第9話


 規則正しい太鼓の拍子に合わせるように、人々の足音が連なり、砂を踏みしめる。武具のたてる金属音が、それを彩った。鱗札の鎧を着け、盾を持ち、槍を構えた歩兵たちは、整然と足並みを揃えて進む。盾は持たず、槍や長剣で武装した狗人の歩兵部隊も、規則正しい足並みで彼らに並んだ。その後ろには、長弓を持った弓兵、そして戦鼓を叩いて兵たちを鼓舞する鼓主たちが続く。彼らの足下を、白い砂塵が舞う。それはまるで広大な白紗の上を歩いているようだった。


 彼らが目指すのは、カラデア軍の陣地だ。


 歩兵の左右斜め後ろには、それぞれ騎兵部隊が遅れて続いていた。これから始まる戦いの先陣を切るのは、彼らではない。


兵達は、歩調に合わせるようにして、歌い始めた。聖女王に捧げる祈りの歌だ。軍鼓がまるで伴奏のように響く。


 カラデア軍は、ガノンと呼ばれる巨大な岩塊群を利用して、即席の砦を作り上げていた。巨岩の間には大盾や拒馬が並び、その後ろには長槍を構えた兵士達が待ち構えている。ガノンの高所に配置された弓兵は、矢を半ば番えた状態だ。


 太鼓の拍子が変化した。歩兵達はその場に止まる。まだカラデアの陣地までは遠い。


 歩兵が盾を掲げる。弓兵が矢を番えると、弓弦を引き絞る。指揮官の指示の元、カラデア軍を狙う。


 命令一下、矢が放たれた。


 無数の黒い雨が、カラデア陣地へ降り注いだ。ほぼ同時に、歩兵達が進み始める。盾を掲げたまま、早足で、しかし足並みを乱さずに敵陣へ向かった。


 直ぐ様、反撃の矢がカラデア軍からも放たれる。盾の上で、鋭く重い独特の音が、屋根が弾く雨音のように立て続けに鳴った。次々と苦痛の悲鳴と呻きがあがる。盾の隙間を抜けた矢が突き刺さった者。盾を貫通した矢が突き刺さった者。何人もの歩兵が倒れるが、それは全体の一部であり、足下に苦痛と死を残したまま、兵達は進む。


 立ち止まったまま矢を続けて放つ弓兵のお陰か、カラデア側からの矢の攻撃はまばらとなった。弓兵は、特にカラデアの射手を狙っている。その為、カラデア弓兵が身を隠さざるを得ない状況になっているのだった。


 歩兵たちがかなりの距離を進んだとき、カラデア歩兵達の背後から、風を切る音が連続で鳴った。


 カラデア側の陣地から、無数の黒い何かが飛来する。それは、石だった。沙海の黒い岩石を切り割って加工したものだ。この岩石は割ると鋭い角を残した鋭角な形となる。硬く、重量のある石は、速度を得ることで鉈や斧のような重い刃物のごとき威力を得ることになった。不規則な軌道で飛ぶことになるが、カラデアの投石兵は、的確に目標に向かって石を放ってくる。重く、鋭い投石は、運の悪い兵達の兜や盾を切り割り、打ち倒していた。


 歩兵の任務の多くは、たとえ死の雨にあっても、忍耐強く、そして一歩一歩進むことだ。彼らは盾を投石に削られながらも構わずに歩み、ついには敵陣に肉薄する。


 両軍の兵達の雄叫びが岩塊群の間を鳴り響いた。


 槍と槍が絡み合い、打ち合う。大盾や拒馬を乗り越えようとしたウル・ヤークス兵が何本もの槍に突き刺され、転げ落ちる。槍の柄が折れ、盾が弾き飛ばされ、兜が地に転がった。至近で石が直撃した兵は、顔を一瞬で血の塊と化して地に倒れ付す。大盾の向こうに届いた槍がカラデア兵を貫き、頭を一撃された兵は昏倒した。跳躍した狗人歩兵たちが拒馬を駆け上り、カラデア兵に襲い掛かる。彼らは、低く這い、高く跳び、長剣や槍を縦横に振るった。しかし、カラデア兵たちに攻撃され、殺される者もいる。ある程度暴れまわると、生き残った狗人たちは素早く後退していった。


 その時を待っていたように、翼人フィ・ルサ族の空兵が飛来した。五十人もの翼人空兵たちは、敵陣の上空で、ぶら下げていた大きな革袋を解き放つ。解かれた帯のように開いた革袋から飛び出たのは、これも沙海の岩石を加工したものだった。落下していく幾つもの石は見事なまでに均等に拡散していき、お返しとばかりにカラデア兵たちを襲う。空という想像もしない方向からの攻撃に、兵達は驚愕と恐怖の叫びをあげた。


 両軍は激しい攻防を繰り広げる。カラデア兵は、一歩も引かずにウル・やークス兵を食い止めていた。その様子を見て、ヴァウラは背後を振り返った。遠くの空で、翼人空兵が数人、空に円を描いて飛んでいる。それは、ただ優雅に空を舞っているわけではない。南からカラデア軍の援軍が来た時に合図を出すために、彼らは空にいる。


「まだ来ないようだな」


 ヴァウラは呟くように言った。


「そうですなぁ。しかし、騎兵部隊を遊ばせているのが惜しい」


 同じように空に顔を向けていた副官は、再び戦場に視線を戻すと唸った。タハフという名のウルス人で、軍人と呼ぶにはひどく痩せている男だった。身に着けている鎧も皮革製の軽量な物で、武器も腰に小剣を吊るすのみだ。猛々しい軍人の中にあって、第三軍ギェナ・ヴァン・ワの副官には見えない男だった。その横には、宙に浮かぶ呪毯に座った魔術師ワセトが長身の造人兵を二人連れている。背後には、紅旗衣の騎士団長であるマウダウが紅旗衣の騎士を三人連れて控えていた。


 なだらかな斜面の台地状の砂丘の上に、ヴァウラは本陣を構えている。巨大なギェナ・ヴァン・ワの旗がはためき、紅旗衣の騎士団と遊牧民によって構成された軽騎兵部隊がヴァウラたちを守るために前方に展開していた。


「少し揺さぶりをかけるか」


 ヴァウラは高く手を上げると、近くで控えている将兵に合図を送った。

  

 喇叭が吹き鳴らされる。その音を聞いて、歩兵の後方で待機していた両翼の騎兵部隊が動き始めた。騎兵部隊はゆっくりと、左右に別れ、敵陣を目指す。騎兵槍と盾を携えた彼らは、全身を鱗札の鎧に身を包み、馬にも同様の鎧をまとわせた重装騎兵だった。この沙海では、馬の蹄は砂に沈み込んでいくために、その機動力を完全に発揮することはできない。しかし、全ての騎兵が恐鳥を乗りこなすことは出来ない。そして、駱駝は馬ほどには機敏ではない。沙海は馬にとって過酷な土地だったが、水や飼葉など高い代償を支払ってでも、馬は騎兵部隊には欠かせないものだった。


 騎兵部隊が目指すガノンに構築された『砦』は、いわば戦場の中に浮かんだ島であり、必ずしも正面から攻める必要はない。騎兵部隊はカラデアの陣地を横合い、もしくは後背にまわって挟み込むように攻めかかることとなる。


 両翼の騎兵部隊の先頭を、それぞれ三人の翼人空兵が空を飛び先導する。ガノンの周辺は大小の岩塊が並び、迷路というほどではないが、入り組んだ道となっている。迅速に『砦』にたどり着くために、偵察した空兵の道案内が必要だった。


 砂塵を巻き上げながら、騎兵部隊は『砦』に迫る。岩塊群の中に入った時、何本もの矢が騎兵部隊に向かって放たれた。降り注ぐ矢を、先導していた翼人空兵たちは慌ててかわす。しかし、密集していた騎兵部隊はそうもいかない。何人もの騎兵が矢を食らう。矢に続いて投石も始まった。


 そして、聞き慣れない咆哮とともに、駆竜騎兵が岩塊群の脇道から次々と飛び出しだしてきた。長く伸びた列のあちこちに駆竜騎兵の楔が打ち込まれる。駆竜騎兵は大身の穂先を備えた槍を手に、隊列の中に入り込み、激しく暴れまわった。訓練を受けていない馬ならば、ここで駆竜に怯えて逃げ出してしまうが、騎兵部隊に配されている軍馬は違った。厳しく調教され、さらに薬によって恐怖心を麻痺させているため、騎手よりも落ち着いているように見える。


 強烈な駆竜騎兵の攻撃に騎兵部隊は混乱に陥ったが、指揮官たちの必死の統制ですぐに連携を立て直した。当初から、彼らは無理をして深入りをしないように指示を受けている。初撃で思わぬ損害を受けた今、余計な傷を負う必要はない。指揮に従って、騎兵部隊は互いに補いながら後退を始める。空兵たちは、空から矢を射て、カラデア側の弓兵たちを牽制した。駆竜騎兵も深追いすることはなくその場に留まった。


「やはり待ち構えていたか」


 退却してくる騎兵部隊を見て、ヴァウラは呟く。予想はしていたが、カラデア軍は地の利を生かして守りを固めている。これを突破するのは苦労させられるだろう。


「造人兵を突入させましょうか。もしくは、魔術師を向かわせますか」


 ワセトが言う。


「いや、ここで苦戦しているほうが、それらしく見えて丁度良い」


 ヴァウラは頭を振った。


「今は、『砦』を攻め落とすことが目的なのではない。魔術師達には、法陣に施した術式に専念してもらわなくては意味がないからな。聖導院の切り札を切るのは、敵を誘い出してからだ」

「そうでしたな。差し出がましいことを申しました」


 ハワトは笑みを浮かべて一礼する。


 迅速に、損害を少なく勝利する。これがヴァウラの理想とする戦いだ。策もなく兵を無理やり戦わせて無駄に消耗することなど、愚の骨頂である。ウル・ヤークスの人民は、等しく聖女王の持ち物だ。それを一時預かっているにすぎない将軍が、用兵を誤り無益な死に導くことなどあってはならないことだ。ヴァウラはそう思っている。しかし、多くの戦は理想の通りに運ぶことはない。死体を積み上げなければ登れない丘もある。ならば、兵たちの死にも意味がなければならない。


 すでに、シアタカも失った。シアタカは、これからのヴァウラの計画に必要な人材の一人として鍛え上げてきた。しかし、旗の館に閉じ込めて育てていくわけにはいかない。計画を成就するために、紅旗衣の騎士として経験を積む必要があったのだ。そして、これまでのシアタカは、ヴァウラの期待に応えた戦果をあげてきた。しかし、武運は、途切れぬエセトワの大河の流れとは限らない。砂漠の直中の暗渠カナートが、井戸が枯れることで水を失うように、ある日、一本の矢でその武運と命の流れを失ってしまうかもしれない。ヴァウラはこれまで戦場でそんな者達を幾人も見てきた。シアタカも、その例外ではなかったということなのだろう。


 造人は人材の消耗を防ぐ、究極の方法だな。ワセトの背後に立つ造人兵を見て、ヴァウラは皮肉に思ったのだった。


「将軍閣下!合図です!」


 兵が叫ぶ。その声に振り返ると、空を舞う翼人が赤い旗を振り回している。


「来たか」


 ヴァウラは口元に笑みを浮かべると、紅旗衣の騎士たちを見た。騎士たちは皆、姿勢を正してヴァウラに注目している。ヴァウラは振り返ると、マウダウに頷いて見せた。


 マウダウは一礼すると進み出る。


「兄弟たちよ!」


 マウダウは直立不動の騎士たちに叫んだ。


「我らの出番だ。これより、後背より迫りくる敵に対する。獅子の猛き心を隠し、怯えた羊のように振舞え。我らは餌に徹するのだ」


 紅旗衣の騎士たちは、鋭い一声で応じると、胸に拳を当てる。騎士たちの戎衣が発する金属音が、一つの音となって大きく鳴り響いた。

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