霧の魔法

第18話「豊間根ミナ」

  (人間界は迷路だ。)

豊間根とよまねミナは、涙ぐみながら霞ヶ関駅でうなだれていた。

岩手県の山奥の魔法界からまともに出たことがなかった彼女にとって、東京への道のりはあまりに刺激的で、そして困難なものだった。

 

 まずはじめに驚かされたのは、「シンカンセン」と呼ばれる超高速で走る箱状の物体だった。

驚くべきことに、この物体の名前は「ハヤブサ」であるという。

魔法界のハヤブサはもっと小さいし、きちんと翼のある鳥類であったが、人間界のハヤブサは突然変異によって進化と退化を一身に受けたらしいと、彼女は自分でまとめている対人間界用備忘録「東京ノート」に記している。


 しかし、彼女をはじめに真の困難に突き落とすのは、この突然変異種ではなく、その向かう先にある「東京」という魔境であった。


 ミナは、親切にも中つ国語と英語で東京駅への到着を報告してくれたハヤブサに深々とお辞儀をすると、人間界の首都へと降り立った。

そのあとでミナが直面したものは、彼女が今まで見たことのないほどの人並みと、複雑に入り組んだ駅構内だった。

 

 そこからの彼女に課せられた任務ミッションは、16時半から18時の間に、霞ヶ関駅に到着し、魔法界「霞ヶ関四丁目」へ入ることだった。

彼女は都市に圧倒される気持ちを励ましながら、歩みを進めていった。


 しかし結論から述べれば、豊間根ミナは道に迷った。

そして、彼女が霞ヶ関駅に到着した時にはすでに18時を回っており、彼女が予定する到着時刻からは大幅に過ぎていた。

ミナは自分の不甲斐なさに今にも泣きそうになっていた。

「道がわからなければ、人に聞けばいいのに・・・」

ミナは自虐的に小さく呟いた。

人目をはばかって今も泣くことすらできない彼女には、それができなかったのだ。

ミナは人間に慣れていなかった上に、性格的にシャイであった。

それでも背に腹変えられず、何度か人に話しかけようとしたものだったが、その試みが二度失敗すると、彼女の心はポッキリと折れてしまった。

彼女は自分が無視された理由は、自分の人間ひょうじゅん語がおかしいからだと信じていたが、実際には声が小さすぎるからであった。


(これからどうしよう・・・)

彼女は、絶望的な気持ちに囚われた。

彼女の目的地「霞が関四丁目」は、一般魔法使いユーザーは、逢魔が時にだけ入退出の許される魔法界だ。

したがってミナが次に目的地に入ることのできるのは、明日の逢魔が時、つまり明日の16時半から18時の間となる。

彼女はそれまでの時間を想像し、恐怖に震えた。

自分がこの街で一夜をやり過ごすまでに、一体どれほどの人間とのコミュニケーションが必要とされるだろう・・・?


「何かお困りかい?」

駅のホームで呆然と立ち尽くすミナに、誰かが声をかけた。

彼女は突然の声掛けにビクッと体を強張らせたが、そのあとで、それが自分にかけられた声ではないかもしれないと思い直し、恥ずかしさを覚え、ごまかしに周りをキョロキョロ見回った。

「いやお嬢ちゃんだよ。さっきからずっとそこで俯いてるけど、具合でも悪いのかい?」

それは男性の低い声で、ミナの後ろから聞こえていた。

彼女が振り返ると、そこにいたのは貫禄のある中年の駅員だった。

駅員は心配そうな表情で、ミナの表情を覗き込んでいた。

「・・・あ・・・あ・・・・」

ミナは何かを言おうと口を開いたが、唇が震えて、うまく話せなかった。

絶望的な状況で差しのべられた突然の優しさは、彼女が必死に熱いものを押さえ込んでいたその胸を、決壊させた。


 ミナは言葉の代わりにヒクッと一度しゃくりあげると、次の瞬間涙をボロボロと流し始めた。

「う、う゛え゛え゛え゛え゛〜!!みぢに、みぢにま゛よっぢゃった゛んでずぅぅぅぅぅ〜!」


突然泣き出す女の子に、駅員は最初ギョッとした表情を見せたが、すぐに彼女を気遣い、なだめるような優しい声で応えた。

「そうかそうか、そりゃあ大変だ。どこに行きたいのかな?駅員さんが教えてあげるから。」

「よ゛んぢょうめでずぅ、がずみがぜぎの゛ぉ」

「よ・・・わかったわかった。とりあえず駅員室に来なさい。ここじゃアレだから。」

駅員は泣いているミナをなだめながら、彼女を駅員室へと誘導した。


ミナは顔をぐしゃぐしゃにしながら、地獄で仏、日照りに雨、東京に駅員さんだと考えていた。













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