第10話

 蛮声が響いた。進軍の前触れとなって、蒼空を背景に白い砂塵が立上る。


「来た……」


 恐鳥の鞍上で、エンティノは呟く。


 カラデア人の駱駝騎兵と鱗の民の駆竜騎兵が砂丘を駆け下りてくる。斥候の報告によれば、その数は千騎を超えるという。迎え撃つ自軍の倍近い兵数だ。


 圧倒的な敵、絶望的な状況。シアタカが見た光景もこんなものだったのだろうか。しかし、根本的に異なることがある。自分の背後には、希望という逃げ道がある。今の自分とシアタカがおかれた状況を同一視するなど、おこがましいことだ。エンティノは己の愚かさを罵った。


「びびってるのか、エンティノ」


 横に並ぶハサラトが、彼女の険しい表情を見て、からかうように言った。


「怒ってるのよ」


 エンティノの短い返答が予想外だったのか、ハサラトの反応が一瞬遅れた。


「怒ってる?何に?」

「自分に」

「自分に?何でだ?」

「馬鹿だから」 

「意味が分からん」


 ハサラトは首を傾げた。


 エンティノは言葉を返すことなく、前方を睨み付ける。あいつらが、シアタカを殺した。彼女の心の中に、暗く煮えたぎる力が沸き起こる。愚かなザドリを殴り飛ばして、無駄な力を使う必要などなかった。マウダウ団長の言うとおりだ。私の血は、戦場で流すためにある。私は、ここで、奴らを殺す。


「おい、エンティノ」


 ハサラトが、一転して鋭い声を発する。


「任務を忘れるなよ、俺たちの役目は、餌だ。この戦いは、仇討ちじゃない」

「そんなこと分かってるよ」


 エンティノは、眉根を寄せながらも頷いてみせた。


「いや、全然分かってねえな。その顔は、殺る気がみなぎってるじゃないか」


 ハサラトは呆れたような表情でエンティノを見やる。


「ほどほどにしとけってことだ。深入りして、取り残されて無駄死になんて目も当てられないからな」

「分かってる。私だって、味方に殺されるなんて嫌だ」


 これまで、戦場で聖導教団による法陣魔術の行使を目撃したのは一度だけだ。しかし、その広範囲に及ぶ破壊の力は、今でもはっきりと覚えている。その力には敵も味方も無い。そこにいれば、死ぬ。単純で、冷徹な事実だけがあった。もし逃げ遅れてしまえば、自分も法陣魔術の犠牲となってしまうだろう。


 居並ぶ紅旗衣の騎士たちを見回す。皆、隣の者と話したり、無言で集中しているが、不安や恐怖は見られない。彼らはいつものように戦うはずだ。だが、自分がいつも通りでいられるのか。彼女には分からなかった。


 騎馬に跨った軍楽兵が、円筒形の喇叭を吹き鳴らす。その後ろに続く軍楽兵は、喇叭に合わせて鞍上で太鼓を叩いた。

 

 それを合図として、紅旗衣の騎士たちは次々と面頬を着用していく。それは、砂漠の妖魔を模した牙だらけの口が威圧的な物だ。兜と面頬の間から覗く鋭い眼光を迫りくるカラデア軍に向けて、緋色の穂先を備えた騎兵槍と、盾を構える。


「紅旗衣の騎士よ、進め!」


 マウダウの声とともに、紅旗衣の騎士たちは恐鳥を駆る。その後ろを、遊牧民たちからなる軽騎兵が続いた。


 激しく揺れる恐鳥の鞍上で、エンティノは呼吸を整える。心が乱れているのが自分でも分かる。敵を殺すならば、冷静でなければならない。戦場では、己を見失ったものは死の影を見ることになる。旗の館で、そう教わってきた。エンティノは、シアタカの死を知らされてから、自分が変わってしまったことを自覚している。それも、よくない変化だ。その変化が自分を弱くする。彼女はそのことを恐れていた。だからこそ、心の中で燃える、暗い炎を必要としていた。


 眼前に迫るカラデア軍。後背の砂塵は立ちはだかる白い壁のようだ。数で勝る騎兵部隊は、横に大きく広がって、紅旗衣の騎士たちを呑み込もうとしている。


 駆ける紅旗衣の騎士の背後から、彼らを追い越して無数の矢が飛んだ。後ろに続く軽騎兵が放ったものだ。


 先頭を走る何騎もの駆竜騎兵が、矢を受けて転倒する。カラデア側の駱駝騎兵も矢を放ってくるが、ウル・ヤークスの騎兵ほど習熟していないようだ。まばらに降り注ぐ矢を、騎士たちは盾をもって防ぐことができる。


 エンティノは深くゆっくりと息を吸い込みながら、精神を集中した。白い肌に、紋様が浮かび上がる。全身を力が駆け巡り、震える。世界が明るく鮮明になり、音が形となって耳に飛び込んできた。自らの身体を襲う変化に、歯を食いしばって耐える。調律の力は、彼女にとって愉悦と恐怖の相反する感情を同時にもたらす。出来れば頼りたくはないが、この戦場ではそんな感傷は命取りになることを理解していた。

 

 並走する紅旗衣の騎士たちが、雄叫びを上げる。皆も同じように調律の力を解放したのだろう。


 躍動する肉と鉄の立てる音、面頬ごしに嗅ぎ取る砂塵と血と汗の匂い。自分は、いつもの戦場にやってきた。


 敵が迫る。調律によって強化された視覚が、駆竜の口の鋭い牙も、その口から飛び散る涎さえもはっきりととらえた。


「槍、放て!」


 部隊長の命令を、騎士たちは復唱する。騎兵槍を鞍に預けると、盾の裏に手挟んでいた投槍を握って次々と投げつけた。調律で強化された膂力で投ぜられた投槍は、風を切る音とともに鱗の民や駆竜に次々と突き刺さった。その一撃は強力で、当たり所によっては絶命する者もいる。


 騎士たちは投槍をそれぞれ三本携えていた。恐鳥を駆りながら、騎士たちは続けて二本の投槍を投じていく。その攻撃は確実に敵兵の数を減じていく。騎兵部隊の突進に一部遅滞が生じた。


 その瞬間を見計らって、部隊長が叫ぶ。


「敵、右翼へ突撃!」


 騎士たちは手綱を操って恐鳥を直角といってもよいほどの方向転換させる。馬には真似出来ない、機敏で二足歩行する恐鳥なればこその動きだ。恐鳥たちは転倒しかねないほどに体を傾けて左方へと行き先を変えた。 


 横に広がっていた騎士団は、川が流れを変えるように一筋の流れとなってカラデア騎兵部隊の右翼へと向かう。これまでよりもさらに速度を増した恐鳥は、すぐさま敵軍に肉薄した。その先には、塊となって駆けてくる騎士団に驚愕の表情を浮かべるカラデア人の駱駝騎兵たちがいる。


 喚声とともに、騎士団は駱駝騎兵たちに殺到する。騎士団の先頭が切り込んだ隙間に、後から続く騎士たちが喰らいつき、どんどんと広げていった。


 騎士団は駱駝騎兵の壁を突破すると、カラデア軍の後背に回り込む形となった。しかし、すでにカラデア軍も騎士団の動きに応じて騎兵部隊の反転を試みていた。とはいえ、駆竜騎兵や駱駝騎兵はそこまで機敏ではない。紅旗衣の騎士団の動きと比較すると鈍重にも思える動きになるのは仕方がなかった。


 態勢を立て直していないカラデア軍へ、騎士団はすぐさま襲い掛かった。

 

 駆竜騎兵の繰り出した槍を、ハサラトが盾で受け止める。調律の力が無ければ吹き飛ばされていただろう強烈な一撃だったが、今は鞍上で僅かに身体が揺らぐのみだ。それよりも、盾の損傷が大きい。何度も喰らっていれば、盾を切り割られることになるだろう。


 エンティノは、素早く恐鳥を駆け寄らせると、ハサラトに対する駆竜騎兵へ槍を突き出した。その一撃は、素早い動きで跳ね除けられる。しかし、攻撃は終わらない。泳いだ槍をその力に逆らわずに転じる。人が相手ならばそのまま石突を突きこむのだが、板金鎧を身に着けた鱗の民には威力が足りない。エンティノは瞬時にそう判断すると、石突で駆竜騎兵の槍の穂先を激しく叩いた。槍は取り落とされることはなかったが、下方へ向く。エンティノは、叩いた反作用で激しく跳ねた槍を滑らかに回転させて、穂先を突き出した。


 切っ先は、駆竜騎兵の槍をもつ左手に深く突き刺さった。おそらく腱を断ったのだろう。その手に持つ槍を放してしまう。その瞬間、横合いからハサラトの槍が駆竜騎兵の喉を貫いていた。数瞬の後、騎兵は鞍上に突っ伏した。


「獲物を横取りしないでよ!」

「元々こっちの獲物だ!全く、くるくると槍を器用に振り回す奴だよ、お前は」


 エンティノの抗議をハサラトは苦笑しながら受け流す。


「ハサラトももう少し槍の鍛錬をしなよ」


 エンティノはそう言ってにやりと笑う。もっとも、面頬の上に覗く細めた目でしか分からない笑みだったが。

 

「お前に言われたくねえよ」


 ハサラトは小さく肩を竦めると、会話を打ち切った。すでに、次の獲物がこちらに向かってきたからだった。


 紅旗衣の騎士団は、敵と何度か槍を交えると、乱戦になる前に素早く反転した。敵が完全に態勢を整える前に、素早く移動して隊列の端へと襲い掛かる。そして、一度の打撃を与えてすぐに離脱した。正面からぶつかってしまえば、取り囲まれてすり潰されるのは自軍のほうだったからだ。そして、この場で持ちこたえるだけが目的ではない。本軍との連携こそが、本来の任務だった。


 『砦』を攻めている歩兵部隊がじりじりと後退を始めた。後方で戦闘に加わらずに待機していた兵は、その様子を確認すると激しく軍鼓を打ち鳴らした。


「後退せよ!」


 軍鼓の音を聞いた部隊長が叫ぶ。後退の命令は連呼され、騎士団は素早く本陣の方向へ反転した。攻撃するべき相手が突然逆方向に駆け出してしまったことで、カラデア軍に混乱が生じる。その間に、紅旗衣の騎士団は敵との距離を大きく取っていた。

 

「弓放て!」


 騎士団が待機していた軽騎兵部隊に合流すると同時に、部隊長が命じた。それに応じて、軽騎兵は矢を放つ。カラデア軍は、矢の雨を浴びて混乱を増してしまったようだった。


「突撃!」


 息つく暇もなく、騎士団は再びカラデア軍へと駆けていく。そして、その一部を削り取ると、すぐに反転して後退した。 


 紅旗衣の騎士団と軽騎兵部隊は、反転、矢の援護、突撃、そして、反転、という動きを繰り返した。それは確実にカラデア軍に被害を与えているものの、決定的な損害を与えてはいない。むしろ、徐々に本陣の方向へ後退していることになる。カラデア軍から見れば、損害を恐れて逃げているようにも見える動きだった。


 一方の歩兵部隊は『砦』から本格的に後退を始めていた。後背の弓兵部隊がそれを援護する。


 再び、激しく軍鼓が打ち鳴らされた。


「散れ!」


 部隊長の命とともに、紅旗衣の騎士団は攻撃を止めて反転した。そして、散開して全速力で駆け出す。カラデア軍から見れば、算を乱して逃げ出したように見えただろう。


 紅旗衣の騎士団の散開を見て取った歩兵側の鼓主も、激しく太鼓を打ち鳴らした。それを合図として、歩兵たちも大声を上げながら、敵に背を向けて駆け出す。


 同時に、ヴァウラ将軍のいる本陣も動き始めていた。本陣を構えていた台地状の砂丘から、北東の方向へ、『砦』に近づいてはいるが、より険しい砂丘が連なる方向へ残していた部隊を移動し始める。


 僅かな逡巡の気配の後、『砦』からカラデア兵たちが喚声とともに飛び出してきた。歩兵部隊は移動した本陣目掛けて必死で駆けている。カラデア兵たちも死に物狂いの形相でそれを追った。


 一方の、援軍であるカラデア騎兵部隊も、隊伍を整えて紅旗衣の騎士団を追撃する。


エンティノとハサラト、そしてムタハ族の軽騎兵は、後退する部隊の最後端を駆けていた。図らずも殿を務めるような状態になったのは、エンティノが敵陣に深く切り込みすぎていたからだった。ハサラトはそれに引き摺られるようにして共に戦った。そのため、散開の命が下されたとき、半ば取り残された形になってしまった。いつの間に傍らを共に駆けている軽騎兵については、彼らもよく分からない。本来、紅旗衣の騎士団よりも後方にいる者がこんな所にいるはずもないが、要領が悪い者はどこにでもいるものだ。


「急げ急げ、巻き込まれるぞ!!」


 叫ぶハサラトの声に焦りの色が濃い。


 激しい戦いの中で彼の面頬はすでに取れてしまっている。その顔には浅からぬ傷を負っていた。エンティノも同様だ。鎖甲の肩部が切り裂かれ、出血がある。


 息苦しさを感じて、エンティノは面頬を外して深く息を吸い込んだ。戦いの最中だが、調律の力を解く。顔を彩っていた紋様が薄まり、消えた。


 鞍上で激しく揺れる逃げ遅れた哀れな遊牧民の軽騎兵と、ハサラトの必死な横顔を見ていると、笑いがこみ上げてくた。


「なに笑ってるんだ、エンティノ。狂ったのか」

「『羊の群れと踊る女』だ……!」


 笑うエンティノを見て、軽騎兵の男が怯えたように言う。それは、遊牧民に恐れられている狂気の精霊の名だ。


「ごめん、おかしくって」

「こんな時に何言ってるんだお前は!」


 ハサラトの表情を見て、本当に怒っていることを悟ったエンティノは表情を引き締めた。   

「糞、俺はこんな役回りじゃなかったはずだぞ……」


 ハサラトの呟くような言葉を、エンティノは耳にしていた。そうだ。こんな時には、シアタカがいてくれた。彼が、苦笑しながらも損な役回りを引き受けていた。暗い復讐の炎に駆り立てられて、深入りしてしまった己を責める。エンティノは歯を食いしばると、視線を前に向けた。


 ウル・ヤークス軍が移動した本陣に向けて集結し始めている。それを追って、南北よりカラデア軍が迫っていた。絶好の機会を逃さぬよう、その進軍速度は速い。紅旗衣の騎士団と本軍は合流すると、砂丘の谷を登り始めた。目指す高所に、本陣は移っている。


 遅れて逃げるエンティノたちの上空で、翼人空兵が黒い煙をあげる袋を幾つも落としていく。敵軍の中心が法陣の中心に入ったという知らせだ。


 それに応じるようにして、高所にある本陣で青い旗があがる。魔術師たちが魔術を行使する準備ができたことを示している。


 エンティノが思わず呻いた。頭の奥で、音ともいえない音が鳴り響いているような異様な感覚がある。それは、魔力を観ることができない者にさえ感じることができる強大な力だ。大規模な法陣魔術が発動する兆しだった。


 必死に斜面を駆け上がりながら、エンティノは振り返った。大軍が眼下に集結している。煌めく白銀の水面が押し寄せてくるように、彼らへと迫ってくる。


 次の瞬間、世界が光った。


 巨大で、広大な焔が、大軍のほぼ中央で音にならない叫びをあげた。離れていても感じる凄まじい熱量。広範囲の兵士たちは超高温の焔に巻き込まれ、一瞬にして死んだ。何も分からないまま命を失った彼らに比べて、焔の外縁にいた兵士たちは悲惨だった。高熱に炙られて、身体を半ばまで焼かれてしまったのだ。恐怖と苦痛の叫び。そして、肉の焼ける臭い。


 カラデア軍は一瞬にして崩壊した。


 エンティノは、その場に恐鳥を止めて、その光景を呆然と見ていた。彼女の中の怒りと憎悪の炎は、ゆっくりと消えていく。これは、戦じゃない。ゆっくりと、頭を振る。己の刃を血に汚すことも無く、一度に全てを投げ捨ててしまうような、こんな無慈悲な虐殺を、エンティノは認めることができなかった。



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