第7話

 すでに陽は沈み、天空の支配者は満ちた月になっている。


 デソエは高低差のある街だった。市場や太守の館といった街の中枢や、主要な通りは平坦な道を選んで整備されているが、周辺の居住区は固い岩盤の隆起をそのまま利用している。そのため、月光の下、街のあちこちに影ができていた。足下に注意しなければ、つまずいたり足を踏み外してしまうだろう。


 焼け焦げた臭いが街のあちこちから漂っている。崩れた建物があちこちに散見され、人通りはない。静まり返った街は、廃墟の様相を呈していた。


 この光景は、見たことがある。俺は、どこかで、この光景を見た。シアタカは、奇妙な記憶の奔流に捕らわれて立ち止まった。


「シアタカ、何してる。こっちだ」


 ハサラトは、立ち尽くしているシアタカを訝しげに呼んだ。シアタカはその声に我に返る。


「どうしたんだ?」

「いや、何でもない」


 シアタカは慌てて頭を振った。噴き出して来る記憶を追い出そうとするが、消えることはない。断片と奔流は、シアタカの思考の中で渦巻いている。


「まったく、つまらん街だ」


 ハサラトがぼやいた。


「旨い酒も食い物もない。水も、深い井戸から汲まないといけない。面倒この上ないな」

「市中には敵兵の残党が潜んでいる。いつ矢が飛んでくるか分からないから、気をつけてね」


 エンティノが言う。


「敵兵が?攻撃されるのか?」

「うん。何人かやられている。兵士たちも気が立っているの。戦いが終わっているはずなのに、まだ続いている感じね」


 エンティノは、辺りを見回しながら言葉を続ける。


「捕虜は分散して監視しているけど、まだ隠れている兵も多いみたい。何しろこの街はややこしい地形でしょう。見回りの兵たちも分散してしまって、不意をうたれてしまうの」

「なるほど、確かに、この街で兵が潜んでいたら危険だな」


 シアタカも同じように辺りを注意深く見回した。複雑な地形、雑多に並ぶ家屋。身を潜めるには打ってつけだろう。


「そういうわけで、今晩はゆっくり休め、と言いたい所だけどな、そうはいかないかもしれない。この街の空気は、戦場のままだ」


 ハサラトはシアタカを見ると、顔をしかめてみせる。  


「ああ、気をつけるよ」


 シアタカは頷いた。


 三人が道の角を曲がった先に、人だかりがあった。民家の軒先に、ウル・ヤークスの兵たちが十人ほど集まっている。聞こえてくる声には不穏な響きがあった。


「どうした」


 ハサラトが端にいる兵に声をかける。


「あ、紅旗衣の騎士さま!」


 まだ少年といってもよい年齢の兵士は、振り返るとハサラトを見て驚いた表情を浮かべた。姿勢を正すと、民家を指差す。


「この家に敵兵が隠れているらしいのです」

「家捜しをしたのか?」

「いえ、これからですが……」 


 兵の声が弾けるような呻きによって途絶えた。その胸に槍が突き刺さっている。ハサラト、シアタカ、エンティノは、咄嗟に飛び退とびすさった。


 続け様に次々と飛来する槍や石。兵たちから悲鳴や怒号が発せられる。


 路地の暗がりから、絶叫とともに槍を構えたカラデア兵が跳び出してきた。シアタカは、最小限の動きで横にかわすと、素早く低い蹴りを繰り出す。爪先はカラデア兵の膝に横から当たり、それによって激しく転倒した。


 シアタカは刀を抜いた。転倒した兵に続いて、カラデア兵たちが武器を手に路地から駆け出してくる。背後を一瞥すると、向こうの路地からも兵たちが出てきているようだった。どうやら挟撃されているらしい。すでに激しい戦いが始まっている。


 カラデア兵たちは剣や棍棒、槍を手に、シアタカたちを取り囲もうと広がる。その数は見える範囲で八人はいる。エンティノとハサラトも武器を手にすると、三人は、互いに背中を守るように固まった。


「無駄な抵抗はやめて投降するんだ。命を無駄にすることはない」


 シアタカは静かに言った。カラデア兵たちは答えない。月光に照らされた兵たちの顔は、恐怖と怒りに歪んでいた。隠れ家を発見されて追い詰められてしまった一方で、不意を打って敵を包囲することができたというこの状況に、冷静さを失っているのか。目だけで周囲の様子を伺いながら、推測する。


「何、悠長なこと言ってるんだ、シアタカ!!」


 ハサラトが怒鳴る。


 その怒声と同時に、カラデア兵たちが動いた。絶叫とともにシアタカに、そしてエンティノとハサラトに殺到する。


 シアタカは、己に迫る三人の敵たちを見て、瞬時に優先順位を決定した。


 右から槍で突きかかってくる兵に、自ら踏み込むと、半身に構えながら下から刀を斬り上げる。穂先を切り飛ばしながら一歩踏み込むと、左手を伸ばして喉を掴んだ。


 喉笛を握り潰す。


 濁った悲鳴をあげるカラデア兵を放り投げるように突き飛ばすと、その体は隣の兵士に激突した。二人はもつれ合って倒れる。


 その時には、シアタカはすでに跳躍していた。


 倒れた二人の体を飛び越して、刀を振り下ろす。カラデア兵は、驚愕の表情とともに手にした剣を掲げようとするが、遅すぎた。


 刃は兵の首筋を深く切り裂いた。激しく噴き出す血を浴びるが、それを気にすることなく、シアタカは振り返る。


 喉を潰されて呼吸困難に陥っている仲間の体を押しのけて、兵が慌てて立ち上がった。そして、眼前に立つシアタカを見て息を呑む。


 シアタカはその兵の首筋を、刃で軽く薙いだ。しかし、動脈を断つにはそれだけで充分だった。シアタカが傍らを駆け抜けた後、兵士は首筋を押さえながら力無く地に座り込んだ。


 エンティノが二人のカラデア兵と切り結んでいる。


 シアタカはそのうちの一人の背後に迫ると、体重をのせて一気に切っ先を突き上げた。革の胸甲をものともせずに、背中から胸へと刃は貫通する。兵の体は、一瞬痙攣したあと、力を失った。シアタカが刀を抜くと、そのまま地面に崩れ落ちる。


 同時に、エンティノも剣でもう一人の敵兵を切り伏せていた。


「ありがとうシアタカ。助かった」


 エンティノは大きく息を吐くと、シアタカに顔を向ける。


 シアタカは頷くと、己の顔に触れた。手についた液体を、見る。


「シアタカ、お前一人で四人も殺ったのか?早すぎるだろ」


 刀を血に染めたハサラトが、シアタカの周囲に倒れた骸を見て言った。その表情は、半ば感嘆し、半ば呆れている。


「腕を上げたんじゃない?」 


 エンティノは笑みとともに首を傾げた。


「蜥蜴野郎との戦いで、何か掴んだんだな」


 ハサラトも頷く。


 シアタカはそれに答えずに振り返った。どうやらウル・ヤークス兵たちも敵の奇襲を撃退したらしい。剣戟の音は止んでいる。


「どうしたの、シアタカ、何か変よ」


 エンティノは、シアタカを訝しげに見た。


「変?俺が?」


 シアタカは答えるが、なぜか、呂律が回らない。頭の中に記憶の断片が渦巻いて、世界を薄い壁を一枚隔てて見ているような、奇妙な違和感に支配されている。


「俺は、変だ」


 シアタカが思わず呟く。エンティノは眉根を寄せてシアタカを見詰めた。


「こいつら、やっぱり兵士を匿ってやがった!」

「こっちは三人死んだぞ、糞ったれが!!」


 兵たちの何人かが、怒声とともに家の中に踏み込んでいく。シアタカも、咄嗟にその後を追って家に入った。


 兵士たちが取り囲んでいるのは、四人のカラデア人だった。年配の女と、中年の女。そして幼い子供が二人。四人は、怯えきっている。兵士たちは殺気立っており、異様な雰囲気だ。


「よせ!!やめろ!!」


 不穏な空気を感じ取り、シアタカは叫びながら人を掻き分ける。


 次の瞬間、長刀が振り下ろされた。子供が悲鳴も上げずに倒れる。血が激しく噴き出した。


 母親が絶叫した。そこへ、他の兵士が次々と槍を繰り出す。


 シアタカは、凍りついた。記憶の奔流が激しくなる。そうだ。前にもこんなことがあった。俺は、こんな場所にいて、そして、刀を振り下ろした。俺は、あの少女を、殺した。


 身体が小刻みに震え始める。目の前で、四人のカラデア人はあっという間に死体へと変わった。兵士たちはそれでも治まらないのか、死体へ刃を突き立て続ける。


 違う。シアタカは頭の中で絶叫していた。俺は、敵兵を殺しただけだ。もし見逃せば、仲間が殺されていたはずだ。違う。あんな少女に何ができた。憎しみと恐怖から、ただ剣を握った少女だ。それを、俺は殺した。何の感情もなく、ただ、敵として、刃を振り下ろしたんだ。幼い少女に向けて。


「どうしたの、シアタカ、ねえ、シアタカ!!」 


 エンティノが、シアタカの肩をつかむと、身体を揺さぶった。シアタカは、力無くその場に膝をつく。


 血に塗れた、虚ろな少女の顔。そして、はにかんだアシャンの顔。

 

 エンティノの悲鳴にも似た自分を呼ぶ声が、微かに聞こえる。


 気付けば、シアタカは嘔吐していた。何度も、何度も、吐く。全てを吐き出しても、まだ不足だった。身体の中の空気さえも絞り出すように嘔吐し続けた。


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