第13話 鯉の恋

 小さな村の小さな池に、その鯉はいました。


 その鯉はとてもやせていて、まっ黒でみにくかったので、他の鯉たちからは仲間はずれにされて、いつもひとりぼっちでした。


 ある日、ゆらゆら揺れる水鏡の天井から楽しい笑い声が聞こえてきました。

 池の底に隠れていた鯉は、その楽しい笑い声に誘われて、そっと水面へと顔を出しました。


 どうやら今日は小学校の遠足のようです。



「うわぁ、へんなやせた鯉だ!」

 男の子が叫んで小石をなげました。


 小石は鯉のシッポにあたり、ビックリした鯉は慌てて水のうえで跳ね飛びました。


「うわぁ、はねた!はねた」

 喜んだ男の子は、もっと大きな石をなげようとしました。


「やめなさいよ!」

小さな女の子が、震えながら男の子をにらんでいます。


「なにしてるんだー」

 先生の声がしました。


 男の子は「ちぇ」と口をとがらせて、地面をけると向こうの方に走っていきました。


「鯉さん、大丈夫?」

 女の子の声が優しく聞こえましたが、鯉は怖くて水の中で身体を固くして震えていました。


 その様子を一羽の若いカラスが見ていました。




 つぎの日の朝、女の子は赤いランドセルをカタカタゆらせて池にやってきました。


「鯉さん、ご飯を食べると大きくなれるって、お母さんが言ってたよ」

 女の子は、おにぎりを池のなかに放り投げてきました。


 ですがこの日 女の子の投げたおにぎりは 悲しいことに、全部他の大きな鯉に食べられてしまったのでした。


 でも女の子は次の日も、その次の日もおにぎりをもって池にやってきました。

 そして、やせた鯉がおにぎりを全部食べられるように、ときには小石をなげて他の大きな鯉から守ってくれました。



 やがて女の子は少女から美しい女性になりました。やせて小さかった鯉も今では立派な真鯉になり。

 小さな鯉たちに餌を分けてあげる優しい池の主になっていました。


 ですが女の子と鯉のことを黙って見ていたカラスだけは年老いていました。




 ある日突然、女の子が池にこなくなりました。


 心配して何度も水のうえに顔をだす鯉に、いつもはジロリと見ているだけの年老いたカラスが「おれが、見てきてやろうか」と初めて声をかけてきました。


 おどろいた鯉は、すこし考えました。

 確かにカラスは空を飛んで、どこへでもいけます。


 そこで鯉は、カラスに女の子が元気でいるのか見てきてもらうことにしました。



 つぎの日の朝、カラスは女の子の後を追って遠くの町の病院にきていました。


 開いている窓から、そっと中をのぞくと女の子のお母さんが静かに眠っています。

「もう、助からないかもしれない」と声が聞こえました。


 カラスは、話をもっとよく聞こうと窓の中に入りかけましたが「なんて不吉な」と言われてピシャリと窓を閉められてしまいました。


 ガラスの向こうには泣いている女の子の姿が見えます。



 それからも「出ていけ!カラス」と窓から窓を飛ぶたびに物をなげられ、追いかけられました。


 なぜかカラスは病院じゅうで嫌われていたのです。


 そして空が夕闇に染まるころ、カラスはヨロヨロと飛びならが帰ってきました。



「どうだった?」

 はやく話を聞きたい鯉は、木の枝にとまったカラスに大きな声で聞きました。


「そうあせるな、いま話してやる。あの子がここに来なかったのは、あの子のお母さんが病気で遠くの病院にいるからだ」


「あの子のお母さんが?」

「ああ、眠ったままで起きない。かわいそうに、あの子はお母さんのそばで泣いていたぞ」

 鯉は悲しくなりました。


「どうする?やせて小さかった鯉のおまえが、この池の主になれたのも、あの子が毎日もってきてくれたおにぎりのおかげだぞ。それに、おまえ…、あの子が好きなんだろう?」


「ボクは…、ボクは人間じゃない」

「いくじなしめ!」とカラスは怒って怒鳴りました。




 それからなん日かして、夜空に白くてきれいなまんまるのお月さまがでました。


「お月さま。どうしたら、あの子のお母さんを助けてあげることができますか?」


 すると…

「お月さまに聞いたって教えてくれるか!」と寝ていたはずのカラスが怒鳴りました。



「だけど…、おまえが本気なら教えてやる」

「えっ、知ってのカラスさん?」


「ああ、おれはおまえよりは長く生きている。だから、おまえが知らないことも知っている。だがそれは…、おまえが鯉でなくなるということだぞ。それでもいいのか?」


「ボクが鯉でなくなる…。でもボクは、あの子のお母さんを助けたいんだ。ボクはあの子が大好きなんだ!」


「鯉としてあの子に会えなくなってもか?」

「うん、それであの子が笑えるなら…」


「そうか…」とカラスの声が小さく夜空にひびきます。



 あの子のお母さんを助けるために鯉がしたことを、あの子が知ることはない。

 それなのに、あの子が笑えるならと言う鯉の恋が羨ましいとカラスは思いました。


「これは、おれが祖母さんから聞いた話だ。誰でも自分の体の中に白い光の玉を持っている。鯉、おまえの持っているその白い光の玉を、あの子のお母さんはやれば助かる」


「白い光の玉…。でも、どうやって?」

 鯉は震えながらカラスに聞きました。


「今夜の月は白い満月だ。おれの祖母さんの話じゃ、白い満月に心からの願いをとなえれば、月はその願いを叶えてくれるという。おまえにその気はあるか?」


 それから少しのあいだ黙っていた鯉が、カラスに向かい静かにいいました。


「ねぇ、カラスさん。ボクがどんなに頑張っても、ボクは…、池の外に出ることができない鯉なんだ。あの子のお母さんのところに、たった一つのボクの光を持っていくことはできないんだ。だからボクのかわりに、あの子のお母さんに届けてくれないかい」


 カラスは、もうなにも言いませんでした。ただ、鯉をジッとみつめてから言いました。


「わかった。おれが代わりにとどけてやる」 

「ありがとうカラスさん。ボクは、きみと友だちになれてうれしかったよ」



 そういってから鯉は、水をパシャンとおおきくけって天高くとびあがりました。


 そして鯉は、白い光につつまれて、小さな光の玉になりました。


 カラスは、お月さまにむかい「カァー」と一声寂しそうに鳴きました。



 白い月明かりの中、年老いたカラスがヨタヨタと、くちばしに小さな光の玉をくわえて 一生懸命に飛んでいきます。


 そして、小さな〝白い光の玉〟になった鯉は、女の子のお母さんと共に生きていくのです。

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