2-3
担任の先生が来る前に、私はなんとか教室にたどり着く事が出来た。
朝からのドタバタで随分危うい時間だと思ったのだけれど、案外間に合うものだ。私って実は歩くの速かったりして。
そんなふうに自画自賛しながら、自分の席に向かおうとすると、クラス中の視線がいっせいに私に注がれているのに気がついた。
一瞬身構えたけれど、クラスメイト達はすぐに私への興味を無くしたのか、友達と雑談したり授業の予習をしたりとそれぞれの行動に戻っていった。
……なに?
私はなんだか釈然としない気持ちで、とりあえず自分の席へと着く。
私の斜め前、竹本さんの席のほうを見ると、竹本さんは隣の席の佐々木さんと話をしていた。私は机に鞄をかけながらこっそり意識を傾ける。
「でね! さっきなんか変な男とぶつかって、いきなり抱きつかれたの!」
竹本さんと佐々木さんは、さっきの通学路での話をしているみたいだった。
竹本さんは大層ご立腹のようだけど、客観的にみて、抱きついたってのは言いすぎだろうと思う。
興奮気味にまくし立てる竹本さんとは対照的に、佐々木さんはいたって冷静で、ちょっとだけ呆れているような顔をしている。
「どうせまた、由香が走ってて、よく前を見てなかったんでしょ? その子も可哀想にね……」
さすが良く分かってる。いかにもその通りです。
「違うってば! 新手の痴漢だよ。絶対!」
竹本さんは佐々木さんに共感して貰えなくて、苛立たしげに机をバンバン叩く。
「はいはい。それは災難でしたねぇ。ってかさ、そんな事よりさっき面白い噂を聞いたんだけどさ」
「そんな事って何よー! ちょっと酷いんじゃないの?」
「はいはい落ち着きなって。実はね、今日からうちのクラスに転校生が来るらしいよ」
「……この時期に転校生? 珍しいね」
「ほら、今日って先生が来るの、ずいぶん遅いでしょ? 転校の手続きとかで遅れてるって話。噂では超イケメンの男の子らしいよー」
「ふーん。まぁ私はあんまり興味ないけど」
二人はいたって普通に話していて、周りの人たちも竹本さんの頭の旗に気づいている様子は無い。
やっぱりあの旗は私以外の人には見えていないのだ。そう確信した。
それにしても転校生か……。
さっき私が教室に入ってきたときの皆の視線も、その後すぐに関心をなくしたのも、どうやらその噂のせいだったみたい。
うん。こっちの疑問も解決。
ついでに、ホームルームに間に合ったのは、私の足が速いからではなかったのが分かって少しがっかり。
……そんなの最初から分かってたけどさっ!
その後、二人は転校生の話を始めてしまったので、私は聞き耳をたてるのをやめて、自習をする事にした。
本当は竹本さんに色々聞きたい事があったのだけれど、他の人と話しているところに割って入るような勇気は、さすがに無かった。
昔はそうでもなかったのだけれど、高校に入ってからはひたすら勉強ばかりしていたので、私はすっかり周りから浮いてしまっているのだった。
まあそのお陰で、なんとか学年一位というポジションをキープできているのだけれど。
というか、そもそも何て言って話しかければ良いのか分からない。いきなり「頭の上に旗が立っていますよ」なんて言ったところで、完全に変な人だし。
「おーい! 全員席に着けー!」
しばらくすると、担任教師がやってきてホームルームが始まった。
席を立って雑談をしていた人たちが慌てて自分の席に戻る。
私も自習していたノートを閉じて、教壇に立つ先生へと視線を向ける。クラスメイトも同じように先生に注目している。
先生は一度咳払いをすると、いかにもめんどくさそうに口を開いた。
「えー……、今日は出席を取る前に、転校生を紹介する。上田、入ってきて」
途端にクラス中が、特に女子を中心にざわめく。
先生に呼ばれて教室に入ってきたのは背の高い男の子だった。
着くずした制服に、男の子にしては少しだけ長めの髪。
ちょっと不良っぽいけれど、佐々木さんの噂どおり、確かにカッコいい顔をしている。
女子の歓声がさらに大きくなった。反対に男子たちは露骨に嫌そうな顔をしていたり、溜息をついている人もいた。
先生に促されて、転校生が自己紹介をする。
「上田尚志です。親の仕事の都合で引っ越してきました。変な時期ですけど、よろしくお願いします」
上田君は淡々とした自己紹介を終えると、それっきり黙り込んでしまった。
なんだかちょっと不機嫌そうに見えるけど、緊張しているのだろうか。
私は初対面のはずなのに、なぜだか上田君に見覚えがあるような気がした。
あまり私とは接点の無さそうなタイプに見えるのだけれど……。
「あああーーーーーっ!」
私が自分の記憶を探っていると、斜め前の席から突然、叫び声が上がった。
「あんた、さっきの!」
竹本さんの声に、あらためて上田君を見て、私はようやく思い出す。
そこに居たのは、通学路で竹本さんとぶつかったあの男の子だった。今朝見覚えが無いと思ったのは転校生だったからだったのか。
あの時はあまりの急展開で、男の子の顔をはっきり見られなかったから、すぐに思い出せなかったみたい。決して私の記憶力が悪いわけでは無い。
上田君も竹本さんの事に気付いたようで、驚いた顔をしている。
「お前! 今朝の縞パン!」
上田君は思わずそう叫んだ。その言葉に、竹本さんの表情がみるみる怒りの色に染まっていく。
「な、何ですって! あんた、見てたのっ!? やっぱり痴漢だったのね!」
「誰が痴漢だ! さっきの事はお互い様だって言っただろ」
「う・る・さ・いっっ!!! それ以上喋ったらホントに殺すわよ!」
竹本さんと上田君はいきなり喧嘩を始めてしまった。お互いに、口々に罵詈雑言をぶつけ合う。
なんだか、さっきもこんな光景を見たよなあなんて、私は既視感を感じてしまう。
竹本さんは立ち上がって、今にも飛び掛らんばかりの臨戦態勢。確かに最初の一言は上田君が無神経だったと思う。
教室全体があっけに取られていた。
みんなが、どうしたら良いか分からないというように竹本さんと上田君の二人を交互に見ていた。
いや、……先生。あなたは喧嘩を止めてくださいよ。
パンパカパパンパーン!
そのとき、今朝も聞いたあのファンファーレが、また聞こえてきた。
私は驚いて竹本さんの方を振り返る。
すると、竹本さんの頭の上、『恋愛』と書かれた旗がうっすらと光っているのがみえた。
そのまま見ていると、竹本さんの旗は花が成長するみたいにゆっくりと大きくなっていく。最終的に一回りくらい大きくなったところで動きが止まった。それと同時に、光も消えていった。
その間も、竹本さんと上田君はずっと言い争いを続けていた。
あれだけはっきりとした音だったのに誰もそれを気にする様子が無い。
やっぱり旗に関する事は私にしか見えていないし聞こえていない。これは間違いないけれど、なんだか不思議な気分。
しばらくして、さすがにまずいと思ったのか、先生が喧嘩の仲裁に入る。
結局二人の喧嘩は、
「知り合いみたいだし、上田は竹本の隣の席に座ってくれ。竹本は上田君にいろいろ教えてあげるように。以上! 以上だ!」
という先生の言葉で無理やり終わらされた。
あれは、逃げたな……。
初めは思いっきり嫌がっていた二人も、先生に何とか言いくるめられて仕方なく了承したようだった。
席に着いた二人は不機嫌そうな顔でお互いにそっぽを向き合っている。
周りの人たちは、それを興味津々と言った感じで眺めていた。佐々木さんにいたっては、ニヤニヤ笑いながら、冷やかすように声をかけている。
結局その状況は、次の授業の先生がやってくるまで続いたのだけれど。
それにしても、この頭の上の旗はいったい何なのだろう。
竹本さんの恋愛の旗が、上田君と話していたら大きくなった。
という事は、竹本さんは上田君と恋愛するということ? 竹本さんは上田君の事が好きなのだろうか?
あんなに険悪な二人が恋愛関係になるとは、私にはとても思えないのだけれど……。
そんな風にして、ホームルームは終了した。
とにかく、後で一度竹本さんと話をしてみないと。そんなことを考えながら、私は次の授業の準備を始めたのだった。
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