第2話


「とりあえず、急いで皆に話すよ」

「ああ、頼んだ」


 戸口で立ち止まった黒い肌の男は言った。沙海ではないここアタミラでは特徴である布を頭に巻いていないが、ルェキア族特有の青い長衣を着ている。返事をした男も、黒い肌に青い長衣を着ている。しかし、短い髪のルェキア族に比べ、その髪は伸びており、色鮮やかな飾りを付けている。口の周りを囲むようにはやした髭は細く整えられていた。その目は大きく垂れ目がちである。


「じゃあな。しらせが来たら教えてくれ“駱駝面”」


 ルェキア族の男はそう言って片手を上げる。ウルス人が聞けば侮辱しているとしか思えない呼び名だが、口にした男の表情にその気配はまるでない。そして、それを受けた男も呼び名を気にした様子もなく片手を上げて応じた。


「勿論、すぐに連絡する」


 見送る男の名をヤガンという。“駱駝面”というあだ名は、彼が幼い時につけられたものだ。その垂れ目の顔から、『寝ぼけた駱駝みたいな面だ』と兄にからかわれてきた。結局、成人した今では、周囲の人間も駱駝面というあだ名で呼ぶようになっている。


 ルェキア族の男を見送った後、ヤガンは部屋に戻った。


「兄貴め、厄介な仕事をよこしやがって」


 ヤガンは倒れこむように椅子に座ると、大きく溜息をつく。ある日、兄から送られた手紙には、ウル・ヤークス軍がカラデアへ侵攻を始めたと書かれていた。そして、ウル・ヤークス王国在留のルェキア族商人たちをまとめるように命じられた。カラデアへの侵攻を中止させるように元老院に働きかけるためだ。


「それだけ信頼されているということですよ」


 初老のルェキァ族の男が、杯を差し出す。ヤガンはそれを受け取ると、苦い珈琲を一気に飲み干した。


「俺はアタミラでのんびり商売をしていたいんだ。蛇の巣穴に頭を突っ込みたいわけじゃない」


 空になった杯を卓上に置くと、腕組みして顔をしかめる。ここ数日、有力なルェキア商人たちに会い、事情を説明して協力を求めている。何人かのルェキア商人は、ウル・ヤークス軍侵攻の情報を掴んでいたらしく、ヤガンの提案はすぐに了承されていた。


「我らの商売はカラデアあってのものですよ。カラデアが無くなったら何の商売をしますか?」


 ルェキア族の男はそう言ってにやりと笑った。デワムナという名のこの男は、ヤガンの仕事を手伝ってくれている。ヤガンが幼い頃からの付き合いで、アタミラで商売を始めるにあたって、彼を助けるために共にやって来てくれた。


「何の商売……。色々あるだろ。これまで顔を売って、実績を作ってきたのは何のためだと思ってるんだ?」


 ヤガンはデワムナにしかめ面を向ける。デワムナは頭を振った。


「少なくとも、大きな商いは無理ですよ。この街で大きな商いをやるには、売りになる特別な商品と、後ろ盾が必要だ。カラデアが無くなれば、どっちも無くなる。ウル・ヤークスの商人たちは、自分たちが成り代わろうと喜んでやって来るでしょうね。我らが付け入る隙間なんてどこにもない。結局、行商から始めるか、他所の街に引っ越さないといけないでしょう。どうですか、一から出直すことはできますか?」


 ヤガンは、ルェキア族を代表する男、デハネウの弟である。しかし、デハネウとは母親は違っている。ヤガンの母は、カラデア人だった。ヤガンはカラデア人の母の元で育てられた。遊牧の民であるルェキア族は、街で暮らすことを嫌う者が少なくない。だが、ヤガンはカラデアで生まれ、カラデアで育った。ルェキア族の父を持つとはいえ、沙海の天幕の下で暮らすことは好まない。彼は、このアタミラという街を気に入っていた。カラデアも良い街で愛着はあるが、アタミラはまるで規模が違う。うまい食事と酒、様々な娯楽、綺麗な女たち。ウルス人の詩人がアタミラを“世界の中心”と歌う気持ちも分かる。才覚さえあれば、この街は楽園だった。


「アタミラを出たくはないなぁ……」


 ヤガンは天井を仰いだ。デワムナは笑みを浮かべたまま頷く。 


「でしょう?我らはもうやるしかないんですよ。勿論、行商をやるっていうなら、一緒に荷物を担ぎますがね」

「おいおい。年寄りに荷物運びなんてさせられないぞ」


 ヤガンは苦笑すると軽く手を振った。


「あんた、坊ちゃんをからかうのはよしなよ」


 ルェキア族の初老の女が、湯気が香り立つ二つの杯を持って部屋に入ってきた。


「やる気を出してもらおうと思ったのさ」


 デワムナは肩を竦める。


「ラテンテ、坊ちゃんはやめろって言ってるだろ」


 ヤガンは、デワムナの妻に顔をしかめて見せた。デワムナとラテンテは、幼い頃からヤガンを知っているだけに、未だに子ども扱いする傾向がある。ラテンテはヤガンに何も答えず、微笑とともに部屋を出て行った。


「しかし、まあ、自分勝手なあいつらがまとまる訳だ」


 兄デハネウの手紙には、氏族間の話し合いによってルェキア族は団結してカラデアを助ける事を決定した、と書いてあった。デハネウはルェキア族のまとめ役とはいえ、あくまで仲裁者といった立場だ。王のような強い権力をもっているわけではない。度々起こる氏族間の抗争の仲裁に駆けずり回る兄の姿を見ていた立場としては、ルェキア族の団結という言葉がにわかには信じ難い。しかし、利に聡いルェキア族に危機感を抱かせ、団結させたのがウル・ヤークスの侵攻なのだろう。


「悪霊を泉に案内するような愚か者はいませんよ。さすがに、今回ばかりはまずいと思ったんでしょうね。我らは、ウル・ヤークスと長い間商いをしている。それだけ、この国のことを知っている。だからこそ、自分たちの氏族だけが抜け駆けして取引できる甘い相手ではないことをよく分かっているはずです」

「よく知ってるはずが、今回の侵攻は見抜けなかったからな。まったく、ひどい話だ」


 ヤガンは自嘲の笑みを浮かべる。ウル・ヤークス軍侵攻を想像していた者は誰もいなかった。もし予想していれば事前にできることはいくらでもあったはずだ。自分たちを間抜けだと罵るしかない。


「そこは反省するべき点ですね。ウル・ヤークスが使節をカラデアに派遣すると言い出した時点で用心しておくべきでした」


 デワムナはそう言うと小さく溜息をついた。


「まあ、皆が勝手に商売をしていたからな。誰にとっても他人事だったから、問題になるとも思わなかった」

「そういうことでしょうね」


 ヤガンの言葉にデワムナは頷いた。今回のことで、ルェキア族は自分たちの現状に危機感を抱いたはずだ。これを不幸中の幸いとして、何とか良い方向に持って行かなければならない。これからやらなければならない仕事を想像して、ヤガンはうんざりするのだった。


 ヤガンはラテンテの持ってきた香茶を飲むと、おもむろに口を開く。


「とりあえず、主だった奴らには兄貴の話は伝えた。あとは隅々まで広めてくれるだろう。近いうちに全員を集めて意見をまとめないといけないな」

「目立った動きをすると、ウル・ヤークスに目を着けられるかもしれませんね」


 デワムナは厳しい表情で答えた。それは、ヤガンも心配していることだ。ウル・ヤークスもルェキア族の動向を注視しているだろう。ウル・ヤークスに何か理由を与えることで、ルェキア商人が迫害にあう恐れもある。


「そうだな。何か良い方法を考えておいてくれるか」

「はい、何とかしましょう」


 デワムナの言葉に頷くと、ヤガンは立ち上がった。大きく伸びをする。


「さてと、俺も仕事をしますかね」

「お出かけですか?」

「ああ、お得意様のご機嫌を伺いに行かないとな。まとめ役が何もしないのはまずいだろう。怠けていたら兄貴に怒られる」


 デワムナは大袈裟な手振りでおどけてみせる。デワムナは苦笑した。


「なるほど。付いて行ったほうが良いですか?」

「いや、お前は仕事を進めておいてくれ。ラハトを連れて行くよ」

「分かりました」 


 デワムナは頷く。


「ラハト、ラハトいるか?」


 ヤガンは室外に顔を出すと呼ばわる。


「旦那、何か用か?」


 使用人の簡素な服を着たウルス人が姿を見せた。その若い男は整った容貌で美しいといってもよいが、不機嫌そうな表情によって近寄りがたい雰囲気を持っていた。ラハトの無愛想な表情はいつものことなので、ヤガンは気にすることはない。


「仕事だ。出かけるからついて来い」

「分かった。準備をするから少し待ってくれ」

「急げよ」


 ラハトは頷くと姿を消す。


 ヤガンが部屋の手荷物をまとめ終えた時に、ラハトは部屋に戻ってきた。


「待たせた」

「おう、行くぞ」


 ラハトは小さな鞄と短剣を腰に吊るしている。


「それじゃあ、行ってくる」

「うまくいくように祈っております」

「そうだな。きっとうまくいく」


 ヤガンは一礼するデワムナに手を上げると、ラハトを連れて出て行った。




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