第6話

 キシュが警戒の音を発している。


 峠道を下りた先は草原くさはらで、その向こうにある大きな森まで道は続いている。その匂いや気配は森から漂ってきた。そして、彼らはその気配を隠そうともしていない。


「オオオオゥ、オオオゥ……」


 異様な唸りのような叫びのような声が響く。


 エンティノが強張った表情で槍を握ると、一歩進み出た。


「大丈夫だエンティノ」


 ウァンデが、左腕を上げてエンティノを制した。アシャンは、思わずこちらを見たエンティノに頷いて見せる。


「カファの一族のお出ましだ」


 ウァンデは、振り返ると仲間たちに笑みを見せた。


 異様な“声”とともに、森から人々が姿を現す。


 それは、大槍や槍を担いだキシュガナンの戦士たちだ。足下にはキシュが何体もいる。戦士たちは、威嚇するように“声”を上げながら、彼ら旅の一行の元へと歩んでくる。天頂に浮かぶ太陽に照らされて、紅い刃や黒い甲殻が威圧的に輝いた。


「カファの幹の一族の領内に入ったのは何者だ!」


 大声で問うのは背の高い壮年の男だった。一行を睥睨するその眼光は鋭い。長身のシアタカやウァンデよりも頭一つ以上高い。肩に担ぐ大槍も、他の戦士の物よりもさらに長く、穂先には左右からも刃が出ている。


「さあ、アシャン、名乗れ」


 ウァンデがアシャンの肩を軽く叩く。


「え、私?」


 アシャンは思わず兄の顔を見上げた。


「戦士だけが名乗りを上げる権利を持つわけじゃない。お前がこの旅のかしらなんだ。『導くもの』、お前が名乗れ」


 長老に授けられた名で呼ばれ、少し照れくさく思いながら、アシャンは頷く。


 大きく息を吸い込むと、進み出た。五体のキシュが彼女を守るように続く。勇ましい兄の名乗りを思い出しながら、それを真似しようと大きな声を出した。


「我らは東より、五つの谷と六つの山、九つの川を越えてきた! 我が名はアシャン、カデウとクファンの子。キセの塚の一族のラハシ! とくとその目で見て、その耳で聞き、キシュの鼻をもって我らの形を確かめよ!」


 長身の戦士は、名乗りを聞きアシャンの顔を見ると、相好を崩して頷く。


「よくぞ参ったキセの者、ラハシよ。お前たちを、大顎と刃ではなく、礼と友誼によって迎えよう」


 後ろに戦士たちを置いて一行に歩み寄った長身の戦士は、左手を大きく広げると歓迎の姿勢を見せた。


「久しぶりだな、アシャン! ウァンデ!」

「エイセン叔父さん!」


 アシャンは笑顔で大男に駆け寄った。その後をウァンデも歩いて続く。


「アシャ~ン、見事な名乗りだったぞ! キセの一族に、俺の知らないアシャンが他にいるのかと思ったほどだ!」


 エイセンは、笑みを浮かべたままアシャンの肩を強い力で叩いた。大きな体から発せられる大きな声。叔父さんは相変わらずだな。アシャンは笑顔で頷く。そして、アシャンの傍らにウァンデが立った。ウァンデも、彼を見上げると微笑とともに口を開く。


「元気そうだな、叔父貴」

「お前もな、ウァンデ。少し男振りが上がったんじゃないのか?」

「見え透いた世辞はやめてくれ」 


 肩を叩きながら言うエイセンの言葉に、ウァンデは苦笑する。


「戦士の褒め言葉は素直に受け取っておくべきだぞ」

「色々あったんだ。自分の小ささを思い知らされている所だよ」

「そうか! 悩め悩め! 若い時に悩めば、もっと大きな男になれるぞ!」


 エイセンは大声で笑うと、ウァンデの肩を何度も叩く。ウァンデは微かに笑みを浮かべると、それを黙って受け入れた。


「しかし、アシャンよ」


 やがて手を止めたエイセンは、アシャンに向き直る。そして、身を屈めた。


「お前、大きくなったなぁ!」


 エイセンは両手を伸ばしてアシャンの腰を持つと、一気に自分の顔の高さまで持ち上げた。


「ひゃ!!」


 不意を打たれたアシャンは、思わず妙な声を出す。


「やめてよ叔父さん、去年会ったばかりだよ! 子供じゃないんだから、大きくなってる訳無いでしょ!」


 アシャンは、空中でばたばたと手足を泳がせて抗議するが、エイセンは腰を持ったまま微動だにしない。


「いいや、アシャン。去年、キセの塚で出会った時のお前は、とても小さかった。だが、今のお前は大きくなったぞ」


 持ち上げたアシャンの顔を覗き込むようにして、エイセンは言う。父、カデウがキシュの糧として捧げられた儀式に、エイセンは駆けつけてくれた。それが去年のことだ。


「本当に、姉さんによく似てきた。なあ、ウァンデ」


 その言葉に、ウァンデは無言で頷いた。アシャンはカファの幹の一族出身である母親の顔を知らない。母、クファンはアシャンを産んだ後、体調を崩してそのまま亡くなってしまったからだ。生前からクファンの弟であるエイセンは、キセの塚をよく訪れていた。そして、母の死後も、何かとアシャンやウァンデを気にかけてくれた。父親やエイセンは、母親のことをよくアシャンに聞かせてくれたものだ。キシュの中にある記憶と彼らの話によって、アシャンの中には一つの母親像がある。勿論それは自分が勝手に創りあげたものだと分かっていたが、それでも随分と心の支えになったものだ。そんなアシャンの中のクファンという女性は、自分とは大きくかけ離れている。そのため、エイセンの言葉には首を傾げるしかない。


 父親やエイセンと違い、ウァンデからは母親の話を聞いたことがない。彼はアシャンに何も話そうとしなかった。アシャンは、一度、ウァンデに母について聞いたことがある。その時の兄の抱いた感情があまりに複雑で悲しいものだったために、幼かったアシャンは激しく動揺したものだ。そんな兄を見るのが悲しくて、いつしかアシャンも兄の前では母の話をしなくなってしまった。


 エイセンはアシャンをゆっくりと地面に下ろした。アシャンは安堵の溜息とともに地に立つ。 


「隊商頭を務めると聞いていたが、まだ出かけておらんのか?」

「いや、アシャンは立派に仕事を終えた」


 ウァンデは、こちらを向いたエイセンに答えた。


「そうか、さすがだな! きっとキシュの元にいるカデウも喜んでいるだろう。……それで、どうしてこんな所にいる。旅の帰り道で道に迷った訳でもあるまい。土産話でも聞かせに来てくれたのか?」

「客人を……、彼らをカファの幹に連れて行くためだ」


 ウァンデは少し離れた場所でこちらを見守っている一行を指差した。エイセンは微かに目を細めると、彼らを見る。 


「外つ国の民か」

「ああ、そうだ」

「あの二人の男と一人の女。キセの服を着ているが、キセの一族じゃないな」

「分かるの?」


 アシャンは、エイセンの言葉に驚く。エイセンはアシャンに顔を向けると頷いた。


「ああ。キセの塚では見なかった顔だ。それに、何よりあの男たちは、まるで大豹ジャガーのような猛々しさを持っているな。金の髪をもった外つ国の娘もそうだ。持っている槍は飾りじゃなさそうだな。あんな大豹ジャガーのような戦士がキセの塚にいれば、忘れるはずがない」

大豹ジャガーか……」


 ウァンデは笑みを浮かべる。


「確かに、彼らは強い。俺でも勝てないだろうな」

「ほう……。お前がそんなことを言うとは……。余程の腕前だな」


 微かに口の端を歪めたエイセンから、獰猛な気配が発せられる。アシャンは慌てて手を上げた。


「叔父さん、駄目! 駄目だよ! あの人たちはカファの幹の一族と話す為に来たんだよ! 戦いに来たんじゃない!」

「叔父貴、彼らはキセの塚の客人だ。妙なことは考えないでくれ」


 ウァンデも、顔を顰めてアシャンの言葉を継いだ。


「分かった分かった。まったく、ご馳走を取り上げられた気分だ」


 そう言うと、エイセンは溜息をついた





「私はカナムーン。東の地、カラデアよりやって来た」

「ようこそカナムーン。俺はエイセン。カファの幹の一族の戦士だ」

 

 カナムーンの挨拶に、長身の戦士も訛りの強いルェキア語で応える。


「でけえ……」

「マウダウ団長くらいはあるわね」 


 ハサラトの呟きにエンティノが頷いた。


「すごい槍だな」


 シアタカは、エイセンが地面に突き立てた大槍を一瞥する。それは、長身のエイセンよりもさらに高い。ウァンデの大槍が彼自身の身長より少し高いことと比べると、異様な長さとも言える。


「まるで歩兵の長槍か騎兵槍みたいね。あんな物を振り回せるのなら、かなりの力があるはず。穂先が大きすぎて私には扱いきれないな」

「片手で大刀を振り回すマウダウ団長みてえだな」


 腕組みすると、ハサラトは唸るように言う。エンティノは肩をすくめた。


「さすがにマウダウ団長には及ばないんじゃない?」 


 シアタカもエンティノの言葉に頷いた。しかし、マウダウ団長の怪力には及ばないにしても、目の前の戦士が相当な実力の持ち主であることは感じ取れる。


 アシャンは、次々と仲間たちをエイセンに紹介する。


 エイセンは、興味深そうに一行を眺めた後、小さく息を吐いて頭を振る。


「こんな色々な外つ国の民を見るのは初めてだ。全く、アシャン、お前は何をしにカラデアに行ったんだ?」

「キセの一族のために向かい、キシュガナンを守るために帰ってきたの」


 アシャンの答えに、エイセンは眉根を寄せた。


「それは……どういう意味だ?」

「言葉通りの意味だよ。今、災いが東の地から迫っている。その災いからキシュガナンを守るために、まずはカファの幹の一族を訪ねなければいけないんだ」

「キシュガナン? キセの一族ではなく?」 

「うん。その災いは、キシュガナンの地全体を襲おうとしているんだ。災いを退けるためには、キシュガナンすべてが団結しなければいけないの」

「キシュガナンすべてが、団結する……?」


 エイセンは、呆気にとられた顔でアシャンを見詰めた。シアタカは、アシャンやウァンデが語っていたことを思い出す。キシュガナンは互いに争い、一つになることはない。おそらく、アシャンの考え方こそが異端なのだ。ほとんどのキシュガナンは、自分たちが他の一族と団結するなど、想像の埒外だったに違いない。


「その災いは、ウル・ヤークスという」


 異様なカナムーンの声色に、エイセンは我に返った様子で顔を向ける。


「ウル・ヤークスは、沙海のさらに東にある国だ。とてつもなく大きく、そして強い。そのウル・ヤークスが、沙海に軍をおくり、カラデアを支配しようとしている」

「だからどうしたというんだ? 獲った獲られたは世の常だ。弱いならば滅ぼされるしかあるまい」 


 エイセンはそう言って鼻を鳴らす。カナムーンは答えた。

  

「アシャンが言っただろう。災いはキシュガナンを襲おうとしていると。ウル・ヤークスの次の獲物は、キシュガナンの地だ」

「わざわざ沙海を渡ってキシュガナンの地まで来るというのか? 信じられんな。何か証拠でもあるというのか」

「証拠なら、ある」


 カナムーンはアシャンに顔を向けた。アシャンは深く頷くとエイセンを見つめた。


「証拠は……、私。それに、彼ら」


 アシャンは手で自分自身を示すと、続けてウル・ヤークスからやって来た者たちを示した。


「……どういう意味だ?」

「私は、ウル・ヤークスに攫われたんだ」

「攫われただと!? お前、大丈夫だったのか?」


 エイセンが驚き、アシャンの肩を掴む。ウァンデがエイセンの腕に触れながら言った。


「叔父貴、落ち着いてくれ。アシャンはこの通り無事だったんだ。何とか奴らのもとから救い出した」

「そうか……、よかった」


 エイセンは安堵の息を吐くと、アシャンから手を離した。


「奴らはキシュガナンの地に攻め込むつもりなんだ。私、敵の頭に言われたの。キシュを支配する力が欲しいって。その為に、ラハシである私が必要だったんだ」

「キシュを……」


 アシャンの言葉に、エイセンは視線を鋭くした。そして、シアタカたちに顔を向ける。


「それで、連れている客人たちもその証拠だと言ったな。それは、どういうことなんだ?」

「俺がアシャンを攫った」


 シアタカは、エイセンの視線を受け止めて言った。


「シアタカ!?」


 アシャンが悲鳴のような声を上げる。


「お前が攫った……だと?」


 エイセンが一歩踏み出した。 


「待ってくれ叔父貴。詳しい話を聞いてくれないか……」

「うるさいぞウァンデ。俺はこの男と話している」


 エイセンは、前に立ったウァンデを押しのける。その力に、ウァンデは後ろによろめいた。 


「良く考えて喋るんだ、客人よ。答えによっては、俺は戦士の掟を破ってしまうかも知れん」

「ああ。俺が、アシャンを攫ったんだ。俺はウル・ヤークス王国に仕えていた。そして、軍の命を果たすために、アシャンをキセの一族の隊商から攫った」

「貴様っ!」


 エイセンの怒声。


 拳が頬にめり込む。頭蓋が軋む。まるで頭部を引き千切られそうな衝撃。 


 シアタカは仰け反り、二歩、三歩後退したが、倒れなかった。


「シアタカッ!!」


 エンティノの鋭い呼び声。それは、戦いの意志を帯びている。シアタカは、右手を上げてその意志を制した。


 その時にはすでに拳が腹へと叩き込まれていた。

 

 体が浮く。


 続く即頭部への一撃ですぐに地に叩き落された。


 膝から崩れ落ちるシアタカの胸板に、蹴りが突きこまれる。吹き飛ぶようにして、後ろに倒れた。 


「何をする叔父貴!!」

「ひどいよ叔父さん! 止めて!!」


 ウァンデとアシャンの非難の声を聞きながら、シアタカは何とか半身を起こす。


「シアタカ、大丈夫?」


 エンティノがシアタカの傍らに跪くと、聞いた。


「何とか……。駄目だな。まだ目が回ってる」


 答えながら傾いていくシアタカの体をエンティノが支えた。自分でも呂律が回っていないことが分かる。


「凄い音してたからね。骨にひびが入ってないといいけど」

「騎士シアタカ、お体は、お体は……」


 狼狽した様子でウィトが駆け寄った。エンティノに寄りかかったままのシアタカは小さく手を上げる。自分の舌を意識して操るようにして、ゆっくりと答えた。


「今回はちょっと効いたみたいだ。しばらく動けないかもしれない」

「わざわざまともに殴られてやることはねえだろ。馬鹿正直に答えやがって」


 ハサラトが呆れた様子でシアタカを見下ろした。


「事実は、事実だ。嘘を言っても……仕方がないだろ? 俺は、確かに……彼らを裏切った。怒りは、正当なものだ。甘んじて受ける……しかない」


 苦労しながら言葉を発する。泥酔している者の気持ちが分かるような気がした。


「それで大人しくぶん殴られるのが、お前の言う贖罪ってやつなのか?」

「どうかな……。アシャンも、ウァンデも、俺を責めることはなかった。だが、俺は罪を犯したんだよ……」

「あんたは本当に極端ね」


 エンティノは溜息をついた。


「崖っぷちを歩いてたかと思えば、今度は、涸れ川の底を歩くような生き方をしてる。もう少し、歩きやすい道を選んでみたら?」  


 歩きやすい道、歩きにくい道。そんなものを選ぶことはできるのだろうか。シアタカには分からない。ただ、前に広がる大地の、自ら信じて選んだ道を歩いていくしかない。そこが例え荒野だとしても。


「シアタカ、癒しましょうか?」


 サリカがシアタカの顔を覗き込む。シアタカは彼女を見上げて小さく頭を振った。 


「いや、大丈夫だ。もう少しすれば治る」


 調律の力が、急速にシアタカの痛手を治しつつある。罰を受けたはずが、すぐに癒されていくことに、後ろめたさを感じていた。


「シアタカ! シアタカ、大丈夫?」


 アシャンが駆け寄ってくる。


「ごめんね。本当にごめん、シアタカ」

「いや、いいんだ、アシャン」


 シアタカは微笑む。それを見たアシャンの顔は、今にも泣き出しそうだった。

 

 暗い影が差す。


 見上げると、傍らにウァンデを連れたエイセンが立っている。シアタカを見下ろすエイセンの呼吸は少し荒い。まだ怒りが残っているのか。シアタカは、その強い力を放つ瞳を見つめた。


「ウル・ヤークスの男よ。なぜ俺の拳を受けた。お前の腕前ならば、いかようにでもかわせたはずだ」


 エイセンがおもむろに口を開く。シアタカは、小さく頷くと答えた。


「俺は、あなたの怒りをかわすことはできない。あなたの怒りから逃げることは、自分の信じた道から逃げるということなんだ」

「自分の信じた道?」

「俺は、罪を償うためにここにいる。命を懸けてアシャンを守る。それが、俺の歩く道だ」


 エイセンは、無言でシアタカを見つめる。そして、大きく息を吐き出すと、その場に腰を下ろした。


「お前を戦士として認める。シアタカ、アシャンを守ってやってくれ」


 エイセンは、シアタカの肩に手を置くと言った。

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