない、美しい旋律が響く。


 砂塵が立ち込める中から、白刃の煌きが見えた。歩兵たちが、歌声とともに道を塞ぐ岩を次々と乗り越えてくる。足下の同胞たちの死を踏みつけ、決して乱れることなく、武具を構えたまま彼らはカラデア軍へと向かってきた。


 キエサは知る由もなかったが、それは聖女王を称え、自らの死を迎え入れる、死すべき運命の者の歌だった。


「こいつらは、……一体何なんだ」


 恐怖も怒りも見せず、ただ歌いながら進軍してくる敵に、キエサは戦慄した。


 響く歌声と太鼓の音。


 白塵にまみれたウル・ヤークス兵たちは、陶酔と殺意に目を輝かせ、こちらに向かってくる。


 そして、兵たちは再びぶつかり合った。


 ウル・ヤークスの歩兵たちが、喚声とともに押し寄せる。その勢いは、これまでに増して凄まじい。カラデア軍にとって、狭い道と落石のために敵の弓兵が援護できない状況なのが救いだ。これで、同じように弓兵の猛射を受けていれば、とても防ぎきれないだろう。


 鱗の民が繰り出す槍は、次々とウル・ヤークス兵を突き殺す。しかし、後ろから続々とやってくる兵たちが見事な連携で欠けた穴を埋め、あるいは負傷者と交代して、押し寄せる壁は衰え欠けることはない。

 

 他の出口から味方の増援が来たとはいえ、カラデア軍はこの四日間休みなく戦っている。皆、疲労の色が濃い。今は何とか敵を防いでいるが、このまま敵に攻め続けられるといずれ、押し切られてしまうだろう。しかし、自分たちにはもう選択肢は残されていない。ここに踏みとどまり、戦い続けるしかないのだ。


 永遠とも思える攻防の時が過ぎ、喇叭が吹き鳴らされた。


 ウル・ヤークス兵たちが後退していく。


 それが一時の休息であろうことは分かっていたが、カラデア兵たちは思わず安堵の溜息をついた。


 その時、背後からの叫び声が、キエサの耳に飛び込んできた。その悲壮な叫び声に、慌てて振り返る。


 一騎のルェキア騎兵がこちらめがけて駱駝を駆ってくる。西の出口に見張りとして配していた兵士だ。その表情は恐怖に歪み、泡でも吹き出しそうに口を大きく開いている。


「後ろだ! 後ろだ!」


 ようやく、何を言ってるのか聞こえた。キエサはその騎兵に駆け寄った。


「どうした! 何があった!」

「隊長、後ろ、後ろだ! 奴らに後ろに回られた!」


 キエサの前で駱駝から転がり落ちたルェキア族の男は、キエサを見上げて叫ぶ。


「後ろだと?」


 キエサは、西の方向に顔を向け、目を凝らす。遠くに砂塵が舞い上がっている。それは、大勢の騎兵が巻き起こしているものだ。こちらから見ても凄まじい速度で接近してくることが分かった。


 すぐに、駆けてくるその姿がはっきりと見える。それは、キエサにとって、まさしく悪夢の象徴だった。


「ああ、くそっ……。よりによって……、奴らか」


 キエサは呆然と呟く。化け物のような面を付け、恐鳥を駆る騎兵たち。キエサは、彼らの強さを戦場で血ともに刻み込まれていた。


 背後から迫る騎兵たちに気付いた兵士たちがざわめく。その声には、恐怖の色があった。彼らも、あの面をつけた騎兵たちの恐ろしさを覚えているのだ。


「鱗の民は、奴らを迎え撃て!! 弓兵も奴らを狙うんだ!!」


 慌てて自陣に戻ったキエサは、鱗の民たちに叫び、次いで、岩棚の上にいる弓兵たちに声をかけた。


「大丈夫なのか?」


 動揺の見えるカラデア兵と比べて、鱗の民は至って平静に見える。静かな問いにキエサは頷いた。


「カラデアやルェキアの兵では奴らには歯が立たない! 悪いが、貧乏くじを引いてもらうぞ」


 恐怖と怒りで叫びだしたくなるが、そんなことをしても何の解決にもならない。迫る騎兵部隊に対して、守りとなる岩石群はない。奴らは、こちらの剥きだしの腹に刃を突きつける事に成功したのだ。このままでは、思うがままに切り裂かれてはらわたを引きずり出されてしまう。  


 キエサは、絶望を押し殺しながら迫りくる騎兵たちを睨みつけた。

 





 まだ日が昇りきらない早朝。紅旗衣の騎士団と軽装騎兵たちは、カラデア軍の物見に気付かれないように少しずつ砂丘の陰へと降りていった。そして、そこで隊列を組みなおし、岩塊群の南西の入り口へと向かった。


 彼らの数は、総員でおよそ四百。大軍とはいえないが、やはりこれだけの数の恐鳥や駱駝が駆けるのだ。そのあとを舞い上がる砂塵が追うことは避けられない。砂丘の陰とはいえ、やはり、立ち上る砂煙は見えるだろう。カラデア軍の物見が、ウル・ヤークス軍の猛攻に眼を奪われて、彼らの進軍のしるしに気付かないことを祈るしかない。とはいえ、ファーダウーンはそこまで深刻に考えてはいない。見付かったならば見付かった時だ。むしろ、守り手の戦力がこちらに奪われることになって、千人長の助けとなるだろう。


 結果として、カラデア軍はこちらに気付くことはなかった。


 半日がかりで砂丘の陰を繋いで進み、岩塊群の西の入り口に到達する。砂丘を登り、望んだ先には、一際巨大な岩山が砂の中から頭を出していた。シューカと空兵の報告によれば、ここに大きな水場があるという。


 広大な沙海へと開かれた岩塊群の門には、少数の見張りが置かれているだけのようだ。


 ファーダウーンが静かに片手を上げ、それを合図として彼らは動き出した。砂を蹴立てて、騎兵たちは砂丘を駆け下りる。戦場でありながら、誰も一言も発しない。今がその時ではないことを知っているからだ。


 軽騎兵たちの駱駝を残し、紅旗衣の騎士と恐鳥だけが一気に速度を上げた。凄まじい速度で岩塊群の門へと迫る。


 見張りとして立っていたカラデア人の兵士が驚愕の表情を浮かべる。次の瞬間、その顔には投槍が突き刺さっていた。


 慌てて駱駝に跨ろうとしたルェキア族の男が、騎兵槍に串刺しにされる。背を向けて逃げ出した男は、恐鳥に蹴倒され、続く騎兵たちに次々と踏みつけられる。その場にいたカラデア軍の兵たちは、次々と騎士たちに屠られていった。


 そんな中で、いち早く逃げ出した一騎の騎兵がいた。駆ける駱駝は、すでに遠くにあり、矢は届かない。しかし、その行く先は彼らの向かう道でもある。取り逃がしたとして、焦る必要はない。ファーダウーンはその背を見送りながら、騎士たちを停止させた。


 門を確保した紅旗衣の騎士団に、軽騎兵たちが素早く合流した。足並みをそろえ、隊伍を整える。


「同胞たちが待っている」


 ファーダウーンは兵たちを見回すと言う。


「彼らはこれまで血を流し、耐えてきた。次は、我らが、その血を捧げる時だ。異教徒たちに、恐怖と、死の導きを与えよう。……行くぞ」


 そして、彼らは駆け出した。


 調律の力が顕れる。騎士たちは、満ちる力に叫び声をあげた。


 響く喚声は巨岩の間を響き渡る。


 巨大な岩と岩の間を全速で駆ける。彼らを阻む障害物はほとんどない。恐鳥はその足で、思うままに地面を蹴る。その後を、駱駝騎兵が続いた。 

 

 すぐに、カラデア軍の後姿が見えた。どうやら、歩兵部隊は第二の防衛線まで敵を追い込むことに成功したらしい。


「賭けに負けたか。さすが千人長だ」


 ファーダウーンは呟く。仕事を終えた後、良い葡萄酒を用意しなければならない。賭けに負けたことは悔しくはない。むしろ、有能な味方がいることは軍人として頼もしく、喜ばしいことだ。


 鱗の民たちが、歩兵部隊ではなく、駆け寄る騎士団に向き直り次々と槍を構えた。判断が早いな。ファーダウーンは敵の統率に感心した。敵に挟撃されるという絶望的な状況で、諦めず、混乱することなく何とか戦おうとしている。さすがに、粘り強く抵抗を続けた者たちだ。肝が据わっている。


 敵に迫るにつれて岩棚の上から次々と矢が飛んでくる。しかし、その射撃は乱雑で散発的であり、盾と鎧に身を固めた騎士団にとっては脅威ではない。


 敵との距離を測り、そして、射程の内に敵が入ったことを見極める。


「放て!!」


 ファーダウーンの合図とともに、後ろに続く軽騎兵たちが一斉に矢を放った。それは、あえて狭い範囲を集中して狙った射撃だ。死を運ぶ黒い雨は鱗の民の上に降り注ぎ、不運な者たちを薙ぎ倒す。陣形の一角に乱れが見えた。その時には、すでに騎士たちは鱗の民へと肉迫している。


「突撃!」


 騎士たちは、命令に応じて、生じた空隙へと喰らいついた。


 鱗の民の只中へと突入し、傷口を広げる。そこへ、さらに後続の騎士たちが次々と錐のように鋭く切り込んで行った。槍が、剣が、鱗の民を刈り取っていく。鱗の民も反撃するが、長槍の懐に入られてしまったために動きが鈍い。何とか武器を剣に持ち替えて反撃しようとするが、紅旗衣の騎士は激しくも巧みに連携してその隙を与えない。 


 紅旗衣の騎士たちの猛攻を受けて、歩兵部隊もすぐさま攻撃を再開した。盾と剣で武装したカラデア兵たちは重装歩兵の圧倒的な圧力に押され、防戦一方に追い込まれた。圧倒的に間合いが違う長槍を相手に、必死に盾を並べて守る。しかし、それにも限界がある。鱗の民の長槍も、射手達の矢弾の支援もない中、兵士たちは次々と倒れていった。


 ファーダウーンは流れを感じていた。これまで、戦場の中で何度も感じた、大きな流れ。 戦場における全ての事象が、一つの流れとなって帰結する。 


 その大きな流れの先に待っているのは、勝利だった。

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