第7話

 エンティノは、外套に身を包み、焚き火を見つめていた。ハサラトは隣に腰を下ろすと、湯気が上がる玉蜀黍とうもろこし汁で満たされた杯を差し出す。


「これ、いるか?」

「うん、ありがとう」


 エンティノは頷くと杯を受け取った。


「大丈夫か、エンティノ」

「寒い。お腹すいた」


 エンティノは、不貞腐れた子供のような口調で答える。


「いや、そういうことじゃなくてさ……」


 ハサラトは言いかけて口を噤んだ。エンティノは横目でハサラトを見ながら玉蜀黍とうもろこし汁を飲む。そして、飲み干すと、杯を置いた。口を噤んだままのハサラトに、首を傾げる。


「何よ、言いたいことがあるなら言いなよ」

「それはこっちの台詞なんだけどな」


 ハサラトは呟く。エンティノが弱音を吐くことはない。ハサラトはこれまでの付き合いの中で、そのことをよく知っている。


自分が何とかしなければ誰も助けてくれないことを、彼女は十歳の時に知ったからだ。エンティノは、彼女の肉体で欲望を満たそうとした男の喉笛を噛み千切り、館から逃げ出した。そして、追っ手から逃げている中、ヴァウラに救われたのだ。


 ヴァウラは、口から襟元まで血に染まった金色の髪をもつ少女に、名を授けた。エンティノ、獅子の娘という意味の古い言葉だった。


 ハサラトは、その境遇を聞いた時、彼女に畏敬の念を抱いた。下町でけちな盗みをしていた孤児の自分とは全く違う。激しい闘争心と誇りがエンティノを支えている。しかし、大事なものを失った時、彼女がどうなるのか。今の彼女がそれを認めたくないのだろうとは想像できるが、いつかは実感するときがくる。その時の辛さは、ハサラトも経験があった。硬く、鋭いものほど、耐えられなくなった時にあっけなく折れるものだ。

 

 周囲にある幾つもの焚き火を、紅旗衣の騎士たちが囲んでいた。何かを飲んでいる者もいれば、横になって仮眠をとっている者もいる。即座に動けるように、天幕は設置していない。


「シアタカは死んだようだな」

「ヴァウラ将軍に目を掛けられていたから、調子に乗りすぎて失敗したな、奴は」


 聞こえよがしに大声で交わされる言葉に、ハサラトは会話の主たちに顔を向ける。


 ザドリとイェムタムという男たちだ。風貌はウルス人に似ているが、ムタハ族という遊牧民出身だった。己の腕に自信があるが、常にシアタカに一歩遅れていたために、彼を何かと競争相手見なして争っていた。


「元々、奴は武勇に頼りすぎていたからな」

「血の気が多いだけで頭が足りなかったってことか」

「ああ、部隊の指揮官には相応しくなかったんだろう」


 ハサラトは思わず立ち上がった。もう聞いてはいられなかった。


「おい、手前ら!」


 ハサラトは二人に歩み寄ると、鋭く言う。二人は、口元に笑みを浮かべながら立ち上がった。


「何だ、ハサラト」

「同胞を守って名誉を示した仲間に、何てことを言うんだ」

「同胞を守った?」


 イェムタムが、嘲笑とともに首を傾げる。


「同胞を無為に死なせた、の間違いだろうが。伏兵に気付かずに部隊を半壊させた。指揮官失格だ」

「ラッダの話を聞かなかったのか。あれは誰も気付けない。狗人でさえ寸前に気付いたんだぞ」

「本当かどうかも怪しいな。ラッダがシアタカと己の失態を隠すために嘘をついたのかも知れん」

「大体な、シアタカはヴァウラ将軍に取り入って何とか斥候隊の隊長になったんだ。無理してでも手柄をあげる必要があったんだよ」


 ザドリがハサラトを挑発するように顔を突き出して顔を歪める。


「それなのに、奴は失敗した。斥候の任務すらろくに果たせない。奴は自分の失態が恥ずかしくて、戦場で死ぬことを選んだんだよ。道連れにされた同胞が哀れだ」 

「いい加減にしろよ、駱駝の泡吹き野郎が!」


 ハサラトがザドリを睨み付けながら一歩踏み出した瞬間、視界の隅に金色が見えた。


 白い手が、横合いからザドリの顎先を打ち抜いた。その場で、ザドリの体が崩れ落ちる。続けざま、蹴りがザドリの頭を一撃する。仰け反るようにして、砂の大地に倒れこんだ。


「エンティノ!」

「エンティノ、お前!」


 驚くハサラトの声とイェムタムの怒声が重なる。無表情なエンティノは、無言でイェムタムを見やる。


 イェムタムは、それ以上言葉を発しなかった。素早く踏み込むとエンティノへ迫る。エンティノは後ろに飛び退くと接近を許さない。


 寸前まで頭に血が上っていたハサラトだったが、エンティノの思わぬ乱入によって、冷静さを取り戻している。まずい相手に喧嘩を売ったな。ハサラトは追うイェムタムと避けるエンティノを見て焦りを感じた。エンティノは、目が良い。そして集中力があり、何より優れているのは機を見ることだ。並みの戦士ならば見過ごしてしまうような隙をついて攻撃を繰り出してくる。しかし、体格と筋力に優れる男を相手に素手の戦いを挑むとき、それは絶対的な武器にはならない。余程の技量差が無ければ、体格や筋力を補うことはできないのだ。


 ザドリは不意を打つことで倒すことができたが、すでに相対しているイェムタムを相手にしてはそうはいかない。当然ながらエンティノよりも上背があり、力も強い。紅旗衣の騎士として組討ち術も鍛えている。武器を持てば話は変わるが、そうなると、殺し合いだ。


 殴り、掴もうとイェムタムが何度と無く踏み込むが、エンティノは後ろに、横にかわしている。周囲の紅旗衣の騎士たちは、囃し立てることはないが、無言で見守り、止めようとはしない。


 二人が接近した瞬間、焚き火の明かりの隙間の暗がりから、黒い姿が進み出た。まるで歩いているようにゆったりと、しかし、気付けばエンティノとイェムタムの横に立っている。


 その姿を見て、二人は思わず動きを止めた。その長身を見上げる。


「マウダウ団長!」


 その男は紅旗衣の騎士団長マウダウだった。漆黒の肌、逆立った黒髪。その大きな目は爛々と強い眼光を放っている。大柄な者が多い紅旗衣の騎士の中でも、頭一つ背が高い。奴隷だった頃の主人の一族の習慣で、顎鬚を生やしている。ウルス人は髭を生やすことを蛮風として嫌っているため、その肌の色と相まって彼の風貌は異彩を放っていた。その腰には長剣が二振り吊るされている。


 マウダウは、二人の襟首を掴むと、そのまま軽々と吊り上げた。鎖甲を身につけた騎士を片手で吊り上げるとは、並みの膂力ではない。二人は、己の体重によって喉を圧迫されて、苦しげに喘ぐ。


 二人を両腕で吊り上げたまま、マウダウはおもむろに口を開いた。


「兄弟たちよ……。この肉も、魂も、我らが主、聖女王陛下の物。その血を流すことを許されるのは、名誉ある異教徒との戦いでのみ。仲間同士のくだらぬ争いで血を流すなど、名誉などではない。決して、許されぬことだ」


 しわがれているがなぜかよく通る声で言う。マウダウは紅旗衣の騎士たちを睥睨すると、二人を放り出した。


「イェムタムよ」


 マウダウは咳き込んでいるイェムタムを見下ろす。


「ヴァウラ将軍や俺に追従が通じると思っているのか。武勇と忠誠を示してこそ、栄達の道は開かれる。そしてシアタカはそれに相応しかっただけだ。それを肝に銘じておけ」

「は、はい……」


 イェムタムは喉をさすりながら頷いた。


 マウダウはエンティノに顔を向ける。


「エンティノ。シアタカはまさしく紅旗衣の騎士として相応しい決断をした。同胞の命を救い、我が軍へ危機を知らせたのだ。その名誉はいささかも損なわれることはない。お前の武勇は、味方へ振るうものではない。敵のためにとっておけ」

「はい。申し訳ありませんでした」


 エンティノは小さく頭を下げた。それを聞いてハサラトは思わず安堵の息をもらした。少なくとも、冷静になってくれたようだ。マウダウの制止を振り切ってさらに闘い続けはしないかと心配していたが、どうやら杞憂に終わったらしい。


 マウダウは顔を廻らすと、声を大きくした。

 

「兄弟たちよ!我ら紅旗衣の騎士団は、明日、獅子のあぎとに飛び込むこととなる。あえて後背からの援軍の挟撃を受けきり、そして法陣へと誘い込むのだ」


 紅旗衣の騎士たちがどよめく。最初の激突から一日たち、両軍は動きのないまま睨み合っていた。動きがないことに焦れていた騎士たちは、喜びの表情を浮かべている。マウダウの告げた任務は過酷だが、それは彼らにとって当然のことだった。

 

「いいか、我ら紅旗衣の騎士は、常に戦場の先頭に立ち、その身を紅に染める。ヴァウラ将軍は、紅旗衣の騎士の働きに大いに期待しておられる。同胞たちに我らが武勇を見せ付けるぞ!」

「馬の手綱を引け、喇叭を吹き鳴らせ、旗を掲げよ!我らの往く道には栄光こそが待つ。太陽の咆哮と月の歌に導かれて、我らは進む!」


 紅旗衣の騎士たちが一斉に唱和した。

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