第5話
「殺せ……」
シアタカは弱々しい声で呻いた。力尽きたことが明白な状態のため、鱗の民とキシュは、シアタカから離れて遠巻きに見ている。
「変わった奴だ。死なずにすんだことに感謝しないのか?」
ウァンデは首を傾げた。キシュガナンの戦士は捕虜となることを恥としない。死を求めるウル・ヤークスの騎士の誇りは、彼らには理解できないものだった。
「殺せばいい」
アシャンは吐き捨てるように言う。単純な感情を言葉にしたため、ひどく鋭い響きを持っていた。
「本気で言ってるのか?」
ウァンデが苦笑した。
「それぐらい腹が立ってるの」
アシャンが小さく息を吐いた。死にたい人間をわざわざ救うことはない。
戦士や男達がシアタカを取り囲む。
「恐ろしい男だな。キシュを引き摺りながらなおも走るとは」
「鱗の民がいなければ危なかった」
「ウル・ヤークスの騎士というのは化け物だな」
「呪術を使っているに違いない。そういう部族がいるという話を聞いたことがある」
ウァンデは、飛び交う言葉を手で制した。男達はウァンデを見る。
「ウル・ヤークスは沙海にも勢力をのばしていると聞いたことがある。この男はその事情を聞くのに役立つかもしれないな」
「でも、何も話してくれそうにないよ」
アシャンは揶揄する口調でウァンデを見やる。
「戦士の礼儀で遇するしかないだろう。紅旗衣の騎士というのはずいぶん誇り高そうだ。俺はこの男を連れて行くのがいいと思う。皆はどうだ?」
男達は同意を示して頷く。ウァンデはアシャンに顔を向けた。
「危険だよ」
アシャンの短い答えに、ウァンデは次の言葉を待った。アシャンがこういう時には、頭の中で言葉をまとめていることをよく知っている。
「こんな奴、連れて行っても厄介の種だよ。災いを自ら導きこむ必要なんかない。ウル・ヤークスなんて奴らと関りを持たない方がいいよ」
「その考えも分かるが」
ウァンデは頷いた。
「ウル・ヤークスは東にある大きな国と聞く。大きな富を持っているだろう。キセの一族にとって、大きな取引相手になるかもしれない。この男をウル・ヤークスに渡せば、恩を売れるかもしれないぞ」
アシャンは小さく唸ると、シアタカに目をやった。確かに、自分は好悪の感情だけで判断しようとしているのかもしれない。隊商頭がそんな安易な判断をしていては、一族に利益をもたらすことはできない。悔しいが、兄の言葉が正しい。アシャンはおもむろに口を開いた。
「分かった。本当はここに置き去りにして行きたいけどね。でも、説得は兄さんがしてよ。私は戦士じゃないから、戦士の誇りなんて見たことないもの」
ウァンデは苦笑すると頷いた。シアタカに向き直るとルェキア語で言う。
「紅旗衣の騎士。お前たちの礼儀を俺は知らない。だから、キセの戦士の礼儀をもってお前を迎える。お前は捕虜ではなく、客人だ。ここで一人になっても、お前は沙海で乾き死ぬだけだ。だが、お前のために置いて行く水も食料もない。我々と共にカラデアまで行かないか。共に旅するなら、分かち合うだけの余裕はある」
シアタカは無言でウァンデを見ていた。ウァンデは振り返ると合図する。
戦士がシアタカの刀を持ってくると、ウァンデに渡した。
「戦士には、己の武器を携える権利がある」
ウァンデはシアタカに刀を差し出した。シアタカは躊躇っているようだったが、やがて、手を差し出して刀を掴んだ。
「戦士の礼を受け取ろう」
そう言うと、シアタカは頷いた。
シアタカは、落ち着きなく刀の柄を撫でていた。男達は大蟻の背に荷物を積み、出発の準備を始めている。誰もシアタカを顧みない。
シアタカはうつむくと砂の大地に視線を向けた。ただ立っていただけで、シアタカの爪先は砂に埋もれ始めている。緩やかな風が砂を運んでくるのだ。爪先を動かして砂を払いのける。顔を上げると、そこに鱗の民が立っていた。
シアタカは思わず身構えた。全身に激痛がはしり、よろめく。鱗の民はゆっくりと両手を広げた。敵意はないということか?シアタカは怪訝な表情で相手の動きを探った。
「こういう状況を、奇妙な成り行き、というのか?」
異様な抑揚と声で、言葉が発せられた。シアタカは驚愕してもう一度よろめいた。
「お前、ウル・ヤークスの言葉が、話せるのか?」
シアタカの声は、驚きと警戒心から鋭くなった。
「敵を知るには、まず、言葉からだ。ウル・ヤークスの言葉も、ルェキアの言葉も、話せる」
牙だらけの口から発せられる堅苦しいウル・ヤークス語は、発音に無理があり、聞き取りにくい。
「私の名はカナムーン」
鱗の民は名乗った。
「カナムーン?己を知る者という古語だ。意味が分かってるのか?」
その名は、古いウル・ヤークスの言葉だった。今は使われなくなった言葉で、シアタカも知識でしか知ることはない。
「そうだ。我々の言葉は、君達では発音できない。それで、君でも理解できるようなに、私の名を訳した」
奇妙な舌打ちや呼吸音、尾の動きを交えながら言う。鱗の民がウル・ヤークスの古語まで知っているという事実には驚くしかない。鱗の民全員がこうなのか、カナムーンという鱗の民が特別なのか、判断がつかない。
「俺はシアタカ。シアタカ・ディテネヤーカ」
「ディテネヤーカというのは、一族の名か?」
「いや、俺に肉親はいない。騎士になった時に授かった姓だ」
紅旗衣の騎士になる者は、孤児や解放奴隷がほとんどだ。
「ではシアタカ。休戦を提案する」
「休戦?」
シアタカは辺りを見回した。巨岩が並ぶ沙海の辺で、巨大な蟻を連れた人々に囲まれている。シアタカは溜息をついた。今の自分の境遇において、選択の余地はない。
「確かに、それしかもう道はないか」
「休戦だ」
カナムーンは喉を大きく膨らます。その異様な反応にシアタカは面食らった。
「ところで」
シアタカは気を取り直すと、口を開いた。
「奴らが何者か知っているか?」
「キシュガナン。キシュと共に在る人々だ。沙海の西北にそびえる山脈の向こうに暮らしている」
聞いたことがない名だった。シアタカには沙海の西辺の知識はない。
「キシュ……。あの大蟻のことか?」
「そうだ。キシュの生み出す産物は、彼らの大きな商品となっている」
大蟻の生み出す物など、シアタカには想像がつかない。
「お前、何を話している」
アシャンが、二人の会話に割り込んだ。シアタカを鋭く睨みつける。
「休戦を、提案していた」
カナムーンが答えた。
「休戦ですって。この男を信用しない方がいい、鱗の民」
「カナムーン、と呼んで欲しい」
「カナムーン。それがあなたの通り名ね」
アシャンは頷くと、シアタカに顔を向けた。
「これを。沙海を旅するのに、戦士の装束は向いていない」
アシャンはキセの一族が身に着けているのと同じ装束を差し出した。
「ありがとう」
シアタカは躊躇いながらも受け取る。
「礼なら兄に、ウァンデに言うのね」
「ウァンデ?俺と話していたあの戦士か?」
「そう」
「彼が隊商頭か?」
アシャンの身体が一瞬固まった。アシャンは口元の布をおろして、顔を露にする。褐色の肌、茶色の瞳。年は十代半ばだろう。この地方に多い、黒い肌の人々と容貌はことなっている。むしろ、シアタカのようなウル・ヤークスの人々に近い顔立ちだ。シアタカを睨みつけるその表情は険しかった。
「ウァンデは戦士頭。隊商頭は私よ」
「お前が?ラハシというのは隊商頭のことなのか?」
「違うラハシは隊商頭じゃない」
アシャンは苛立たしげな表情で手を振る。
「ラハシはキシュの意志を人々に伝える者」
「キシュ、あの大蟻を飼いならす役目ということか」
「キシュは山羊や駱駝と違うと言ったでしょう」
アシャンは溜息をつくと、木の棒と布を取り出した。
「左手をだして。添え木にするから」
「左手?ああ、そうか、折れていたっけ……」
シアタカは左手を見た。前腕が半ばできれいに折れ曲がっている。全身を常に強い痛みが覆っているため、骨折の鈍い痛みがまぎれてしまい、左腕のことなど忘れていたのだった。
「骨折を忘れるかな」
アシャンは呆れた様子で首を傾げる
。
「戦場にいるとよくあることだ」
シアタカは声を荒げた。侮辱されたように感じたのだ。アシャンは一瞬たじろいだ様子で、次いで睨みつける。
アシャンは険悪な表情のままシアタカの手を取った。左腕に添え木を当て、乱暴ながらも、手際よく布を巻いていく。
「二人はどうして戦っていた?」
アシャンはぶっきらぼうな口調で聞いた。シアタカはカナムーンを一瞥すると、口を開く。
「ウル・ヤークス王国はカラデアを解放するために、沙海に進軍したんだ。俺は斥候隊を率いて沙海の奥地に向かっていた。そこで、カラデアの部隊に出くわした」
「それが、我々の部隊だ」
カナムーンが口を挟んだ。
「俺の部隊はカナムーンの部隊に追撃されて、ここまで逃れた。でも、まさかカラデアの近くまで来てるとは思わなかったけどな」
「カラデアを解放するって言ったけど、誰から解放するつもり?」
「それは勿論、鱗の民だ。鱗の民のせいで、カラデアの市民や周辺の商人たちは搾取され、自由な取引ができないでいる」
アシャンは怪訝な表情で首を傾げた。
「変な話ね。鱗の民がカラデアを支配しているなんて聞いたことがない」
「我々は、カラデアの太守と、交易と防衛の契約を結んでいるだけだ。この戦は、ウル・ヤークスがカラデアを版図に組み入れたいための戦だ。カラデアには沙海の富と奇跡の石がある」
カナムーンが口を挟んだ。シアタカはカナムーンを睨む。
「だが、ウル・ヤークスの商人が殺されているんだ」
「それに関しては私は知らない」
「どっちもどっちね」
アシャンは嘲笑するように口元を歪めた。腕の固定は終っていた。
「これで出来た。カラデアまでは大人しくしていてよ」
アシャンはシアタカを軽く睨むと、仲間のもとへ戻っていった。
「先ほどの議論を続けるか?」
カナムーンがシアタカを覗き込む。シアタカは軽く手を振ると否定してみせた。
「いや、いい。カラデアに着けば分かることだ」
「砂漠の泉は口にするまで水ではない」
「格言まで知っているのか?」
カナムーンの言葉に、シアタカは驚く。実際に物事を体験したり、見てみなければ真実は分からない、というウル・ヤークスの格言だ。それが鱗の民の口から発せられるというのも、驚きだった。
「こういう表現の仕方は我々にはない。面白い発想だ」
カナムーンはそう言って鳥を連想させる甲高い声を発した。
鱗の民の唐突な反応には疲れを覚えるが、慣れるしかない。シアタカは己に言い聞かせた。
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