第016話 昼下がりの領主様




 昼下りの陽気。

 カラリと乾いた空気に、温かい風が眠気を誘うような爽やかな天気の下。

 年中閉めきった館の中では、いつも道理沈み込む暗さの中で、館の主が優雅に紅茶を啜っていた。


 病的なまでに白い肌。

 人形のように整った顔。

 黒いドレスにスーツを羽織った容貌は、童話から切り抜いた吸血鬼ヴァンパイアの挿絵そのものだ。


 彼こそが『深森』一帯を統治する存在。

 獣人など、森に住む者全ての主たるヴァンパイアの領主であった。


 蝋燭のみが灯りを放つ、薄暗い部屋の中。

 白いクロスのテーブルに寄るヴァンパイアの姿は、見るものに洋画の世界に迷い込んしまったかのような幻想を抱かせる。

 領主がカップを手に取り、憂うような眼差しで、紅茶を口に付けようとした時。



 シュルルル――カッカッカッ。



 風を切り裂く飛来音と共に、領主とカップの間に飛来した用紙が突き刺さった。

 昼下りのヴァンパイアはピクリと固まり、自分の目下でテーブルに突き刺さり直立した「資料」を見下ろした。


「領主様。――優雅にお茶とは随分とお暇なようですね。丁度良かった、今期の予算の草案が上がっていますので、目を通してはいかがでしょうかぁ」


 空気を凍結させるような冷たい声。

 その声に含まれた殺気とも言うべき圧迫感。

 ヴァンパイアの中でも圧倒的な強さを持つヴァンパイアの《第Ⅹ始祖》であるはずの領主は、喉が震えるのを何とか堪え、「資料」が飛んできた先――声の主を見てしまわないよう、必死に視線を正面に固定したまま、小刻みに動くカップを誤魔化すように平静を装って答えた。


「う、うむ。我輩は今日は気分が優れないので、療養に当てると言ってあった筈だが?」


「そうですね。今日も昨日も一昨日も気分が優れず、ずっと休養してメイドの私に領地の仕事を丸投げしているのにも関わらず、頭を枕から上げられないほどの頭痛を堪えて紅茶を楽しんでいるんですよねぇ~?」


 ヒヤリを領主の顔に汗が伝う。

 あくまで淡々と話すメイド長――セルヴィの平坦な口調とは裏腹に、ビリビリと伝わってくる殺気は一言毎に膨らんでいく。


「仕事と称した歌集の作成。平日だけ起こる頭痛や熱の発作。観葉植物の手入れ。お館様は領主様なのですよねぇ。なぁんで領地の運営を、只のメイド長である私が全てこなしているのでしょうか。勿論このまま私が全部やってくれるなどとは考えていませんよねぇ」


「いや待てセルヴィ。我輩は別に貴様に丸投げしている訳では――」


「全ぇ部、私にやらせてますよねぇ」


「いや、だから――」


「この領地は私の働きだけで成り立っていますよねぇ」


「おい、いい加減に――」


「どの口がほざくこの蛆虫が。《第Ⅹ始祖》如きが私に口答えしてんじゃありませんよコラ」


「はい。すいません丸投げしてました。セルヴィさんのお陰ですハイ」


「チッ」


 従属のヴァンパイアメイドの本気の殺意に、あっさり全てを認める第Ⅹ始祖の領主。

 吸血鬼の世界に置いて始祖とは絶対不動の最高存在であり、第Ⅵ系上位ヴァンパイアのセルヴィでは対等に言葉を交わすことが出来ない程の身分差があるのだが、彼女の怒りの前には身分の壁も萎縮してしまっていた。


 セルヴィが舌打ちと共に、資料の山をあるじの前にドサリと落とす。

 オグルの手にされたまま行き場を失っていたティーカップをもぎ取り、中を飲み干してから書類をつきつけた。


「これは予算案です。もう既にお館様が口を挿む隙は無いので印だけ押しておいて下さい。こっちは河の増水による独黒眼ワニの異常増殖の被害保障です。あと、こっちはサインをだけお願いします、それから……」


「ふむ。どれも今の今まで一度も聞いたことが無いものばかりなのだが。こういうのの対処は普通我輩を一度通すものであろう。まったく……」


 ブツブツ言いながら印をぺったんぺったん押していく領主様。

 肩を狭めて机に向かう様は、万年平社員を突き通す40歳のお父さんのような哀愁が溢れていた。

 主の言葉を完全に無視し、セルヴィはメイドの仕事をまっとうしていく。


「はい確かに。ではこれはサインと印両方お願いします」


「分かった分かった……。――っておわうっ。『領地の統治権及び館の権利を新領主セルヴィ=バルレに譲渡……』ってなんだ!? サラッと領主の座を乗っ取ろうとしてんじゃないぞおいっ!?」


「チッ――……冗談ですよ。耳に障るから喚くなでございませお館様」


「開き直りってレベルじゃないだろ! お前いい加減舐めてるな?! いいだろう、領主の手腕という物を見せてやる。セルヴィ! お前は一ヶ月……いや、一週間、掃除でもしてグダグダしてろ。我輩が直々に領地経営をして、我輩とお前との差を見せてやろう」


「日和んな三ヶ月は働けでございます。後、グダグダってメイドは普通掃除等が主な仕事ですからね。文官紛いのことやらせているのが異常だと自覚して下さい」


「な、三ヶ月?! し、主人の望みを叶えるのが従者の努めではないのか」


「それは一流執事の心得です。メイドの領分ではありません。特別手当を勝手に貰っているのである程度はやっていましたが、コレぐらいはお館様が出来るようになって下さい」


 扉を閉めて出て行くセルヴィ。

 領主様は手当を勝手に取られているという言葉に慌てて資金を確認し、予算に手当分の項目が無いいことに首を傾げてから、手当が全て自分のポケットマネーから絞られていることを見つけて、膝から崩れ落ちた。



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