第20話「儀式言語 / トレードオフ」

「た、大変ありがたいんですけど、本当に良いのですか?時間外に四丁目に入っても・・・」

結城の後ろについて歩きながら、ミナはおずおずと彼に問うた。

「もちろん。わぁが許せば。・・・というのは半分冗談で、実はこの時期は、あらかじめ一般魔法使いユーザーの入退制限を緩めておるんだ。ミナちゃんみたいなのは、案外毎年多くてな。お上の許可ももらっておるから、心配せんでもええ。」

結城の返答を聞いて、ミナはホッとしたようだった。

「それにその荷物だと、ミナちゃんは寮生だろう?今日中に寮につかないと今夜が心配なんじゃないかと思ってね。」

嬉しい図星をつかれたミナは、結城に深々とお礼を言った。


 駅員室の奥の扉から続く少し長い廊下を進むと、ミナたちの眼の前に、生体認証せいたいにんしょうとパスコード入力装置のついたいかめしい扉が現れた。

「ミナちゃんは運がいいかもしれんぞ。普通この通路は駅員以外は通ることはできないから。」

「い、いいんですか・・・そんなところを私が通っても・・・。」

「今日はね。さっき部下に重要な部分は隠してもらったから、セキュリティー上は問題ない。」

お手数をおかけしてしまった・・・。ミナは少し罪悪感を覚えた。

「もっとも」結城が続ける。

「ミナちゃんが土蜘蛛つちぐもの凄腕スパイとかだったら、お手上げかもしれんがね。」

結城は急に真剣な顔になってミナを見つめた。

「そそそっ!そんなこと!わわ私は!!」

「ガッハッハッハ!冗談だよ冗談!!これでも私は魔法使いユーザーを見る目があるんだ。さっき少し話をしたからわかるよ。君は誠実な、良い魔法使いだ。」

「え、駅長さんは、い、意地悪ですっ!」

「ハハハハ」

ミナをからかう結城の声は、さっきまでの調子と変わらないように思えたが、ミナはこの扉の前に来てから結城の訛りが消えていることに気がついた。

この人も、少し緊張しているのだろうか・・・。ミナは思った。


 結城のからかいによってミナの視線が奪われている間に、甲高い機械音と、解錠音が、薄暗い通路の壁に反響した。

「さぁ、秘密の部屋に出発だ。念のため周りのモノには触らないように。」

「はい。わかりました。」

ミナは生唾を飲み込んだ。



 部屋に入ると、ミナを突然の冷気が襲った。

彼女はびっくりして目をつむったが、次第に目を開けると、その眼前に広がったのは、「霧の世界」であった。


「・・・・胡沙こさだ・・・。」ミナは呟いた。

「おぉ!わかるか!!ミナちゃん!」

結城は嬉しそうな顔でミナの呟きに答えた。

「ええ!でもこれって蝦夷流陰陽道トゥスですよね!?わたし、てっきり中央の関所魔法は御家流おいえりゅう(陰陽道)で組まれているものとばかり・・・」

「ハハハハ!そうはいかんさ!この分野は何百年も前からトゥスの専売特許なんだ。」

ミナは結城の言葉を聞いて、何か胸にこみ上げてくるものを感じた。

 胡沙は・・・。彼女は思った。

胡沙は、蝦夷流陰陽道わたしたちが使う「霧の魔法」だ。

この魔法の歴史は古く、平安時代末期の高名な歌人「西行」が読んだ歌にこんなものがある。

「こさ吹かば くもりもぞする みちのくの 蝦夷には見せじ 秋の夜の月」

蝦夷流陰陽師トゥスクルが息を吹くと、たちまち空が曇るのだという。

この視界を遮る息が、胡沙の始まりだ。

私たちのご先祖様は、これを使って姿を隠したり、敵の目を眩ませたりしていた。

当時大和やまとと呼ばれ、まだ敵対していた頃の南部の魔法使いたちは、この胡沙を恐れて私たちを「霧隠きりがくれ」と呼んでいたという。

この胡沙は、時代が下るにつれ、他分野の魔術の影響を受けたりして多様に発展してきた。

姿を隠すだけではなく、霧を使って幻影を映し出したり、自分の身体を霧に変えて移動できるようにしたり、温度を下げて霜のように扱ったり。

だけど、こんな大規模な空間制御魔法ができるくらいまで胡沙が進化しているなんて、私は今まで全く聞いたことがなかった。

だから私は、霞ヶ関にかかっている魔法は、「御家流おいえりゅう」、つまり中央政府が標準化した陰陽道である「土御門つちみかど流の陰陽道」だと思っていたのだ。


「まぁ御家流と思うのも無理はあるまい。この胡沙の原始式ソースコードは門外不出の完全秘密ブラックボックスだからね。特許も出願しておらん。特許を出願するには、他の魔術師が実行可能なレベルまで情報を公開せねばならないからな。セキュリティー魔法としては、それはリスクなんだ。おかげで私らの功績も有名ではないが。」

ははは、と、結城は苦笑いを付け足した。

「で、でもすごいんですね。国家の要と言ってもいいほどのシステムなのに、法師陰陽師ほうしおんみょうじに委託しちゃうんだ・・・」

法師陰陽師ほうしおんみょうじ(略称「ホウシ」)とは、民間の陰陽師の呼び名である。

ちなみに、魔法庁という行政機関に雇われている国家陰陽師は、烏帽子陰陽師えぼしおんみょうじ(略称「エボシ」)と呼ばれ、法師陰陽師の対義語に当たる。

「まぁ、地下鉄が民営化されたのはつい最近だし、それまでは私も御家流ではないが国家陰陽師エボシと呼ばれていたからねぇ。・・・けど、土御門(御家流)との確執なら色々あったぞ?」

結城はニヤリと、またイタズラな笑みを浮かべた。

「あれはまだ魔法庁が陰陽寮おんみょうりょうと呼ばれてた時代だったか。やれ文字のない儀式言語は低俗だ、詠唱インタープリタ型は脆弱ぜいじゃくだと土御門の連中が難癖つけてくるもんだからさ。「ならおらがやってみぃ!!」っつって辞表叩きつけて出て行ったことがあるんだがね。ハァものの半年よ。悠々自適なバカンス中に架電が飛んできて、「頼むから戻ってきてくれ」と。「落ちるわ止まるわバグがひどくて使い物にならん。そのくせ金だけは喰らいやがる。」と泣き言が入ってきたのは。」

「あははは・・・」

「ミナちゃん復習だ。この世で最も優れた儀式言語ぎしきげんごは?」

意地悪な笑みのまま、結城がミナに聞いた。

「ありません。全ての言語にはそれぞれ長所と短所があり、それらは陰陽トレードオフの関係にあります。」

「その通り。魔法学校入学前の女の子にもわかることが、奴らにはわからなかったと言うことだ。傲慢とは恐ろしいものよ。」

ふふふ、と結城は思い出し笑いを付け足した。


 一方ミナは、突然の結城の質問をきっかけに、魔法についての頭の知識を整理し始めていた。 

  

 儀式言語ぎしきげんご。それは世界に命令することのできる言語だ。

私たち魔法使いは、この言語を使って世界に命令し、世界はその命令に従い、「魔法」という現象を発動させる。

 この儀式言語には、呪文のような言葉だけではなく、記号も含まれる。

例えば、文字や魔法陣、舞踊ぶよう印契いんけいなども、儀式言語だ。

 儀式言語は、文化によって多様に存在する。

例えば、魔法庁の人が利用する御家流陰陽道や、私たち蝦夷えぞの魔法使いが使う蝦夷流陰陽道トゥスクル、呪禁師と呼ばれる魔法のお医者さんが使う呪禁道じゅごんどうや、西洋のルーノカールと呼ばれる魔術師さんが使うガンドゥル。

でも、それらの儀式言語のうち、全体的にどの言語が一番優れていて、劣っているかとか、そういう判断はつけられないという。(私もそう思う。)

実際、儀式言語には、その文化が何を重視しているかという思想が根底にあり、それによって「得意なこと(強み)」と「不得意(欠点)」なことが必ず存在するようになっているのだ。

例えば、陰陽道と呪禁道という二つの儀式言語を比べてみる。

陰陽道は、悪い魔法使いをやっつけたり、外傷性の魔法から身を守ることを目指している。

一方で、呪禁道という儀式言語は、傷を治したり、人にかかった呪いを解くことを目指している。

この時、陰陽道は巨石を浮かすことができる一方で、呪禁道がお箸一本浮かすことができないとしても、この二つの言語を漠然と優劣で判断することはできないはずだ。

物理的に巨石を浮かす巨視的マクロな能力は、生理機能を促進させたり体内の呪いを中和する微視的ミクロな効果を期待する呪禁道には必要のない機能であるし、またその逆も然りだ。

あえて優劣をつけるとすれば、マクロな機能において陰陽道が優れている一方で、呪禁道は劣っているとも言えるが、それはそのまま、ミクロな観点から言えば、その優劣関係はそのまま逆転する。

 そしては、このマクロな機能とミクロな機能の両方において、最も優れていると言える儀式言語は存在しない。

一応マクロな機能とミクロな機能をカバーする儀式言語も存在はするが、それも多機能であるという代償に、広く浅い、悪く言えば中途半端であるという欠点を持っている。

こうした儀式言語における、複数の条件や物事が同時に成立しえない性質、つまり「」といった性質は、儀式言語の陰陽法則トレードオフと呼ばれている。

 私は個人的には、このトレードオフは、浮き世(俗世)の万物に適用できる法則ではないかと思っている。

なぜなら先ほど除いた、神様の言語とされる「世界樹語せかいじゅご」という儀式言語でさえ、「使」という欠点を持っているのだから・・・。


「・・・・ほげ・・・」

ミナは、隣の霧の中から漏れるような小さな声がするのを聞いた。

目を凝らして見てみると、何か小さな影がかすかに揺れている。

(・・・なんだろう?)

ミナは、顔を霧に近づけて、小さな影を追ってみた。

すると少しの間をおいて、霧の中からおずおずと小さい女の子が姿を現し、ミナの顔を覗き返してきた。

その小人は、両手に独特な入れ墨をしており、首からはクルミの樹皮を巻いた「コサ笛ネシコニカレフ」と呼ばれる縦笛をぶら下げていた。

「こ、コロポックル!!」

「ほ、ほげぇ〜!!」

ミナが驚きの声を上げると、小人もまた驚きの声をあげて霧の中に隠れてしまった。

「あっ!ごめんなさい・・・・」

「あっはっはっは!だから出てくるなというておったのに!久しぶりのトゥスクルのお客さんだから好奇心が抑えられなかったが!」

「あの、本当にごめんなさい。私、驚かせるつもりは・・・」

ミナは霧に向かって頭を下げて謝った。彼女は心から申し訳なく思っていた。

(コロポックルは、トゥスを使う小人の魔法使いだ。

恥ずかしがりやで、いつも人目に隠れて生きているのだけど、私たちのコタン度々たびたび恵みをもたらしてくれる、そんなありがたい存在だ。

東京にもいるなんて知らなかったから、驚いてつい大声をあげてしまったけれど、とても悪いことをしてしまった・・・。彼らはシャイなんだ・・・。)

ミナは付け足した。

(・・・私と同じように・・・・)


「はっはっはっは、うちのコロポックルエンジニアはそんな度量の狭い奴らじゃないさ。さぁほらっ!出てきて仲直りしようじゃないか!」

結城が霧に声をかけると、奥の方からゾロゾロとたくさんのコロポックルが姿を現してきた。

(わぁ!こんなにたくさんのコロポックル、初めて見た!)

彼女は感動を声に出すのを我慢して、唾を飲み込んだ。

「み、みなさんこんにちはイランカラプテ。今年から四丁目の魔法学校に入学させていただく豊間根ミナです・・・さ、さっきは大声を出してしまってごめんなさい・・・」

ミナはどもりながら、深々と頭を下げた。


「・・・ほげほげ・・・ほげほげ・・・」

それを見たコロポックルたちは、お互いに顔を見合わせて何かを話し合った。

そしてお互いにうなづき合うと、先ほどミナが驚かせしまったコロポックルの女の子がミナの前に出てきて、手に持っている蝦夷エゾブキ(フキ)を彼女に差し出した。


「はっはっはっは!よかったなミナちゃん!どうやらポックルたちに気に入られたようだぞ。」結城が愉快に笑う。

「きょ、恐縮です・・・っ!」

ミナはエゾブキを受け取り、深くコロポックルたちに頭を下げた。

「ポックルのフキ傘は、雨露のごとき不幸から身を守ってくれると言われている。だが、それを彼らからじかに貰えるなんてそうそうないことだぞ。きっとミナちゃん、ポックルと性格が似ているから気に入られたんだろう。」

「わ、私もそう思います・・・。」

ミナは、はにかみながらエゾフキを大事にカバンにしまった。

「そういえば駅長さん、さっき彼らを技術者エンジニアと呼んでいましたけど・・・」

結城ゆうきでいいよ、と笑いながら、彼はミナの質問に答えた。

「うん、そうさ。彼らがこの霞ヶ関の守護者というわけだ。」

「す、すごいです・・・あんなに小さいのに・・・」

「小さいからだよ。もっと言えば、小さくて、シャイで、なおかつ誠実だからだ。」

「?」ミナは小首を傾げた。

適材適所てきざいてきしょだよ。儀式言語と同じ、すべてはトレードオフなんだ。小さくてシャイなことは一見短所に見えるが、彼らはそれによって人目から隠れるノウハウを築き上げていて、さらに高い機動性を誇っている。悪いやつらがいかにも悪そうにしてくれれば、世の中平和なんだが、実際はそうではないからな。監視という役割において、これほど適った人材はいないよ。そして彼らはシャイで、仲良くなるまではとても大変だが、一度信頼を築きあげられると、とことんその人に対して義理堅く、誠実だ。小さいバグでもすぐに見つけて潰してくれるし、失敗や不手際を隠そうとしたりもしない。脆弱性も外部よりも早く報告してくれる。とても助かっているよ。」

なるほどと、ミナは頷いた。

「そして一方私らのようなデカブツは、この体の大きさで視野を広くとってポックルたちをマネジメントしたり、頭のお堅い上層部に議論をふっかけたりなだめすかしたりしながら、今期の予算を引っ張ってくるというわけさ。」

「あはははは」

ミナは楽しげに笑いながら、気に入られるのに大変なコロポックルをあれほどの数まとめ上げられるのは、結城さんのこういう人好きする性格のおかげなんだろうな、と思った。


「なぁミナちゃん。多様性というのはどうして大事なんだと思う?」

結城はミナ聞いた。

「えっと、倫理的な理由でしょうか。」

「それもある。とても教育的な理由だ。」

結城はうなづいた。

「だが功利的な理由もあるぞ。一つにはさっき言っただ。この社会を運営するには多様な役割が必要で、それらの役割たちはそれぞれに「必要な能力」や「好ましい性質」を求める。私とポックルで言えば、私は交渉力や政治的折衝能力とか、マネジメント能力、イノベーティブな発想力が求められるかもしれんが、ポックルはそれよりも集中力や注意力、コーディング能力など確固たる技術力の方が求められるだろう。またポックルの中にもさらに多様な役割が振られているから、それら一つ一つにも多種多様な能力が求められる。彼らも決して画一的であってはならない。多様性のない画一的な人材で構成された組織は脆いんだ。どんなに素晴らしい発想力があっても、それを形にする能力がなければ、無意味ゴミだ。そして往々にしてその二つの能力はトレードオフの関係にあったりする。革新イノベーションは物事を連続量的アナログに見る頭の使い方をすることが多いが、実現の方は物事を離散的デジタルに分ける作業だったりするからね。これを一人でやろうとすると、頭の切り替えがうまくいかなくて、神経細胞がうまく発火してくれないことがある。けど、多様性のある組織なら、この頭の使い方をハードウェアで分けてしまうこともできる。そしてアナログとデジタルが融合した時に、とんでもない化学反応が起きるんだよ。」

結城は楽しそうに話した。

「それと、多様性を尊重することには、もう一つ功利的な理由がある。それはねミナちゃん。結局誰にも「何が正しいか」「何が優れているか」がわからないからなんだよ。」

「そうなんですか?」

「もちろんだとも。きちんと問題文と正解を用意して点数をつけなくてはならない学校の先生は、ミナちゃんたちにそんな風に教えるわけにはいかないがね。さながら、教育という目的設定における限界といったところかな。」

結城は少しだけ笑った。

「儀式言語と同じさ。全てはトレードオフなんだ。ある目的と条件において「優れている」と思われる性質も、目的や条件が異なればその優越性がそのまま足を引っ張る場合がある。そして浮き世においては、目的も条件も時代や環境によって多様で移ろいでいくものだから、昨日の善なる目的が、今日の悪なる目的だということは、多分にある。そんな不確実な世界では、誰も正解を用意できないし、優劣の判断もつけられないんだ。優生学が弱いのはこの不確実性においてだ。何が「優」で何が「劣」であるかを人が勝手に決めて、優を最大化したところで、この不確実で無常な世の中では、その優等性がそのまま劣等性に堕ちることがある。むしろなまじっか特定の優だけが最大化されているからこそ、それだけ弱点の方、劣も目立つし大きくなる。」

ミナは、陰陽道と呪禁道の違いを思い浮かべていた。

「多様性の尊重、というのは、そんな不確実な世界における「リスクヘッジ」なんだよ。」

「リスクヘッジ?」

「そう。ここでいうリスクというのは「不確実性」という意味で、ヘッジというのは「押さえ」とか「保険」というような意味だ。リスクヘッジとはいわば、「不確実性に対する保険」という意味だな。ほら、生命保険なんてそうだろう?今は元気でも、次の瞬間には死ぬかもしれないという不確実性に彼らは賭けているんだ。」

ミナは少しゾクッとした。私たちはいつか死ぬけれど、それが今日ではないという理由はない。

「リスクヘッジの目的は、投資に対して損失をなるべく減らすことにあるけれど、これは社会にも適用できるだろう。優生学ギャンブルに手を突っ込んで、破産の危険にさらされるよりも、不確実性リスクとうまく付き合って持続可能な投資で堅実にやっていった方がいい。そう考えるなら、多様性の尊重リスクヘッジは大事だ、ということになる。劣への憐れみなんかでは全くなくてね。」

「塞翁が馬という言葉もあるが、おおよそ歴史を眺めていて、人の未来への予測が当たった試しはないよ。歴史から学ぶとしたら、多様性の尊重は全く功利的だ。」

「・・・もっとも、性急に大きなリターンを求めるような輩にとっては、私のような穏健派は「間違い」ということになるんだろうが・・・。これもまた「誰も正しさがわからない」という証明かな・・・。」

結城は少し寂しげに笑った。

「まぁまとめると、多様性を尊重することは、倫理的な観点からのみ主張される綺麗事ではないということだね。

「適材適所」でも「リスクヘッジ」でも、多様性を尊重しながら、その多様性が有機的に協力しあえるようにすれば、大きな効果が得られる。多様性の尊重とは、とても功利的な行為なんだよ。まったく、憐れみなんかではなくてね。」

「・・・協力しあうことが大切なんですね。」

「そう。それが案外大変なんだ。組織の中に多様性を尊重しない人がいると、それが難しくなるから。多様性と連携能力は必ずしもトレードオフではないと信じているよ。人間の体はうまくやっているじゃないか。まぁ、たまにガン細胞みたいな独善的な多様性も生まれるけど。」

「ははは・・・ガン細胞って増え続けるんですよね・・・周りの細胞を壊しながら・・・」

「善意かわからんが、あまり頭は良くないと思うな。宿主を殺せば、結局は自分も死ぬ。」

結城は何かに吐きつけるように言った。

 

「・・・う〜ん、でも、「正解がない」っていうのは、寂しいな・・・数学みたいに決まった答えがあればいいのに・・・・」

「あっはっはっは!ミナちゃんは理系だもんなぁ〜!大丈夫、手続きとしての正解はあるよ。ただ正解が正しいという保証がないだけで。」

「どういうことですか?」

「じゃあちょっとしたゲームをしてみよう。」

そう言って結城は、財布から500円玉を出して、ミナの目の前に差し出した。

「ミナちゃんは今からこれを取ってくるんだ。成功したら、プレゼント。」

そう言って結城は、横の霧に向かって500円玉を振りかぶって投げた。

続けざまに結城はミナに言う。

「ただし、ミナちゃんがそこから動いていいのは、三歩までだ。できるかな?」

「え〜?魔法は使ってもいいんですよね?」ミナは自信のある表情だ。

「もちろん。歩数だけきちんと守れば、何してもいいよ。」

それを聞いてミナは自信満々という感じで、その場にしゃがみ込み、左手の指輪に向かって何事かを唱え始めた。


「・・・実行カムイヌエ・・・」


ミナが指輪に唱え終わると、彼女の左手は、突如コロポックルが両手にしていた入れ墨と同じ模様の燐光をまとい始めた。

そしてミナがその光の入れ墨をまとった左手を前にかざすと、彼女の周りから淡い紫色の気体が発生し、気体は500円玉のある霧の方向へと向かっていった。


 先ほどのミナの儀式言語についての説明には、少しだけ語弊があった。

儀式言語は、確かに世界に命令することのできる言語であるが、世界に命令することのできる言葉は、儀式言語のうち「世界樹語」である。

しかしミナの言う通り、世界樹語には「使」という特徴がある。

 それではどのようにして魔法使いたちは、世界に命令して「魔法」を発動させるのであろうか?

それは、他の儀式言語を世界樹語に「翻訳」することによって、魔法を発動させるのである。

この儀式言語を世界樹語に翻訳する魔法のことを、「儀式処理魔法ぎしきプロセッサ」と呼ぶ。

儀式プロセッサはそのほとんどが、翻訳する儀式言語と関わりの深い道具である「霊器タリスマン」と呼ばれるハードウェアに依存して、実装されている。

 この場合では、ミナの指輪が「蝦夷流陰陽道トゥス儀式処理魔法ぎしきプロセッサ」にあたる。


 彼女は今、「呪文」と「入れ墨」という儀式言語トゥスを、彼女の指輪タリスマンにかかっている儀式処理魔法ぎしきプロセッサを利用することで、世界樹語へと翻訳し、世界へ命令し、「霧の魔法」を発動させたのだ。


 しかし、彼女の霧は、コインが隠れた霧の壁にぶつかった途端動きが鈍り、霧散してしまった。

そしてミナの指輪がビープ音を発するとともに、彼女の左腕の光の入れ墨は、エラーメッセージへと変化した。

「あ、あれっ?あれ?・・・魔法が終了落ちちゃった・・・・。」

それを見た結城が愉快そうに笑う。

「はっはっは!我が社のコサは、外部からの許可されていない魔法の侵入を防ぐのだ!」

「えぇ〜・・・そんなぁ〜・・・・」

「どうした?降参か?」

「・・・・」ミナは答える代わりにしょんぼりうつむいた。

「・・・では正解だ。」

そう言って結城は、一歩だけ大股に霧の方へと足を運ぶと、そこからかがんで上半身だけ霧の壁の中へと入った。

そしてすぐに霧の中から体を戻すと、ミナの方へとイタズラな笑みを浮かべながら向き直った。

その手には500円玉が光っていた。

「えっ!?」

「騙されたな?振りかぶって投げたからコインも遠く飛んで行ったと思ったんだろう?」

「だ、だってコインが落ちる音なんて私・・・あっ、もしかして」

「思い出したかな。コロポックルがコサ笛ネシコニカレフを使って発生させた霧には遮音性があるのだ。今もこちら側からは聞こえないだろう?ポックルたちの笛の音は。」

「うそぉ・・・だって結城さんが呼びかけた時には応えてくれたからてっきり・・・・マジックミラーみたいな魔法ですか?」

「そうそう。あちらからはこちらの音はまる聞こえだ。コロポックルは警戒心が強いから耳もいいしねぇ。」

「えぇ〜・・・そんなの聞いてないです・・・ズルくないですか?この問題・・・」

「はっはっは、何を言う!手がかりならきちんとあったはずだぞ?それにほら、ちょっとこっちに来て霧の中を見てみなさい。」

まだ何かあるのだろうか?訝りながら、ミナは霧の中に頭を入れて覗いた。

「あいたっ!」

覗き込んだ瞬間、ミナの額はコンクリートの壁にぶつかった。霧のすぐ向こうは壁になっていたのだ。ミナは霧の中でおでこをさすりながら、コロポックルたちがコサ笛ネシコニカレフで奏でる楽しげな演奏を聴いていた。

「もしミナちゃんがあそこで諦めずに、霧の中に入ってみていたら、すぐにコインは見つかったはずだよ?」

「う、うぐぅ・・・」

演繹えんえきで物事を測るには限界があることもある。そういう時は、不確実性霧の中に飛び込んで情報を掴みに行くのも一つの手なのさ。」

結城は、優しい声でミナを慰めた。

「さて、話を戻そうか。今見てきた通り、「三歩以内で、霧の中からコインを取って来い」という問題文に対する正解はある。霧の中に入る他にも、コロポックルにお願いしたり、技巧に長けた魔術師Mackerならばこの霧の弱点をついた魔法でも開発して、その場から動かずにコインを取ってこれるかもしれない。それらはすべて「正解」だ。ある問題を解決するための「合理的な手続き」「正しい手続き」というものは存在するんだよ。この手続きが、数式や儀式言語などの合理性のある「形式論理」と呼ばれるものだね。・・・だけどねミナちゃん。こうした合理的な正解手続きが、「正しい」と保証されるものではないんだよ。」

「え?合理的なのに、正しくないんですか?」

「・・・ミナちゃんはどうして霧の中からコインを取ってこようと思ったんだい?500円が欲しいから?」

「えっ?だって結城さんが取って来いって・・・」

「断ることもできたかもしれない。あるいは私は嘘をついていてお金を渡すつもりもなかったかもしれない。実際私はコインを投げるふりをしてすぐ下に落としていたくらいには君を騙し、不誠実だった。情報だって全て開示してはいない。そもそもその問題文は解く価値のある問題だったかな?無意味じゃないか?まるで犬みたいな扱いだ。コインを投げて取ってこいだなんて。」

「・・・・・」

「その問題文を疑わなかった?その問題文は「正しい」かな?」

「・・・わからないですよ・・・だって結城さんが解けって・・・」

「そう、のだよ。数式や論理記号などの合理的な手続きは、問題文を正しく解決する用途には役に立つ。けれど、問題文の正しさを証明することはできないんだ。それを証明するためには、その問題文自体を手続き化することが必要になるが、正しい手続きという概念はそれ自体が、解決する問題文を必要とする。つまり、ある問題文の正しさを証明するためには、また新たに高次の問題文が必要になるんだよ。このそしてこのイタチごっこの先にあるものが、同語反復トートロジーだ。」

同語反復トートロジー・・・?」

「ミナちゃんがさっき言っていた。「結城が解けと言ったから、解いた。」みたいなことかな。それにもう一歩踏み込みと、「なぜ結城の命令が正しいと思うのだ?」となるけど、ミナちゃんは人を疑わない良い子だから「結城が正しいから、正しい。」ってなるだろう?・・・人はどこかでこの結論に至る生き物なんだ。「正しいから、正しい。」ってね。」

「・・・・宗教みたいですね・・・・」

「そう。なんだ。最後に行き着く果ては。・・・問題文は、「前提」と「目的」から構成されるけれど、それも最後には「正しいから、正しい」となる。この境地おいては、問題文を疑うことが、もはや許されなくなるんだ。」

「・・・・・」

「そしてこの同語反復が、「正義」や「善」と呼ばれるものだ。・・・地獄への道は善意で舗装されているという言葉があるが、この正義というやつは、時にガン細胞のように人を殺すこともある・・・。」



 しばらく雑談をしていると、霧から年配のコロポックルが結城の方へ飛んできて、結城の耳元で何かをささやき始めた。

すると、少しだが結城は顔を険しくして、コロポックルに何事かを答えた。

「そうか・・・ありがとう。いや、それはそのままでも良いんだ・・・・。シノビ関係だから・・・そうテロ関連だ・・・。一秒だけ切っておくようにと・・・。・・・私も同感だが、株主オーナーにも息がかかっている・・・財務省の・・・・。いや、肉眼で監視だけは一応・・・万が一のこともあるから・・・・すまない・・・よろしく頼む・・・・」

 結城が話を終えると、年配のコロポックルはまた霧の中に消えていった。

そのあとで、結城は心配そうにこちらを見るミナに気づき、努めて笑顔を作り直した。

「大したことじゃない。少しの情報の行き違いだ。大世帯だいしょたいともなると情報伝達も大変でね。」

「・・・・そうですか・・・」

彼女は、結城の会話の中から「テロ」という言葉を聞いていた。この国でテロと言ったら・・・・



「・・・ミナちゃん。・・・私は君に、トゥスクルとしての「誇り」を持って欲しいと思ってい。」


しばらくの沈黙の後、結城は、急に真面目な、しかし低いトーンで、ミナに語りかけた。


「・・・結城さん・・・?」

ミナは、結城がで語った言葉に、困惑した。





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