第2話 これが運命か?


「双子の兄弟の弟の方が優れていて、兄は劣等感を抱いている…か」


 うんうん、わかるよ!俺もそうだから…!

 全世界の双子のお兄さん、俺はあんたたちの味方だかんな…!


 帰宅した清明はさっきまで読んでいた漫画を胸に抱き、部屋着姿でリビングのL時型のソファの上に寝そべり、漫画の主人公へ一方的に励ましのメッセージを送っていた。

 春先ということで午後六時を過ぎた今も十分明るい。すぐ隣の公園からは小学生たちがきゃっきゃと遊んでいる声が聞こえる。



『もし今日帰るまでに女の子と出会ったら、その子が運命の子だな』


 とか一人で呟いてフラグをたてて若干そわそわしながら家路に着いたが、今日は結局誰とも出会わなかった。いや正確には近所で優しそうなおばちゃんとすれ違ったけど多分間違いなく人妻、人母、もしかしたら人婆の可能性が高いのでノーカウント。

「現実は厳しいねぇ…」

「なんだ、ちゃんとわかってたんだ」

「あ、雨水うすいおかえり」

 ドアが開き、双子の弟、雨水が入ってきた。今帰宅したのか制服姿に、それとは不釣合いな猫さんリュックを背負い、腕には夕刊を大事そうに抱えている。

「ただいま。清明は今日も何もしなかったの?」

 …うっ、なんてトゲトゲしいんだ。地味にダメージを受けて打ちひしがれる兄をよそに雨水はソファの空いた方に行儀良く座り、夕刊をいそいそと広げる。


 双子の弟、雨水は成績優秀で同じ信田高校に入学した途端、先生からの推薦で生徒会入りを果たした出来た奴だ。当然俺は比べられて劣等感なんてしょっちゅう感じてるし、本来の性根がツンツンしてる雨水に、今のような棘のある言葉を言われるなんて日常茶飯事。しかも二卵性のため、身長も顔立ちもそこまで似ていない。(ちなみにこちらも雨水の方が優れている…不公平だ)


 けど、別に仲が悪いわけではない。この間の春休みには二人で駅前の猫カフェに行ってきたし、俺は俺でこの弟のことは自慢だし結構可愛がっているつもりだ。

「…ねぇねぇ清明、瀬戸内海にうさぎの島と猫の島があるらしいよ。今度行こう」

 多分この弟もできの悪い兄貴のことを別に嫌っているわけではないらしい。

 うさぎの島と猫の島の記事が載っている新聞ページを静かにウキウキしながら眺める雨水を横目に、胸に抱いていた漫画のページをパラパラとめくる。

 最後のページには、兄弟が和解して抱き合うシーンが描かれている。


「…劣等感なんて大した問題じゃないよな」

 しみじみしながら小さく呟く。

「え?何?」

「いや、なんでもない!」

 そう言って立ち上がり、大窓から差し込む夕日を浴びて伸びをする。


 俺ってちゃんと幸せじゃないか…!

「清明何してんの?」

 できる弟、仲のいい友人、男しかいないがクラスメイトとも仲良くやれるさ!

「おーい?何その顔、キモいよ。おーい、清明」

 そして明日からは美人の担任もいる!(ポンちゃんがこっちをチラチラ見ながら一瞬脳裏をよぎったけどスルーする)


「あ、ちょっと清明…」

「ん?なんだ?」

 感動で涙ぐんだのがバレないように軽く振り向いー



 ガッシャーン!!!!!!



 …あれ?


 後頭部に鈍痛が走り、目の前がくらっとする。窓ガラスの破片と新聞紙で体を覆った雨水の姿が視界に入り、そこでフッと意識が途切れた。






 …あれ?



 目を開けると目の前は見慣れた天井。ベッド脇にはいい匂いの可愛い女子が……ではなく可愛い弟がコーヒーを片手に、ノートを見ている。


「おい雨す…っ、痛ってぇ…!」

 ぼんやりする頭で起き上がろうとすると、激痛が走った。

「あ、清明。おはよう。夜だけどね」

 ケロッとした顔でノートから顔を上げた雨水からは、風呂上がりなのか石鹸の香りがする。この香りと俺の願望によって一瞬幻を見せられた気がする。

「期待させんなよな…」

「可愛い女の子がこんな時間に清明の部屋にいるわけないじゃん。現実、本当にちゃんとわかってる?」

 がっくりとうなだれる俺の心を的確に読み取り、なおかつ棘を差してくる雨水に一瞬殺意を抱いた。


 まだズキズキする頭で、ようやく夕方のことを思い出す。兄弟愛に感動して窓辺に立った俺が雨水に呼ばれて振り返った瞬間、窓が割れて後頭部に何かが…

「っおい雨水!」

「え、何?」

「もしかして異世界から女の子が来たりとかしたか!?」

「………何言ってんの?」

 乱暴に肩を揺すりながら聞いた俺を迷惑そうな顔で雨水は見て、そして吐き捨てるようにそう言った。

「ボールがうちの窓に当たって、それがそのまま清明の後頭部に当たったの。覚えてないの?」


 …なるほど。

 枕の上にタオルに巻いた氷枕を置いてあるのを見ると事実らしい。



「じゃあ今頃女の子がうちに謝りに来てるのか?」

「いや女の子じゃないよ、何で女の子って断定してんの?どっからどう見ても普通の野球少年だったし、その子のお姉さんがガラス代の弁償に来てくれて平謝りしてくれたから、別にいいかなと思ってすぐに帰ってもらったよ。」

 …望みは尽きたか。せめてお姉さんだけでも引き止めておいて欲しかった。


「そもそも、俺が清明の名前呼んで振り向かせなかったら、今頃清明のおでこは割れてたんだから俺に感謝してもらいたいもんだよ」

 そう言うとローテンションで腰に手を当てて「えっへん!」してくる。


 せめてこの可愛い弟が、妹だったら…と思うと悲しくなってくる。

「…ていうかそもそも!目の前にボールが飛んでくるのが見えたら自分で避けたし!お前自分の身だけ守れればそれでいいと思ってたろ?俺、見たぞ!お前が新聞紙で防御壁作ってるのを!」

 よく見ると俺の手足には割れたガラスでできたであろう、小さな切り傷までちらほらある。


「いやいや兄さん…」

 …う、出た!

 雨水が俺を「兄さん」と呼ぶときは、決まって俺を可哀想なものを見る目をする。そして辛辣な言葉を浴びせてくる。俺は何を言われても傷つかないよう、心の中で身構える。

「…何かな、我が弟よ」

「兄さんににそんな、あったっけ?」

「………ないです」

 …ほら、辛辣でしょ。


 出来るだけ知られたくない事実、俺は非常に運動神経が悪い。(ちなみに雨水は非常に運動神経が良い)

 自慢じゃないが、この春も仮入部期間に全ての運動部から頭を下げて「頼むから入部しないでください」と言われた。

 訂正しよう…。確かに目の前にボールが来てそれが見えていても俺は多分避けられなかったと思う。

「…清明はさ、高校でも入れそうな部活ないよね」

「いや、文化系なら多分いけるかもしれないじゃん!」

「いや、兄さんそれまじで言ってる?」

「……。」


 出来るだけ知られたくない事実その2、俺は非常に不器用だ。(ちなみに雨水は非常に器用…やっぱり不公平だ)

 モテそうな運動部を断念して今度は文科系の部活を回ったが、吹奏楽部では木琴を叩き割り、漫画研究会ではインクをぶちまけ、写真部では高そうなカメラを壊してしまった。もちろん悪気はなかったが、こちらでも先輩たちに「頼むから入部しないでください」と頭を下げて言われた。


 仮入部期間が終わる今日、直帰したのはこれが理由だ。


「まぁでもさ、部活なんかしなくてもいいんじゃね?俺特に内申点とか気にしないし。むしろ部活やってない方が放課後デートとかできるだろ?」

「いやいや兄さん」

 得意げに親指を立てた俺を見てさらに呆れた顔で雨水が口を開く。

 なんだ?今度はどんな説教だ?彼女いないけど、これから探すから問題ないだろ。



「うちの学校、部活入んないと退学だよ」




「………え!?…はぁ!?そんなのありかよ!?」


「一緒に高校説明会行った時に散々説明されたでしょ。そもそもここに信田高校に入ってくる学生は、どんなに頭が悪くても全員部活動に励んでるよ」

「え!?じゃあうちのF組の連中も!?」

「うん。清明を入れたある三人以外全員すでに入部届けを提出済みだ。ついでに言うと、エース候補や十年に一人の逸材もF組にはゴロゴロいるらしいよ」


 あいつら…そんな才能持ってたのか。

 夕日を浴びながらクラスメイト達とは仲良くできそうと思った自分を殴りたい。


「じゃあ俺を入れた三人は退学かよ」

 すました顔でコーヒーを啜る雨水をにらみながら布団にくるまる。

「いじけてないで出ておいでよ。朗報がある」


「なんだ!?女子がうちのクラスに転校してくるのk」

「んなわけないでしょ。漫画とラノベの読みすぎ」

 サクッと切り捨てられた俺は布団の中へまた潜り込む。

 そんな俺のズボンをがっしりつかんで引きずりだし、雨水が咳払いを一つした。


「1年F組大島清明、大山愛、そして峰善信には俺の生徒会役員権限の元、新設の同好会”染井家の桜を研究する会”に入部してもらう」


「…ハイ?何そr」

「顧問は、信田佐保先生」

「雨水!!!!!!!!!!!!!」


「…なに」

「大好き!!!!!!!!!!!!」

 無理やり雨水を抱き寄せてひしっと抱きつく。さながらあの漫画の最後のページの兄弟のように。

 俺以外にF組に部活に入ってなかったのが愛と善信だったのとか、桜がなんちゃらとかいう同好会はどうでもいい!

 あの美人の先生が顧問ならきっと頑張れる!いや頑張る!

 やっぱり突然の担任交代は教師と生徒の禁断の恋フラグだったんだな!


「雨水!」

「…なに」

 突然の抱擁に引いた顔で手に持ったままのコーヒーをこぼさないようにするのに集中している雨水が答える。


「俺、ちょっと散歩してくる!」

「…は?…え、ちょっ!清明!」


 後ろで雨水が珍しく大きな声で叫んでいるのが聞こえるけど今は無視だ。


 部屋から元気良く飛び出し、履き慣れたクロックスを引っ掛けてそのまま夜の住宅街を軽やかに歩く。

 途中で犬を連れた女の子やジョギング中のおっさんとすれ違った気もしたけど、俺の心中には佐保先生しかいなかったのでどうでもよかった。


 佐保先生と危険な秘密の恋愛に心を躍らせていると、いつの間にか信田高校の前を通り過ぎすぐ横の信田山のふもとまでやって来てしまった。高校と山の間には例の桜の木がある空家があり、そのすぐ横には信田山の中腹に位置する、信田神社へと続く長い石階段がある。

 普段は絶対登ったりしないけど今日はなんだかいける気がする!

 そんな曖昧な感で元気よく足を一段目に乗せたところで後ろから声がした。

「そこで何してるの!?」

 と同時に足を乗せ損ねた階段で滑り、思い切りこけた。


「痛ってぇ〜…!!」

 唸りながら座り込むと右足の膝小僧から血が出ているのが見えた。履き古してすり減ったクロックスは、雨上がりで湿った石階段とは相性が悪かったらしい。いや俺の運動神経が壊滅的なのが原因か…とか考えているとハンカチを差し出された。


「君…もしかして1年F組の…えーっと、」


 聞き覚えのあるその声にハッとして顔を上げると、ハンカチを差し出しているのは佐保先生だった。今朝見たスーツ姿ではなく柔らかそうなワンピースに身を包み夜桜を背に立つ先生はやっぱり美人だ…じゃなくて!

「は、はい!!大島清明です!!」

 慌てて立ちあがると夕方打った頭がずきっと痛み立ち眩みがしてよろける。

「えっ!大丈夫!?」


 ぬあぁあああああああああああ!!!


 よろめいた俺を佐保先生が抱きとめたらしく、約10cmの距離に先生の顔がある。頭が痛いのも血の出た膝が痛いのも忘れて、一気に顔に血液と体温が集中するのを感じた。

「大島くん?しっかりしなさい!大島くん!?」

 佐保先生の美声を耳元に、まるで漫画やラノベのようなシチュエーションに幸せを感じながら、そのまま目を閉じた。



 …あれ?



 目を開けると目の前は見慣れない和室の天井。布団の横にはいい匂いの可愛い女子が……ではなく美人のお姉さ…じゃなくて佐保先生がいる。


 ん!?佐保先生!?


 ガバッと起き上がると、先生が心配そうな顔でこちらを覗き込んでくる。

「気がついた?どこか痛いところは?」

「あ、ありません大丈夫です…。あの、ここは…?」

 綺麗に片付けられた和室は女性の部屋というのにふさわしいセンスのいい家具といい香りに包まれていた。ということは…

「ここは私の家よ」

 その一言にまた顔が熱くなった。

 どうしよう!こんなのラブコメを始めてくださいと言わんばかりのお膳立てされたシチュエーションじゃないか!!

「大島くんの家にも連絡しておいたから、多分もう少ししたら迎えに来てもらえるわよ。足の傷の一応手当てもしておいたから」

 そうだ!俺、先生の前でこけるなんて大失態を…。

「あの!ご迷惑をおかけしました!!」


 恥ずかしくなって布団から飛び出て正座で頭を下げる…とそこで自分がトランクスを穿いていることに気がついた。


 そりゃそうだ。男性用下着なんて全世界の男が穿いてる。

 ただ重要なのは、その上にズボンを穿ことだ。


 …………。


 つまり先生が俺のズボンを脱がした問いうことか!?

 先生、うちに迎えを頼む電話をした上で…!?


 今日まで灰色の青春を過ごしてきた俺には刺激が強すぎる!けど佐保先生はまだ若いとはいえ年上の大人の女性。俺も大人になるべきか…!


「佐保先生!!!」

「え?な、何?」


 先生の両肩を掴んだ時、襖が開いた。


「はーい、宅急便でーす」


「う…雨水…」

「あら、大島くん。迷わずに来れた?」

 突然現れた雨水が俺が夕方穿き替えた部屋着のズボンをピラピラ振っている。それにも動じずにケロッとしている佐保先生は、いつの間に俺の手を自分の肩から払っていた。

「はい、信田神社は小さい頃から初詣で来ていたので。あと階段の途中で神主さんと会ったので、ここまで通してもらいました」

 雨水の後ろにはジャージ姿のファンキーなおっさんが、ニヤニヤしながら俺を見ている。

「馬鹿兄貴がご迷惑をおかけしました」

「あらいいのよ。これから担任であり顧問になるんだから、面白い子だとわかって楽しかったわ」

 そう言ってニコニコする佐保先生は、完全に俺を小学生か何かと認識している気がする。


 ズボンを穿き、恥ずかしさに震えながら佐保先生の家、信田神社を後にした。


 神社を出るときに神主のおっさんに耳打ちされた。

「うちの美人の娘に会いにパンツいっちょで町内を走ってくるなんて、度胸があるなぁ。頑張れ若者!はっはっはっ!」

 どうやら道ですれ違ったジョギング中のおっさんは、神主さんで佐保先生のお父上だったらしい…。


「雨水…」

「なに?」

「俺のズボンどこで見つけた?」

「え、俺がズボンの端を掴んでたらズボンそっちのけで清明が出て行ったんだよ。家に決まってるじゃん」

 俺ちゃんと引き止めたよ?という雨水の顔はどこか嘲笑しているかのようで憎たらしかった。

 こうして、もしかしたらおっさんに見られる直前に落としたのかもという淡い期待が叶わなかった俺は、羞恥心で家に帰るまでナメクジのようにしおれるしかなかった。



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