第2話

 茶房は、王都アタミラにおける知識人層の多様性を感じ取ることのできる場所だ。


 珈琲を求めて集まった文人、詩人、哲人、宗教者、そして商人たちが、世界各地の事象であったり、文物であったり、教えであったりを議論し、考察している。それは、『世界の中心』と自称するアタミラだからこそ見ることのできる光景だ。


 この茶房も、そんなアタミラで繁盛する店のひとつだ。


 しかし、一つの原因が、その茶房に異様な雰囲気をもたらしていた。


 シアート人の裕福な青年が、同年代の友人たちと珈琲を片手に談笑を楽しんでいる。これだけならば、茶房におけるありふれた光景だろう。


 異様なのは、赤らんだ白い肌、青い瞳、長い金髪と髭を同じような意匠で巧みに編んだ大男二人が彼らの近くの席に座り、周囲を睥睨していることだ。腰に吊るした幅広の剣をこれ見よがしに触れる彼らは、卓上の珈琲には手もつけていない。客として、これほど茶房とは場違いな者は珍しい。他の客たちは努めてそちらを気にしないようにしているが、それもさすがに限界がある。


 茶房の中は、その大男二人の剣呑な雰囲気によって緊張感に包まれているが、シアート人の青年アトルは、そのことを気に留めた様子もない。


 そんな彼らに恐れを見せずに歩み寄る一行がいる。


 先頭に立つ肌が浅黒く体格の良い男は、白い長衣を身にまとい、頭に白い布を巻いている。そして、頬に白い顔料で小さな紋様を描いていた。その男は、似た衣装を着た共の男二人を連れてアトルの席に近付いた。


 金髪の男たちが来訪者に鋭い視線を向けながら立ち上がるが、アトルは彼らの言葉で「まて」と止める。


「やあ、お久しぶりです、サウド殿」


 アトルは立ち上がると、にこやかに一礼した。サウドと呼ばれた男も笑顔で頷く。


「よお、アトル。元気そうだな」


 三十も半ばといった年の頃だろう。日に焼けた浅黒い肌に描かれた白い紋様、高い鷲鼻、その奥に炯炯とした光をもつ瞳が精悍な印象を与える男だ。


「航海に出ておられたのですか?」

「ああ、前の元老会が終わってすぐに出た。アタミラには十日前に帰ってきた所だよ」


 サウドは、頷くと腕組みした。カザラ人であるサウドは、自ら海に出て交易を取り仕切る商人であり、そしてアトルと同じ元老院議員だった。


「それで、お前はここでお友達とお茶会か?」


 サウドは不躾な視線で友人たちを見やる。彼らはその視線を受けて居心地が悪そうに身じろぎした。


 アトルはその様子に苦笑すると、友人たちに顔を向けた。


「皆、私はこの人と話しをする。少し待っていてくれるかな?」

「ああ、勿論だ」


 安堵した様子で友人たちが頷く。


「主人、部屋を一つ貸して欲しい」


 アトルは手を打ち合わせて店の主人を呼ぶと、言った。主人は恭しく一礼するとすぐに準備を始める。


「サウド殿、何かお話があるのでしょう? 別室で話しましょうか」

「ああ、お前は話が早くて助かる」


 サウドは口元を微かに歪めると、軽く片手を振った。


 アトルとサウドは、給仕娘に案内されると、庭の見える一室に入った。円卓の上には軽い食事と珈琲が用意されている。


 共の者を連れず、二人きりとなった彼らは、椅子に座った。


「『雪と森の国々』の蛮族か? 中々おっかない連中じゃないか」


 部屋の入り口に立った金髪の大男たちの後姿を見やりながら、サウドが口を開いた。


「蛮族とはいえ、給金の分はしっかり働いてくれますよ。腕も確かですからね」

「なるほど、遠い土地から来た他所者でないと、安心して使えないってことか」

「……どういう意味です?」

「言ったとおりの意味だよ。身内も信用できんということだろう?」

「身内であろうと他所者であろうと、実力のある者は使う。それだけですよ」


 アトルは、肩をすくめる。


「まあ、そういうことにしておこう。ところで、ナタヴ殿が倒れたと聞いたのだが、お加減はいかがかな?」

「心臓の病だったようです。幸い、癒し手によってお元気になられましたよ」

「あのナタヴ殿が病ねぇ。壮健を絵に描いたような御人だけに、信じられんな」

「ナタヴ様もお年を召されていますからね。これまでのようにはいかないのでしょう」

「素直に話してはくれないか」


 サウドは苦笑した。


「話せることは全て話していますよ」


 アトルは微笑む。サウドがどこまで事情を把握しているのか分からないが、真実は曖昧にしておいたほうがよい。膨れ上がる憶測は、相手を自縄自縛にする。


「しかし、お前にしては珍しくあからさまだな。あんな目立つ護衛を近くにはべらせるとは。もっと自然に、賢く自分を守ると思っていたが」


 サウドは、再び金髪の護衛たちを見る。


「わざとですよ」

「わざと?」

「ええ。私がいかにも目立つ護衛を連れ歩いていれば、自然と世間は騒ぎ始める。口さがない都人みやこびとたちは、色々と噂するでしょう。元老院議員が怯えるほどの危険があるのか、とね。幸い私は、自分で言うのもなんですが、有徳の士として評判を得ている。その私が何かに怯えているとなれば、その相手は実にけしからん、悪い奴だと、そんな評判がたつでしょうね」

「くくく……。哀れな被害者というわけか」


 サウドは笑うと、杯を手にとって珈琲を飲む。アトルは、その杯が卓上に置かれたのを目で追った後、サウドに顔を向けて言った。


「事実そうですからね。我々シアートは今、戦を仕掛けられている。ならば、こちらも身を守らなければならない。間違っていますか?」

「いや、仰るとおりだ」


 サウドは両手を大きく広げると大袈裟な仕草で同意して見せた。


「あなたこそ、こんな目立つ形で私に会って大丈夫なのですか?」

「どうしてそう思う?」

「カザラ人は、シアート人の商いを嫌っていると思っていたので」


 カザラ人は、ウル・ヤークスの南に広がる南洋や、ウル・ヤークス国内の商取引に大きな勢力をもっている。そのため、シアート人と商売上の利益で度々衝突することがあった。 


「大丈夫だ。というよりも、わざと目立つようにして会っているんだからな。お前と同じだよ。俺とお前が個人的に会って話をした。世間にそう伝わることが狙いだ」

「なぜですか?」


 アトルの問いに、サウドは答えない。僅かな沈黙の後、彼はおもむろに口を開いた。


「たとえばこの砂糖だ」


 サウドは小壺に入った砂糖を指す。


「祖父の若い頃、砂糖はとてつもなく高価だったそうだ。しかし、今や、少し贅沢をすれば誰でも手に入るようになっている。これは、我々の曾祖父の代のカザラ商人たちが、南洋を渡り、黒い人々ザダワーヒに働きかけたおかげだ。南洋に面した土地では、質の良い砂糖が収穫できる。カザラ商人が話を持ちかけ、黒い人々ザダワーヒはそれに応えて砂糖を作り始めた。そして、それは上手くいき、今は黒い人々ザダワーヒは砂糖を作り、俺たち商人たちがそれを売る良い関係が出来上がった。今飲んでいる珈琲も同じだよ。黒い人々ザダワーヒが育て、収穫したものが、ウル・ヤークスにやってくる。それも、昔、我らカザラ商人が彼らと話をつけた結果だ」

「ああ、その話は聞いています。実に理想的な話ですね」


 シアート人と、西に渡ったラーナカの人々は、これまでの歴史の中で植民市を幾つも築いてきた。その際に、現地の人々と何度も衝突している。その血塗られた歴史を知っているアトルとしては、サウドの語る南洋の人々との関係は羨ましく思えるものだ。とはいえ、全てが理想通りに進んだわけではないだろうということも理解している。カザラ人の誇り高さと血の気の多さは、良く知られていたからだ。


「だが、その関係を、壊そうとしている奴らがいる」

「ほう……」


 唸るように発せられたサウドの言葉に、アトルは目を細めると顎に手を当てた。


「南洋に侵出しようとしている者がいるのですか?」

「そうだ。カザラの大きな商会の奴らと軍が手を結んで、侵出しようとする動きがある。軍を送り込んで、直接支配しようというのだ」

「あなたもカザラ人でしょう? その口ぶりでは反対しているようですが」

「侵出を企んでいるのはおかの奴らだ」


 サウドは眉根を寄せると、吐き捨てるように言った。


黒い人々ザダワーヒと付き合い始めて随分たつ。奴らは気の良い奴らだ。我々が曾祖父の代から作り上げてきた絆を、おかの奴らは台無しにしようとしている。無理やり支配しても、これまで作り上げた物が崩れ去るだけだ」

「カザラの民は、食卓に魚を出されただけで殺し合う」


 アトルは、頭に浮かんだ言葉を口にする。シアート人が、血の気が多く出身地によってあまりに習慣の違うカザラ人を揶揄した言葉だ。それを聞いたサウドは、顰め面で頷く。


「ああ、そういう風に馬鹿にされていることは良く知っている。そして、それがほぼ正確な例えだということも認めるさ。他所の国の者たちから見れば、我々もおかの奴らも同じカザラ語を話すカザラ人に見えるだろう。しかし、我らは、無明の代、聖女王陛下が現れるまでは、内輪で争いばかりしてきた。同じ言葉を話していても、同じカザラ人とは考えていなかったのだ。その名残は、今も続いている。おかのカザラと、海のカザラでは、同じ言葉を話しているだけで、考え方がずいぶん違う」

「なるほど。そういう意味では、我々と立場が似ていますね」

「ああ、そうだ」


 サウドは頷く。


「それぞれに不足している物があり、逆にそれぞれが必要としている物を持っている。それを持ち寄ることで世は繁栄し、人々は幸せになる。商いとはそういうものだ。良い草が生えているからといって、羊飼いが、皆同じ丘で羊を飼ったらどうなる? あっという間に禿山だ。それは聖女王陛下も戒めておられたことだ。自分だけが儲かれば良い、と欲をかくと、短い期間はそれで良いかもしれないが、やがて、病となって全体を滅ぼすことになる」

「ああ……、同感です」

「国というものには、治めることができる限界の広さがある。かつて栄えた巨人の国々や、聖王国はどうなった? 古き魔術を誇った偉大なる国々でさえも滅びた。際限なく領土を広げても、その末端まで目は届かなくなり、暮らす民の間では不満がたまり、外敵を迎え撃つこともできず、国は荒れることになる。聖女王の慈悲深き紐帯によって結ばれた我々でさえ、内輪もめをしている。それが聖王教会の信徒でない民まで支配するとなればどうなると思う? 怨嗟の声や流される血は、地に満ちることになるだろう」

「確かに、そうなるでしょうね」


 アトルは、付き合いのある黒い人ザダワフ、ヤガンの顔を思い浮かべながら頷いた。


「しかし、立派なことを言ってるが、結局、あなたが自分の権益を守りたいだけだと言われたらどうしますか?」  


 サウドは、アトルの挑発するような言葉に肩をすくめた。


「否定はせんよ。我々は商人だ。まず利益ありきで物事を進める。しかし、その利益も、未来があってのことだ」


 そう言って、アトルに鋭い視線を向けた。


「強大な帝国が世界を支配し、その中で交易を営んだほうが良いと言う者もいる。その説にも根拠があり、説得力があるものだ。確かに、短期的には上手くいくだろう。しかし、百年先では違う。今、千金を得ても、曾孫の代にはそれは返済できないような借金に変わるだろう。無駄な領土の拡張は、最終的にはその国にとって損失になる。俺はこれまで学んだことを総合して、自分の意見が正しいと確信している。だからこそ、己の権益を守り、己の信ずる道を進むことが、ウル・ヤークスの未来に繋がると信じている。そして、その道は、シアート人が歩む道と同じくしていると俺は思っているわけだ。我々は、手を組む必要がある」


 そこまで語ったサウドは、自嘲の色を帯びた笑みを浮かべ、アトルを見る。


「カザラ人の俺がこんな事を言うのは意外だったか?」

「正直に言えば、そうですね。我々は商売敵だと思っていましたので」


 ラハトは微笑とともに頷いた。


「そうだ。我々は商売敵だ。だが、似たもの同士でもある。我ら海のカザラは南の海を、シアート人は西の海を渡り、商機を手にする。もし、どちらかの力が奪われたとする。短い目で見れば、生き残った方は得をする。しかし、短い間だけだ。我らは、同じ船の船員だ。右舷が浸水して左舷の者だけが生き残ったとしても、やがて左舷も沈む。必要なのは、共に手をとって浸水を止めて、お互いが生き残ることだ」

「海の民は、皆、締め付けられると仰いたいのですね」

「一部の議員と、軍が結託してその話を進めているようだ。勿論、公言はしていないがな。ウル・ヤークスの中しか知らないおかの奴らが、外つ国を支配しようとしている。実に愚かなことだ」

「なるほど。あなたは、実に高き所から遠くを見通しているのですね」


 アトルは素直に感心していた。シアート人でも、百年先の国の未来のことまで考えている者は稀だろう。少なくとも、自分はそこまで考えは及んでいなかった。


「歴史は偉大なる教師だ。大いなる成功と失敗が幾つも転がっているのに、それを参考にしない手はないだろう」

「仰る通りです」

「“炎瞳の君”が語った終末の言葉を知っているか?」

「いえ、不勉強なもので。存じ上げません」


 突然話題が変わったことに戸惑いながら、アトルは頭を振る。


「『世界はやがて、最もまばゆき暗黒の中に消え去る。それは聖女王でさえ免れえぬ運命』。そう言ったそうだ。この果て無き世界でさえ、永遠に続かんのだぞ? 国の興亡なんぞ蝋燭の瞬きのようなものだ。だからこそ、その灯りを絶やすわけにはいかんのだよ」

「ああ……、実に遠大なお話です……」


 世界の終末。聖典を学ぶ時でさえ、そこまで言及する僧侶は少ない。それを、商人であり元老院の議員にすぎないサウドが口にしたことに衝撃を受けていた。


「すまんな、なんでも大袈裟な話にしてしまうのは俺の悪い癖だ」


 サウドは照れたように頬をかく。


「いや、勉強になりました。何と言うか……、自分の立つ所をもう一度良く考えてみなければいけませんね……」

「そうしてくれ。そして、そこから見えるものが何かを考えれば、己が選ぶことのできる新しい道が幾つも見えてくるだろう」

「あなたは、我らシアートと運命を同じくする。そう考えても良いですね?」


 アトルは、サウドを見つめる。サウドは、深く頷いた。


「そうだ。我らは皆、同じ船にのった船乗りとして旅をする。そうだろう?」

「はい。あなた達が共に航海に出てくれるのならば、これほど心強いことはない」


 アトルの答えに、サウドは笑みを浮かべた。思わぬ味方を得た安堵感から、アトルは小さく息を吐き出す。


「しかし、カザラ人と手を組む時がこようとは、考えもしませんでした」

「俺も、つい最近まではそうだった。南洋から帰ってくる間、ずっと自分たちだけで何とかしなければと思っていたからな」


 サウドは腕組みすると、笑みを浮かべたまま答えた。


「では、なぜ我々と手を組もうと考えたのですか?」

「シアートの民が流れを止めようとしている。そう教えてくれた男がいたからだよ」

「その男は、何者ですか?」


 アトルは、微かに眉根を寄せると聞く。


「お前もよく知る、黒い人ザダワフだよ」

「……ヤガン、ですか?」

「そうだ。あの駱駝面の男だ」


 サウドは愉快そうに笑いながら頷く。思いもよらぬ人物の関与に、アトルは驚きを禁じえない。


「あの男も、南洋でのウル・ヤークスの動きに気付いたらしい。どうやってそれを知ったのかは教えてくれなかったがな。そして、アタミラに帰ったばかりの俺の所に来た。このままでは、我が商会が不利益を被るだろう、と親切に知らせてくれたというわけだ」

「そして、我々が戦を止めようとしているとあなたに教えた……」

「そういうことだ」


 サウドは、頷くと、笑みを浮かべたまま身を乗り出す。


「あの男は面白いな。他にも、色々と知っているようだ。油断ならないが、手放すべきではない」

「ああ……、そのつもりです」


 アトルは苦笑する。ヤガンは、己を随分と小さく見せている。しかし、その見せ掛けを信用してはいけない。そのことを痛感した。


「利用されるならば利用されよう。こちらも利用するだけだ。そして、それはお前と俺も同じことだな」

「そうですね。商人は、そうやって互いに利を得る」


 アトルとサウドは、頷きあった。


「止めましょう。この戦を」


 そう言って、手を差し出す。サウドは、力強くその手を握った。

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