第002話  獣人と性獣



 ザ……ザザ……



 微睡みの中、不確かな雑音ノイズが入った。


 ぼんやりと意識が覚醒する。


 あれ、俺、どうしたんだっけ。


 頭の中がモヤモヤする。


 何かあった気がするけど、なんだったか。



 ザワザワ……



 そうだ、二愛と空楼と一緒に高校へ行こうとしたんだ。


 高校生活か。


 なんだかんだで楽しみにしてたんだよなあ。


 高校は、イケメンにとっての本場だからな。


 中学までが、野球で言う草野球だとすると、高校はメジャーリーグみたいなもんだ。


 俺はストライクゾーンに入ってくる女子を一人漏らさず捕球するのが責務である。


 勿論、開発狂マッドサイエンティストの代名詞みたいな二愛ビーンボールの餌食になるとこのないようにしなければならない。


 うん、気をつけよう。


 で、高校行ったっけ?


 行ってないな。


 行ってなかった。



 ザワワッザワザワ……



 あと、なんだっけ。


 そうだ茶髪七三分けトレンディだ。


 アレは笑えたけど、自分がやられたらと思うとゾッとしたなあ。


 その後、空楼が暴走したんだったか。



 ザワワ……



 そんで、変な奴にぶつかって――


 ん? 変な奴?


 確か、でかくて白い不審者みたいな奴だったような――


 そうだ、俺達アイツにっ!



 ザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワザワ



「って、ザワザワザワザワ五月蝿ぇなこの野郎! カイジかっ! こちとら殺されたんだぞ、静かにしやがれ! ――って、あ?」


 口が開いた。


 目を開く。


 目が見える。


「あれ? なんでだ?」


 俺はあの白い不審者に斬り殺されたはずだ。

 しかし目にはしっかり自分の手が写っており、足もがっつり生えている。

 身体を弄ってみるが、傷跡もない。


「何だったんだ……っていうか、ここどこだ?」


 ザッと周りを見回す。

 森だ。

 しかも都会にある森林公園や、田舎にあるような森じゃない。

 ロード・オブ・○・リングとかファイ○ルファンタジーとかに出てきそうな壮大な森だ。


 ビル程もある雄大な巨木が、遥か上空から俺を見下ろしている。

 少し離れた所に赤ん坊の頭ほどのもある青色の林檎が転がっていた。

 極彩色の巨大苔、座布団のような傘を広げたキノコ群。

 周囲に生えている草花や寄生植物もどれも見たことのないものばかりで、しかもサイズが俺の知っている植物とは段違いだった。


 ジャングル?

 しかし、気候は熱帯とかいうほど熱くはない。

 湿度にしても、森特有のむわっとした湿気を持っているが、日本の纏わり付くような梅雨の湿気を知っている俺にすれば、言うほどのものではなかった。


 さらに見渡せば、もう一つ。


 巨樹の群の影で、俺のことを取り囲むようにこちらを伺っているモノ達がいた。

 煙たがるような視線をこちらに投げ掛け、一定の距離を取るように群がっている人々だ。

 ギラリと光る瞳をならべ、値踏みするように水燈の様子を伺っている。


 警戒心丸出しの視線。

 ――敵チームの応援席に紛れ込んでしまった甲子園球児の母親のような気分だ。


 不思議な森で俺のことを見つめてくる人々――――彼らは皆、俺には無い特徴を持っていた。

 頭からピョコンと覗く『獣の耳』と腰に付いている『尻尾』。

 持ち主の動きに合わせて反応するそれらは、まるで本当に体から生えているように見える。

 身に着けている獣の皮で作られた簡素な服と相まって、ファンタジーに出てくる『獣人』のような外見だ。


 獣の付け耳と尻尾に、あまり近代的ではない原始人のような服装。

 ――どこかの辺境部族とかだろうか。

 獣を崇拝してる的な。

 少なくとも日本人ではなさそうだ。

 

 ……もしかしてここは日本じゃないのか?


 俺はふとそんな可能性を思い浮かべた。

 よく考えたら、こんなジャングルみたいな環境は日本には無い。

 というか、外国でもこんな幻夢的な森は存在しない。


 ……日本でも外国でも無いなら、地球上のどこでもないという話になるが……。


 得体の知れない森の風景に不気味な気分を覚えつつ、俺は相変わらずこちらを睨んでいる人達をチラリと見やった。



 ――もしかしてあの人達、本物の獣人だったりしないよな。



 あまりにも彼等の姿がこの森の雰囲気に合い過ぎていたため、俺の頭をそんな不安が頭をよぎった。

 例えば、あの口からチラチラ見えてるのって、『牙』じゃないよな?

 ちょっと野性味が溢れ過ぎてるだけの犬歯だよな?



 彼らはさっきから、何やらザワザワと囁き合っているが、なんと言っているのかは理解出来なかった。

 会話は聞こえるのだが、耳の奥でモヤモヤして言葉意味が頭に入ってこないのだ。

 さっきから聞こえていた騒音は彼等のものらしい。

 

 さて、俺は今どんな状況なんだ?


 俺は今持っている情報から、自分が置かれている状況を把握してみようとした。

 見たこともないような雄大な森。謎の部族。そして現状……。


 ……うん、分からん。

 あの白い不審者に斬られた時の感覚はやけにしっかり覚えている。

 リアルに感じれた死の触感。

 濃密な肉が絶たれ、骨が砕かれる絶命の激痛。

 少なくとも、夢や妄想の類ではなかった。


 ならば、あの白い不審者は一体何者なのだろうか。

 俺達は、何故、あの白い不審者に斬り捨てられたのだろうか。


 二愛の発明関係か?

 空楼のセクハラが原因?

 それとも俺の格好良さに嫉妬して?

 

 それぞれ、恨みを買うことは両手の指で足りない程あるが、全員一度にと言うと、思い当たる節が無い。

 それが分かれば白い不審者の正体も知れるだろうが……全然分からん。


 まあいい。しかし、俺はあの後どうなったんだ?

 少なくともこんな森に来た記憶はない。

 本当に、なんでこんな所にいるんだろう。

 記憶喪失?

 やだ怖い。


 ここは何処? 私はイケメン?


 いくら仮説を建てようとも周りは木、木、木、たまに獣人……ぽい人達。

 現在地が特定出来るような物は見当たらない。本当どこにいるんだろう。

 ……しょうがない。困ったとき最終手段だ。


 ――教えてグーグル先生!


 ――残念だったね水燈くん、キミは女の子の電話番号を登録しすぎて端末が動作不能を起こしたために、家からスマホを持ってきていないのだよ。



 頼りのグーグル先生も不在らしい。

 そろそろ状況を知る手段もなくなってきた。


 俺って、あの白い不審者に斬り殺されて死んだんだよな。

 なんなんだこの生きてるとしても死んだとしても微妙なコンテクストは。

 いや、本当に死んだのか?

 斬られたのは間違い無くとも、斬られても死ななかった可能性はある。

 死んだこと無いからイマイチ確信が持てない。

 まあ、あの斬られ方は多分死んだと思うが……。


 ――むしろこれは次の人生とか?

 輪廻転生しちゃった?

 でも記憶はあるし、格好もそのまま……。


「…………まあ、なんにしても考えてるだけじゃ何も分んないな。とりあえずあの獣の耳の人達に聞いてみるか」


「やめて……おい……た、方が、良い……よ」


「うおっ」


 俺が思考を切り上げるため、なんとなしに呟いた独り言に、足元から返事が返ってきた。

 返しがくるとはおもっていなかったため、心臓がビクリと跳ね上がる。



 自分の足元を見ると、痣だらけの空楼が転がっていた。


 空楼は目が紫色に腫れ上がり、身体中至る所が青紫色に変色していた。

 仰向けに寝転がり、荒い息を繰り返している。

 しかも髪型は茶髪に七三分けトレンディにされていた。

 ひどい有り様だ。


「……空楼? ――誰にやられたんだ!」


「なんで前髪の分け目を見てるのかな? ぶん殴るぞ? ……この怪我は、あそこからこっちを見ている奴等にやられたんだ」


「…………何があったんだ?」


 空楼の怪我は殆どが打撲であり、内蔵等を痛めた様子はないがそれでも結構な重症である。

 しかも両手を後ろ手にしばられており、あまり良い待遇を受けたとは思い難い。


 俺と空楼達を取り囲んでいる獣っぽいヤツラが何者なのかは分からないが、彼等がやったのなら俺としても黙っている訳にはいかない。

 こんな性欲の権化みたいな奴でも、俺の幼馴染なのだ。


 獣人達は剣呑な眼差しで俺と空楼をみている。

 殺気を含んだその視線は、明らかに友好的なモノではない。


 俺は油断なく彼等を見据えながら、取り敢えず空楼に何があったのか話させた。


「ここで目を覚ました時、ヤツラは俺達のことをつつき回していたんだ。僕の髪型が珍しかったのか、頭皮ごと髪の毛を全部もぎ取られそうになって目が覚めた。まったく、ハゲるかと思ったよ」


「まあ、なにをしても崩れない七三を見れば、珍しくも思うかもな」


「とりあえず、状況が分からなかったから、ここが何処なのかとか、僕はどうやってここに来たのかとか聞いたんだけど、どうにも言葉が通じなくてね」


 空楼が身振り手振りで話そうとしても、獣人風の者達はイマイチ要領を得ない。

 ホトホト困った空楼は、ふと彼らがつけている獣耳に興味を持ったらしい。

 作り物にしては精巧な耳。

 耳や尻尾を指差し、何で出来ているのかと尋ねたそうだ。


「そしたらね、驚くべきことにアレ、本物なんだよ」


「は? 本物?」


「うん、付け物じゃなくて、根本からしっかり生えてるんだ」


「……本当か?」


「もちもち。大体あそこまでリアルな付け耳と尻尾は、どんなコスプレイヤーさんでも見たことがないよ。世界中の美人コスプレイヤーを網羅している僕が保障するね」



 ――キメェ。

 でももしそうだとすると、彼等は本当に所謂『獣人』ってやつじゃないのか?

 やっぱり輪廻転生しちゃったか?

 というか、それが空楼の怪我と何の関係があるんだろう。


 俺が首をかしげていると、何やら歯切れの悪い様子で空楼が続きを話始めた。


「そしたら、さあ……、あの娘達、リアル獣耳――――本物の猫耳娘ってことになるじゃないか」  


「まあ、そうなるな」


「こっちは十数年間、ずっとファンタジーな存在そういうのを夢見てきたワケだからさ、本物に会えたら……触ってみたくなるだろう? だから触らせてってお願いしたんだ」


「……」


 まあ、理解出来ないこともない。

 俺も漫画やラノベ、アニメもそこそこ嗜むからな。

 オタクでなくたって、例えば、ある日突然手から蜘蛛の糸が出るようになったらテンションも上がるだろう。

 それと一緒だ。

 妄想・空想の中だけの、謂わば憧れの存在が目の前に現れれば触れ合ってみたくなる。


 ――だが、コイツは千衆空楼。

 下半身に脊髄のあるモザイクモンスターだ。

 「テンションが上がった」「触れ合いたい」だけで済むはずがない。


 ……おお?

 雲行きが怪しくなってきたぞ?

  

「そしたら、あの猫耳の女の子が、「良かろう」みたいな感じで頷いたから、ちょっと、スキンシップを計ったわけだよ。――なのにさ、僕が触ったとたん急に悲鳴を上げて、僕を袋叩きにしたんだ」


「……」


 とんでもないことだ、とでも言いたげな表情で空楼が首を振る。

 空楼の視線の先を見ると、猫耳の気位が高そうな女の子がビクリと肩を震わせた。

 彼女は毛布に包まれ、仲間に慰められながら涙目でこちらを睨んでいる。


 ……空楼の言葉を、上記の状況と合わせて翻訳すると。

 空楼は初めて見た猫耳娘にハイになり、

 空楼にとってのスキンシップ――――つまりいきなり抱きついたり、身体を弄ったりといったものだ。

 コレを、まだ中学生くらいのあの猫耳の女の子に、正面堂々と敢行したのだろう。



 ――完全に犯罪者だが、コイツならやる。



 相手はまだ男というものにあまり免疫が無いような年齢だ。

 耳を触らせてやると言ったのに、いきなりこんな奴に押し倒されたらそりゃあ怖い。

 現代日本なら即、足立区最凶の施設にドナドナである。


 周囲の彼等は決して近づいて来ようとせず、敵意の籠った目を向けてくる。

 当たり前だった。


 変な奴をつついて起こしたら、急に発情して、仲間を襲われ、距離を取って警戒していたら、さらにもう一人、性獣の仲間が起き出してきたのだ。

 そりゃあ、危機感も持つ。


 俺は思わず頭を抱え込んだ。


 ――そうだった、千衆空楼コイツが何も問題を起こさないはずがなかった。

 なんで始めに、コイツが被害者だと思ったんだ俺。

 家族連れの多い日曜日のショッピングモールで、性犯罪者を辟易させるほどの変態妄想演説を繰り広げるような男だぞ。

 相手に女性がいる時点で、一方的に向こうが悪い事態には絶対にならない。

 分かり切っていることじゃないか。

 

 しかもコイツ、ただでさえ訳の分からない状況なのに、いきなり現地の方々を敵に回しやがった。

 これでは事情も何も教えてもらえるワケがない。

 俺なら、こんな気持ち悪いヤツラ即刻追い出す。

 むしろ俺まで縛られてない分、向こうの方がまだ親切なぐらいである。



 獣人ファンタジーの存在よりモラルが欠如してるってどうなんだよ……。

 


「何を|蹲っているんだい水燈? 腕力という名の世界共通言語で、礼儀を知らないアイツラに、説教してやってくれ」


「礼儀を知らないのはお前だよ! 土下座して靴舐めて謝ってこい!」


「ぶへっ」


 空楼は口で言ったところで決して反省しない。

 体に言っても反省しない。

 なら相手が、もう良いですと言いたくなるまで謝らせるしかない。


 空楼を掴み上げ、猫耳の女の子の足元まで投げ飛ばした。

 空楼は縛り付けられていたため、受け身もとれずに顔から地面に突っ込む。


「すまなかった! コイツはどうにもならないが、出来る償いならなんでもさせる。どうか許してくれ」


 もう俺に残された手段はとにかく謝り、なんとか関係を修復してもらうことしかなかった。

 この状況もそうだが、俺の脳裏にはあの白い不審者のことがどうにもこびり付いており、なんとか情報を得たかったからだ。

 辺境だかファンタジーの世界だろうが知らないが、右も左も分からない状態で、変態と二人こんな森に放り捨てられると完全に打つ手が無くなる。

 

 猫耳の女の子は、落ちている空楼を見て凄く嫌そうな顔をしたが、謝罪をしていることが伝わったのか、仕方なくといった感じで頷いてくれる。

 なんとか見知らぬ深森に性獣と二人、放り出されるということは無さそうだ。


 ホッとしていると、空楼がムクリと起き上がった。


「おい、取り敢えず謝り倒して、どうにか俺たちの今居る状況を教えて貰うぞ。いいか、これ以上何か面倒なことはするなよ。絶対するなよ! わかったら……」


「むふ、ムフフフフフ」


 危ない表情で突然笑い出した空楼。

 頭を強く打ち過ぎたのか、焦点が定まっていない。

 痴人から狂人にジョブチェンジしてしっまったようだ。


「猫……耳っ!」


「うにゃっ!?」


 呟くと同時に首をグルリと猫耳の女の子の方に回した。

 空楼が低く姿勢を落とすと共に、腕からシュルリと縄が解け落ちる。 

 コ、コイツ縄抜けしやがった!

 縄を抜けて猫耳の女の子をロックオンした空楼は完全に目が据わっていた。もう、目には猫耳の女の子しか写っていない。


 空楼が青アザだらけの怪我人だとは思えない動きで猫耳目掛けて走り寄る。

 話聞いてたのかコイツっ お約束か!


「猫耳~!!」

「にぎゃーーっ!」


 止める間もなく、猫耳の女の子に飛びかかる空楼。

 近くにいた獣人達も咄嗟のことに動けない。

 森に獣人達の悲鳴が響き渡った。 


 ――抱きつかれた猫耳の女の子は、恨みがまし目で俺を見てた。





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