第11話 国民登録


              In 北区




「――――なんっなんだよもおおおおおっ」


 白い塀と綺麗な公道が延びている、高潔感ある北区の住宅街。

 飲食店や店舗も乱雑で下町感のある東区とは打って変わり、落ち着いた静かな雰囲気を纏っている。


 白を基調とした美しく清らかな町並み。

 そこに、突如として悲嘆な絶叫が響き渡った。

 静かな昼下りの一時を堪能していた住民達が、何事かと表に顔を出す。


 叫びを上げているのは、白髪の混じった髪をお洒落に固めた初老の男性だ。

 身に着けているカッチリとした服装と、つい先刻までの毅然とした立ち振舞から、高貴な印象が伺える人物だった。

 しか、しそれらの印象は外聞を捨てて喚き散らす彼の姿と、傍らに転がる空楼によって見事にぶち壊されていた。


「あんた達一体なんなんだ! ハートさんっ! ちゃんと説明して下さい!」


「だから説明しただろう。そいつは変態だから気をつけろと」


「分かるかっ!」


 冒頭からエキサイトしているこの元気な爺さんは、北区『法政ギルド』のヘッド、パッコロ=スタテスタだ。

 俺が初めて見た時は、理知的で穏やかな凄腕文官といった印象の男性だったのだが、何故こんなことになったのだろうか。





 △▼△▼△▼△▼





 ――――三十分前。



 俺達は国民登録をするべく北区へと足を運んでいた。


 ハートの案内のもと、東区から北区へと移動するに連れて、周囲の雰囲気はガラリと変わっていった。

 胡散臭さ気な前世風の建物が減り、代わりに白色の大理石や石工で建てられた古代ギリシャ類型の美しい建物が増えていく。

 道並もやかましい喧騒が途絶え、穏やかで物静かな上品な空気が流れていた。

 東区が下町だとすると、北区は高級住宅街もしくは貴族の居住区といった感じだろうか。

 芦屋でいえば、東区が海沿いで北区が山手線沿いといえば分かりやすいかもしれない。


 俺がチラリと横目を向けると、上品な喫茶店のテラスできちんとした身なりの老夫婦が優雅にランチを楽しんでいる。

 目の前を横切る少年も、庶民街のジャリンコ達のようにはしゃいで駆け抜けることなどなく、俺にニッコリと会釈えしゃくして緩やかに通りき過ぎていった。


 俺が異世界に来て今までで最高にまともそうな町に住民達だ。

 さらに、俺と空楼が国民登録する際には、わざわざ北区のトップが顔見も兼ねて応対してくれるらしい。


 ――これだ。こういうのを求めていたのだ。


 しっかりと礼儀を踏まえた丁寧な対応。

 相手が立場の弱い人間でも、武力や強権を振るわず腰の高さを据えて話し合う紳士な態度。

 この世界にきてから一度も得られていなかった対応に、俺は思わず感激の涙を流しそうになる。


 〚デスペナフ〛に来てから俺が出会った人物は、本当に碌な者が居なかった。

 物理的に煮るなり焼くなりしようとする獣人や、転生してきたばかりである俺の立場を利用してこき使うギルドマスター。

 礼儀がなってないとかもうそういう次元ですらなかった。明らかに羊飼いと家畜の関係である。

 戦時真っ只中の旧日本軍でももう少しマシな対応をしてくれただろう。


 それに対して、北区の対応は正に俺が求めていた通りのものであり、地獄に連れて行ってやるだとか嘘を吐いて脅された挙句に謎空間に放り込まれて、性格破綻者と対談させられた東区の対応とは雲泥の差だった。


 ぶっちゃけ、また面倒なことに成るだろうと覚悟していた俺は拍子抜けしたような感触もあるが、意外性のある対応はもうお腹いっぱいである。

 鍋パーティも魔法の部屋も求めていない。


「オ、パッコロさんもう来てるみたいだネ」


 待ち合わせしているという場所につくと、そこには聡明そうな女性となにやら真剣に話し合う落ち着いた格好の初老の男性がいた。

 彼が北区『法政ギルド』のトップたるパッコロ=スタテスタさんという方らしい。


 高貴な香りを纏ったかっちりとした服装を纏っているが、下品な宝石や過剰な飾りは無く、どちらかといえば実用性と被服マナーの折り合いを考えてつくられたタイプの服装だ。

 肩幅のあるガッシリとした体格は、年の重ね方を感じさせつつも、決して貧相ではない。

 穏やかだが鋭い眼光は老練な為政者たるモノである。

 しかしそこに日本の政治家のよう嫌らしさや、ギルドの奥室で会談した男のような不透明さは無かった。


 きっと公正正義を掲げる素晴らし人格者なのだろう。

 凛とした態度や美しい立ち姿からそれは感じられた。

 美にはうるさい俺から見てもカッコイイ年の重ね方をした渋いイケメンだった。


 ――俺のほうが渋いけどな。


 地獄にきてからというもの、水燈が会う人会う人頭のネジが外れたような人間ばかりであった。

 いきなり人を茹でようとする獣人に、種族変態の幼馴染、性格の悪すぎるギルドマスター。

 異世界にしても数時間で訳のわからない者に触れすぎたため、ここで出会えた誠実そうな初老の政治家と、常識の溢れる北区の町並みに、水燈は言い知れぬ安心感を感じた。

 …………そう、俺は安心してしまった、気を緩めてしまったのだ。



 だから――忘れていた。



 自分が不当な扱いを受けた理由の半分が、俺の隣にいる空楼であるということを。

 北区の頭が会話している女性が、素晴らしく美しい女性であるということを。

 そして、それを見とめた空楼が、どんな行動に出るかを。


 パッコロと真剣に話し合っている女性――炎髪を揺らし、深いルビーののような灼眼を靡かせる彼女の美顔がこちら向いた時、空楼が全速力で駈け出した。

 俺が一拍遅れて気づいた時にはもう遅い。


「青い空の下広がる白い街はまるで白紙のキャンパスの様。その画面の中で僕を惹きつけてしまったのは何? それは燃える恋の情熱の紅! さあ君の絵の具で僕というキャンパスに愛の聖画を描かいておくれ!!」


 口説き文句にしても訳がわからないことを叫びながら、空楼が女性に凄まじい勢いで迫る。


「え? え? ひゃっ」


 鼻息荒く詰め寄る空楼、炎髪の女性が突然のことに混乱しながら後ずさるも、背が壁に着き、逃げ場を失う。

 壁際で追い詰められた怯えてパニックになった女性は涙目になって狼狽えていた。 

 恐怖のあまり足が震えて動けないようだ。逃げ出そうにも逃げ出せない状況に、炎髪の女性はパニックを深める。


 直後、ハッと駆けつけた俺とウィルによって空楼は引き剥がされたが、しかしその間に空楼に思い切り抱きつかれた女性は顔を真っ赤にして激昂。

 空楼に強烈な平手を放ち、パッコロに何か怒鳴りつけてから足早にその場を去ってしまった。


 呆然と立ち尽くすパッコロ。

 何が起こったのか分からないという顔だ。

 去っていく女性の背中と、伸びている空楼に視線を往復させ、感情を全て込めた叫び声を上げた。



「なんっなんだよもおおおおおっ」

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