第8話


 星空の下、キシュに導かれて辿り着いたのは、崩れた城壁をさらす街だった。


「あれがデソエか」


 ウァンデが呟く。ウァンデとカナムーン、そしてキシュは、デソエを見下ろす岩山の上にいた。


 あの巨大な城壁を崩す技など想像がつかない。シアタカの話していた、呪い師たちの術だろうか。キシュガナンの地では、城壁を攻める戦など、ほとんど経験がない。これからは学んでおく必要があるな。戦士の思考がそう判断する。


「さて、どうやって中に入るか」


 ウァンデは、わざと気楽な口調で言った。戦が終わったばかりの街だ。ウル・ヤークスも見張りをおかずに過ごすほどの間抜けでもあるがはずがない。見れば、キシュも歩みを止めている。進入方法を考えているのか?それともアシャンと接触しているのか。


「ウァンデはともかく、私では、変装してもすぐに見つかってしまうな」


 カナムーンが答える。


「そうだな。その尾が少し目立っている」


 ウァンデは笑みを浮かべるとカナムーンのしなやかに動く尾を指差した。表情の見分けはつかないが、カナムーンなりの冗談として受け取っておくべきだろう。


 キシュに視線を移す。キシュは、ただ動きを止めているのではない。岩盤が露出する地表に頭を近づけ、しきりに何かを探っている様子だ。触覚がさかんに動いている。


「キシュは何をしている?」

「分からない。何か、探しているな」


 突如、キシュは歩き始めた。三体が、一斉に同じ方向へ歩き始める。


「おいおい、どうなってる」


 ウァンデが声をかけるが、答えるはずもない。後を追うしかなかった。


 キシュと二人は、人の背丈を超える岩を乗り越え、そこから谷のような深みに下っていく。この谷にほとんど月光は届かない。道やキシュたちの輪郭をかろうじて捉えることができる程度だ。暗闇の中、足場の悪い岩場を下っていくのは注意が必要だった。足を踏み外せばただではすまない。ウァンデは大槍を杖代わりに、足下を探り、体を支えながら慎重に歩を進める。出発する前に肩と足に負った怪我をカラデアの癒し手によって癒していなければ、ここを下りていくことはできなかっただろう。


「ウァンデ、湿気を感じる」


 カナムーンが小さく鳴き声を発した。それは、ウァンデも気付いたことだった。肌に触れ、吸い込む空気が明らかに湿気を帯びている。体を支えるために触れた岩肌には、苔らしきものが自生しているようだ。


 下っていくうちに、馴染みのある音が聞こえてきた。水の流れる音だ。


「ここで明かりをつけても大丈夫だと思うか?」

「問題ないだろう」


 カナムーンの同意を得てから、ウァンデは松明に火を灯した。


 橙色の明かりに照らされた谷底には、浅い川が流れていた。


「川か……」


 ウァンデは川の流れる方向を見た。そこには洞窟がぽっかりと口を開いている。


「方向は、確かにデソエの方向だな」

「地下水路か。キシュはこの場所が分かったのだね」


 カナムーンの言葉に、ウァンデは頷く。


「こいつに潜るつもりだろう。あなを歩くのはキシュの得意とするところだ。問題は……」


 ウァンデは暗黒の入り口に目を凝らした。


「このあなが本当にデソエまで続いているかどうかだ。それに、入り口に入ることができても、途中でキシュしか進めない、となったら目も当てられない」

「行くしかないだろう。今のところ、我々に残された最善の選択肢は、この道を行くことしかないと思うが」


 カナムーンは擦過音とともに答えた。ウァンデは顔をしかめながら頷く。


「そうだな。それしか、道はないか」


 ウァンデは頷く。


 その時、ウァンデたちを待って動きを止めていたキシュが、一斉に頭を動かした。見上げるように頭を上げると、触覚を小刻みに動かす。顎や体の関節を擦り合わせて、硬質な音を連続して発した。


「どうした?」


 キシュの只ならぬ様子にカナムーンも気付いたのか、ウァンデに顔を向けた。


「警戒の音だ。何かがいる」


 ウァンデは松明を遠くに放ると、大槍の柄の中ほどを握った。狭い空間で槍を扱うための構えをとる。


「敵か?」

「分からん。どうやら、谷の上に、何かいるようだな」


 ウァンデは空を見上げた。暗闇に沈んだ谷底に比べて、月光と星に満ちた夜空は明るくすら感じるが、そこに何者かの姿を認めることはできない。


 傍らのカナムーンも、小さな音を発しながら剣を抜いた。


 ウァンデは周辺の地形を観察しながら、身を隠せそうな場所を探す。自分たちは、今、鍋底に放り込まれた状態だ。このままでは簡単に料理されてしまう。退くか、そのまま進むか。水の流れ行く先の洞窟を見て、ウァンデはもう一度空を見上げた。








「彼ら、こちらに気付いたようですね」


 クァテカが、キエサに顔を向けると囁いた。キエサは谷底に目を向けたまま頷く。眼下を歩く鱗の民と長衣の男は、洞窟を前に立ち止まると、武器を手に空を見上げた。自分たちの上に何かがいるということには気付いたらしい。ただ、顔だけを出してこちらを見ている人間には気付いていないようだ。


「誰も音を立てていないはずなのに、勘のいい奴らだ」


 キエサも囁きで答える。キエサとクァテカと同じように、五人のカラデア兵とルェキア族が、弓を手に身を伏せて谷底を覗き込んでいた。


「鱗の民と一緒にいるのは、何者なんでしょうか。あんな化け物を連れてるなんて、呪い師かなにかですかね」

「キシュガナンだよ。西から渡ってくる蟻使い。聞いたことがないか?」


 キエサはクァテカに顔を向けた。


「蟻使い……。ああ、アムカム銅の鉱石を運んでくるという……」

「そうだ。彼らはデソエには寄らずにカラデアに直接来るからな。クァテカは初めて見ることになるか」

「はい。そうか、あれは蟻なのか……。思っていたよりも大きな蟻ですね」

「ああ、大きいだろう。カラデアで見るときは、もっと数がいるんだが、ここには三匹だけのようだな。それにしても、鱗の民と蟻使いなんて、妙な組み合わせだ」


 キエサは再び顔を僅かにのぞかせると、谷底の二人を見る。的になる松明を素早く捨てると、二人は武器を手に、張り出した岩陰に身を隠そうとしていた。冷静で戦い慣れているな。キエサは彼らの構えと足運びから、腕利きだと判断する。


「いつまでも結論の出ない話をして心配しても仕方がない。鱗の民がいるんだ。敵ではないだろうさ」


 そう言うと、キエサは立ち上がった。谷底の二人は、すぐにその人影に気付き、こちらに注目する。


「そこの二人、話を聞きたい。私はカラデアの者だ。そちらへ下りていくが、構わないか?」


 キエサは、カラデア語で言った。


「ああ、構わない」


 鱗の民が答えた。キエサは頷くと、部下たちに手で合図する。クァテカと兵たちは、一斉に立ち上がった。構えてはいないが、彼らの持つ弓や武器が谷底の二人にも見えるはずだ。これが示威となって、あの二人はキエサに従うだろう。


 キエサは谷にある足場をゆっくりと下りると、谷底に立った。二人は無言でキエサを見ている。


「やあ、鱗の民。それにキシュガナン。こんな所で何をしているんだ?」


 キエサは、大きく両手を広げると、明るい声で問う。キシュガナンにも分かるように、ルェキア語を使った。


「あなたは、キエサか?」


 鱗の民が己の名を口にしたことで、キエサは視線を鋭くした。


「誰だ?」

「私はカナムーンだ」

「カナムーン!!」


 キエサは思わず驚きの声を上げた。カナムーンは、突破していったウル・ヤークスの斥候部隊を追撃していたはずだ。 


「カナムーン、どうしてこんな所にいるんだ?」

「それは、話すと長くなる。まずはキエサ、無事で何よりだ。報せは受け取っていたが、この目で見て、安心した」

「それは俺も同じだよ、カナムーン」


 キエサは微笑む。カナムーンは言葉を続けた。


「私は彼、ウァンデと共に、カラデアからここまで来た」


 カナムーンは手でウァンデを示す。ウァンデはキエサに軽く頷いて見せた。


「そして、我々の目的は、デソエに潜入することだ」

「デソエに?なぜだ?」

「ウァンデの妹、アシャンを救い出すためだ」


 カナムーンの答えに、キエサは困惑した。なぜカラデア守備隊の一員であるカナムーンがキシュガナンの者を救い出すのか。そもそも、なぜキシュガナンがデソエにいるのか。カナムーンはキエサの困惑を察したように言葉を続けた。


「アシャンは、カラデアからウル・ヤークスの者にさらわれた。彼女の特殊な力を利用するためだ」

「しかし、キシュガナンには悪いが、カナムーンがどうしてその娘の救出に付き合わなければいけないんだ?」


 キエサはウァンデを横目に見ながら言う。ウァンデはその発言に気を悪くした様子はない。


「二つ理由がある。まず一つは、ウァンデは“共に虹を見た者”だからだ」

「“共に虹を見た者”……、ああ、恩人とか、大事な者という意味だったな」


 キエサは、昔教わった鱗の民の言葉の意味を思い出す。ほぼ雨の降ることがない沙海では、虹は水遊びの時にできる不思議な現象にすぎない。しかし、雨が降る土地では、虹は空に架かる巨大な光の橋になるという。鱗の民がその虹に特別な意味を込めていることは知っていた。


「もう少し複雑な意味だが、ここで我々の言葉の説明はやめておこう。まずは、それが大きな理由だ。そして、アシャンも“共に虹を見た者”であり、私は彼女を救わなければならない。そして、もう一つはカラデアにとって、実利的な理由だ。我々は、キシュガナンと同盟を結ぶつもりだ。その為に、アシャンとウァンデの助力が必要となる。カラデアのためにも、アシャンは救い出さなければならない」

「キシュガナンと同盟だと?」


 キエサは意表をついた答えに、目を瞬かせた。キエサの頭の中で、キシュガナンは力を持った勢力や戦力として全く考えもしていなかったからだ。彼らは毎年一度、奇妙で貴重な産物を運んでくる人々。そういう認識でしかなかった。


「彼らを味方にすれば、大きな力となる」


 カナムーンは、ぐいと首だけを伸ばして顔をキエサに近付けた。念押しともいえるその動きに、キエサは苦笑する。


「あんたがそんなに熱心なのも珍しい。成る程、ここまでやって来た理由は分かった。確かに、四日前に五頭の駱駝と恐鳥、それに狗人がデソエに向かった」

「そこに、一人、娘がいたはずだ」


 ウァンデが、穏やかだが強い口調で口を挟んだ。キエサは頭を振る。


「すまない。我々はその姿を見ていない。聞いただけなんだ」

「聞いただけ……?」


 キエサの答えに、ウァンデは怪訝な表情を浮かべる。


「ダカホルかね」

「ああ、そうだ。ダカホルが俺たち生き残りの耳をしてくれている」


 カナムーンの問いに、キエサが頷いた。


「カナムーン、どういうことだ?」

「ウァンデ、黒石の守り手は沙海の砂の上の音を聞くことができる。音、だけなのだ。そのため、何が起きているのかは、推測するしかない」


 カナムーンの答えを完全には理解していないのだろう。ウァンデは曖昧な表情で頷いた。


「デソエは硬くて大きな岩盤の上にある。そこに入ってしまえば、どんなに“耳の良い”黒石の守り手でも、もう何が起きているのか分からないんだ」


 キエサは肩をすくめて見せた。


「我々の接近にも、ダカホルが気付いたということかね?」


 カナムーンの問いにキエサは、頷くと、顔を洞窟へと向けた。


「カナムーンはどうしてこの洞窟がデソエへの抜け道だと知っているんだ?デソエに来たことはないはずだろう?」


 その言葉に、ウァンデが大きく目を見開いてカナムーンを見やった。カナムーンもウァンデに顔を向ける。


「いや、私はこの洞窟の存在を知らなかった」


 カナムーンは喉の奥で小さく音を鳴らしながら答える。


「だが、あんた達は、現にここにいるぞ?水が欲しくて、こんな谷底まで下りてきたというのか?」

「我々は導かれたのだ」

「導かれた?」

「そうだ。キシュに導かれてここまでやって来た」


 カナムーンは鳥のような鳴き声とともに、大蟻たちを指し示した。


「この大蟻に導かれたって?」


 キエサは困惑の表情で大蟻を見る。この化け物じみた虫が人を案内するということが信じられない。


「疑うのは理解できる。しかし、キシュは大いなる知恵を持つ者たちだ。私がキシュガナンを同盟すべき相手と考える理由の一つでもある」


 カナムーンの言葉に、キエサは頷くしかなかった。







「冷たいな」


 ウァンデは思わず呟いた。足首までつかった川の水は、一瞬痛みさえ覚えるほどの温度だった。


 キシュと二人は、遠慮なく水音を立てながら川を歩いていた。沙海の只中で水を蹴立てて歩くことなど、考えられないことだ。


 誰かを同行させようか、というキエサの申し出を断って、二人はキシュと共に洞窟を進んでいる。潜入するには、人は少ない方が良い。別の面では助力を頼んでおいたから、まずはアシャンを探し出し、救わなければならない。


「カナムーン」


 しばらく水を蹴立てる音だけを響かせていた一行だったが、やがてウァンデが口を開いた。


「なんだね」


 カナムーンは、ぐるりと頭だけを後ろに向けると、歩き続ける。器用な奴だな。ある種異様なその姿に面食らったが、言葉を続けた。


「俺は常に最悪の事態を考えるようにしている。だから、あえて聞くが、アシャンは無事だと思うか?」

「無事だろう」

「気遣いなら必要ないぞ」


 ウァンデは強い口調で言う。


「気遣いではない。ウル・ヤークスは、キシュを利用したいのだ。キシュを利用するためには、蟻使いは是非とも必要だ。彼らがキシュをどういう存在として認識しているのか。それについては悲観するしかないが、少なくとも、アシャンは大事にしておくはずだ。たとえ仇の持ち物でも、馬上で手綱を捨てる者はいない」


 カナムーンの最後の言葉に、ウァンデは首を傾げた。


「仇の……、何のことだ?」

「すまない。ウル・ヤークスの格言だ。一度使ってみたかった」

「変わった奴だ」


 ウァンデは笑いつつ、カナムーンの左右に揺れる尾を見やった。少し気が楽になったようだ。ウァンデは大槍の柄で己の頭を軽く叩く。


「ウル・ヤークスといえば、シアタカだが」


 カナムーンは、言いながら顔を正面に戻した。


「ああ、何だ?」

「彼はなぜ、戦士たちの命を奪わなかったのだと思うかね?君も含めて」


 それは、ウァンデもここに来るまでにずっと考えていたことだった。


「あいつは、やはり戦士の礼と恩を忘れてはいないんだろう」


 それが、ウァンデが出した結論だった。


「だが、君たちを裏切ったのだが?」

「ウル・ヤークスに命令されたならば、従うしかなかったんだろう。だが、あいつの中の信義が、裏切ることを躊躇わせた。それが、俺たちの命を救った。そう信じたいな」


 アシャンをさらわれた今でも、不思議とシアタカに憎しみは感じない。むしろ、憐れみや同情さえ覚えてしまう。


「ならば、シアタカを説得できないかね?アシャンを返すように」

「ああ、それは俺も考えていた。だが、無理だろう。あいつの中には、ウル・ヤークスという大きな背骨が一本通っている。こいつを引っこ抜くのは難しいぞ」


 カナムーンはしばらく沈黙していたが、おもむろに口を開いた。


「今の言葉は、比喩を使ったのだね」

「ああ、そうだ。本当に背中を切り開いて背骨を取り出すわけじゃないぞ」

「なるほど、確かに背骨を抜くのは大変だ。しかし、それを抜いてしまえば、どうなる?」

「その背骨が太くて頑丈なほど、引っこ抜かれた奴の体は、支えるものがなくて崩れ落ちる。あいつは、強い。それは、背骨の中に鍛え上げられた“あかがね”アリカリが通っているからだ。だから、それを引っこ抜いた時、シアタカがシアタカでいられるのか。それが心配だ」


 カナムーンが小さく鳴き声を発する。同意しているのだろうと解釈した。


「育ちきった背骨を引っこ抜く奴なんて、そうはいない。せっかくそこまで育てたものを捨てて、新しい道を歩くなんて、余程の覚悟がなければ無理な話だ……」


 言葉の最後は、半ば呟きになっていた。


 カナムーンは、今度は何も答えなかった。

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