第16話 『豆鬼さん』
おぼろちゃんの家はチョンマゲ姿のお侍が店の前を行き来した昔、昔からのお豆腐屋さんです。だから、おぼろちゃんの家は木で出来た古くて黒い二階建ての家です。
それにこの古い家、なぜか大人が歩くと、ときどき廊下がギィギィと奇妙な声で鳴きました。
「宿題終わった?」と夕飯を作りながら、お母さんがおぼろちゃんに聞いています。
「まだー」と大きな声でこたえる今年小学一年生の元気な女の子、おぼろちゃんは台所のテーブルの上で「あー」と声にだしながら、小さな手に長い鉛筆を持って、宿題のひらがなの練習をしています。台所前の廊下をはさんだ店では、お父さんとおじいちゃんが、豆腐を作る木製の道具類をきれいに洗って店じまいの準備をしていました。
「今日は満月だな」と急におじいちゃんが、店の真ん中にある黒くて大きな柱を見ながら言いました。
黒くて大きな柱の近くには、明日の朝、豆腐になるたくさんのお豆が、大きな桶の中でタップリの水と一緒に静かに眠っていました。
すると「満月?」と言いながら顔をあげたおぼろちゃんが、おじいちゃんの顔を不思議そうに見ました。おじいちゃんはニコニコ笑いながら、店と台所の間にある廊下に腰掛けると、首にかけていたタオルをとり、濡れた手をふいて、「あぁ、おぼろ、こんな満月の夜は、豆鬼さんが店にやってくれるかもしれないぞ」と嬉しそうに言いました。
それを聞いたおぼろちゃんは「豆鬼さん?」と言って、ピョンと勢いよく椅子から飛び降り、赤いスカートをひるがえして、おじいちゃんの膝の上にチョコンと座ります。
まだおばあちゃんが生きていたころ、おばあちゃんが、おぼろちゃんによく豆鬼さんの話をしてくれたことを思い出していました。
その豆鬼さんが今夜くるかもしれないと聞いて、おぼろちゃんは嬉しくて、嬉しくて、なんだか体中がウキウキしだしていました。
おじいちゃんの部屋は台所のよこです。豆鬼さんが店に来たらすぐに分かる場所です。
でも、いつものようにお父さんとお母さんと一緒に二階で寝ていたら、豆鬼さんが来たことが分からなくて、会えなくなると思ったおぼろちゃんは「今日は、おじいちゃんと一緒に寝る!」と大きな声でお母さんに言いました。
お母さんは「豆鬼さんに会えるといいわね」と言いました。お父さんは「会えるさ」とおぼろちゃんに言ってくれました。
その夜、おじいちゃんと並んだお布団の中で、おぼろちゃんが、豆鬼さんは歌と踊りが大好きで、とってもとっても小さいこと。そして子どもと遊ぶのが大好きで、でも大人の姿を見ると、怖がって逃げてしまうことを一生懸命に話しました。
おじいちゃんは、そんなおぼろちゃんの話をニコニコしながら聞いてくれました。そして豆鬼さんのお話しをいっぱいしたおぼろちゃんは、話しつかれていつの間にか眠ってしまったのでした。
「おぼろ、おぼろ」とおぼろちゃんを呼ぶおじいちゃんの声がして、おぼろちゃんは眠い目をこすりながら起き上がりましたが、まだまだ眠くて大きなあくびをひとつしました。
「しぃー、おぼろ、豆鬼さんたちが来ているぞ」と人差し指を口にあてたおじいちゃんの目が笑っています。驚いたおぼろちゃんは、あわてて小さな両手を口にあてると、おじいちゃんにウンウンとうなずいてみせました。
「いいかい、おぼろ。豆鬼さんを驚かせないように、静かに、そっとおじいちゃんの後をついてくるんだぞ」とおじいちゃんがおぼろちゃんに言いました。
おぼろちゃんは口を固く結んでうなずきます。
それからおぼろちゃんはお布団からそっと抜け出すと、おじいちゃんの後ろをドキドキしながら、静かに、静かについて歩きました。
すると、お父さんが夕方、電気を消したはずの店からガラス戸越しに、廊下まで明かりがもれています。
『誰かいるんだ、きっと豆鬼さんだ』と思うと、おぼろちゃんは早く豆鬼さんを見たくて走り出しそうになりましたが、前にいるおじいちゃんが急に振り返り、人差し指を口にあててにっこり笑ったので、おぼろちゃんはあわてて両手で口を押さると、首をすぼめてその場に固まってしまいました。
「いいかい、おぼろ。おじいちゃんがソーッとガラス戸を開けるから、声を出さずにのぞくんだぞ」とおじいちゃんが、おぼろちゃんに小さな声で言いました。
おぼろちゃんはコクリとうなずき、おじいちゃんが開けてくれたガラス戸の隙間から、店の中をソーッとのぞいてみました。
光っていたのは、天井灯ではなく大きな黒い柱だったのです。
驚いたおぼろちゃんは、おじいちゃんの耳元に小さな手をあてて「おじいちゃん、真ん中の柱が光っているよ?」とささやきました。
「あぁ、あの柱は家の守り柱だからな、豆鬼さんは、あの柱の中に住んでいるんだよ」とおじちゃんが小さな声で言います。
またまた驚いたおぼろちゃんが目をパチクリしていると、おじいちゃんが「もうすぐあの中から豆鬼さんたちが出てくるんだよ。いいかい、おぼろ。豆鬼さんたちが〝大人は怖い、子どもは大好き〟と歌い出したら、そっと近くまで行って一緒に歌って踊ってごらん。豆鬼さんは喜んで、おぼろを仲間に入れてくれるはずだ」とにっこり笑って言いました。
「おじいちゃんは?」
「おじいちゃんはダメだ。豆鬼さんを怖がらせてしまうから、ここで隠れて見ているよ」
「うん、分かった。おぼろ、豆鬼さんとお友達になってくるから、おじいちゃん、ここからおぼろのこと見ててね」
おぼろちゃんが、おじいちゃんの耳元でそう言うと同時くらいでしょうか、光る柱の中から小さな、小さな豆鬼さんたちが飛びだしてきました。
みんな頭には光る小さな角が生えていて、髪の毛は白くてフサフサ、顔はまん丸です。おぼろちゃんは『まるでお豆みたい』と豆鬼さんのまん丸な顔を見て思いました。
お目々も黒くてまん丸です。
それに豆鬼さんの口には小さなとんがった牙が二本、上を向いて生えている子もいれば、下を向いた子もいます。
なかには牙が一本、可愛らしくチョコンと真ん中に生えている子もいました。
そして豆鬼さんたちは、みんな上半身が裸で、赤や黄、緑に青に桃色といろんな色のパンツをはいています。
あまりの色とりどりのにぎやかさに、おぼろちゃんとおじいちゃんは目と目をあわせて、にこりと笑いあってしまいました。
すると、まるでそれを待っていたかのように豆鬼さんたちが、光る柱の近くに置かれた、明日豆腐になるたくさんのお豆が入った樽を囲んで歌い、踊り出しました。
♫おいしくなぁ~れぇ、おいしくなれ♪お豆よ、お豆、おいしい豆腐になぁ~れ♫と歌い、踊り出しました。
そして…、
♩大人は怖い、逃げろ、逃げろぉぅ~♬でも子どもは大好きぃ大好きだぁ~♩と豆鬼さんたちが楽しそうに歌い出したので、おじいちゃんが無言で指さし合図をします。
おぼろちゃんはうなずいて、そっと豆鬼さんに近づくと♫おいしくなぁ~れぇ♬と豆鬼さんと一緒に歌い踊り出しました。
すると…、
「おぼろだ!おぼろ、おぼろが来てくれた」と赤いパンツをはいた一人の豆鬼さんが叫びました。その声に「ほんとうだ、おぼろだ、おぼろが来てくれた」と、その場にいた豆鬼さんたちみんながワラワラとおぼろちゃんの前に集まりだします。
おぼろちゃんはというと、いきなり豆鬼さんに名前を呼ばれてビックリしています。
「おぼろ、聞いてくれ。こいつらは山一つ越えた町の、古くて黒い家の豆腐屋から逃げて来たんだ」と赤いパンツをはいた豆鬼さんに言われて、おずおずと前に出てきたのは、全身すり傷だらけの豆鬼さんたちでした。
でも、どうしていいか分からないおぼろちゃんがチラリと後ろを振り返ると、おじいちゃんの指が、廊下に置かれた傷薬の丸い缶を指さしています。
大急ぎで傷薬の缶をとったおぼろちゃんは、すり傷だらけの豆鬼さんたちの頬や手足に背中にと、薬を丁寧にぬってあげます。
その間、赤いパンツの豆鬼さんが、どうしてこうなったのかを興奮しながら話してくれました。はじめ…、古くて黒い家の豆腐屋の主人は明るくて元気な若い男だったのに、いつのまにか暗い無口な老人に変わっていたのだそうです。
それでも豆鬼さんたちは満月の夜になると、守り柱から出て、豆腐がおいしくなるように歌って踊っていたのですが、いつまで待っても、豆鬼さんたちが大好きな子どもが現れないどころか、無口な老人もいなくなり、店の中はいつも真っ暗。
歌って踊りたくても豆腐になるお豆もない。
そんなある日、ガァーと恐ろしい音を立てる怪物が家を壊しだし、守り柱がバキッと折れた瞬間ギィギィギィと家が泣いて…。
豆鬼さんたちは泣きながら「逃げろ」と叫んで、怖い大人に見つからないよう山の中を走り、転げ、傷だらけになりながら、やっとおぼろちゃんの家にたどりついたのです。
「おぼろ、お願いだ。この家の守り柱を守ってくれ」傷だらけの豆鬼さん、泣きそうな豆鬼さんの顔を見ていると、おぼろちゃんの胸がチクチク痛みます。我慢出来なくなったおぼろちゃんが「守り柱は、おぼろが守る!」と叫んだとたん廊下がギィギィと鳴きました。
「うわぁ~、怖い大人が来たぞ、おぼろ逃げろ」と言って、豆鬼さんたちは守り柱の中に飛び込んで行きました。振り返ると「驚かせてしまったな」とおじいちゃんが、悲しそうな顔でおぼろちゃんに言いました。
大人になったおぼろちゃんは、豆腐が大好きな青年と恋に落ち結婚しました。もうすぐ赤ちゃんも生まれます。
きっと豆鬼さんたちは、怖い大人に見つからない真夜中に、そっとお祝いに来てくれることでしょう。
でもそのときには、おぼろちゃんが生まれたとき、お父さんとお母さんがしたように眠ったふりをしょうと二人で決めているのでした。
ちいさな物語 しーちゃん @sea-chan4
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