第3話
「闘う……?」
シアタカは戸惑った表情でヤガネヴを見た。
ヤガネヴは、頷くと自分の腕に刻まれた
「この刻印は、俺が戦で示した名誉の証であり、俺と闘った戦士たちの名誉の証でもある」
次いで、自らの顎を指で指す。
「だが、昨日、俺は我を忘れてしまい、お前に叩きのめされた。自らの愚かさで、自らの名誉と、戦士たちの名誉を汚したのだ。こうなれば、己の命を懸けて名誉を取り戻すしかない」
「名誉のために闘う?勝手なことを言うな!」
アシャンは思わず叫んだ。
「勝手なこと?確かにそうだな。だが、戦士というのはそういうものだ。戦士は人を殺すためにいる。だが、望んで殺される者などおらん。望まぬ者に死をもたらす。それが戦士だ」
ヤガネヴはアシャンを一瞥すると言う。
アシャンは嘆息した。どうして戦士という奴らは、くだらない理由で命を粗末にするんだろう。殺された人間の名誉なんて、殺した人間の言い訳にしか聞こえない。
「剣を使うのか?」
シアタカはヤガネヴの腰に吊るされている二振りの剣を見やる。
「そうだ」
シアタカは顔を上げると、頷くヤガネヴを見詰めた。
「殺し合いになる」
「失われた名誉は、血と魂によってのみ、
表情を変えることなく、ヤガネヴは静かな口調で答えた。
「騎士シアタカ、蛮族どものくだらない笑劇に付き合う必要はありません。そもそも、あの蟻使いどもの諍いにあなたが巻き込まれる必要などない」
ウィトが強い口調で言いながら、アシャンを指差す。アシャンは腹が立ったが、ウィトが言う気持ちも理解できるため、口を噤んだ。
「蛮族どもの相手など、あんな化け物を連れた奴らに任せておけば……」
シアタカは、ウィトの言葉を手で遮ると、鋭い視線を向ける。
「ウィト。それ以上彼らを侮辱するな。彼らは……、恩人だ」
シアタカの視線を受けて、ウィトは息を呑み、俯いた。
「あなたと闘おう」
シアタカはヤガネヴに向き直ると頷く。ヤガネヴは、笑みを浮かべて拳で胸を叩いた。
「まさしく、我が名誉を
ヤガネヴは振り返ると、連れている男を指す。
「この男は見届け人だ。手は出さない」
「分かった」
シアタカは頷くと、中庭の出口を手で示した。
「ここでは大きな騒ぎになる。裏に行こう」
「そうだな」
二人は歩き出す。
慌てた様子でウィトが続き、次いでキセの戦士たちも続いた。
「シアタカ、闘うことなんてないよ。元々私たちの問題なんだ」
アシャンはシアタカに駆け寄ると、彼を見上げた。傍らには、ウァンデも並ぶ。
「いや、いいんだ。今は、俺の問題だ」
シアタカは微笑む。どうしてそんな風に笑えるんだ。アシャンは何ら動揺を見せないシアタカが理解できない。ウァンデにも止めて欲しくて顔を向けるが、兄はその視線を受け止めただけだった。絶望的な気持ちになって、顔を歪める。
シアタカたちは、中庭を出ると宿の敷地のはずれで立ち止まった。
「ここならいいだろう」
「そうだな」
シアタカの言葉に、ヤガネヴは周囲を見回して満足そうに頷く。
「アシャン、離れてくれ」
シアタカは、アシャンの肩に手を置く。気付けば、戦士たちは皆、遠巻きに見守っている。目でうながすウァンデに、不承不承従うしかなかった。
「お前が騎士シアタカを巻き込んだんだ」
アシャンの隣に立ったウィトが、小声だが強い口調で責めた。アシャンはウィトを睨む。
「言われなくても分かってるよ」
「分かってるからどうしたって言うんだ。止められもしないくせに」
「ウル・ヤークスの小僧」
ウァンデがウィトに顔を向ける。
「シアタカは自分の問題だと言った。お前の主が決めたことだ。黙って見守ることくらいできないのか?」
ウィトは、何か言おうと口を開いたが、思い直したように口を噤んだ。アシャンとウァンデを睨み付けて顔をそらす。
ヤガネヴが剣を抜いた。左右の手にそれぞれ握られた剣の切っ先は、シアタカに向けられる。
シアタカもおもむろに刀を抜いた。緋色の刃は、だらりと地を向いている。
「はじめよう」
シアタカが、静かな声で告げた。
シアタカの声に頷いたヤガネヴは、口を開く。
「我が名はヤガネヴ。ワハ王国の戦士。偉大なる市場の司であるテナを母にもつ者だ」
「俺はシアタカ・ディテネヤーカ。聖女王の
シアタカの謝罪の言葉に、ヤガネヴの眉が僅かに上がった。
「どうして謝る?」
「いや、親の名前まで教えてもらって、申し訳ないなと思ったんだ」
「気にするな。これは、ワハの戦士が名乗る時の礼儀だ」
ヤガネヴが苦笑する。
「そういうことか」
シアタカは納得すると頷いた。どうやら礼を失したわけではないらしい。
「全く、妙な男だ。決闘の時に謝る奴など見たことがない」
口元に笑みを浮かべながら首を傾げると、ヤガネヴは両手の剣を下げて構えを解いた。
「殺すのが惜しくなったな」
「だとしたら、やめるか?」
「いや」
ヤガネヴは笑みはそのままに視線を鋭くする。
「だからこそ、お前を殺すことは尊い」
ヤガネヴは半身になった。両手の剣の切っ先を揃ってシアタカに向けて、胸の辺りで構える。
殺すことに尊い、卑しいなどあるのか。シアタカは疑問に思う。彼にとって殺すことは、ウル・ヤークスの騎士としての責務であり、生きることと同義だ。そこには何の感情も無い。この戦士のように意味を持たせることなど、出来そうになかった。
ヤガネヴは小刻みに体を揺らしながら、じりじりとシアタカに近付いてくる。あれで攻守の拍子を計っているのか。シアタカは動きの起こりを見極めようと注視した。
右手の剣を突き出された。素早いが、本気の一撃ではない。シアタカの鼻先を掠めることもなく、切っ先は戻る。しかし、すぐさま次の一撃が繰り出された。初撃よりも速く、シアタカの顔めがけて剣を突き出す。
シアタカは半歩引いてそれをかわした。その時には左手から追撃が送り出されている。斜め下から突き上げるようにして、剣尖が迫った。
刀が跳ね上がった。
左手の剣を弾いたが、取り落とすことはない。ヤガネヴは泳いだ体を踏ん張って耐えることなく、そのまま回転した。右手の剣を振りぬく。その一撃を、刀は受け止めた。ヤガネヴはその動きを止めることがない。踏み込んだ右足をシアタカの足に引っ掛けながら、受け止められた剣身に体重を掛けた。
足下をすくわれたシアタカは、後ろに倒れた。ヤガネヴが剣を振り下ろす。シアタカは素早く後転すると、その刃から逃れた。そして、すぐさま跳ね起きる。
「やはり、お前は優れた戦士だ……」
ヤガネヴが僅かに感嘆の表情を浮かべながら、再び剣尖を揃えて構える。
両手の剣を使う双剣使いは厄介だ。熟達していない者が二本の剣を持っても、それはただ両手に剣をもっているにすぎない。むしろ、自らの機敏さを失うこととなるだけだ。しかし、双剣使いとして優れた者を相手取る場合、間断なく繰り出される二本の剣を防ぐことに忙殺されることになる。自らは攻勢にでることもできなくなり、防戦一方となって追い込まれる事態に陥るのだ。盾でも持っていれば状況は違うのだろうが、生憎そんな物は持ってきていない。
紅旗衣の騎士団長であるマウダウも双剣使いだ。シアタカは彼に訓練の時に一度も勝てたことがなかった。双剣使いの動きを知ると知らないとでは随分と違う。マウダウとの訓練がこんな所で活きてくるとは、思いもしなかった。
ヤガネヴが跳ねるようにして踏み込んできた。右手の剣を振り下ろす。小さく素早い斬撃は首筋を狙っている。シアタカが後ろにかわすと、続けざま左手の剣を突き出した。
シアタカは、その突きを右に打ち払う。そのまま踏み込むと、態勢の崩れたヤガネヴに肩から当たった。
ヤガネヴの身体が後ろに吹き飛ぶ。シアタカは追いすがりながら、刀を振り下ろした。
ヤガネヴが体を横にしながら倒れこむ。緋色の刃は顔の横を掠めていった。ヤガネヴは剣を握ったまま右手を地に着けると、下半身を跳ね上げた。
下から蹴り上げられた足が、シアタカの腹を打つ。強烈な打撃に唸りながら、シアタカは後ろに退いた。その隙にヤガネヴは跳ね起きると、その勢いを殺さずに、跳躍しながら剣を振り下ろす。
右、さらに左。連続して振り下ろされる剣をなんとか受け流す。着地したヤガネヴは、止まることなく逆に剣を切り上げたきた。シアタカは大きく後ろに跳ぶと、それをかわす。
マウダウ団長とは全く異なる動きだ。シアタカは驚嘆しながら、続けざまに繰り出される双剣を防ぐ。マウダウ団長の双剣術は、あくまで甲冑を身に着けたことを前提とした重厚な剣術だ。しかし、ヤガネヴの操る双剣は、まるで旋風のように回転する。その動きは機敏で、剣だけではない、全身が武器といっていいだろう。旋風の外にいても、ただ防戦するしかなくなってしまう。内にとびこみ、その風を止めなければならない。
右手の剣が振り下ろされる。シアタカは刀を掲げてそれを受け止めた。がら空きになった胴を狙って、左手の剣が突き出される。
その時には、シアタカは左へと歩を進めていた。同時に、ヤガネヴの右手の剣を、半ば力ずくでねじ伏せるようにして受け流す。刃と刃が噛み合う不快な音が響いた。
左手を突き出した瞬間にシアタカに体を入れ換えられてしまったために、ヤガネヴの体勢は大きく崩れた。両者がほぼ密着した状態で、シアタカは柄を握った両手を突き上げる。その一撃は、ヤガネヴの顎にまともに打ち当たった。
ヤガネヴは、大きく仰け反った。この一瞬、ヤガネヴの生み出した刃の暴風は止み、己はしっかりと地を踏みしめて立っている。この機を逃してはいけない。
打ち上げた腕をそのまま振り上げ、そして、振り下ろす。
その刃はヤガネヴを切り裂くはずだった。
しかし、顎を強打されてなお、ヤガネヴは剣を振るったのだ。
緋刃と白刃は真っ向からぶつかり合う。何かが開放されたような甲高い金属音とともに、ヤガネヴの右手の剣は半ばで断たれていた。
ヤガネヴは中腰になって、崩れ落ちないように耐えている。ろくに狙いもつけずにシアタカめがけて折れた剣を投げつけた。シアタカはそれをかわすこともなく踏み込む。折れた剣はシアタカの頭の上を飛んでいった。
ヤガネヴは前屈みの姿勢のまま、右手に剣を持ち替えた。今の一撃が効いている。ヤガネヴの動きに揺らぎを見て取って、シアタカは確信した。すでに、ヤガネヴはシアタカの刃の圏内にいる。
刀を振り下ろす。
ヤガネヴは横に跳んでそれをかわした。そのまま、大振りの一撃を繰り出す。シアタカはそれを受け止めた。ヤガネヴは止まることなく、さらに身を転じた。左手に、光る物が握られている。それは、逆手に握られた短剣だ。
噛み合ったお互いの刃を一点の軸として、ヤガネヴの身体が
シアタカは、刀を握ったまま左腕を上げた。首を狙ってきた刃が、前腕に突き刺さる。
左腕に短剣を突き刺したまま、体をひねった。小さな動きで刃を返し、ヤガネヴの右足を切る。深くはないが、立ってはいられない傷だ。右足が支える力を失い、その場にへたり込むようにして倒れた。
眼下には歯を食いしばり、それでもなお逃れようとするヤガネヴがいる。せめぎあっている闘争心と恐怖心がその顔を歪ませていた。刀身ごしに見る、いつもの景色だ。
そして、いつもの通り、その手にある刀を振り下ろせば、すべてが終わる。
「だめ!シアタカ!」
アシャンの叫び。
剣身が宙を舞い、乾いた音をたてて地に突き刺さった。
剣を切り割った緋色の刀身は、ヤガネヴの眼前で止められている。
「どうして、殺さない。
ヤガネヴは、シアタカを睨み付けた。
「人には、死ななければならない時がある」
シアタカは刀を引くと、後ろに一歩退いた。
「でも、あなたが死ぬべき時は、今、ここじゃない」
「生死は関係ない。お前のようなつわものと刃をまじえ、生きるか、死ぬか。どちらになろうとも、その結果こそが我が名誉を
シアタカは、ゆっくりと頭を振った。
「あなたが死ねば、残された者は悲しむ。残された者を救うべきだ。それは、俺のような者と戦って取り戻せるような名誉よりも、もっと大事なことだ」
その言葉に、ヤガネヴの表情が歪む。
「ウル・ヤークスの戦士の言う通りです、ヤガネヴ様」
付き添いの男が、転げるようにヤガネヴに駆け寄った。
「あなたは見事な闘いをみせました。御二人の戦いは、凡人の及ぶような闘いではなかった。ワハの戦士の中で、あなた方に並ぶ者がどれほどいるというのか。まさしくそれは、戦士の名誉のきわみ」
ヤガネヴは、男を見て、シアタカを見た。
「俺の名誉を認めてくれるか、ウル・ヤークスの戦士シアタカよ」
「戦士ヤガネヴ。あなたと闘えたことを誇りに思う」
シアタカは、刀を握った手を胸に当てて一礼した。
「ああ、感謝する。お前と闘えたことは一生の名誉だ」
ヤガネヴは、穏やかな表情で頷く。
ウィトが、シアタカに駆け寄った。アシャンとウァンデも後に続く。
「騎士シアタカ、腕の傷は大丈夫ですか」
ウィトは、蒼ざめた表情で突き立った短剣を見た。
「い、痛そう……」
アシャンは顔をしかめるとうめくように言う。
「痛いけど、すぐに直るさ」
刀を鞘に収めたシアタカは、歯を食いしばりながら一気に短剣を抜く。傷口からみるみる血が溢れ出した。
「ああ、早く血を止めないと」
慌てた様子のウィトは、己の長衣を切り裂いて即席の包帯とした。それを、腕に巻いていく。
シアタカは、アシャンに顔を向けた。その視線に気付いて、アシャンは首を傾げる。
「ありがとう、アシャン。止めてくれて」
あの瞬間、シアタカは境界にいた。これまで通りの自分でいるのか、それとも、そこから一歩踏み出すのか。一瞬の中にある迷い。そして、彼女の声が背中を押してくれた。
「言わなくても止めたでしょ?私、分かってたよ」
アシャンは、はにかんだように微笑んだ。
「ああ、そうだな……」
シアタカは小さく頷いた。服の裾で短剣の血糊を拭き取ると、跪いてヤガネヴに差し出す。
「これを返すよ」
「いや」
座り込んだまま、足の傷の手当を受けているヤガネヴは、頭を振った。
「よければ受け取ってくれ。我が国の名工が鍛えた物だ。とはいえ、お前の刀の切れ味には、はるかに劣るがな」
ヤガネヴは地に突き刺さった剣の残骸に目をやって、苦笑する。
「ありがとう。大切にする」
シアタカの答えを聞いて、ヤガネヴは腰につるした短剣の鞘を外した。
「これも一緒だ。これで、俺はお前の名誉に浴することができる。感謝するぞ」
「ヤガネヴ」
シアタカの傍らで、アシャンが腰を落とした。
「どうした、隊商頭」
ヤガネヴが怪訝な表情をアシャンに向ける。
「あなたに薬草を譲るよ」
アシャンの一言に、ヤガネヴは驚きの表情に転じた。
「な……、そ、それは本当か?」
「嘘は言わない。あなたに、タワの薬草を譲る」
アシャンは、真剣な表情で頷く。
「キシュが許してくれるのか?」
シアタカの問いに、アシャンは笑みを浮かべた。
「大丈夫。分かってくれるよ」
確信を持ったその言葉に、シアタカは小さく息を吐いた。キシュは家族。アシャンが語ったことを思い出す。人とキシュ。彼らは、お互いに己の意志を主張し、尊重している。
ヤガネヴは唸り声を発すると、拳を握り締めた。
「隊商頭、キシュガナンの娘よ。この恩にどう報いれば良いのだ?」
絞り出すようなヤガネヴの声。
「そうだな……」
アシャンは腕組みすると、少しの間、考え込む。そして顔を上げた。
「どこかでキシュガナンを見かけたら、親切にしてあげて欲しいな」
そう言って、笑った。
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