第7話

「どれだけ恐ろしい敵なのか、よく分かった」


 沙海での出来事を語り終えたアシャン達を見て、エイセンは頷く。


 どもり、つっかえがちなアシャンの語りをウァンデが補い、カナムーンが時折言葉を添える形で語られたため、すでに、草原くさはらは夕陽に染まっている。ウル・ヤークスのことに関しては、シアタカやハサラト、サリカが質問に答えている。彼らの語る一連の出来事と、そしてウル・ヤークス王国の持つ力に、エイセンと、共に話を聞いていたカファの人々は驚きを隠せないでいた。


「我々のキシュも、キセのキシュから形を受け取った」


 キシュに囲まれたカファの一族のラハシが、アシャンに頷いて見せた。


「キシュを通して、恐ろしいものを観た。キシュの記憶は、驚きと恐れに満ちていたよ。まじないを体に刻んだ戦士たち。人の姿をした人でないもの。恐ろしい力をもつ呪い師。空を飛ぶ絨毯……」


 厳しい表情でラハシは言うと、サリカを横目で見た。


「キシュが嘘とつかないことは分かっているが、それでも信じられん」


 エイセンは唸ると、頭を振った。


「世界は広いということだ、叔父貴。キシュガナンは、何百年も身内で争うだけだった。そうしている間に、外つ国ではとてつもない奴らが生まれていたということになる」

「ああ、そうだな……」


 ウァンデの言葉に、エイセンは頷く。


「置かれた環境が違うのです。仕方がありません」


 サリカが口を挟んだ。エイセンは首を傾げる。


「置かれた環境? どういう意味だ?」

「ウル・ヤークスは、巨人王や聖王国の遺産に囲まれてきました。そして、絶え間ない戦によって、様々な強大な勢力に支配されてきた。それによって、人も、文化も、そして戦争の方法も目まぐるしく変化しました」

「その、巨人王や聖王国とやらはキシュガナンの地には関係ないが、戦はここでも絶えることはないぞ?」

「そうですね。でも、一つの大きな勢力に支配されたことはない。違いますか?」

「ああ、そうだな。常に諸族はまとまることはなく、絶対的な勢力を誇った一族はこれまで現れたことがないんだ。もし現れようとしても、他の諸族が手を組んでその一族を抑え込む。そうして、自然と均衡が取れてきた」

「キシュガナンはそれで良かったのです。正しい、間違っている、ということではない。ウル・ヤークスは、長い争いの歴史の中で、自然と大きな勢力にまとまった。いや、まとまるしかなかったのかもしれません。しかし、キシュガナンは一つにまとまる必要はなかった。鱗の民が黒い人々ザダワーヒに出会うまで火を使わなかったように、変わる必要がなければ、人はその地に適切な形で暮らす。キシュガナンも、一族がそれぞれに別れて暮らす。それがこの地に相応しい形だったのではないでしょうか。おそらく、キシュにとってもそれは同じではなかったのかと、私は考えますが……」


 そう言って、サリカはアシャンを見た。アシャンは頷く。キシュは、その巣を維持するために適切な数があることを自覚している。減りすぎてもいけないし、増えすぎてもいけない。自分たちのために、生活に必要な領域を確保する。そのためには、他のキシュの巣は邪魔になることもある。今のキシュガナンの地に分布するキシュたちの巣も、長い年月の上で互いに干渉しないぎりぎりの所で造られたのではないかと、アシャンは考えていた。


「なるほどな。そして今、キシュガナンも大きな敵の前に変わる必要ができたというわけか」

「そうです。変わらなければ、滅びてしまう。勿論、ウル・ヤークスはキシュガナンを皆殺しにするつもりはありません。でも、キシュガナンは変わってしまうでしょう。聖王教会はこの地にやって来て、あなたたちに信仰を強いるはずです。これまでのキシュガナンの教えは捨てなければならない。これまでウル・ヤークスに滅ぼされた国や民も、そうやって変わってきた。それを、キシュガナンが許容できるかどうかです。聖王教会を受け入れ、ウル・ヤークスに従属するならば、それはそれで、進むべきもう一つの道として選択肢に入れても良いかもしれませんね」


 サリカは微笑む。


「それは、キシュガナンに降伏を勧めているのか?」


 ウァンデが苦笑した。


「そうですね。私は、アシャン、ウァンデ、それに、キセの一族の方々が好きです。できれば、戦で血を流して欲しくない。ウル・ヤークスの人間として、平和裏に全てが進めば、それが一番好ましいのです」


 サリカの素直な言葉が嬉しくて、アシャンは微笑む。しかし、シアタカたちの語るウル・ヤークスや聖王教会の考え方は、キシュガナンにとっては受け入れ難いものがある。アシャンはサリカに答えた。


「でも、キシュガナンは、聖王教会を受け入れないよ」 

「ええ。この地に来て理解しました。キシュガナンの教えと、聖王教会は相容れないでしょう。キシュガナンとキシュが互いに助け合って暮らしているこの地では、おそらく、聖王教会が受け入れられるのは難しい。もし、キシュガナンの人々に信仰を受け入れさせるのならば、聖王教会も変わらないければならないはずです。だけど、教会も自身を変えることは難しいでしょうね……」


 サリカは嘆息すると、アシャンたちを見回した。


「それに、一人の探求者として、キシュガナンに変わって欲しくない、という思いもあるんです。聖王教会を受け入れたキシュガナンは、もうキシュガナンではなくなる。それは、とても残念なことです。我ながら、矛盾していると思いますけど……」

「だとすれば、偉大なる呪い師よ」


 エイセンは身を乗り出すとサリカの顔を間近で見詰めた。 


「ウル・ヤークスは戦を止めればいい。自分たちの領域で、これまで通り暮していれば良いのだ。そうして、カラデアやキシュガナンと交易をする。それで皆が幸せになり、全てが解決だ。違うか?」

「その通りですね。それが一番単純な解決方法でしょう」

「ならば、お前がウル・ヤークスのかしらの所に行って、止めてくるんだ。偉大なる呪い師よ。お前の話ならば、耳を傾けるんじゃないか?」

「私の進言なんて、報告の一つとしてしか受け取ってもらえませんよ」

「お前のような力の持ち主が、一族の中で発言権を持っていないのか?」

「私は、聖導教団の魔術師にすぎません。そこまで力を持っているわけではないんです」


 サリカは自嘲の笑みを浮かべた。


「それに、ウル・ヤークスは、合議の国なんです。大勢の承認を得て、大勢の協力を元に物事を進めなければいけない。一人が声を上げたとしても、そう簡単には変わることはない。特に、一度始めてしまったことはなおさら……。一度、堰を切って流れ始めた水を止めることは、難しいものです」

「国というのは面倒なものだな」


 エイセンはウァンデと顔を見合わせると、肩をすくめた。


「お前たちが恐れている災いは、確かに怖ろしいものだ。キシュガナンが一つにまとまらなければならないという言葉も納得できる」

「そうだろう? その為に、まずはカファの幹の一族を説得しなければならないんだ。叔父貴、カファの長老の所へ案内してくれないか。そして、出来れば俺たちの言葉に口添えしてほしい」


 ウァンデの言葉に、アシャンも大きく頷く。


 エイセンは、二人を見た後、ゆっくりと頭を振った。


「お前たちをカファの幹へ案内することはできない」

「どうして!?」


 アシャンが思わず叫ぶように聞いた。


「それがお前たちの為だからだ」

「俺たちの為?」 

「そうだ」


 視線を鋭くしたウァンデに、エイセンは頷いてみせる。


「今、カファの幹には、カカルの谷の一族が来ている」

「カカル……!」


 ウァンデは表情を強張らせると絶句した。アシャンは、大きく息を呑む。


「アシャン、どうした。大丈夫か?」


 固まってしまったアシャンの右肩に、シアタカが手を置いた。アシャンは、シアタカに顔を向ける。


「カカルの一族とは何なんだ?」

「と……父さんの仇……」

「仇?」

「父さんを、……殺した一族なんだ」


 ようやく、言葉を絞り出す。シアタカはアシャンを見詰めると、小さく頷いた。肩に置かれた手が暖かく感じて、アシャンは思わずその手に自分の手を重ねる。


「どうしてだ、叔父貴。カファの一族とカカルの一族は仇敵だったはずだ」

「風向きが変わったんだ。新しい長老が、交易で手を結ぼうとカファの一族に話を持ちかけてきた。そのことについて、詳しく話し合う為に、幹にやって来ているところだ」


 険しい表情で問うウァンデに、エイセンは答える。


「正直、俺も胸糞悪くてな。奴らと顔を合わせたくなかったから、こうして、見廻りと称して幹を離れた訳だ」


 吐き捨てるように言うと、大きな溜息をついた。


 押し黙ってしまったアシャンとウァンデに、エイセンは哀れむような視線を向ける。


「分かっただろう。今、カファの幹に行っても、お前たちは辛い思いをするだけだ。お前たちを案内するわけにはいかんのだ」

「……でも、行かないといけない」


 アシャンは呟く。


 エイセンは、その呟きに気付いて、アシャンを見た。


「私たちは行かないといけない。キシュガナンを一つにするためには、いずれ、カカルの谷の一族とも話し合わなければいけないんだ」


 顔を上げたアシャンは、無理に笑みを浮かべる。強く、シアタカの手を握った。


「あいつらがカファの幹の一族の元にいるなら、好都合だよ。カカルの谷まで、案内させてやる」

「アシャン……」 


 エイセンは、複雑な表情を浮かべ、口元を歪めた。ウァンデが、アシャンの左肩に手を置く。


「本当に、お前は大きくなったな。俺は、お前を侮っていたよ」


 そう言って、エイセンは小さく頭を振った




 そして夜になった。


 エイセンは、アシャンに同意して、一行をカファの幹へと案内することになった。今晩はここで一泊し、翌朝出発することになる。


 ほとんどの者は眠りにつき、何人かの見張りが、焚き火を囲んでいる。


 キセの一族と客人たちは、皆見張りにつく必要はないと言われたが、アシャンは眠れなくて、焚き火を見詰めながら沸かした茶を飲んでいた。


「寝ないのか、アシャン」


 背後からの声に、アシャンは振り返った。シアタカが立っている。アシャンは、彼を見上げて小さく頷いた。


 シアタカは、アシャンの隣に座る。


「茶なんて飲むと眠れなくなるぞ。明日は大変なんだ。早く眠ったほうがいい」

「うん……、そうだね」


 アシャンは同意すると手にした杯を見詰めた。不安や怒り、様々な感情が渦巻いて、心が揺らいでいる。先刻から、ずっとキシュが警告を発している程だ。繋がりが絶たれるようなことはないだろうが、この感情の揺らぎをキシュは危険なものだと考えているようだった。


「ねえ、シアタカ……」


 アシャンはシアタカを見た。


「何だ?」

「私、カカルの人たちと話を出来るかな? ……怖くて震えないかな。憎くて、黙ってしまわないかな」

「『己を打つ者がいるならば、その者の手を暖めよ』。聖王教会では、こんな教えがある。いつまでも続くことになる争いを止めるための言葉だ」

「とても善い教えだね。私も、そんな風に考えないといけないのかな」


 何て寛大な教えなんだろう。アシャンは感心する。自分は決して暴力を好むことはないが、殴られておいて黙っていられるような人間ではない。


「ああ、とても善い教えだ。だけど、普通の人には、それを実践することはとても難しい。現に、俺は紅旗衣の騎士として、罪のない人々を殺してきた。正しいはずの教えも、世の流れや大きな力によって、結局はどこかで捻じ曲がってしまう」


 シアタカは微笑んだ。そこから感じ取れる悲しみや自責の念が、今のアシャンにはことさら辛く響く。


「怖い、憎いと思う感情を消す必要はないよ」


 シアタカは小さく頭を振った。


「それはアシャンの自然な思いだ。それを捻じ曲げてしまえば、進む道は同じように捻じ曲がって、望んでいない方向に向かう。敵を愛することができるのは、偉大な聖女王だからこそだ。俺たち常人は、それに近付けるようにできるだけ慈悲深くなるだけ。だけど、どうしても抑えられない気持ちだってある」

「でも……、この気持ちを消してしまわないと、奴らと話をすることなんて出来ないよ……」


 分かっていたことだ。キシュガナンを一つにするということは、カカルの谷の一族とも向き合わなければならない。しかし、それが現実として目の前にある状況となれば、やはり、感情がその理屈を邪魔してしまう。冷静で居られない自分が嫌になる。


「いつか仇をとる。そう考えていたっていいんだ。憎い奴を愛する必要はない。考えなければいけないのは、アシャンの歩む道の先にあるものだ。キシュガナンを一つにまとめるのなら、これまでの怨みは一先ず置いておくしかない。そのためには、その先に待っていることについて幾つも考えるんだ。一つになったキシュガナン。ウル・ヤークスを退けた未来。そして、アシャン、自分自身のこと……」


 シアタカは、アシャンの杯を取ると、残りの茶をあおった。そして、自分を見詰めるアシャンに言う。


「未来のことを考えて、とりあえず、過去はどこかに置いておこう。そうやって暫くの間、忘れる振りをすることはできないかな。そうすれば、自分のことを、少し、他人を見るように感じることができる。そうなれば、高い所に立って冷静に自分を見ることが出来るはずだ」

「シアタカは……、そうやって生きてきたんだね」


 アシャンの言葉に、シアタカは目を瞬かせた。そして、苦笑する。


「アシャンには敵わないな……」


 シアタカは焚き火を見詰める。アシャンは、その横顔をいつまでも見詰めていた。  

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