第4話


 大身の穂先が、兜の表面を削り取った。耳障りな金属音とともに、激しい衝撃が頭を揺さぶる。一瞬気が遠くなるが、顎に一撃を喰らった時とは違い、耐えることができる。


 その強烈な一撃で、兜は顎紐を引き千切りながら弾け飛んだ。露になったのは、陽光を帯びて輝く金の髪。日焼けをしているが、明らかに白い肌。鎖甲と上衣に身を包んだ軍装とは似つかわしくない、細面の娘だった。その茶色の瞳は、意識を手放さずに敵を睨みつける。


 エンティノは、視界の端を掠めていく木の柄を見て、その先を見た。緑色の鱗に覆われた太い腕、盛り上がった肩、銀色に輝く胸甲、その上にある、無表情な爬虫類の顔。一撃を繰り出した鱗の民の身体は伸び切っている。


 次は私の番だ。音も匂いも消えた刹那の世界。一瞬の思考とともに、肉体は動いていた。


 緋色の穂先を持った槍が繰り出される。その一撃は、まるでそっと差し出すようにして鱗の民の喉元へ向かった。鋭刃は、顎の下から脳天へ、短刀を牛酪バターに突き刺すように、大した感触も無くたやすく貫通する。


 騎手に命ぜられたまま、恐鳥と駆竜は交差し、駆け抜けた。


 突き刺さった穂先は、恐鳥の勢いを得て、鱗の民の頭蓋を切り裂いて解き放たれた。砕け散った脳と血飛沫を撒き散らしながら仰け反る鱗の民を背に、自由になった槍は、さらに獲物を探す。


エンティノの前方を駆ける騎士が、横殴りの槍の一撃で鞍上から叩き落された。受身を取りながらも転がる騎士に向かって、鱗の民と駆竜が迫る。


 エンティノは、左腕で鞍に吊るした投槍を引き抜くと、一切の動きの淀みもなく、迫る駆竜騎兵へ投げつけた。投槍は、鱗の民の身につけた鎧の左脇、板金に覆われていない箇所に深く突き刺さった。鱗の民の身体が硬直する。


 その時には、俊足を誇る恐鳥は駆竜騎兵に肉迫していた。


 気合の声と共に、エンティノは槍を繰り出す。その身に投槍を突き刺したまま、鱗の民が槍を持って応じる。エンティノの突きを払いのけようと、槍を振るった。


 鱗の民の槍が触れようとする瞬間、エンティノは柄を握る手と、抱えた脇を使って穂先をしならせた。彼女の槍は、鱗の民の槍の払いをかわして上になる。そのまま上から槍を叩き落とすようにして抑え、力を誘導した。


 鱗の民の体は自らの力とエンティノの力に導かれて、鞍上で大きく姿勢を崩した。その時すでに、エンティノは動きを止めることなく、槍の穂先を転じていた。緋色の刃に、鱗の民は自ら飛び込むようして突き刺さる。右目から潜り込んだ穂先は、頭蓋の中へと深く突き刺さった。


 上半身を軽く捻りながら、手の内で槍の柄を滑らす。鱗の民の身体が脱力する前に、穂先は頭部から抜き放たれていた。


 石突で駆竜の脇腹を強く突く。駆竜は大きな鳴き声を上げて、鞍上に死体を乗せたまま駆け去っていった。


 遠くで、太鼓が鳴った。自軍の太鼓の音ではない。エンティノは油断なく周囲を見回す。駆竜騎兵たちは、各々が腹の底から響くような声を発しながら、退却していく。おそらくその声で仲間と連携しているのだろう。うかつに追撃すれば返り討ちにあってしまいそうな、見事な連携をとっている。そうやって互いを補いながら退却していった。


 短い間隔で太鼓が打ち鳴らされる。これは自軍の合図だ。待機を意味している。それに従って、ウル・ヤークス軍は動きを止めた。


 エンティノは、大きくゆっくりと息を吐いた。恐鳥の首筋を撫でて落ち着かせるが、その羽毛の感触はエンティノの昂ぶった心を静めてくれるのだった。


 仲間の騎士たちは武器をしまうと次々と本陣へと戻っていく。歩兵たちがはぐれた恐鳥や駱駝、そして残された遺体の回収などを始めた。


「ハサラト、 生きてる?」


 エンティノは主を叩き落された恐鳥の手綱を引いて戻り、地面に座り込んでいる騎士に、鞍上から叫ぶ。

 

「すまん、エンティノ、助かった!」


 立ち上がった騎士は、体についた砂を払いながら、エンティノを見て笑う。エンティノは、女性にしては身長が高いが、紅旗衣の騎士の中では小柄といっていい。そして、このハサラトというウルス人の騎士は、エンティノに近い身長の持ち主だった。妙に愛嬌のあるその笑顔は、酒場の給仕娘たちに人気があったが、紅旗衣の騎士として威厳に著しく欠けるというのが仲間内の評判だった。


「これで貸し一つ!酒一杯おごるだけなんて、許さないからね!」


 エンティノは言うが、ハサラトという男は、これまで借りを返したことがない。彼女や、彼と仲の良いシアタカなどは、何度となくハサラトの起こした面倒事に巻き込まれていたのだった。

 

「勿論、分かってるよ」

 

 ハサラトは笑顔で頷く。これは駄目だな。エンティノは小さく溜息をつく。


「エンティノ、額から血が出てるぞ」


 恐鳥の手綱を受け取ったハサラトは、エンティノを指差す。


「え?」


 エンティノは額に手を当てて見る。確かに、指先に血がついていた。兜に一撃を受けたときに傷を受けたのだろう。幸い、皮が剥けた程度の浅い傷だ。


「糞蜥蜴野郎、美しい乙女の顔に傷付けやがって」


 舌打ちすると罵る。もっとも、この傷も調律の力によって、半日もしないうちに消え去るのだが。


「自分で言うのかよ」


 ハサラトは呆れたようにエンティノを見やった。


「あんたが言ってくれても良いのよ」


 エンティノは微笑んで見せた。


「糞野郎なんて罵る言葉遣いのなってない女を、乙女なんて呼びたくないね。シアタカにでも言ってもらえよ」

「あいつがそんな気の利いたことを言う訳ないでしょ」

 

 エンティノは鼻で笑った。シアタカは、吟遊詩人のような美辞麗句の使い手からは対極にいるような男だ。女に詩の一つでも贈れない男は、ウルス人の中では無骨と評されてしまう。今、シアタカが率いるカッラハ族は、そんなウルス人の心得が必要もない。シアタカにとって居心地がいいだろう。エンティノはそう思った。


「あいつら、守りに入ったぞ。案外あっさりしてるな」


 ハサラトは、手をかざしながら彼方を見る。エンティノもそちらに目をやった。日差しが白い砂漠に反射して目が眩む。ハサラトと同じように手をかざして陽を遮るしかない。『雪と森の国々』から買われてきた彼女は、ウルス人よりも日差しに弱い。


 西の平地にはカラデア軍が集結して、防御の陣形を築いている。歩兵たちが大盾や拒馬と呼ばれる騎兵の侵入を防ぐ障害物を設置し始めていた。積極的な攻勢の意思は捨てたと考えてよいだろう。


「最初の戦いは感触を掴みたかったのかもね」


 エンティノの答えにハサラトは頷く。


「こっちも充分手ごたえを感じたな。奴らは、手強い」

「そうね。元老院の言っていたことを鵜呑みにすると痛い目にあう」

「あいつらはいつも甘い見通ししか立てないのさ。命のやり取りをするのは戦場の兵士だってのにな。穴の開いた水袋どもめ。あいつらの頭に残っているのは鬣狗ハイエナの糞だけだ」


 ハサラトは眉をしかめると毒づく。


「ふふふ、直接言ってやりなよ」

「俺が将軍になったらな」

 

 最期はいつも酒場で聞くハサラトの愚痴と同じ流れになっていることが可笑しくて、エンティノは笑った。


 ふと南の方角に顔を向けたエンティノは、砂丘の彼方に砂塵が舞い上がっていることに気付いた。沙海である程度の時間を過ごすと、砂塵の形で何が起きているのか推測できるようになる。今見ているのは、烈風が巻き起こっているのではなく、列になって進む人々が舞い上げる砂塵だ。


「どうした?」


 ハサラトは、エンティノを省みる。


「あれ」


 エンティノは短く言葉を発すると、砂塵巻き上げる方向を指差す。


「敵が迂回してきたのか?」


 ハサラトの声が緊張を帯びている。

 

「いや、あれは……」


 エンティノは手をかざしながら目を眇める。


「速いな。全速力で駆けてきてる。駱駝もいるけど、恐鳥もいる……」

「本当だ」


 ハサラトは頷く。


「ギェナ・ヴァン・ワの旗を揚げてる。斥候部隊が戻ってきたんだ!」


 エンティノの声は、無意識のうちに弾んでいた。


 本陣も、斥候部隊の帰還に気付いたようだった。騒がしくなった本陣の声を遠くに聞きながら、エンティノとハサラトはその場に佇んでいた。


「数が、少ない」


 こちらに近付いてくる斥候部隊の兵数が目に見えて減少していることに、エンティノは気付いた。胸が騒ぐ。


 すさまじい速度で、斥候部隊は迫り来る。兵達の顔が見える距離まで近付いた。皆、憔悴し、傷ついている。


「ラッダ!」


 顔馴染みのカッラハ兵を見付けて、エンティノは叫んだ。


「エンティノ殿!」


 先頭を走るラッダは、エンティノに応えると、片手を上げて速度を落とすように指示した。部隊は、徐々に進軍速度を落としていく。


「ラッダ、何があったの。兵が半減しているじゃない。それに、シアタカは……」


 エンティノとハサラトの元に恐鳥を歩ませたラッダは、沈痛な表情で一礼した。


「敵軍と交戦しました。カラデアより、デソエへ援軍が向かっております」

「このやられようは、まともに戦ったのか?それは斥候部隊の仕事じゃないだろう」


 ハサラトの声には非難の色がある。ラッダは、ゆっくりとに頭を振る。


「いえ、不意を打たれました。我ら斥候部隊の接近を察知していたようで、伏兵に部隊を分断されたのです」

「何だと……」


 ラッダの答えに、ハサラトは驚きの表情を見せて口を噤む。


「シアタカは、どうしたの」

「シアタカ殿は、我らを逃すべく、半数を率い、戦場に留まられました……」


 エンティノの乾いた声に、ラッダは、絞り出すようにして、答えた。


「それは、つまり」

「おそらくは、使徒に導かれて聖女王の御許へ旅立ったものと」

「馬鹿な!」


 ハサラトが叫ぶ。その声を聞きながら、エンティノは鞍上でぐらつきそうになる己の体を叱り付けていた。奇妙なことに、視界が歪んで見える。


 幼い頃、自分を買った男が寝台の上で散々殴りつけてきた時も、初めて戦場で白刃のなかをくぐりぬけた時も、こんな体験をしたことはなかった。エンティノは、この感覚に動揺し、沈黙していた。

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