第11話


「いやあ、買ったね」


 アシャンが、大きく息を吐くとキシュの背にうず高く積まれた荷を眺めた。


「今回の商売は、随分とキシュが欲張ったなぁ」


 戦士の一人が、アシャンの傍らで言う。


「そうなの?」


 アシャンが戦士に顔を向けた。彼は頷く。


「ああ、いつもよりも多いぞ。前は、確かここまでしか積んでいなかった」


 戦士は自分の腹の辺りで手を水平に動かす。対して、キシュの背の荷物は戦士の胸の高さを越えている。


「それだけアシャンが、キシュの欲しい物を見付けることが上手いんだろう」


 ウァンデが積まれた荷物を軽く叩くと言った。


「きっとそうだな」

「だったら良いんだけどな」


 アシャンは、はにかんだような笑顔を見せる。


「これは全部、キシュが欲しがった物なのか?」


 シアタカは、三人の会話を聞いて思わず口を開いた。


「そうだよ」


 アシャンはシアタカに顔を向けると頷いた。


「キシュは何を基準に選んでいるんだ?」


 荷物の隅からはみ出ている得体の知れない触手の干物を横目に、尋ねる。これまでアシャンが市場で買い集めた物は、ウルス人のシアタカからすれば、珍味の類や何に使うのか想像もつかない物ばかりだった。


「勘だよ」

「勘?」


 あまりに単純なその返答に、シアタカは思わず聞き返してしまう。


「そう、勘。食べたら群れにとって良いかもしれない。巣穴におけば何か良いことがあるかもしれない。物を見て、嗅いで、キシュはそう考えて選ぶんだよ。もちろん、無駄になることもあるけどね」

「凄いのか、いい加減なのか、よく分からない話だな」


 シアタカは首を傾げると、荷物を積んだまま静かに立っているキシュを眺めた。彼らの見る世界がどんなものか、想像もつかない。アシャンはその片鱗は知っているのだろう。シアタカも、黒石に触れて、黒石の見る世界を体験してしまった。それによって、世界は見えているものより見えていないものの方が多いことを身をもって理解したのだ。魔術師の言う精霊の世界という言葉も、今なら少しは分かる気がした。


 アシャン、ウァンデ、シアタカ、二人の戦士、そして三匹のキシュたちは、取引を終えて広場で一休みしていた。アシャンたちはキシュの望む物を買い終えて、仲間たちを待っている所だった。彼らキセの一族は、今日で交易を終えて、故郷に帰るつもりでいる。 


 広場の一角に立って辺りを見回していた男たちが、アシャンたちキセの一族を指差すとこちらに歩いてきた。十人の黒い肌をもつ男たちは、手足が長く、ひょろりとした印象を与えるカラデア人と比べて、手足は短いがなによりがっしりとした体格だ。全員が禿頭で、袖のない色鮮やか黄色の上衣を着ている。むき出しの上腕に、みみず腫れのような肉が盛り上がってできた瘢痕はんこんが刻まれている者が数人いた。


 男たちは、キセの一族の前に立った。その威圧的な雰囲気に、シアタカは警戒して身構える。ウァンデと戦士たちも、視線を鋭くして男たちと向き合った。


 一際背の高い男が、進み出る。男の太い右腕には、肉が盛り上がってできた瘢痕はんこんが幾つも刻まれていた。


「俺はワハ王国の戦士、ヤガネヴだ。蟻使いどもよ。お前たちの隊商頭は誰だ」


 男は、一行を睥睨すると、野太い声で訊ねる。


「わ、わたしだけど」


 アシャンが、上擦った声で応じた。


「こんな小娘が?嘘をつくな」


 アシャンを一瞥すると、苛立ったようにウァンデや戦士たちを見やる。


「本当だ。その娘、アシャンが隊商頭を務めている」


 ウァンデが、アシャンを手で示すと、深く頷いた。


「小娘を隊商頭にすえるとは、蟻使いどもの考えることは分からんな。まあいい」


 ヤガネヴは小さく首を傾げた後、アシャンを見据えた。アシャンはその視線を緊張した面持ちで受けとめる。


「蟻使い、お前たちがタワの薬草を買ったと聞いたぞ」

「そ、そうだけど」


 アシャンは頷く。


「それを俺たちに譲れ」

「だめだよ、もう私たちが買ったもの」


 ヤガネヴの短い要求に、アシャンは驚きの表情を浮かべた後、頭を振った。

 

「倍の値を出す」

「いらない。キシュが必要としてる物なんだ」


 もう一度強く頭を振ったアシャンを、ヤガネヴは睨み付けた。


「キシュ……、その大蟻のことか。そんな虫けらが必要としているだと。駆け引きの言い訳にしては、くだらんぞ」

「駆け引きなんかじゃない。売らないって言ったら、売らないよ」


 ヤガネヴの言葉に、アシャンの表情は緊張からみるみる険しいものへと変化していく。


「お前らは蟻を飼うだけでは飽き足らず、頭の中に蛆を飼っているようだな。虫けらを飼っているうちに、お前らが虫けらになったか」

「キシュは虫けらなんかじゃない!」


 アシャンは叫んだ。その声を浴びたヤガネヴは、不快そうに顔を歪める。


「アシャン、少し待て、どうしてそんなに欲しがるのか……」


 ウァンデが口を挟んだが、その声はヤガネヴの怒声に掻き消された。


「いいからよこせ!」


 ヤガネヴが手を伸ばして踏み込んできた。その勢いに、アシャンが小さな悲鳴を上げる。


 シアタカがアシャンの前に立ち、ヤガネヴの進路を遮った。肩と肩がぶつかり、男はたたらを踏む。唸り声を発すると、シアタカを突き飛ばそうとするが、素早くその手を払った。


「こいつ、俺の腕をかわしおったぞ。大した奴だ」


 ヤガネヴは上体だけで振り返り、笑う。背後に立つ他の男たちも、それに応じて笑い声を上げた。


 しかし、シアタカは見ていた。ヤガネヴは、両足を肩の幅に広げ、僅かに前のめりになっている。いつでもこちらに飛び掛かってこれる体勢だ。


「アシャン、少し下がっているんだ」


 視線は正面に向けたまま、シアタカは小声で言う。


「う、うん」


 アシャンは頷くとその言葉に従った。

 

「よせ!」


 誰に呼びかけたのか。ウァンデが叫んだ瞬間、すでに二人は動き出していた。


 ヤガネヴは、振り向きざまに殴りかかってくる。シアタカも、身をかがめながら素早く踏み込んでいた。ヤガネヴの大振りの拳を肩越しにかわしながら、上体をひねり、右肘を振りかぶって打ち当てる。


 頬から顎に肘を受けて、ヤガネヴはゆっくり仰向けに倒れた。シアタカは踏み込んだ動きを止めることなく、後を追って飛び掛り、握りこんだ拳を頭に叩きつけた。膝で相手の胸を抑えながら、二度、三度拳を振り下ろす。すぐにヤガネヴは動かなくなった。


 仲間の男たちは数瞬、あっけにとられていたが、すぐに我に返って怒号とともにシアタカに殺到した。キセの戦士たちも喚声を上げてそれを迎え撃つ。


「くそ、シアタカ、お前は手が早すぎるぞ!」 


 ウァンデが、言いながら、男の上衣の襟首を掴んだ。顔面を殴りつけ、そのまま地面に放り投げる。


「すまない。体が勝手に動いてしまった」


 シアタカは、別の男の顔面を拳で打ち抜いた後、ウァンデに答えた。あのヤガネヴという男に中途半端な攻撃をすれば、すぐに反撃してきただろう。その予感が、半ば無意識に体を動かしていた。


 キセの一族とシアタカ、ワハ王国の男たちは、殴り合い、取っ組みあい、暴れまわる。数で言うとキセの一族が負けているが、戦士たちは巧みに連携してワハ王国の男たちに付け入る隙を与えずにいる。また、ワハの男たちの全員が闘いの技に優れているわけではないのも拮抗している原因のひとつだった。キシュは、アシャンを囲んで動かない。ワハの男たちもあえてそちらに近付こうとはしなかった。


「お前ら、何をしている!!」 


 騒然とする広場に、一際大きな声が響いた。棍棒と盾を手にしたカラデア人兵士が十人、駆け付けると、争う男たちの前に並ぶ。


「街での狼藉は許さんぞ!離れろ、離れろ!」


 隊の長らしき男が、見事な装飾が施された棍棒で盾を叩きながら叫ぶ。その声を合図として、兵士たちは同じように棍棒で盾を叩き、大声で威嚇しながら争いの中に割って入った。


 キセの一族とワハの男たちは、興奮冷めやらぬままに離れると、カラデア兵を挟んで睨み合う。


「お前たち、どうして争っていた?」


 カラデア兵の長が問う。


「この男が、我らが買った物をよこせと言ってきた。断ると、襲い掛かってきたんだ」

 

 ウァンデが、仲間に介抱されているヤガネヴを指差した。


「本当か?」


 カラデア兵がヤガネヴに顔を向ける。鼻から流れる血をぬぐいながら立ち上がったヤガネヴは、シアタカを睨め付け、そしてカラデア兵を見た。


「それは……、本当だ。つい、手が出てしまってな」


 ヤガネヴは険しい表情のまま頷く。


「一度商取引が成立した物を腕尽くで奪うような無法は、カラデアでは許されないぞ」


 カラデア兵が、顔をしかめると厳しい口調で言う。


「ああ、分かっている。だが、こちらも必死だったのだ」

「そんなことは言い訳にならない。カラデアに来た者はカラデアの法を守ってもらう」

「俺は誇り高きワハの戦士。弁解はしない」


 ヤガネヴはそう言うと自らの胸を拳で叩いた。

 

 カラデア兵がウァンデに顔を向けたとき、通りの向こうで歓声が上がった。その場に居た者は皆振り返る。


 カラデア兵に先導されながら、駱駝に跨った一行が広場に入ってきた。


 先頭を行く駱駝の背に揺られているのは、カラデア人の女だった。その後ろには黒石の守り手らしき男が続く。さらに、鱗の民の姿も見えた。眺めていたシアタカは、そこにいるはずがない人物の姿を認めて思わず驚きの声を上げた。恐鳥を操る鉛灰色の肌をもつ少年。


「ウィト!」


 シアタカの発した言葉を、誰も聞いていない。軍と合流しているはずのカッラハ族の少年の姿を見かけて、シアタカは混乱していた。さらなる伏兵がいたのか。ウィトだけ合流できなかったのか。様々な可能性が頭をめぐる。


「ネア・グ・ラワナ!ネア・グ・ラワナ!」


 群集が、カラデア語で何度も呼ばわる。女は、その声に手を上げて応えていた。


「あの女は誰なんだ?」


 シアタカはカラデア兵に聞いた。


「ラワナ様だ。太守様の娘であり、太守様を助けてカラデアを治めていらっしゃる」


 カラデア兵は、誇らしげに答えた。


 ラワナは、物々しい雰囲気のこちらに気付いたらしい。先導する兵に声をかけると、駱駝を進ませて近寄ってくる。


「どうしたの?何か問題があったの?」


 ラワナが鞍上から問い掛ける。


「いえ、ラワナ様、よくある商取引の揉め事です」


 緊張した面持ちのカラデア兵は答えた。


 シアタカは、その後ろにいるウィトから視線を外す事ができない。ここまで近付けば、見間違うこともない。やはり、恐鳥に跨っているのは、ウィトだった。傍らには、共に歩くラゴの姿も見える。


 そのラゴが、顔を上げた。鼻を高く上に向けると、ひくつかせている。そして、ウィトに向かって鳴き声をあげる。ウィトがラゴに顔を向けると、手を複雑に動かして、指差す。ウィトがその先に視線を向けると、シアタカと目が合った。


「騎士シアタカ!!」


 ウィトが絶叫すると、恐鳥から飛び降りた。後ろにいたカラデア人が慌ててその後を追う。


 ウィトとラゴは、人を掻き分けながら、こちらに近寄ってきた。シアタカも思わず歩み寄る。


「騎士シアタカ……、生きておられたのですね……」


 ウィトは、シアタカの前で、立ち尽くす。シアタカは、ウィトの肩に手を置いた。

 

「ああ、生きてるよ」


 シアタカは微笑む。


「ぐぅ……」


 ウィトは小さな声で唸ると涙をこぼした。その傍らに立つラゴは、尾を左右に振ってシアタカを見る。


「ラゴ、命に従ってウィトを守ってくれたんだな」


 シアタカは、ラゴの肩にも手を置いた。


「ウィト!」


 ラワナは、鋭い声で名を呼ぶと、駱駝から降りた。


「ウィト、その男はウル・ヤークスの騎士、あなたの主ね」


 ラワナは、シアタカを見つめる。カラデアの人間に正体が知られた。危険な事態だが、不思議と動揺はない。ここ数日の出来事で、何かが麻痺しているのかもしれない。


「そうだ。こちらが、我が主、紅旗衣の騎士シアタカ」


 ウィトが、胸を張って答える。ラワナは、その答えに、表情を緩めた。


「そう、死んでいたと思っていたのに、生きていた、ということね」


 ウィトは、小さく頷いた。


「シアタカ、誰なんだ?」

「ウィトとラゴ。ウル・ヤークスの軍人だよ」


 背後に立ったウァンデの問いに、シアタカは振り返って答えた。


「カラデアの捕虜になったということか」

「そのようだな」


 そして自分もそうなる。シアタカは小さく溜息をついた。正体が露見してしまった今、カラデアはシアタカの身を拘束するだろう。この数日間、紅旗衣の騎士であることを忘れていたはずだが、ここで紅旗衣の騎士に戻ることになる。 


「ウル・ヤークスの騎士、シアタカ。どうしてここにいるのか、聞いてもいいかしら?」


 ラワナは鋭い視線をシアタカに向けた。


「沙海で彼ら、キセの一族に救われた。それで、同行してカラデアにやって来た」


 カナムーンの名を出すつもりはなかった。彼が虚偽の報告をしていることが分かれば、罰せられるかもしれない。そう考えたからだ。


「なるほど。あの戦いで一人生き残り、沙海を彷徨っていて、キシュガナンに救われたということね」

「そうだ」

「ウル・ヤークスの騎士、シアタカ。あなたには、一緒に来てもらう。いいわね」

「シアタカはキセの客人だ」


 シアタカが答えようとした瞬間、ウァンデが口を挟んだ。


「キシュガナンの戦士、あなたはこの男の立場が分かっていないようね」

「いや、分かっている」


 ラワナは、厳しい表情をウァンデに向けた。ウァンデは、それを見やって、ゆっくりと頭を振る。


「シアタカはキセの塚の一族の客人であり、一族のラハシを守ってくれた恩人だ。お前たちが誰と戦っていようとも、それは我々には関係ない。キセの戦士は、客人をもてなし、守る義務がある」


 ラワナは眉根を寄せると、無言でウァンデを見つめた。


「よせ、ウァンデ。キセの一族に迷惑をかけたくない」


 シアタカがウァンデの肩を引いた。


「兄さん……」


 アシャンが傍らに立った。


「アシャン、隊商頭のお前を無視してすまん。しかし、これは戦士として大事なことなんだ」


 ウァンデの言葉に、アシャンは真剣な表情で頷く。


「謝る事なんてない。私も、同じ意見だもの。キセの一族として、シアタカを守る」

「ああ、その通りだ、妹よ」 


 ウァンデは、アシャンを見やって微笑む。


 シアタカは、二人の言葉に、口を開くことができなかった。心の中を熱いものがこみ上げてくる。


 ラワナは、三人の顔を見比べて溜息をついた。


「キシュガナン、どこに宿を取っているの?」


 突然話題が切り替わったことに当惑して、アシャンとウァンデは顔を見合わせた。


「ウェイムウという宿だけど……」

「ああ、あそこか。知っているわ」


 ラワナは眉間に皺を寄せたままの表情で、言う。


「シアタカをあなた達の客人として認めるわ。ただし、シアタカを連れてカラデアを出るのは認めない。この男を守るというなら、この街に留まってもらう。それが私が譲歩できる条件よ。どう?」


 アシャンとウァンデは、再び顔を見合わせる。ウァンデは小さく頷いて見せた。アシャンは大きく息を吸い込むと、ラワナに向き直った。


「分かった。それでいい」


 アシャンの答えを受けて、ラワナは振り返った。


「ウィト、ラゴも、主の下に帰る?」


 その言葉に、ウィトは大きく頷いた。

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