第6話

 館の前の木陰に、エンティノとハサラトは佇んでいた。少し離れた場所にはマウダウとラッダも立っている。彼らは、ヴァウラ将軍と面会しているシアタカを待っていた。


 シアタカがどのような処罰を受けるのか分からないが、決して重いものではないだろう。エンティノにしてみれば、むしろ功績のほうが大きいように思えたが、そうはいかないだろうというのが同僚の騎士たちの意見だった。


 鱗の民の追撃を一人生き残り、カラデアに辿り着く。どれだけ激しい戦いだったのか、エンティノには想像もつかない。そして、ヴァウラ将軍の探していたというあの蟻使いを連れ帰ってきた。シアタカは、あの娘のことを気遣っていた。それは、ただの捕虜に対する態度ではなかったように思える。シアタカは、カラデアにいる間、蟻使いと共にいたという。その間に、彼とあの娘との間に何があったのか。エンティノは気になっていた。


 ファーダウーンに連れられて、シアタカが館から出てきた。後ろにはウィトが続く。歩くシアタカの表情は厳しい。


 マウダウが、そして一歩遅れてラッダがシアタカに歩み寄る。


「マウダウ団長、それに、ラッダ……」


 二人を見て、シアタカの表情が緩んだ。


「ご無事で何よりです、騎士シアタカ」


 ラッダが進み出ると一礼した。


「ありがとう、ラッダ」


 シアタカは頷くと、ラッダを見つめた。


「同胞たちを死なせ、俺一人が生き残ってしまった。すまない」


 その言葉にラッダは頭を振る。


「あなたはまさしく勇士として戦った。戦場で生死を分かつのは、その者のもつ武勇と運のみ。皆、あなたを怨んではいないでしょう。あなたと共に戦い、死んだことを誇りに思っているはず。そして、我々はシアタカ殿と同胞によって生き永らえた。悔いるのは、むしろ我々の方です」

「その通りです、騎士シアタカ。皆、あなたと戦えたことを誇りに思って使徒に導かれたはずです」


 ウィトが語気を強めて言った。


「ああ……、ウィトは祈りを捧げてくれたからな」


 シアタカは微笑む。


「ラッダ、ウィトは同胞のために祈ってくれたんだ」


 シアタカは、ウィトを見やりながら言った。ウィトはラッダに頷いて見せる。


「はい。同胞の魂に祈りを捧げてきました。皆の亡骸は、砂の中で眠りについています」

「ウィト、お前はよくやってくれた。あの時、お前が騎士シアタカを追う、と言い出した時、生きて戻っては来ないだろうと思っていたが……。お前は、紅旗衣の旗に相応しい働きをした。皆の魂も、安息を迎えることができるだろう。ウィト、感謝する」


 ラッダは、深々と一礼した。ウィトの目にみるみる涙が溢れ出す。


「私は……、私は何もしてません。ただ祈っただけなんです……」


 手で涙をぬぐうウィトの肩に、ラッダは優しく手を置いた。


 腕組みしながら見守っていたハサラトは、顔だけをエンティノに向けて言う。


「シアタカは、お前がどれだけ悲しんだかなんて、気にしてないんだろうな」

「多分、それは仕方ないことなんだと思う」


 エンティノは、小さく溜息をつくと答えた。


「どういう意味だ?」

「シアタカは、自分が死ぬことが当たり前のことだと思ってる。大袈裟に言えば、自分の存在に意味があるなんて思っていないんじゃないかな」


 これまで何年もシアタカと共に過ごした、旗の館、サラハラーン、そして戦場における日々の中で感じていた違和感。それが、この沙海に来た事ではっきりしたように感じられる。


「私も、命令があれば、死ねる。でも犬死をしたいわけじゃない。生き残るために、最後の最後まで足掻くつもりよ。幼い頃、故郷の村は焼かれて、父さんを殺され、母さんや兄弟とは離れ離れになって、売り飛ばされた。あんなことはもう、嫌なんだ。だから、どんな奴らにも手出しさせないような、強い人間になりたかった。私は、生き延びて、強くなるために騎士になった。でも、シアタカは違う。シアタカは、ただ、そこにいる。そして、ただ戦う。シアタカは、自分はもう死んだ人間だと思ってるのよ」

「あいつは、死にたがってるって言いたいのか?」


 渋面で問うハサラトに、エンティノは頭を振った。


「そうじゃない。シアタカは、自分がいてもいなくても、何も変わりがないと思ってる。だから、誰かが自分のために涙を流すなんて、思っていない。自分に何か価値があるなんて、考えてもいない。そんな気がするの」

「そいつは、……分かるような気がする。あいつは、自分のことを人だと思っていない。自分のことを、剣か槍のようなものだと思っている。時々そんな気がしていたんだ」


 ハサラトは深く頷く。エンティノにとって、ハサラトの例えは的を射たものだった。シアタカは、自分を人と思っていない。まさしくその通りだ。シアタカは、自分をギェナ・ヴァン・ワ軍旗の刺繍糸の一本にすぎないと思っているのかもしれない。


「さすが、ヴァウラ将軍の秘蔵っ子だな。骨の髄まで紅旗衣の騎士ってことだ」


 ハサラトは肩をすくめる。それは違う。エンティノは思う。シアタカの特異な心情は、騎士である以前の、もっと根元からきているように感じた。しかし、それが何なのか、具体的に表現することはできなかったが。


「シアタカ」


 マウダウがしわがれ声で言う。


「お前は失敗した。だが、お前の献身は皆が知っている。死の谷を歩き、命を拾ったのだ。もう一度やり直せ。また、高みを目指せばよい」

「はい。ありがとうございます」


 シアタカは一礼した。マウダウは頷くと、ウィトに顔を向ける。


「ウィト」

「は、はいっ!」


 ウィトは、緊張に満ちた顔で姿勢を正す。


「ラッダも言ったが、お前もよくやった。お前をシアタカの従者としたことは間違っていなかった」

「あ、ありがとうございます」

「そして、これからのことだ。シアタカは、部隊長位を剥奪された。そのために、お前もシアタカの従者の任を解かれる」


 マウダウの言葉に、ウィトは愕然とした表情を浮かべた。


「そ、そんな……」

「まずは休め。そして、再び従者として務めることができるよう、励むがいい。お前ならば、すぐに新たな良き主人に仕えることができるだろう」

「わ、私の主人は騎士シアタカです!他の誰でもありません!」


 ウィトは激しく頭を振る。マウダウは、一歩踏み出すと、ウィトの頭を鷲掴みにした。ウィトの首が小刻みに震え、頭蓋の軋む音が聞こえてくるようだ。ウィトは、苦悶のうめきをもらす。マウダウの怪力をよく知るエンティノは、その痛みを想像して思わず顔をしかめた。


「マ、マウダウ団長」


 シアタカが狼狽した様子で、マウダウとウィトに近寄った。 


「まだ何者でもないお前が差し出口をするな。お前はただ忠勤に励めばいい。その頃には、再びシアタカがお前を迎えるだろう。そうだな?」


 マウダウはシアタカに顔を向ける。


「はい。勿論です」

「そういうことだ。分かったな、ウィト」


 マウダウは、ウィトの顔を覗き込むようにして言うと、頭から手を離す。


「は、はい。申し訳ありませんでした」


 頭をさすりながら、ウィトは頷いた。目には涙がにじんでいる。


「うらやましいな……」


 ウィトの率直な主張を聞いて、エンティノは呟く。自分の気持ちをはっきりと言えることが出来れば、どれだけ楽なのだろうかと思う。しかし、言ってしまうことで、世界は変わる。それが良い方向なのか、悪い方向なのか。確信が持てない状態では、結果を恐れて口にすることはできない。臆病な自分に腹が立つが、ここから一歩踏み出すことは、白刃の壁の中に跳びこむことよりも難しいことだった。


「お前もシアタカの従者になればいいんじゃないか?」


 耳ざとく聞きつけたのか、ハサラトがにやにやと笑いながらこちらを見る。


「うるさい、黙れ」


 エンティノは赤面しながら顔を背けた。


「さて、シアタカ。長々と引き止めてしまったな。友と話し、疲れを癒すがいい」


 マウダウは、そう言ってエンティノとハサラトを振り返った。





 部屋には、ヴァウラとワセトの二人しかいなかった。暮れ行く夕陽の赤が室内の明暗を際立たせ、二人はまるで影の中に沈み込んでいるように見える。


「おそらくは、心と心の繋がりが大蟻を操る力の根源となっているようです。実際に、蟻使いが大蟻を操っている場面を見なければ、はっきりと断言はできませんが」 


 ワセトが言った。ヴァウラは顎に手を当てると頷く。


「なるほど。となると、操る術を学べば聖導教団が大蟻を操ることは可能なのか?」

「それは何とも言えません。ただ、難しいのではないかと考えます」

「難しい……。弱気なことを言うのだな」 


 ヴァウラは、口を端を歪める。ワセトも、微笑で応じた。


「はい。出来ないことを出来ると言ってしまうのは、己を知らぬ愚か者です。聖導教団は、そのような愚か者を必要としませんからな」 

「それは頼もしいことだ。身の程を知る者は、失敗をしない。任務を任せるにこれほど相応しい者はいない」


 ヴァウラは、口元はそのままに、鋭い視線を向ける。


「しかし、身の程を知りすぎるゆえに、恐れを覚え、火中に跳びこむことができぬ。時には、身の程を忘れることも必要だと思うがな」

「なるほど。時に無謀であれ、ということですか。しかし、魔術というのはまさに火を扱うことに似ているのです。大火が欲しいからと、油を撒き散らし草原くさはらに火をつけてしまえば、周りを取り囲まれて己の身を焼き滅ぼしてしまう。炉を構え、火種を用意し、徐々に火勢を強めていく。薪をくべるのか、油を注ぐのか、ふいごで風を送り込むのか。その状況によって判断する。魔術には、そのような知識と経験に裏打ちされた慎重さを必要としているのです」


 淡々と答えるワセトに、ヴァウラは苦笑した。


「分かった分かった。素人が口出しすべきことではないということだな」

「ご理解いただいて感謝いたします」


 ワセトは一礼した。


「それでは、賢明なる魔術師殿に教えてもらおう。なぜ大蟻を操ることはできないのだ?」

「出来ない、とは断言いたしません。何しろ、今はあの娘しか判断材料がありませんから、可能なのか、不可能なのか、それもはっきりしないのです。ただし、少しあの娘を調べて分かったことがあります。あの娘の頭と心の造りは、普通の人間と違います」


 己の頭を指し示しながら、ワセトは言う。


「普通と違う?」

「はい。おそらく、人とは全く異なる大蟻の心に繋がるために必要であったのでしょう。実に複雑で、特殊な造りになっています。これを魔術で再現できるのか。それが問題です。少なくとも、現状では難しいと言わざるを得ませんな」

「精霊や妖魔を操るようにはいかんということか」

「大蟻は現世うつしよの生き物です。我々が偉大なる眷属と話をするようにはいかないのでしょう。“雪と森の国々”や“黒い人々ザダワーヒ”の地には、狼や獅子と共に暮らし、己も獣となる蛮族がいるといいますが、それは彼らが獣の精霊と深く結びついているためだと分かっています。あの蟻使いの娘には、それとは全く違う力が働いていると推測します。そして、あの娘の力に一つでも手を加えることで、全てが台無しになってしまう。その可能性が高いと思われます」


 ヴァウラは、大きく息を吐くと頭を振る。


「まさに、素人が口出しすべきではないことだったな。全く理解の及ばぬ話だ」

「私もまだ理解しているとは言えません。しかし、実に興味深い。より深く研究を進めたいものです」

「嫌でも研究をしてもらうようになる」


 ワセトの答えに、ヴァウラは笑みとともに頷いた。


「いずれにしろ、今の段階では推論に推論を積み上げているにすぎません。このような砂上の楼閣を真理の館と勘違いするのは愚か者です。まずは、蟻使いが大蟻を操っているその場に居なければ話は始まりません。蟻使いの娘とともに、大蟻も連れてきてほしかったとシアタカ殿に望むのは、私のわがままですが……」


 ワセトはそう言って笑う。ヴァウラも苦笑した。


「それはさすがにシアタカには酷というものだ。しかし、聖導教団も知らぬことがあるのだな」

「我々は無知です。全てを知ってしまえば、人を超越した存在になれると言いますが、我らはまだそこに至っておりません。そして、それは、聖女王陛下でさえも飲むことができなかった真理の泉です。もし陛下が全てを知っていれば、あんなことにはならなかったでしょう」

「そうだな……」


 ヴァウラは頷くと沈黙した。ワセトも、口を開くことはなく、静寂が落陽とともに部屋を覆う。


 やがて、ヴァウラは身じろぎするとおもむろに口を開いた。


「シアタカは、候補者の中でも、本来の性質とは真逆の人間だった。そのため、最も遠いところにいる者だと思っていたのだ。それがなぜか、今は強く輝いて見える。同じ武人としての俺の贔屓目かもしれんがな」


 ワセトは、ヴァウラを見ると答える。


「いえ、将軍閣下の目は確かです。シアタカ殿の帯びている魔力が変わりました。元々持っている魔力に加え、別の力が加わったように感じます」

「カラデアで何かあったのか?」

「おそらくは……」


 ワセトが頷く。


「これは、聖女王のお導きなのか」


 ヴァウラは、唸るような声で呟いた。

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