第11話

 その岩塊群ガノンは、空から見下ろせばおおよそ楕円の形をしているように見える。


 幾つもの巨大な岩塊が並び、その間をまるで川のように白砂の回廊がめぐっていた。そして、“河口”にあたる岩塊群からの出口は、およそ五つ。他に小さな岩塊の隙間はあるが、それはとても狭いもので、まともに兵を送り込めるような道ではない。


 カラデア軍は、ウル・ヤークス軍の進軍に対して立ち向かうことを決めたらしい。ウル・ヤークス軍はカラデアまでの橋頭堡を築くために、水場であるこの地を無視できない。当然のことながら、彼らをここから駆逐することとなった。


 北東から進軍してきたウル・ヤークス軍は、五つの出口の中でも、北や東に開いた三つの“河口”に部隊を配置して、踏みとどまっているカラデア軍を攻める。内偵していた造人シューカと、空兵の上空からの偵察によって、敵の戦力は把握している。その情報を元に編成した部隊によって、簡単に敵を蹂躙できるはずだった。


 しかし、待ち受けていた現実は違った。


 ファーダウーンは、砂丘の上に設置された陣営から戦いを見ていた。


 巨岩と巨岩の間に開いた岩塊群への門で、ウル・ヤークス軍とカラデア軍が激しく争っている。


 ここは、部隊を配置した三つの出口、即ちウル・ヤークス軍から見れば入り口の中でも最も南にある。そして、東側では最も大きな入り口でもある。本来ならば、ここから主力部隊を突入させるはずだった場所だ。


 その巨岩と巨岩の間の砂原には、人の肩まであるような大きな物から、人の膝くらいまでの小さな物まで、形も大きさも不揃いな褐色や黒色の岩が無数に転がっていた。岩は岩塊群と砂漠を隔てる境界線として、帯のように配置されている。カラデア軍が設置したものだ。


 カラデア軍はその岩を障害物、壁として陣取り、ウル・ヤークス軍を迎え撃っている。


 決して広くはない道に、岩を砕いて転がして、足場を悪くしている。恐鳥は険しい道の踏破性においても馬や駱駝に勝るが、こんな風に岩を並べられてしまうと勢いを保ったまま突破することは難しい。当然のことながら、馬や駱駝にとっては慎重に道を選びながら進まなければ越えることができない悪路だ。結果、騎兵部隊の最大の武器である圧倒的な速度と衝撃力を失ってしまう。 


 この岩の後ろから、鱗の民が長槍をつらねて立ちふさがり、その前列でカラデア兵が盾を構えて彼らを守る。さらに、両側の岩の上から散々に矢や石を射掛けてくるのだ。守るカラデア軍よりも攻めるウル・ヤークス軍が多勢だが、今のところ多くの血を流しているのはウル・ヤークス軍だった。騎兵を突入させるわけにはいかない現状では歩兵が何度となく攻め寄せるのだが、攻め手の骸が積み重なり、さらに守り手の防壁となっていくばかりだ。


 号令一下、ウル・ヤークス軍の重装歩兵部隊が歩き出す。厚い鎧を身につけ、盾と槍を持った歩兵部隊は、鈍く輝く穂先をカラデア軍に向けた。鼓手の刻む規則的な太鼓の音とともに、歩兵たちは敵に接近する。そして、次の瞬間、太鼓は激しく打ち鳴らされた。それを合図に、歩兵たちは喚声とともにカラデア軍へと突進する。


 殺到する無数の槍を、カラデア兵は受け止めた。防ぎきれずに槍を受ける者もいるが、それは少数だ。歩兵たちの突撃による衝撃力はそこで消え失せてしまった。膝立ちで耐えるカラデア兵たちの背後から、鱗の民が次々と槍を繰り出す。


 ウル・ヤークスの歩兵たちは、その槍を受けて次々と倒れる。何とか盾を突破して敵陣を崩そうとするが、ひたすら守りに徹しているカラデア兵の盾は、槍を受け止め、逸らし、弾き返す。さらに、頭上からは矢や石が降り注いでくる。上や前へと慌てて盾を向けることにより攻撃が疎かになる。そして、生まれた隙を突いて、次々と鱗の民の槍が繰り出される。体格や膂力で勝る鱗の民の槍は、歩兵たちの槍や盾を跳ね除け流血を強いるのだった。 


 喇叭が一度吹き鳴らされた。


 それを聞いたウル・ヤークス歩兵が、数歩後ろに退きながら、隣の兵との間隔を空ける。


 その足下から、狗人兵が地を這うようにして跳びだしてきた。 


 短槍や刀を手にした狗人兵たちは、迫り来る槍や石をかわしながら、俊敏な動きで転がる岩々の間や上を駆け抜け、敵に肉薄する。鱗の民の長槍の内懐に入り込んだが、盾で狗人兵の進入を阻んでいる間に、隣合うカラデア兵が剣を繰り出して次々と狗人兵を突き殺す。何とか盾を駆け上った狗人兵も、鱗の民の槍に突き刺されるか、払い飛ばされてしまった。


 狗人兵を助けようと重装歩兵は再び前進した。槍を繰り出し、鱗の民やカラデア兵の追撃を阻む。その隙に、命のある狗人兵は歩兵たちの背後へと退散した。


 再び始まった槍の応酬の後、何度か喇叭が吹き鳴らされた。その音を合図に、歩兵や狗人兵は、ゆっくりと後退していく。カラデア兵は、それを追うことなくその場に留まった。


「まったく、骨のあるやつらだ」


 ファーダウーンは呟く。


 この岩々で築かれた守りの陣は、シューカや空兵の報告にはなかったものだ。岩塊群に到着した時には、すでに敵はこの状態で待ち構えていた。


 空兵が上空から偵察したところ、岩塊群の北や東に面した入り口の四つに、切り出された無数の岩が障害物として転がされているという。シューカの正体が露見して、ウル・ヤークス軍がここまで進軍する六日間の間に岩を切りだしていたのだろう。


 沙海に点在する岩塊ガノンは加工が容易だ。そのため、カラデア人やルェキア族は、日常使うための石器や、都市建設、そして石弾などに用いてきた。カラデア人の間では、“石の角を落とす”といえば、安全に備えて対策をするという意味になる。迫り来るウル・ヤークス軍の襲来に備えて、岩に楔を打ち込み、次々と大きな塊状に切り出して地面に転がしていく。運搬には甲竜や駆竜といった騎獣を大いに活用したに違いない。


 カラデア軍は、高くそびえ立つ岩塊の上も活用している。


 高所からウル・ヤークス軍の動きを見張り、攻められている三つの入り口に適切に兵を送り込んでいる。そして、空兵の接近には、岩塊の頂上や岩棚から迎え撃つ。これによって空兵も迂闊に高度を落として接近することができなくなってしまった。


 敵は、この岩塊群をこの短期間で一個の城砦として完成させてしまったのだ。


 見習わなければいけないな。未だ完成していない北の『砦』を思い出し、ファーダウーンは思う。実に簡素なやり方で、こんなにも効果的な防御陣地を構築することができるのだ。ウル・ヤークスの工兵もカラデア軍の技を学習しなければならないだろう。


 すでに、岩塊群の前で血みどろの戦いを始めて三日が過ぎてしまった。本来ならば、鎧袖一触の後、岩塊群を占拠してカラデア侵攻のための準備をしているはずだ。しかし、その岩塊群の中に足を踏み入れることもできずに、ここで足留めをされている。


 ファーダウーン指揮下の紅旗衣の騎士団と軽騎兵部隊も、今は砂丘の上の陣営で待機している。


「ファーダウーン殿!」


 舞い降りてきた翼人空兵が、ファーダウーンに一礼する。斥候部隊に随伴したこの翼人空兵は、翼に負った傷も癒え、そのまま紅旗衣の騎士団に一時的に配属されていた。紅旗衣の騎士団は、本隊とは別行動をとることが多い。そのために、偵察要員として、そして連絡員として空兵の存在は欠かせない。


「敵陣の様子はどうだ?」

「はい。やはり、ほとんどの兵力は入り口に配置しているようです。岩塊群ガノンの中は手薄ですね」

「兵力差を考えれば、当然のことだな。奴らも必死だ」

「ただ、岩塊群ガノンの中の道にも、何箇所か岩を配しています。そこに兵はいませんでしたが……」

「そうか。この防衛線を突破されたことも想定しているな」


 ファーダウーンは入り口に陣取るカラデア兵たちを一瞥した。


「そこまで退却して、なお戦うということですか?」

「ああ。奴らは逃げるつもりがない。できるだけここに踏みとどまって時間を稼ぐ気だ。そして、カラデアから援軍が来るのを待っている」


 ファーダウーンは頷くと、翼人の背後に視線を向けた。翼人もそれに気付いて振り向く。そして、慌てて傍らに退いた。


 こちらに歩いてきたカッラハ族の男は、厳しい表情を浮かべ、ファーダウーンの前に立つ。この侵攻部隊の指揮官である男に、ファーダウーンは言った。


「苦戦しているな、ハディ千人長」

「ああ。蛮族どもめ。粘りおるわ」


 ハディは、眉根を寄せると頷いた。


「ここまでの戦いで、十分に叩き込まれただろう? 奴らは手強い」 

「ああ、分かっている。かつて、第三軍がここまで手こずらされたことはないだろうな」

「沙海はあまりに異質な土地だ。これまでのやり方が通用しないのだから仕方がない。まあ、言い訳にしかならないな。ヴァウラ将軍に聞かれればお叱りを受けるだろう」


 ファーダウーンは肩をすくめる。ハディはそれを見て微かに口元を緩める。


「それは俺も同じことだ。全く、我ながら不甲斐ない」

「勝利を得るためには、皆に死んでもらうしかない。奴らが手綱に引かれた駱駝の列だと見くびるような馬鹿は、元老院の議員だけで充分だ。左腕に喰らいつかせてでも、喉笛をかき切る。俺たちにはその覚悟が必要になる」


 ファーダウーンは平坦な口調で言った。その言葉に、ハディは視線を鋭くする。


「お前に言われるまでもない」 

「それで、紅旗衣の騎士に何を望む? 千人長。さあ、言ってくれ」


 ハディは頷くと、翼人空兵を一瞥して言う。


「空兵の偵察の報告は聞いたようだな」

「兵力のほとんどは入り口に配置されている。そして、岩塊群ガノンの中に幾つか防衛線を作って、持久戦を考えているようだ」

「そうだ。この状況を見逃すことはできない。このままではカラデアの援軍が到着することになる。そうなる前に、全てを終わらせねばならん。今こそ、お前たちの力を借りたい。守りの薄い奴らの背後を衝く」

「それは俺も考えていたことだ」 


 ファーダウーンは頷くとともに岩塊群に目をやった。そして、再びハディに顔を向ける。ハディは言葉を続けた。


「我々はここで、奴らを攻め続ける。我が軍とカラデア軍とは、兵力が違う。ひたすら攻め続ければ、守り手を交代することもできないカラデア軍は必ず弱る」


 味方の損耗を厭わずに攻め続け、敵をすり潰す。ヴァウラ将軍の目指す理想的な戦い方とは真逆の愚直な手法だが、それは最も基本的で確実な戦い方でもある。数は力なのだ。これまでの戦いでは、その軍略と精兵の武力によって、第三軍は苦戦を強いられることはなかった。血に塗れた恐怖の名とともに、第三軍ギェナ・ヴァン・ワは敵を屈服させてきたのだ。しかし、今、その優位は失われている。喉をからし、汗を流し、血を流す。それが軍人の本分だ。これまで自分たちは、ギェナ・ヴァン・ワの名を借りて楽をしすぎてきたのだ。はからずも、沙海とカラデア軍は、本来の自分たちを思い出させ、鍛えなおしてくれた。


「騎士団には、後背を衝くべく岩塊群ガノンを迂回してほしい。南西の入り口は広く、障害物である岩もほとんどない。そこから突入すれば紅旗衣の騎士団と軽騎兵部隊の“足”が充分に活かせるはずだ。寡兵である騎士団には無理をさせるが、頼めるか?」

「勿論だ、ハディ千人長殿。我々はその為にいる」 


 ファーダウーンは静かに頷いた。


「空兵に監視させて、奴らを挟撃する機を図る。我々は何とかここを突破する」

「あまりに遅いと、我々が背後から奴らを食い破ってしまうぞ」


 ハディは怪訝な表情でファーダウーンを見た。挑発とも思える言葉を口にしたファーダウーンの表情が、特に変わりがないために戸惑ったのだろう。しばらくファーダウーンを見やった後、口の端を歪めて言う。


「実に自信に満ちた言葉だな、ファーダウーン」

「紅旗衣の騎士とはそういうものだ。聖女王陛下を守るために散った軍団の旗が、我らの上衣には織り込まれている。彼らの遺志と名誉をまとい、我らは勝利のために血を流し、死を引き連れて駆ける。誇り高き殉教者である彼らのように、恐れず、怯まず、ただ、進み、殺すのだ」 


 それは、紅旗衣の騎士団の前身であり、その名の由来となった者たちの物語だ。損壊した軍旗を上衣に織り込んだのは騎士団の始祖たちであり、その上衣は今も旗の館に保管されている。現役であるファーダウーンや他の騎士たちが着ている上衣にその旗が織り込まれてはいないのだが、紅旗衣の騎士たちは、彼らの遺志と名誉を背負っていることを示すためにそういう言い方をする。


 紅旗衣の騎士の誇りの由来は、第三軍の軍人ならば知る者も多い。当然ながら、将校であるハディはその物語を知っている。ハディは表情を改めると、深く頷いた。


「これは競争だ、ハディ千人長」


 ファーダウーンは笑みを浮かべると、ハディを見つめる。


「紅旗衣の騎士が奴らの尻に喰らいつくのが早いのか、歩兵たちが奴らを奥へと追い立てるのが早いのか、競おうじゃないか。負けたほうが葡萄酒をおごる」

「お前は、戦場が狩場とでも思っているのか?」


 その提案を聞いて、ハディは苦笑した。


「狩場ではないさ。我々は狩人じゃない。軍人だ」


 笑みを浮かべたまま、ファーダウーンは頭を振る。


「戦場を楽しむ。ただ、それだけのことだ。どうせ働くのならば、楽しんだほうが良いだろう?」

「楽しむだと? まったく、紅旗衣の騎士の考えることは理解できんな」 

 

 ハディは、呆れた表情で息を吐いた。 

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