第1話

 鳥たちが空を舞っている。


 六羽の鳥たちは、戯れるように、互いに接近し、交差しながら空を飛び交っていた。その姿形は鷹や鷲に似ている。しかし、よく目を凝らせば、おかしなことに気付く。その背に、人を乗せているのだ。


 それは、大鳥と呼ばれていた。


 飛び交う巨大な猛禽の背に跨るのは、軍装を身に着けた者たちだ。大鳥の首辺りに鞍を据え、手綱とあぶみで大鳥を操っている。狭い空域を、大鳥たちは付かず離れずに飛び回っていた。とはいえ、彼らは争っているわけではない。


 ウリクは、大鳥の中の一羽が遠くから大回りで下降していることに気付いた。地上すれすれまで降下した後、そのままほぼ垂直に上昇してくる。


「イェナは腕が上がったな」  


 真下にまわった大鳥を一瞥して呟く。部下である彼女は、空兵部隊に配属されてまだ日が浅いが、大鳥乗りとしてみるみる上達している。大鳥は雛の時から騎手が育て上げなければならない生き物だ。そのために、飼育、そして騎手の育成自体にも時間と手間がかかる。育ての親として優れていても騎手として優れているとは限らない。当然ながら、その逆もよくあることだ。そういう意味では、イェナはそのどちらにも長じていたことになる。大鳥は騎手を信頼して飛び、騎手は存分にその腕を見せることができる。それは大鳥乗りの理想とするあり方だった。


 ウリクは今年で三十三歳になる。一方のイェナはまだ十九歳だ。若い世代が台頭してきていることに、頼もしさとともに焦りを感じるのだった。


「だが、まだ甘い」


 笑みと共に呟いた。両くるぶしで騎鳥の体を何度か叩いて緊張をうながす。そして、機を計ってから右の鐙を強く踏み込み、手綱を引き絞った。


 大鳥は素早く体を傾けると、一気に下降した。傍らを、イェナの騎鳥が通り抜ける。ウリクにかわされたイェナは、擦れ違う瞬間、悔しそうにこちらを見た。


 負けん気の強い奴だ。ウリクは苦笑する。それは成長する者に欠かせない資質の一つだ。


 ウリクはそのまま大鳥を左右に旋回させながら、部下たちの大鳥と模擬線を続けた。


 大鳥は大空の生き物だ。鳥舎に閉じ込めたままではなく、時々空を飛ばせてやらないと、体の調子と機嫌を損ねることになる。体調管理と訓練を兼ねて、彼らはこうやって空を飛ぶ。眼下は褐色の不毛な大地。彼方には青々とした水をたたえた大河とそのほとりにある都市。そして広大な農地が見える。ウル・ヤークス西の都であるアシス・ルーの郊外が、空兵たちの訓練場だった。


 二羽の大鳥の背後をとったウリクが大きな軌道を描いてその場を離れようとした瞬間、他の大鳥の陰から大鳥が飛び込んできた。真正面から接近する大鳥が視界を占める。


 咄嗟に反応したのは大鳥だった。僅かに遅れてウリクも反応する。


 大鳥は頭を軸にするようにして体と折りたたんだ翼だけを横に半回転してかわした。その最中でも頭はほとんど角度を変えることなく前を見据えている。しかし、背に乗っていた騎乗者はそうはいかない。ウリクは、空中に放り出されないように、真横になった瞬間、手綱を握り締め首筋に必死にしがみつく。臓腑が体から強引に抜き取られてしまうような異様な感覚。その傍らを、大鳥がぎりぎりで掠めていった。


「あいつ、無茶しやがって」


 ウリクは振り返ると唸った。騎手はイェナだった。自分に一泡吹かせようとして熱くなり過ぎたに違いない。同じようにこちらを振り返ったイェナの表情は、驚きと恐怖からか強張っていた。


 大鳥乗りは翼人族ではない。あくまで大鳥の力で空を飛んでいるに過ぎないのだ。もし大鳥に何かあれば、騎手は為す術もなく地面に落下し、激突することになる。大鳥乗りは翼持たぬ者として最大限の自由を手にしているが、それは即、死につながる危険と背中合わせの自由だった。そのため、彼らは訓練においても細心の注意をはらって飛ぶ。戦場の栄光に浴する前に事故で死ぬなど、軍人としてこれほど不名誉なことはない。


 二羽の大鳥の危険な交差を見た他の空兵たちが、離れて二騎から距離を取る。事故を連鎖させないためだ。ウリクは大鳥の翼を二度左右に傾けさせて無事であることを知らせる。


 それをきっかけとして、模擬戦は自然と終わった。


 空兵部隊は、ウリクを先頭にして編隊を組む。そして大河の方向へと飛んだ。


 行く手に、雲と呼ぶには奇妙なまでに質感や光沢がある、大きな塊が浮いている。“空ノ魚”の群れだ。


 空ノ魚の体は細長く、棒状だ。体のどこにも翼は見えない。人の掌ほどの長さだろう。その棒状の生き物が無数に寄り集まり、白い雲を作り出していた。湿地で蚊や羽虫をたらふく食べたのだろう。普段ならば半透明で目にも留まらぬ速さで飛ぶ空ノ魚だが、目の前の群れは乳白色に染まり、大鳥の飛行速度よりも遅くなっている。


 横に並んだ大鳥の騎手が、手振りで空ノ魚の群れを指差す。ウリクは許可を意味する手振りを示した。


 大鳥たちは群れに追いつくと、その只中へと飛び込む。満腹になり動きの鈍った空ノ魚は、空を飛ぶ動物にとって容易く獲れる獲物だった。とはいえ、大鳥にとっては巨大な“空ノ蟲”と比べれば、間食程度の量だったのだが。


 大きな嘴が、空ノ魚の細長い体を次々と呑み込む。


 大鳥は元々、北方の大草原を原産とする生き物だ。北方の遊牧民たちは、毛長象や毛犀、大角鹿といった巨獣を狩って大鳥の餌としているが、そういった大型の獲物の乏しいこの地ではそうもいかない。餌として大量の肉が必要となり、食費が嵩んでしまう。飼育するにはとても高価な生き物だった。そのために、所有しているのは軍か、一部の富豪くらいだろう。


 ウリクは大鳥の腹を満たしてやるために、こういった間食は積極的に食べさせるようにしていた。


 哀れな空ノ魚の群れは、散り散りとなって襲撃者たちから逃れようとしていた。ウリクは大鳥の食欲に任せて自由に獲物を獲らせている。空ノ魚のような小さな獲物を捕らえるのも良い訓練になった。


 時折顔に衝突してくる空ノ魚に辟易しながらも大鳥の動きに身を任せていたウリクは、視界の端に何かを捉えてそちらを向く。


 腰から垂らした真紅の旗をなびかせながら、翼人がこちらに向かって飛んできていた。


 ウリクは空ノ魚の踊り食いを止めるために、手綱を引いた。大鳥は抗議の鳴き声をあげながらも、上昇する。

 

 彼らの猟場の上空を低速で飛んでいると、翼人はウリクとその騎鳥のもとへと向かった。そして、大鳥の上で身を捻りながら縦に回転すると、そのまま下降して向かって来た方向へ反転する。騎鳥の速度に合わせてゆったりと羽ばたきながら、ウリクの横に並んだ。この小回りのきく機敏な飛行は大鳥には真似できない。


 フィ・ルサ族の空兵は、ウリクに向かって風の轟音に負けない大声で叫ぶ。


「召集がかかった! 空兵部隊も出るぞ!」

「何だって?」

「空兵部隊も沙海へ向かうんだ! 早く駐屯地へ戻れ!」


 翼人空兵の叫びに頷いてみせると、ウリクは眼下を一瞥した。部下たちは今だ猟に励んでいる。


 ウリクは、腰の袋の一つを開くと、空中に中身を撒いた。大鳥の後方に、赤い粉が煙のように広がっていく。帰還の合図だ。


 部下たちはそれに気付いたのか、四散して広がった空ノ魚の群れから離れていく。


 翼人空兵が彼らを先導し、大鳥たちはその後ろを編隊を組んで飛んだ。速度を上げた彼らは、あっという間に荒削りな造作を見せる岩塊へと辿り着いた。その台地の上には、建物が立ち並んでいる。それが空兵部隊の駐屯地だ。


 ウリクの手綱さばきで、大鳥は着地の態勢になる。大鳥を着地させる時には、騎手がすることはほとんどない。下手に騎手が操るよりも、大鳥に任せたほうが安全だった。


 大鳥は、大きく、ゆっくりと羽ばたきながら、重さを感じさせないような軽やかさで着地した。


 その後を、部下たちが続く。


 次々と着地する大鳥たちを背に、こちらに駆け寄ってくる男に歩み寄った。彼は駐屯地に配属された文官だった。


「空兵部隊に召集がかかったって?」


 翼のはばたきによって巻き起こる砂塵に目を眇めながら、文官は頷いた。


「まだ詳しくは分かりませんが、ヴァウラ将軍からの急使がアシス・ルーに到着したそうです。増援の要請が、特に空兵部隊を全部隊派遣するようにと記されていたということです」

「俺たち大喰らいの空兵部隊を、あんな不毛の地へ駆り出すのか?」


 空兵部隊は他の兵種と比べると、圧倒的に糧食や水を消費する。それを嫌って、今回の遠征でも最小限の翼人空兵しか連れて行かなかった。それが一転して全部隊派遣という命令だ。この方針転換にはウリクも疑問を感じる。


「はい。大規模な空兵部隊派遣を考えて兵站を組織するようにと、うちにも指示がありましたよ。ウリクにも、後で必要な数量を一緒に考えて欲しいのですが」

「ああ、それは勿論構わんよ。この様子だと、苦戦しているのか?」


 眉根を寄せたウリクに、文官は首を傾げた。


「他の居残り組も派遣されるようですね。デソエはとしたということですが」

「その後が行き詰まっているのか……」


 ウリクは腕組みすると思案する。たとえ苦戦しているとはいえ、空兵部隊をここまで要求されることはこれまでなかったことだ。空兵部隊は、戦場の地形を超越する自由な兵種ではあるが、その衝撃力は小さい。空を飛ぶ必要性から分厚い甲冑を着込むわけには行かず、大鳥を殺される危険を避けるために接近して敵と戦うことも少ない。その点、翼人空兵は運用にもう少し柔軟性があるが、いずれにしてもその武装は軽歩兵と似たようなものだ。敵と正面から激突することにおいて、地を駆ける歩兵や騎兵に及ぶべくもない。


 空兵部隊は戦場ではあくまで脇役であったのだ。少なくともこれまでは。


 この遠征は、これまでの戦とは何かが違う。ウリクはそう思った。


「思ったよりも厳しい戦いになりそうだな」


 ウリクは言う。文官は強張った表情で頷いた。


「ここまで空兵を大規模に運用するのは前例がありませんからね」

「そうだな。沙海の敵は、どうやら俺たちが知る戦とは違う戦いを仕掛けてきているようだ」

「皆、無事に帰って来れれば良いのですが」


 心配そうな口調で、文官は空兵たちに目をやる。


「出征の前に帰還を口にする奴があるか」


 彼の言葉に、ウリクは苦笑した。


「第三軍の本部から命令書が届く前に、早めに兵站の計画をまとめ上げておこう。こいつを鳥舎に入れたら、すぐに向かう」

「すいません。よろしくお願いします」


 文官はしきりに頭を下げると、駐屯地の兵舎へと戻っていった


「隊長……」


 背後からの声に、ウリクは振り向く。そこには、軍装姿の小柄な若い娘が立っていた。遊牧の民ムタハ族出身のその娘は、おどおどした様子でこちらを窺っている。


「何だ、イェナ」

「その、先程は申し訳ありませんでした。危うく激突する所でした」

「全くだ。危うく部下に叩き落されて、頭の中身を砂漠にぶちまけた間抜けな空兵の汚名を受けるところだったな」

 

 ウリクは小首を傾げた。イェナは強張った表情のままでうつむく。


「イェナ、今日のお前は、いつもより乗れている、勘が冴えている。そう思っただろう?」


 イェナは、ウリクの問いに顔を上げた。


「はい。どうして……」

「腕が上がってくると、一度は必ずそうやって自分の腕を過信する時が来る。そして、それが大いなる勘違いだったことに気付くんだ。お前は、これまでよりも階段を二、三段上ったにすぎない。大いなる高みはまだまだ先だ。見える景色が少し違ったからといって、そこが塔の頂上だと思い込んでいれば、痛い目を見る。ただの騎兵ならば運が良ければ骨折ですむが、俺たちにはそれはない。失敗は、即ち死だ」

「申し訳ありません……」

「俺に謝っても仕方がない。戦場で困るのはお前自身なんだからな。これから、戦場が俺たちを待っている。気を引き締めろよ」

「戦場に……! 西へ向かうのですか?」


 イェナの目が大きく見開かれた。


「そうだ。ヴァウラ将軍の命がくだされた。空兵部隊も全部隊が向かう」

「それは……」


 絶句するイェナを見ながら、ウリクは不安を覚える。彼女のような新兵は空兵部隊に数人いる。彼らを戦場に連れて行くべきなのか。しかし、それはウリクが決定権を持つことではない。ウリクは、命令に従い、彼らを指揮するしかないのだ。


 ウリクは西の地平に目を向けた。褐色の大地は、はるか彼方で白い砂と混じりあい、独特の色彩を見せている。そしてその先は、白い死の大地だ。その不吉な土地で、自分たちがどんな戦場に向かい合うのか。


 大鳥たちが、甲高い鳴き声をあげた。



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