第24話「狛光成」

 

 魔法使いの世界では、男も女も関係ねぇ。


 西宮ヒルは、走りながらそう考えていた。


彼は、「鬼の面」と「葉月はづき」と「如月きさらぎ」という三つの女性の魔術的な暴力によって、身をもってそれを学習していた。

彼の正義は今、変貌を遂げようとしていた。

いや、そもそも強者おとこならという発想自体に屈折があったのだから、その屈折度が増したと表現した方が良かったかもしれない。

いやしかし、そもそもその「正義」という表現に、屈折する前の「イデア」があったのかどうか、疑問符をつける立場もある。

プラトンはそれが存在することを堅く信じていたが、ブッダはそれを「空」と呼んだ。

あるいは彼らは、同じことを言っていたのだろうか。


 話を戻そう。

西宮ヒルは、「鬼の面」を追って夜の街を疾走していた。

そして彼の努力は今、報われようとしていた。


「おいッ!テメェコラッ!!あん時はよくも––––––」

ヒルは「鬼の面」とおぼしき少女の後頭部を平手で引っ叩き、振り向いた彼女の胸ぐらに掴みかかった。

そして彼は、フリーズした。


「・・・すわっ・・・?」

驚きの悲鳴をあげて振り向いた彼女は、小動物のようなか弱さで怯え、ベソをかいていた。

文脈を無視すれば、当然である。

強面の不良ヤンキーに突然後ろから攻撃され、胸ぐらをつかまれた少女としては、その反応は至極まっとうである。

そして西宮ヒルも、そんな少女の心境を少しは理解できるほどには、共感性を持っていた。

彼の脳内では、怒りと屈辱と、ほんの少しの思いやりが競合デッドロックし、結果彼の身体はフリーズした。

(・・・特徴は・・・ある・・・・・・・・けど・・・コイツは、あまりにもがねぇ・・・・どういうことだ・・・?けど、如月みてぇなこともあるし・・・・クソッ・・・・っ!)

彼が外見から見て取れる「目の前の少女」が「鬼の面」の相違点は、着ている服と、今日は髪型がサイドテールになっていることくらいだった。


「・・・・・・・」

「・・・・ごめんなさい・・・?」

フリーズするヒルを前に、少女は疑問符のついた謝罪を述べた。

だが、周囲の感想としては、悪いのはヒルだった。

そして彼自身としても、それはわかっていた。


「・・・あ・・・いや悪い・・・・人違い・・・・」

彼はきまりの悪い控えめな謝罪を述べると、一刻も早くその場から立ち去ろうとした。


 しかしその試みは、彼の袖を掴む少女によって妨害された。

マズい!面倒なことになる!とヒルは何かを直感した。

しかし彼の直感は、意外にも当たらずも遠からずであった。


「あなたは何か困っていますねっ!とても不幸そうな顔をしていますっ!」

少女は先ほどの怯えは何処へやら、元気いっぱいにヒルに話しかけた。

(余計なお世話だ。)ヒルは脊髄反射的に思った。

だが、頭をひっぱたいた負い目からか、彼は反射を口には漏らさず、黙っていた。

実際、振り返ってみると彼は自分が不幸にも思えてきた。

現状主な不幸の原因は、(あの公安のクソったれアマのおかげなんだがな)。


「なんでも相談してくださいっ!わたし、きっとあなたのお力になれると思いますっ!」

冗談だろ、ヒルは口元に苦笑が漏れた。

少女こいつ公安アイツをどうにか出来るわけがねぇ)

彼自身悔しいことではあったが、「如月」の暴力は圧倒的であった。

いくらか修羅場をくぐったことのあるヒルにとって、銃口を向けられることは珍しいことではなかったが、のは初めての経験だった。

彼女が持つ「魔法」とか呼ぶ力は、反攻の余地のない、そういう類いの代物だった。


「・・・あぁ〜間に合ってるから・・・それよりも頭、悪かったな、ホント・・・じゃ・・・」

 

 ヒルは彼女の手を振りほどき、半ば逃げるようにしてその場から離れていった。

彼はその時、「人間界リアル」も「魔法界ファンタジー」もそう変わらないのだと気が付いた。

(できもしねぇテメェ勝手な救いを並べ立てて優しさを押し売る、宗教の訪問販売員みたいなやから何処どこにでもいる。)

無意識に浮かぶその冷笑を、彼にとっての福音と受け取って良いかどうかは、彼自身分からなかった。


 


 ヒルは、逃げるようにその場から離れていったせいで、ある問題にたどり着いた。

いや、そもそもその問題は、彼が「鬼の面」を追いかけ始めた瞬間から発生していたものだ。つまり––––––––


「・・・そういやどこだここ?」

彼はファンタジックな夜景を呆然と眺めながら、つぶやいた。


(まぁいいか。あの女に連れてこられてここにいるんだし、ヤツがそのうち見つけに来るだろ。お得意の魔法だかを使って。)

ヒルは環境に適応し、すでに魔法という超能力に信頼を置いていた。


妙に楽観した彼は、一息つこうと手近に座れる場所を見つけると、懐から紙巻きタバコシガレットを取り出して口に咥え、ライターで火をつけようとした。


 「ッ!!?ウォアッチィッッ!!」

彼のライターが吹いたのは「」ではなく、「火炎かえん」であった。

その火力は、使い捨てライターのではなかった。

ヒルは突然の爆発と高熱に驚き、ライターと口に咥えていたタバコを地面に落とした。


 いや、実際には地面にのはライターだけだった。

タバコの方は、地面に接地する直前で空中にとどまった後、再び浮上してヒルの目の前まで近づいた。

しかし、ヒルが浮かんだタバコを掴もうとすると、タバコは彼の行動をあざ笑うかのように、するりとその手をすり抜けた。

小癪こしゃく紙巻きタバコシガレットにヒルがフラストレーションをためていると、そのうちそれはヒルから離れて、遠くの方へと飛んで行った。

 その目標は、喫煙所の吸殻入れゴミ箱であった。


 ヒルが唖然としていると、彼の近くで「コツコツ」と何かをノックしている音がした。


 ヒルが音の方へ振りむくと、そこにはベンチに腰掛け、「十手」と呼ばれる鉄製の杖の先で「路上喫煙禁止の看板」をノックしている少年がいた。

そのメガネをかけた神経質そうな少年の視線は、手元の分厚い本のページに向けられており、ヒルの方へは向いていなかったが、彼の「無言のメッセージ」の方は、あからさまに条例違反者であるヒルに向けられていた。


「普通に言えや。わざわざ喧嘩売りコナかけやがってよォ。」

ヒルは足元のライターを拾い上げながら、ドスをきかせた声で、言った。


「・・・普通に注意をして、聞くようなナリには見えなかったが?」

メガネをかけた少年は動じず、ページをめくりながら、ヒルに応えた。


「・・・あァ・・・?」

ヒルは静かな激昂に任せて、手に持ったライターを力のかぎり少年へと投げつけた。


しかしライターは、少年に直撃することはなかった。

少年が十手を飛んでくるライターの方へ向けると、ライターは見えない壁に弾かれたかのように、軌道を変えたのだ。

そして軌道を変えたライターは、少年が十手を軽く振ると、空中で一度ピタリと止まり、今度はヒルの顔面を目がけて高速で飛んできた。

ヒルは左手でブロックし、かろうじてライターの顔面への直撃を防ぐことができたが、ライターを弾いた左手は、衝撃と怒りでジンジンと痺れていた。


「・・・どうやら間違っていなかったようだな。きちんと受けとれよ。せっかくアンタが投げたのと同じ速度で返してやったんだ。」

メガネの少年は、本を閉じて、ベンチから立ち上がった。

背丈としては165センチほどだろうか、175センチのヒルと比べると、少年の体格は一回りほど小柄である。


「あんた、未成年だろ?・・・言ってわかるなら、お前らは生まれない。」

少年の表情は、あからさまにヒルを軽蔑しているようだった。


 相対するヒルに、言葉はなかった。

ただ少年の言葉が、開戦の狼煙のろしであった。


 ヒルは怒りに任せて少年との距離を詰め、力の限り拳を振るった。

それは幻想的ファンタジックな魔法ではなく、彼にとってひどく日常的リアルな暴力であった。



 しかし次の瞬間、ヒルの身体から急に重力が消えた。


 魔法か。いやこれは––––––––


 次の瞬間、ヒルは背中に強烈な衝撃を喰らった。

肺の中の空気が、全て吐き出される。


 少年が使ったのは、相手の勢いを利用した綺麗な一本背負いであった。


「・・・あの距離なら魔法を使ってくると思ったが、わざわざ近づいてくるとはな。」

少年は呆れた風に言った。

「・・・悪く思うなよ。急なものだから手加減はできなかったんだ。」

彼はヒルへ背を向けてから、吐き捨てるように言うと、その場から立ち去ろうとした。



「・・・待てやコラ。」

意外な呼び止めに、少年は振り返った。

そこには、彼が不良クズと呼んだ少年が立っていた。

タフだな・・・。と彼は思った。

彼の技は綺麗にヒルに決まった上、投げた先は、衝撃を緩和してくれるマットでも畳でもなく、硬いコンクリートの上だった。

ヒルがすぐに立ち上がって虚勢を張ったことは、少年にとってだった。

(いくらバカでも、実力の差ならわかっただろうに・・・)


「まだ立てるのか。良かったな。」

彼はベンチに置いていた本を鞄にしまいながら言った。

「逃げんのか?続きだオラ」

「続き?そもそも何か始まっていたのか?」少年は苦笑いを浮かべた。

「あァ?ケンカだろうが」

「僕をアンタと同じ野蛮人やばんじんにするなよ。僕は喧嘩なんて低俗なことはしない。突然殴りかかられたら、正当防衛の範囲内で抵抗はするけどね。」

「・・・抵抗だぁ・・・?」

「投げた後に追撃だってできただろう?察してくれよ。」


少年は嘲るような含み笑いを浮かべていた。

ヒルは少年の表情を潰すために、無言で彼の頭部へと回し蹴りハイキックを放った。

しかし、少年はそれすらも綺麗にさばいて見せた。その動きは、彼が柔道だけでなく、打撃系にも慣れているように思わせた。

少年は、ヒルと少し距離をとりながら、言った。


「・・・だが、不良クズを相手に僕が「逃げた」と思われるのは面白くない。・・・好きなだけ暴れてみろ。全てスポーツとして処理してやる。」


ヒルは、激昂するでもなく、野蛮な微笑で少年の言葉に応えた。


 これが「西宮ヒル」と「こま光成みつなり」との出会いであった。








 



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