第14話



 ――――ザザッ。ズダンッッ!



 ハートが少し得意気にこれからの予定を俺と空楼に説明していたその時。

 道脇の茂みがガサリと音を立て、四脚の大きな影が飛び出してきた。


 飛び出してきたのは薄汚れた麦藁色の毛皮を纏った犬であった。

 瘤ついた四つ脚に、包丁の如く大きな牙。

 盛る背骨に、絡み固まった灰色の毛並み。

 鋭い瞳孔を絞り、地鳴りのような唸りを上げる様は、狂犬そのものである。


 しかし、そこらの犬とはサイズが桁違いだった。

 獅子すら可愛く見えるような、乗用車サイズ・・・・・・の犬。

 もはやモンスターの域にある。――というか魔物モンスターであるその超絶大型犬には、前世において野犬等の対処で無類の強さを誇る最強装備サイキョウソウビ保健所ノ人ホケンジョノヒトをも凌駕しうるようなの迫力があった。


「ッ、魔犬ダ!」


「グロオオオッッッ!!」


 叫ぶウィルの声をかき消すように耳障りな吠え声を上げ、魔犬がハートに背後から襲いかかった。


 ――マズイ。


 即座に判断した俺はハートに手を伸ばしながら走りだした。


 瞬間。

 脳裏に、あの瞬間がフラッシュバックした。


 目の前で斬られた二愛。

 伸ばせば手が届く距離にあった幼馴染の命を、あっさりと奪い取られた。

 守ることができなかった。

 庇うことすらできなかった。


 そして今、再び目の前で一人の女の子の命が奪われようとしている。


 ――犯した失敗に、只々むせび泣くのは馬鹿のすることだ。

 俺は、一度踏んだ轍を二度目で踏み抜くような真似はしない。


 あの時、俺は突然の未知に怯んでしまった。

 だから、もうすでに想定していない・・・・・・・こと・・が起きることは・・・・・・・想定している・・・・・・


 俺は前方に身体を投げ出し、魔犬の巨体が迫る前に動き始める。

 魔犬に斜めに構えて何かを取り出そうとしていたハートの肩を引き、魔犬とハートの間に自分の身体をねじ込んだ。


「ハートっさがってろ!」


「あっ」


 声を漏らすハートと、驚く魔犬。

 完全に予想外の行動だったのか、魔犬が一瞬躊躇いを見せる。

 瞬間生まれた隙。

 俺は構え、次の行動に思考をフル回転させる。


 飛び掛ってくる魔犬を躱すには距離が短すぎる。

 空を舞い、牙で俺を噛み砕かんとする魔犬の大口が眼前に迫る。



 ――考えろ。

 頭を回せ。

 記憶を引き出せ。

 何のためにあの糞親父から武術もどきの手段を習ったんだ。

 このいう時のために学んできたんだろ!


 ・・・・・・・・・



 ――乗用車大のイヌ科の猛獣に襲われた時の対処法って学んだっけ?



「うわああああああ」


 飛び出した後のことを全く考えてなかった俺。

 完全に死を覚悟する。


 覆い被さる魔犬。

 しかしその凶牙が俺の命を刈り取る寸前、俺が襲いかかってきた魔犬の胸を闇雲に押し返し、必至の抵抗をした時。



 ――パコンッ


 という、どこか抜けたような――もとい何かが抜けたような音がした。


「ぐええっ」


 魔犬は飛びかかってきた勢いのまま俺に覆いかぶさる。

 しかし、のしかかる魔犬は俺をぺしゃんこに下敷きにするも、噛みつくことはしなかった。

 先走った俺の身体がピクルスをカットするような音を鳴らしても、魔犬はダラリを四肢を投げ出しピクリとも動かない。

 また、魔犬の背後には、やけに鮮やかなピンク色の四角い物体が落ちていた。


「うげぇ痛え。 ――うおっ、赤っ!」


 眠るように脱力した大犬の下から這い出してきた俺は、魔犬を押し上げた自分の手を見て悲鳴を上げた。

 俺の両手は、ケチャップに浸したように真っ赤に染まっていた。


 ――潰れた?

 潰れちゃった?


 俺は、血まみれな自分の手を恐る恐る開いたり閉じたりするが、俺の両手は健全である。

 俺は自分の両手がグロ注意になっていないことに安堵する。


 俺が自らの無事を確認し、ふと魔犬を見ると、魔犬の胸部からドロリとした血が流れだし、小さくない血溜りを作り出していた。

 それは明らかに俺の両手に付着している液体と同質の物であった。



 ――血。



 俺はその赤い液体の正体に気づいた。

 魔犬の胸から流れ出しているのは明らかに致死量の血だ。

 俺は恐る恐る魔犬に近づき、冷たくなりつつある丸太のような前足をつついてみるが返事はない。



 ――ただのしかばねのようだ。



「…………は?」



 ――しかばねって屍? 死んだの? え? ちょ、え?



 状況が飲み込めず、今日一番で混乱する。

 魔犬の俺が押した胸部には、丁度こぶし大の穴がポッカリと空いていた。

 そして背後に落ちているキューブ状の物体は、よく見るとその六面体の対になる二面には、毛皮のようなものがついている。

 ピクピク跳ねるその物体は、つい先ほどまで躍動していたことを示していた。

 つまりはあそこに転がっている物体はあの魔犬の心の臓である。

 そこから導き出される答えは……。


 ――…………俺が、あの魔犬の心臓をふっ飛ばした?


 まじか。

 いや、でもそれしかありえないよな。

 でも、どうやって?

 もしかして、これが異世界特典。チートってヤツか?

 全く無自覚だったが、もしかして俺はとんでもない力に覚醒していたのではないだろうか。


 俺は改めて地面に伏す凶暴な魔犬を見た。

 獅子や虎など比べ物にならない、正真正銘の魔物モンスターである。

 これを俺が倒したとなると……。



 ――俺やべえ!



 今の俺は、強敵から女の子を救ったヒーロー。

 ここはかっこ良く決めなければと、眼を細めて少し影を落とした表情を作り、顔を身体の子午線に対して斜め45°で固定した。

 俺の48のキメポーズの一つ、【孤高の英雄儚げなイケメン】である。

 俺は幾度と無く練習した穏やかな、儚い口調で言い放つ。


「安心しろ、ハート。……お前は俺が守ってやる」


「イヤ違うからネ?」


「へ?」


「どんな勘違いをしてるか大体想像つくケド、「俺の秘められし力が~」みたいな展開じゃないヨ? 今のやったのはハート。キミがあの魔犬を倒したんじゃないからネ?」


「――は? いやいやいや、何言ってんだよ。ハートにそんなこと出来るわけな……」


 俺はそう言いながらハートを振り向き、固まった。

 顔を向けた先では、緊迫感のない呆れた表情のハートが俺のすぐ背後に立っており、いつの間にか手にしていた小型の刃物に付着している赤い液体を拭いている。


 ヒィユン――・


 という音だけを残し、ハートの腕がブレると微かに残っていた水滴が飛ばされ、刃物がハートの手から消える。



 ――血を払った後で一瞬で刃物をしまったのか、全く目で追えなかった。



 また、ハートの頬には魔犬の心臓を切り取った時に着いたであろう血が付着しており、その凶悪な目つきに更なる迫力を持たせている。

 その様はまるで熟練の殺し屋のそれであり、恐ろしく大きな魔犬を倒したというには説得力があり過ぎた。


 俺の頬を一筋の冷や汗が伝う。


「…………マジで?」


「マジだヨ」


 振り向けないまま俺がウィルに再度確認する。その声は若干震えていた。

 刃物を握っていた手を閉じたり開いたりして眺めていたハートが俺に説明する。


「引っ張られる時に手元が狂ってしまってな、肉の一部が引っ掛かってしまったんだ。それが水燈が押した時に完全に取れだけなんだが……しかし――」


 ハートは切れた断面がくっつく程の麗美な斬撃で魔犬の心臓を切り取り、たまたまそこを俺が押し抜いた。


 言われてやっと俺はハートがしたことを完全に理解した。



 ――ハートが刃物を抜くのも、それを振るうのも一切見えなかった。



 しかも、くっついたままだったのは俺が引っ張ったから。

 俺はむしろ偉そうにハートの邪魔をし、その後で勝手に危機に陥ってパニクった。

 一人相撲も良いところである

 挙句、それを厨二思考で自分の秘めたる力が覚醒したからだと勘違いしてキメポーズからのキメ文句を言い放ってしまったのだ。


 呆然としてやっと自分のしたことを理解した俺に、ハートはニヤリと口元を歪め、止めを刺す。


「私を庇ってくれたのは格好良かったぞ。これから私を守ってくれ。――水燈のその秘めたる力でな」


「うわああぁぁああぁぁぁああああ」



 ――恥ずかし過ぎる。

 どんなだけ自信過剰なヒーローだよ俺!



 とんだ道化である。

 俺はドヤ顔で黒歴史を深く、深く刻んでしまったようだ。


「忘れてくれえ! 違うんだ。そうじゃないんだ!」


「まあまあ。……力は無くとも、私を助けようとしてくれたのは純粋に嬉しかったぞ?」


「…………本当か?」


「ソウソウ。特に「ハートっさがってろ!」って叫んデ、もう心臓切り取られて死んでる魔犬に決死の覚悟で挑みかかって行ったトコなんかもうネ……」


「やめろおおおよおおおおおおお!」


 俺は恥ずかしさで耳まで真っ赤になる。


 ――死にたい。 

 穴が有ったら埋没したい。


「こらウィル。本当に私は嬉しかったんだぞ」


「ごめんごめん。ついネ」


 よく考えれば、チートどころか初期装備もなにも渡されていないのだ。

 そんな都合よく力が覚醒する訳がない。


「モゾモゾ――水燈。水燈」


「……なんだ?」


 空楼が簀巻から顔を出して、しゃがみこんでいる水燈に話しかける。

 そして、俺に向かってニヤリとゲス顔。


「ハートっお前は俺が守ってやる!」


「うわあああああああああああ」


 空楼にイビられて蹲る俺に、ハートはどこか寂しげな表情で穏やかに微笑むのだった。




 □□□□




「うう、違うんだよぉ」


「分かった分かった。別に私はバカにしている訳ではないのだから、いい加減立ち直れよ」


 未だ立ち直れずに顔を手で覆ったままの俺をハートが慰める。

 自分のカッコ良さを信条とする俺にとってあの羞恥刑はダメージが大きすぎた。


「それに、ハートの強さもよく分かったでショ?」



 ――確かに、あの魔犬を屠ったハートは壮絶な腕の持ち主だった。


 魔犬との戦闘は正に瞬殺。

 殺した一瞬も俺達に気づかせなかった。

 魔犬も、俺に心臓を押し出されるまで自分の心臓が切り取られたことに気付いていなかったようにすら思える。

 確かにあれでは、俺が多少武装したところで大差ないだろう。


 俺も女の子に荒事を丸投げにするのは正直許容しがたくも、武力面に置いて心配が無いことは身をもって納得できた。


「ウィル、後どのぐらいだ?」


「そろそろだヨ、ハート。もうすぐ森が開けて屋敷が見えるハズ」


「屋敷? そういえば俺達どこに向かっているんだ?」


 流れと勢いと恫喝で『深森』の調査に参加させられることになった俺達だが、詳しい行き先までは知らされていなかった。

 獣人達の本拠地に突撃とか言われると流石に心の準備が欲しい。

 さっきのハートを見ると、それでもいけちゃいそうに思えるのが怖い。


「この『深森』を含む一帯を統治してる領主の屋敷を訪ねに行くんダ。そこで事情聴取を……できなければ実力行使の尋問をシテ、『深森』の情勢を聞き出す。今後はそこを拠点にして衣食住他を強制的に援助してもらいながら深森の調査をするヨ」


「押し込み強盗か。 拠点にするってそれ、屋敷をのっとって物品を巻き上げるってことだろ」


「人聞きが悪いナ。国に謀反を企んでいる奴らのボスの自宅に家宅捜索が入るだけだヨ。違っても領地の統治は領主の義務なんだカラ、それに伴う私達の仕事には最大限援助を惜しまないのは当然ダロ?」


「んん…………うん~?」


 正しいような、正しくないような。

 謀反といっても、『深森』周辺はフィーアハルスの国土では無いという話ではなかったか?

 逆らうなら容赦しないということらしい。

 あのギルドの嫌らしい男らしい考え方である。


 ――あんな奴の考え方が普通なら、やっぱり碌でもない国だな。

 俺も国民登録してしまったけど。


「ハートがいるからモメても大丈夫だと思うケド、一応領主サンはヴァンパイアだから気を引き締めていこうネ」


「は? ヴァンパイア?」


 ヴァンパイアってあの血を吸ったりコウモリに変身したりする奴だよな。

 日光やにんにくが駄目っていうあの。


「ヴァンパイアってかなり強いボスキャラ的なイメージがあるんだが」


「だからいってるでショ。『深森』一帯のボスだっテ。」



 ――言ってた。

 言ってたけど領主っていえばそんなリアルボスな感じじゃなくて地位と権力が強いだけの雑魚なのがお約束だと思うのだが。


「それまずボスキャラから潰しに行くって本当に大丈夫なのか?」


「ヴァンパイアっていう種族は人知を超えた力を持ってるケド、ハートはヴァンパイア知も超えちゃってるから心配しなくてもいいヨ」


 ――そんなになのか。


 俺達にとっては非常に頼もしい限りだが、化物の屋敷に乗り込むことには変わりがない。

 俺はウィルの話に少々緊張しつつ、更に暫く歩く。


 草木の背丈も低くなり、木がまばらになってきた頃、小高い丘のような土地が見えてきた。


「着いたネ。ここがそのヴァンパイアの館……」


 道を覆っていた木々が開け、 小高い草原の上に大きな黒塗りの館が姿を現した。

 壮大な館の全貌を見た一行はその屋敷の光景に思わず固まった。


 目の前に広がったのは、絵本から引っ張り出してきたような、ヴァンパイアの住む館――今回の水燈達に容疑がかけられた騒動の黒幕かもしれない存在の本拠地だ。


 鉄柵で囲われた館の敷地は、墓地のように不気味な空気で満ちている。

 豪奢な造りに壮絶とした雰囲気。

 森にの中ひっそりと、しかし堂々と佇む館は、その威気を然として示していた。


 ――が。


 俺が呆然とし、空楼が言葉を失ったのは館が持つ独特の圧迫感に圧されたからではなかった。

 ハートが目を見開き、ウィルの開いたくち――あれはくちか? 開いた穴が塞がらないのは、館の外見――状態が明らかに異常なものだったからだ。



 ――端的にいうと、燃えていた。



 ヴァンパイアの館は燃えていた。

 黒々とした立派な吸血鬼の館の一部が、舐める炎に焦がされ、紅蓮の熱に飲み込まれている。

 朦々と上がる煙が空を遮り、赤々とした熱気を反射していた。


 燕尾服の男性や、メイド服の女性がバケツを両手に走りまわっている。

 メイド長と思しき金髪を一つ括りにしている女性が引き摺っている鎖の巻かれた黒棺はガタガタと蠢いており、中に居る何か(・・)が棺の端に付いた火に慌てふためいていることを示していた。


「……――の、火事現場だネ」


 

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