第7話

 漠々たる沙海は、果てしなく続く。地平線まで広がる白色の大地は、まさしく海だ。砂の上を歩けば、そのまま足は沈んでいく。砂から抜け出せなくなる前に、先へ進まなければならない。故郷の赤き砂漠とは全く異なる土地だ。他の砂漠においては、こんな砂丘は全体のごく一部にすぎない。だが、沙海では、ほぼ全域にわたって足が沈んでいくような細かな砂に覆われているのだ。


 ヴァウラは、恐鳥を砂丘の頂上へと歩ませた。不安定な足下に苦労しながら、恐鳥は登っていく。

 

 ヴァウラは、鎖甲の上に金糸に彩られた純白の上衣を着ていた。これは、将軍の位階を示すものだ。黒髪を短く刈り、鉛灰色の顔には幾つもの刀傷がある。大柄な体格に相応しい、並みの剣の二倍近い刀身を持った長剣を腰に吊るしていた。


 ヴァウラは、恐鳥を止めた。恐鳥は小刻みに頭を振ると、甲高い声を上げる。見上げると、背に巨大な鳥の翼をもった人間が、上空からゆっくりと舞い降りてくる。フィ・ルサ族という翼人の部族だ。空兵として、ウル・ヤークス軍において大きな役割をはたしている。


 翼人の男はヴァウラの前にふわりと降り立った。背に負った巨大な猛禽のような翼は折りたたまれる。鮮やかな青い服に胸甲を身に着けただけのこの男は、褐色の肌に黒い髪をもち、小柄で痩せている。その黒い目は、翼を持たぬ人と比べ、大きく、炯炯としていた。男は、ヴァウラに深々と一礼する。


「将軍閣下。空兵部隊、戻りました」

「御苦労、シャン・グゥ」


 空兵部隊の隊長であるシャン・グゥは、顔を上げた。ヴァウラは軽く頷くと顔を彼方に向けた。


「敵軍は、あのガノンの向こうに陣を張ったようだな」


 ヴァウラの佇む砂丘から、遠くに巨大な奇岩群が見える。沙海を吹き荒ぶ烈風、砂嵐、年に一、二度降り注ぐ大雨によって、気が遠くなるような年月削られ続けたものだ。沙海のあちこちに見られるこれらの巨岩は、ルェキア族の言葉で“島”を意味するガノンという名で呼ばれていた。白い砂漠に対照的な漆黒の巨岩群は、確かに島と呼ぶに相応しい。


「はい。敵は完璧な布陣で待ち構えています。主力は、カラデア人の重歩兵部隊ですが、鱗の民の兵力もかなりのものです。特に、駆竜騎兵が厄介です。後ほど、諸将の前で兵力と布陣を詳しく報告いたします」

「そうか」


 ヴァウラは再び頷くと、頬を撫でた。戦場では思い通りにいかないことがほとんどだが、ここまで思惑通りにいかないと、笑いがこみ上げてくる。


「カラデアなど、白砂の揺り籠で眠る赤子だといったのは誰だ?奴らはこちらの動きを読んでいたぞ」

「はい。少なくとも斥候部隊は、カラデア側の物見を発見できませんでした。無人の砂漠を進んできたと言っても良いはずですが」


 シャン・グゥは答える。


「奴らは、砂狐よりも良い耳をもって我らの動きを聞きつけた。我々に気付かれない優秀な物見がいるのか、あるいは、元老院の中に情報を流した者がいるのか」


 ヴァウラは恐鳥の首を撫でながら、言った。事実、元老院の中には開戦に反対する議員が何人もいた。彼らが裏切っている可能性はある。


「しかし、この出征は極秘かつ、迅速に決定されたはずですが」


 シャン・グゥは首を傾げる。


「決定する側に裏切り者がいれば、どうにもならんだろうな。いくら迅速に決定されたといっても、出征の準備にはある程度時間が要る。その間に翼を持つ者が使者となれば、カラデアに進軍を知らせることは出来るだろう」

「フィ・ルサにも裏切り者が?」


 ヴァウラの言葉に、シャン・グゥは厳しい表情となった。


「そうとは言っていない。他の翼人部族かもしれんし、大鳥を使ったのかも知れん」


 フィ・ルサ族の聖女王への忠誠は、カッラハ族と並び称される程のものだ。彼らが聖女王の信徒となった物語は、教典の中でも常に重要な位置を占めている。そんな彼らが異教徒に与するとは考えにくい。


「もっとも、俺は裏切りの可能性は低いと思っている。カラデアの側に、ウル・ヤークスへ付入ることが出来るような人脈があったとは思えんからな」


 これまで、ウル・ヤークスとカラデアを結ぶのは、ルェキア族という一本の線だけだった。この命知らずの遊牧民だけが、死の砂漠と恐れられていた沙海を行き来していた。カラデア側は、交易の相手としてウル・ヤークスに関心を持っていなかったようだ。彼らの交易相手は南方の黒人諸族や、鱗の民だった。この戦いは、ウル・ヤークスがカラデアに門を開けるように頼むことから始まった。そして、交渉は血腥い結末を迎え、それは戦端となった。


「ここは奴らの庭だ。どこに何があるのか、奴らの方がよく知っている。我々の気付かぬ、何か、を持っているはずだ」

「はい。心して備えます」

「この戦は長引くな。全てを練り直さなければならない」


 ヴァウラは導き出された結論に苛立ちを覚える。太平を貪る砂漠の中の都市を、砂嵐のごとく迫り、攻め、陥落せよ。これが彼ら第三軍ギェナ・ヴァン・ワに命ぜられた任務だった。元老院は、一月あれば十分だと考えていた。だが、この状況では楽観的な観測は禁物だろう。


「元老院のお偉方がうるさく言うでしょうね」


 シャン・グゥが溜息をつく。


「そうだな。長椅子に寝そべっている者が、一番うるさく指図する」


 ヴァウラはそう言うと口の端を歪めた。


 小気味いい砂を踏みしめる音に、二人は振り返った。砂丘を登ってくる一団がいる。


「聖導教団の魔術師殿です」


 シャン・グゥの言葉に、ヴァウラは苦笑した。


「普段は淡々と命を果たすだけの聖導院が、今回は熱心に人員を送り込んできた。こんなことは、百年前にアシス・ルーの大図書館を守護した時以来だと古老に聞かされたぞ」

「やはり、黒石ですか」

「ああ、そうだろう」


 二人は、砂丘を登る者達を見ながら、言葉を交わした。


 歩み来る一団の中で、彼らの頭の上ほどの高さに座っているのは、ウルス人の老人だった。輿に乗っているのだろう。白い外套の下には、金糸で彩られた黒い服がのぞく。しかし、近付くにつれて、老人の座る輿を、誰も支えていないことが分かる。老人が座っているのは、宙に浮かぶ絨毯だった。この絨毯は呪毯と呼ばれ、優れた魔術師のみが操ることができる。呪毯は聖別された羊毛で編まれ、その中に魔術を織り込んで作られた絨毯だった。


 老人を囲んで歩くのは背の高い男たちだ。腕が常人よりもはるかに長く、一方で奇妙なほどに頭が小さい。その表情は体格とは対照的に幼く見える。彼らは鎖甲を身につけ、斧や槍を持っていた。彼らは、造人、と呼ばれている。聖導教団が生み出した、人でありながら人でない存在だ。目的に応じて設計された彼らは、感情や自意識を持っていない。ただ、己の役割を果たすために生きている。そして、この大柄な造人は、兵士としての役割を与えられて誕生した。


「将軍閣下、雲一つない、良い天気ですな」


 老人は笑みを浮かべた表情で、朗らかな声で言った。


「実に戦場に相応しい挨拶だな、ワセト殿」


 ヴァウラは苦笑すると魔術師ワセトに一礼した。ワセトも礼を返す。


「さすが聖導院の住人ともなると、戦場など、サラハラーンの薔薇の庭園を散策するようなものだな。その穏やかな心持ちを見習いたいものだ」

「どうやら将軍閣下はご機嫌麗しくないようですな」

「お偉方の甘い見積もりで苦労しそうなのでな」  

「全くその通りですな。この困難を打破するために、聖導団は助力は惜しみませんぞ」


 ワセトは大袈裟に溜息を吐くと、頷いた。


「そう願いたいものだ」


 ヴァウラは口元に薄い笑みを浮かべると肩をすくめた。


「さて、勝利のための第一歩です。法陣の構築を終えましたぞ」


 ワセトは手を打ち合わせると、言った。魔術師たちは、戦場で強力な魔術を使いこなす。しかし、それは攻城兵器を準備することにも似た、手間と時間と人員を必要とする。そこが騎兵を使うのとは異なる難しさだった。


「分かった。後ほど、軍議で位置を教えてくれ。そこへ敵を誘い込む」

「はい。それと、この者達を紹介いたします」

 

 ワセトは、そう言うと背後に顔を向けて手を上げた。


 白い外套に身を包んだ五人が進み出る。皆、同じような背丈で、外套に隠れた顔は窺うことはできない。


「この者達の名はシューカ」

「造人か」


 彼らを見やるヴァウラの声は、僅かな嫌悪の色を帯びている。


「お分かりになりますか」


 ワセトは興味深そうにヴァウラに顔を向けた。


「紛い物はすぐに分かる」

「紛い物ですか」


 ワセトは笑い声を上げると、言う。


「紛い物でも役に立てば本物よりも価値があるのでは?」

「役に立つのか?」

「はい。ルェキア族の仮面を被ります。カラデアに潜入させるために、役立つでしょう」


 以前よりカラデアの動向を探る為にヴァウラが要請していた事が、思いもしない場所で応えを得ることになった。


「まさか聖導院から人員が派遣されるとは思わなかったぞ」

「この者達は、紛い物の密偵ですから、本物よりも少々変わった特技を持っています」


 ワセトの言葉に、ヴァウラは苦笑した。


「当てこすりはよせ。気分を害したならば謝罪する」

「将軍閣下の謝罪を受けるとは、身に余る光栄でございます」


 ワセトは笑みを浮かべて一礼する。


「当然ながら、将軍閣下が議題にあげていた、あの件についても探らせることができます」


 ワセトの言葉に、ヴァウラは思わず驚きの声を上げた。


「ほう、誰にも相手にされていないと思っていたが、聖導教団では相手にしてくれたようだな」

「当然です。我々も興味を持っています」


 それは、この遠征のもう一つの目的だった。元老院においては、沙海における版図や権益の拡大や黒き石の入手が重要視され、それについては問題にすらされなかった。だが、ヴァウラはこれらの目的と同様に、それらの確保が重要な問題であると考えていた。これからの王国の発展のために、大きな力になることだろう。


「聖導教団の協力が得られるならば、ありがたいことだ」

「我々も、将軍閣下の協力が不可欠であれば、当然のことです」


 そう言って笑うワセトに、ヴァウラは腕組みして鼻を鳴らした。


「俺が手伝えることがあればいいのだがな」


 聖導教団といかに協力するのか、綱渡りにも似た細心の注意が必要のようだ。ヴァウラは、ワセトの笑みを見ながら己に言い聞かせた。そして、まだカラデアは遠い。これから始まる戦いに集中しなければならない。


 ヴァウラは、ワセトから沙海の彼方へ顔を向けた。


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