第28話「隠密陰陽師」
「・・・こんなことは、認められない。」
「この件についての交渉は、先日終えたはずでは?」
彼とガラス板の机を挟んで相対する少女は、作り物のような苦笑いを浮かべながら、ソファーにもたれかかった。
明るい髪に
しかし、そんな小動物のように無害を思わせる身なりにもかかわらず、彼女は極めて威圧的な雰囲気を放っていた。
「
「推薦入学ですよ
「それはあなた方にとっての価値だ。教育者として、こんな不正を認めるわけには。」
「
「しかし、教育機関です。学問に
浅木が断固した声で少女の要求に応えると、やれやれ、といった風に首を振った。
そして彼女は、おもむろに鞄の中から二つの封筒を取り出すと、それらを机の上に置き、まず封筒の一つを浅木の方へと滑らせた。
「・・・・っ!!?」
封筒の中身を確認した浅木は、言葉を失った。
「娘さん。来月から中等部に進学なさるんですってね。おめでとうございます。きっと立派なお父上を誇りに思うことでしょう。」
彼女の笑みは、とても優しかった。
「・・・
「・・・・・・・・・・・」
浅木は何も答えられなかった。
続けて彼女は、もう一つの封筒を浅木の方へと滑らせた。
「
浅木の手は、何かを葛藤しているかのように、震えていた。
しかしその震える手は、次第に彼女の渡した封筒へと伸びていった。
彼女は浅木が封筒を受け取るのを確認すると
「浅木さん、あなたは何も気に病む必要はありません。テロとの戦いは、我が国の正義だけでなく、国際社会が掲げる正義なのです。あなたは正しいことをしているのですよ。」
「・・・・・せい、ぎ・・・・・」
浅木の顔は、救いを請うような表情であった。
「ええ、
彼女は立ち上がり、笑顔で浅木を見下ろしながら、一方的に話を切り上げて、応接室を後にした。
応接室を出た時、彼女の顔は
そんな彼女が陰陽学校の廊下を歩いていると、その背後に男が近づいていった。
その男は、これといって特徴のない、記憶に残らない顔をしていた。
「・・・車は・・・?」
少女は後ろの男へ振り返らず、呟いた。
「・・・こちらです。」
男は小さく彼女の問いかけに答えると、歩速を上げて彼女の前を歩き、彼女を黙って案内した。
男が案内した先には、白い車体のセダンが止まっていた。
男は後部ドアを開け、彼女は当然のように車内へ乗り込んだ。
「お疲れ様です
運転席の体格の良い中年の男が、車を発進させながら彼女に聞いた。
「順調よ。問題ないわ。」
「なぁ〜んか、チョーアッサリ堕ちちゃいましたねぇー☆」
主任と呼ばれた冷静な彼女の声に、それとは対照的な能天気な女の声が被さった。
主任が声の方へ振り向くと、いつの間にか、隣に座っていた無特徴な男はギャル風な女に変貌を遂げていた。
しかし主任は、その異常に驚く様子もなく、淡々と彼女に応える。
「材料が良かったからね。助かったわ
「・・・・はい、どうも。」
主任の
「ハハハ(^◇^)、でも
「それも娘の方もまんざらじゃないってのがね。良い
「そういうのないと壊れちゃうことありますものねぇ〜♪やっぱりみんな、善人でいたいし?」
「・・・っていうか山田。なんでアンタまた女装してんのよ。」
主任は、鞄から資料を取り出しながら彼に言った。
「女装じゃないですぅっ!変身ですぅ〜っ!」
山田はプリプリ怒った。
「どうでも良いけどウザいのよ、そのキャラ。」
「でもでも〜?「葉月」ちゃんの時の
「・・・そう、ならうまく演じられてたわけね。アホな
「あ?それって
山田はめげずに望月の資料を覗き込んだ。
そのページには「西宮ヒル」の写真が掲載されていた。
「ええ、どうやって
「まぁ珍しいタイプですもんねぇ〜。失うものがないクセにぃ、金で動きそうもないってカンジィ〜。・・・あっ!
「山田アンタそれセクハラだから。・・・まぁ私も
「うげっ!
「いや、いいわ。こんなのでもお客さんに関わってる作業だし、彼のこと
「さっすが主任っ♪頼もしいっ♪」
前部座席の二人の男たちは、それを黙って聞いていた。
「・・・・
助手席の日野は、
「うわッ!!なななんスか!?」
日野は驚いて後ろを振り返ると、山田が日野を指差してケタケタと笑っていた。
「日野ぉ」
後部座席に振り返った日野に、望月が資料を読みながら低い声で話しかけた。
「は、はいっ!」
日野は、先ほどの自分の想像をかき消すように、真面目な顔で望月に返事をした。
「
「はい。どうやら主任のいたワックの窓から「鬼の目」を発見して、それを追いかけていたようです。」
「ふぅ〜ん、それで接触を?」
「ええ、ただし
「狛って、あの埼玉の狛?」
「ええ、
「・・・そう、あの
「まさか。でも一発だけ顔に良いのを入れましたよ。左拳のカウンターを、主任の時に使ったのと同じ魔法を使って。」
「・・・
望月は呆れた風につぶやいた。
「・・・
望月は、どこへ向けるでもなく、ここにいない者の名を呼んだ。
すると、ダッシュボードに備え付けられていたカーナビの画面表示が切り替わり、ディスプレイには
「・・・ゴホッ、ゴホッ・・・何でしょう・・・?」
車内スピーカーからは、
「日野が話していた喧嘩の時の
「・・・ゴホッ・・・「データとか」というのは抽象的な概念だと思う・・・・・」
「あぁ〜、
「・・・了解・・・ゴホッ・・・修正値じゃないけど・・・・」
「どっひゃ〜、まるで
山田が驚嘆の声を上げる。
望月は眉をひそめながら、何かを考えていた。
「向坂、アンタさっき修正値がどうとか言ってたけど、それってこのデータが過大評価だってこと?過小評価だってこと?」
「・・・過小・・・ゴホッ・・・・スマホで衣服を挟んで霊力情報を受け取っているからその分・・・・ゴホッ・・・」
「まんま
望月はディスプレイを眺めながら、運転席の男に問いかけた。
「・・・
「ええ、評価の高い
「それが突如
「はははは、顔もかなり変えていて、魔法もほとんど使っていなかったらしいですからね。それに
「秘術ね・・・。出身が
「視野を広く取りすぎでは?主任。それはゼロの仕事でしょう。我々現場組には、情報の概観を知る術はない。」
「・・・ええ、そうね。・・・ありがとう向坂。それ閉じていいわ。」
望月は指示を出すと、ディスプレイはまたアニメキャラのアイコンへと切り替わった。
「けど仁科さん。
助手席の日野が、運転席の仁科に反論した。
しかし、日野の疑問に答えたのは、仁科ではなく、後部座席の望月だった。
「いや、彼の言ってることの方が正しいのよ日野。
「・・・・・」日野は望月の答弁に無言で了解した。
「物事はなるべく
「恐れ入ります。」
「あぁそうだわ
望月は思い出したように、ディスプレイに向けて問いかけた。
「・・・遠慮、します・・・・。僕と彼女以外の
スピーカーから流れる彼の声は穏やかではあったが、ディスプレイのアニメアイコンはプンスカ怒っているようだった。
「そっ。じゃあキャップには私から断っておくわね。」
望月はあっさりと部下の意志を尊重した。
「お嫁さんともども、これからもよろしくぅ〜っス!」山田はディスプレイに敬礼した。
ちょうどその時、望月のポケットから電子音が鳴り始めた。
「噂をすれば、ね・・・。」彼女は一言つぶやいてから、携帯の通話ボタンを押した。
「もしもし。お疲れさまです、キャップ。」
「・・・ご苦労だ望月くん。首尾はいかがかな?」
携帯から、低い男の声が響く。
「もちろん順調ですよ。おかげでご報告さしあげられることが少ないのが残念ですが。」
「それは良かった。・・・だが私の耳には、君について良からぬ噂も入ってきている。」
「まぁ、それは心外ですわ。」望月の悲しげな声でいった。
「・・・君は、ゼロに登録していない
「お言葉ですがキャップ。もう少し具体的に
「「
「前者についてははっきりとNo、後者についてもNo、解釈によってはYesでしょうか。」
「解釈によっては、とは?」
「西宮ヒルは未だ
「そんなことが許されると思っているのか?」
「許されるも何も、
「その倫理的に問題のある選択を君個人が実行しなければならない根拠を言いたまえ、望月くん。」
「西宮ヒルがテロリスト
「君にしては楽観的すぎる分析だ。もはやそれは君の希望と言って良いのではないかな?どうして一度君たちが逃した国際テロリストが、再びわざわざあえて、敵地の中の少年一人に接触するようなことに
「我々が不合理な生物であることに
「勘?勘だと?インテリジェンスに未開な文化を持ち込まないでくれ。」
「果たしてそうでしょうか?
「・・・・」
「出力に問題がないのであれば、よろしいのでは?」
「・・・君が私の部下でなければね。」
「もちろんキャップをご安心させる情報もございますわ。西宮ヒルが
「・・・君が「鬼の目の仕事人」を運営したという噂のあの夜か。」
「あの
彼女は自らの失敗を、淡々と話した。
「我々としては、彼女と敵対するよりも、お友達になりたいですわ。」
「国際テロリストとか?極めて挑発的な発言だな。」
「今もどうかはわかりませんよ。彼女が未だ
「そういう事実を示唆させる報告は私の元へ上がっていないが、それも現場の勘かな?それとも君の報告していない情報からの分析かな?」
「同じことでは?キャップはお忙しい方です。
「・・・・・・・・・・いや、いい・・・。君は優秀だ・・・信じよう・・・。」
「恐縮です。」
出浦は、大きなため息をついた後、続けた。
「・・・我々
「・・・どうせ君の
「まさか。考えすぎですわ。我々のボスは、
望月の声は、出浦を励ますような声だった。
「しかし
「・・・・」
「君はゼロの正体を知っているのではないか・・・?あるいは、ゼロとの直接的なパイプを––––––––」
「ナンセンスですわキャップ。私たち隠密にゴシップに返答する習慣はございませんし、ゼロの正体は何者も知らないし、知ろうとするべきではない。」
望月は出浦の質問を笑いながら遮った。
「・・・・ならば
「恐れる、ですか?」
「私の目には、君はゼロに刃向かっているように見える・・・。ゼロは隠密陰陽師に対して横断的な権力を持ち、隠密の獲得した
「まだ未遂でしょう?鬼の目の件については、疑いも晴れたはずですが?」
「我々の感覚でいえば、ゼロの特命の一部を外部に委託すること自体、狂気じみているんだよ。」
「彼女はアレでなかなか有能なのですがねぇ、内部の人材より。・・・まぁ良いでしょう。キャップの疑問に対する回答は難しくはない。我々はゼロを信頼しているのですよ。恐れるのではなく。」
「・・・信頼?」
出浦は、ではなおさら・・・、とでも言いたげな声だった。
「ええ、信頼です。出浦課長は
望月は思わせぶりな言い方をした。
「そしてゼロというのはむしろ、
望月が曖昧な説明を終えると、出浦は一つため息をついた。彼は、彼女の説明を理解したようだった。
「・・・・やはり君は・・・・・。なるほど・・・私は
彼女は、
「出浦さん。私がなぜ、西宮ヒルの非登録での運営を
「・・・・・・」
「
「・・・事務次官・・・・」事務次官は、魔法庁官僚の最高ポストである。
「そのためには、貴方は潔白でいなければなりません。部下の功績は栄転に役立てつつも、部下の失敗・不祥事には関せずにいる必要がある。・・・・非登録運営は、私個人の
「・・・・・」
「貴方は正義感のある、とても善良な陰陽師です。だからこそ、あまり
彼女は強く念を押すように、出浦に言った。
「我々がまたそうであるように、
出浦は黙ったままだ。
「・・・何卒ご了承いただき、本工作の現場については我々に一任していただきたいですわ。」
「・・・非登録ということは、彼の運営資金は望月君個人の持ち出しかな?」出浦が口を開く。
「もちろん。工作費とは別に用意しておりますわ。」
「足りるのか?」
「人の不合理のおかげで。人が皆
「ははは、その通りだな。」
出浦は彼女との通話で初めて笑った。
「・・・わかった。望月くん、私も、君を信頼しよう・・・。」
「恐れ入ります。必ず良い結果をご報告に入れますよ。」
「頼もしいな。・・・それでは」
「あっ、そうですキャップ、先日ご提案頂いた
「あぁ、あの件か」
「大変ありがたいのですが、今回はご遠慮させていただきます。我々の
「・・・そうか。了解した。」
出浦は通話を切り、望月は携帯をポケットにしまった。
「もうすぐ着きますよ。」
運転席の仁科が望月に知らせた。
「そう。・・・山田。」
「あいあ〜いっ!」
望月の呼びかけに不真面目な返事をした山田は、不真面目でないメイクセットをどこからともなく取り出し、あっという間に望月の崩れかけたメイクを直した。
予告なく車が止まる。
望月は荷物を持ち、ドアに手をかけた。
「それじゃあ・・・・・行ってきまぁ〜っスっ♪」
ドアを開けた瞬間から、「
「行ってらっぴ〜☆」
葉月は、山田の
それは
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